セーヴェル公国 南口市
霧が濃く広がる荒涼とした大地に、ぽつんと小さな町が見えてきた。
セーヴェル公国南口市。その名の通り、セーヴェル公国最南端の町である。
不思議な事に、ここ南口市を含めた国境沿いの町以外では、この国に関わる情報がほとんど存在していない。まるでセーヴェル公国なんて実際には存在していないかの如く。
ユーリカ、バルタザール、パーティ『ワンパンチャー』とパーティ『グラビティゼロ』。合計8人からなる一行は、グランツ王国首都から一週間ほどかけてここまで辿りついた。
A級冒険者昇級パーティーでの面会の後、エドウィンが率いるパーティ『グラビティゼロ』のメンバーともユーリカは知り合った。
元貴族の3男坊であるエドウィン、同じく元貴族の4男坊であり、タンカー兼ヒーラー役のオットマー。 そしてやはり元貴族で3男坊で剣術使いのカスパル。三人の元下級貴族の哀れな三男坊以下で構成されたパーティだ。
今回の依頼はユーリカがセーヴェル公国までの護衛任務として正式に冒険者ギルドを経由し、パーティ『ワンパンチャー』とパーティ『グラビティゼロ』を指名発注したものだ。
有名人であるユーリカからの指名依頼である事に加え、謎の多いセーヴェル公国を観光出来るとあって、元日本人2人組以外のメンバーも、二つ返事でこの案件を引き受ける事を了承した。
A級冒険者5人に、B級冒険者が3人。 道中には一切の危険性もなかった。単発の魔物はほぼアレックスのワンパンチで解決出来るし、集団で襲いかかってきた盗賊にはエドウィンの重力魔術で完封だ。
転生者であり特殊スキル持ちのアレックスとエドウィンが強すぎて、他の4人の心中穏やかではないのではと想いきや、似たようなリーダーを持つパーティメンバー同士、仲良く出来ているらしい。常識外れで暴走しがちなリーダーを常に抑えてきた常識人4人組は、和気藹々としてリーダーに対する愚痴を言い合っていた。
『ワンパンチャー』には女の子が二人がいるが、『グラビティゼロ』メンバーはどれも元貴族なだけあって紳士的だった。
そんな常識ハズレのリーダー2人、アレックスとエドウィンはリーダー同士で意気投合をしているが、話題のほとんど「マンガ」だの「ゲーム」だの「映画」だの、よくわからない単語ばかりが出てくる。だが現地組4人は、お互いのリーダーの珍妙な言動には慣れている為、あまり気にしてもいないらしい。
そうして大した事件も無く、無事に目的地たるセーヴェル公国の入り口へと到着したのであった。
「ここがセーヴェル公国南口市か……ぱっと見、普通のさびれた田舎町に見えるけれどねぇ」
到着早々、身も蓋も無い事を言うエドウィン。
「一見農業も工業も盛んではなさそうだし……一体税収はどうしてるんだ?」
さすが元貴族というべきか。オットマーが疑問を口に出す。
「あー、でも俺たちの村よりは栄えているよなぁ」
そうぼやくのはアレックス。 それに同意するかのように頷くイリーナとウルファ。
「でも緑が少なくて……なんか寂しいですね」とイリーナ。
「んふふっ、 そう思っていられるのも今のうちですよ」
ドヤっと薄い胸を張るユーリカは、街の中へと一行を案内する。
「さて、そろそろご飯にしますか。 ここなら和食もありますよ?」
「「マジで!?」」
そう言って目を輝かせるのは元日本人の二人。しかしこの二人以外にはなんの事かさっぱりだ。
「ワショク……アレックスもエドウィンさんもずっとそればっかりだな。そんなに美味しいのか?」とウルファ。
「美味しいのはもちろんだが……なんというか……俺たちのソウルフードなんだよ!!」
力説するアレックスにやや引くウルファ。しかしアレックスが珍妙な事を言い出すのは今に始まった訳ではないと思いなおす。
「エドウィンさんも、もしかして昔からあんな感じだったの?」と、オットマーとカスパルに尋ねる。
「俺たちが出会ったのはもう成人後だったから小さい頃は分からねぇが……まぁ急にトンチンカンな事を言い出すって意味では、君達のアレックスと似ているっちゃあにているな」とは、カスパルの弁。
「だからあの二人、なんか仲いいのかなぁ」
一緒にはしゃいでいるアレックスとエドウィンを羨ましそうに眺めるイリーナ。
「ここの食堂だよ」と、ユーリカとバルタザールが率先して入っていった先は<食堂しまむら>
「おおおおおそれっぽいいいいいい!!」
「ああああ看板だけでヨダレが止まらないぜえええ!!」
入店前からテンションマックスな二人の背中を押しながら現地組4人も入店する。
「あら、ユーリカちゃんにバルちゃん。おかえりなさい。 みなさんも、いらっしゃい……新しいお客さん?」
ふくよかな体型をした女将らしき女性が挨拶をしてきた。意味ありげにユーリカを見る。
「お久しぶり、おばちゃん! そう、新しい子達!個室借りるね!」
勝手知ったる我が家が如く、ユーリカは奥まで突き進んだ。通された先には靴を脱いで座るタイプの、畳部屋になっていた。
「靴を脱いで入室するのね……変わった習慣だわ」とイリーナ。
「東の国に似たような風習があるとは聞いているが……まさかここで出会うとはな」と、興味深そうに部屋を眺めるのはカスパル。
「ああああああ畳だあああああ」
「うわああゴロゴロするううう」
テンションマックスどころかメーターを振り切った状態のアレックスとエドウィンが真っ先に飛び込み、畳をスリスリしている。
「はぁはぁイグサの匂いいいいいい」
「お家帰りたいいいいいいいよぉおお」
そんな二人の発狂状態にうわぁ……とドン引きする、事情を知らない現地組4人と、うんうんと嬉しそうにしているユーリカに、自分もそんな経験があったなぁと懐かしく思うバルタザールを、女将がはいはい邪魔邪魔とでもいうかのように、部屋に押し込んで襖を閉じた。
「……このドア、紙で出来ているのか?」
もの珍しそうにキョロキョロとするカスパル。
「カスパルは美術品とかに目が無いからな」とオットマー。
「ほんじゃま、まずメニューを見てごらん」
ほい、とユーリカはメニューを発狂している元地球人二人組に押し付けた。
待ってましたと言わんばかりに、座布団にジャンピング正座して、血走った目でメニューを見開く二人。だが……。
「あのぉ……ユーリカさん?」
「はいなんでしょうかアレックス君?」
幽鬼のような低い声を出すアレックスに、
「和食、一個も無いんですけれど……」
その隣では、血の涙を流さんばかりのような悲愴な表情を浮かべるエドウィンがいた。
メニューにはこの世界の定番料理がずらりと並んではいるものの、和食など、地球の料理は一個も見当たらい。 メニューの後半には、文字などが一切記載されていない真っ白なページが続いている。
「まぁまぁ、これから説明するから。バルタザールさんや。あれを」
「はいはい……このカードを一人一枚、手にとってくれ」
そう言って、バルタザールはカードのような物を部屋の引き出しから取り出し、今回同行してきた6人に手渡した。
「これはセーヴェル公国の仮登録用の国民証だ。 この国では、このカードを持たない者には、色々と制限がかかっている」
「制限とは……入国規制や関税のようなものか?」とオットマー。
「いや……こればかりは説明が難しいので、まぁ登録してみてくれ。まず血を一滴、カードに垂らす」
バルタザールはそう言いながら、密封された清潔な小針を、カードが入っていたのとは違う引き出しから取り出して、6人に行き渡らせた。この世界では魔道具の使用や契約書などで血を使う事が多い。6人とも特に抵抗無く言われた通りにした。
「次は、このカードを鏡だと思って顔を向けてくれ」
言われるがまま、実行する6人。 カシャッという音と共にカードが光った。
「「「うわっ、眩しいっ!」」」
「最後にカードに目を近づけて……ああ、次は光らないから安心してくれ」
先程のフラッシュにびっくりした6人は、恐る恐るとカードを目に近づける。今回は光らずに、カシャッという音だけが響いた。
「これで君たち6人の国民証が仮登録されたよ」と、バルタザールは澄ました顔で宣言した。
「これはもしかして……遺伝子情報登録に虹彩認証と顔認証……なのか?」とエドウィンがユーリカとアレックスだけに聞こえるように小声で尋ねた。
「正解。あとは指紋も実は登録されているんだよ」とユーリカ。
ここで、ようやく状況が飲み込めた元転生者の二人。この二人なら、このカードの性能がどれだけ高度な「科学力」によって支えられているかがわかるはずだ。
「さ、メニューをもう一回見直してみてよ」
ユーリカはさぁさぁと笑顔でメニューを再度、アレックスとエドウィンに押し付けた。
「……おああああ!!! 牛丼!! さばの味噌煮もあるううううう!!」
「うぉおおおお俺は焼き鮭と味噌汁の定食にするぜええええええ!!」
「ど、どういう事だ!? さっきまで空白だったメニューに文字と……なんだこの精巧な絵は!!」
驚くオットマー。
「見た事のないメニューばかり! アレックスとエドウィンさんはどんな料理なのか分かるの!?」
物静かなイリーナも思わず叫んでしまった。
「まぁ、簡単に言えば広範囲の認識阻害魔法とナノマシンによる妨害を、仮登録する事でキャンセルしたってだけなんだけれどね」とユーリカが答える。
「「ナノマシン!?」」と、転生者組が反応し、 「「「認識阻害魔法!?」」」と現地組が驚愕する。
「セーヴェル公国はナノマシンと魔導技術で北の大地をテラフォーミングして出来た国なんだよ」
ドヤっと胸を張るユーリカ。
「……まさか剣と魔法のファンタジー世界でそんな単語を聞くとは思わなかった……」
プルプルと震えるアレックス。
「だが今はどうでもいい! 俺はサバの味噌煮にするぜえええええ!」
「僕は焼き鮭定食だぁあああ!!」