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まほろば  作者: 一歳真誉
外の世界
6/15

なまえ

 はちおうこ市を出てから、ずっと車に乗ってる。

 私は車が“旧東京”って所に向かっているとばかり思っていたのだけど、次第にそれは間違いだという事に気付いた。

 おねえさんは、案内のために設置されているらしい青い板には従わず、走っているから。

 あっちに“旧東京”がありますよーって描いてあるのに、その道には入らず素通りしたり、敢えて曲がったりしている。

 どうしてだろうって、私はおねえさんに質問してみた。

「旧東京に、向かわないの?」

「向かわない」

「何で?」

「良い噂を聞かないから」

「どういうこと?」

「人が多く居ても今の時代、良いことはないってこと。それに」

 おねえさんは道ばたに突然車を停めると、どこからか分厚い本を取り出して、開いた。

 覗き込むと、そこには文字の羅列じゃなくて、細かな管のたくさん張り巡らされた絵がびっしりと描かれていた。

「なにこれ?」

「地図」

 おねえさんは指を舐めてページをぱらぱらとめくって、あるところで熱心に絵をなぞり始めた。

「私は浜松に用事がある。ただでさえ東に迂回してるから、その更に東に行ったって意味ないの」

 私はもっと“ちず”を見ようと、前かがみになった。

 ぐいぐい近づいたらおねえさんは暑苦しそうに避けたけど、でも“ちず”だけはこっちに寄越して見えるようにしてくれた。

 私はお山の道で見つけた青い板と同じ字である”八王子市”を見つけると、指さした。

「あっ。これ、はちおうこ市」

「八王子市」

「今、おねえさんはここにいるの?」

「いや、この辺」

 おねえさんの指が、“相模原市”って文字の書かれた場所を突く。

 はちおうじ市の、ちょっと下に行ったところだ。

 私は首を傾げた。

「なんて読むの?」

「さがみはらし」

「あんまり進んでないね」

「道が悪い上に、信号もろくに動いてない。ゆっくり走らないと大変なことになるから、飛ばすのは無理だ」

 確かに。道路はあちこちがパキパキってひび割れてるし、ごみとかでっかいモノや、木とかが倒れてたりしててのろのろ運転になっちゃう。

「このまま真っすぐ進むと、どこに着く?」

「海」

「海!?」

 私のでっかい声に、おねえさんはびっくりした。

「うえっ」て顔をして、こっちを凝視している。

 私はこほんと咳払いした。

「なんなんだよ、急に」

「ごめんなさい。海、ずっと見てみたかったからびっくりしちゃった」

「一回も行ったことないの?」

「うん。ねえ、海って、どんなところ?」

 おねえさんは“ちず”を畳みながら、端的に説明してくれた。

「でっかい湖みたいなところ。波が押し寄せていて、それが砂浜や街を侵食したりする」

「しんしょく?」

「見れば分かるよ。この先は丁度、その海に沈みかけた街があるから」

「見てみたい」

「危ないから避けて通るし長居するつもりもないよ。人は全く居ないだろうから、商売も出来ないし」

「見るだけでいい」

「あー、はいはい」

 おねえさんは再び車を覚まさせると、ブーンて前に動かし始めた。

 私は鏡の下に揺れる飾りを見ながら、さり気なく訊いた。

「おねえさん。ここにくっついてるモニターは何?」

「ナビ。壊れてるから点かないよ」

「見れないの?」

「そう」

 良かった。

 おねえさんは、テレビには関心がないみたいだ。


 ずっと車に揺られていたら、辺りがどんどん暗くなってきた。

 太陽さんが真っ赤になってお山の向こうに溶けて、代わりにお月さんが姿を現してくる。

 おねえさんはお昼の時よりもずっとゆっくりと走っていたけど、やがてある場所に車を停めた。

 そこは街からちょっと外れたところにある、たくさんの気が生えた場所だった。

 入っていく途中で、『さがみはら西キャンプ場』ってかかれた白い板があったから、ここがなんていう名前なのかは分かった。

 何をする所なのかは、はっきり分からないままだったけど。

「寒い」

 おねえさんは車から出るなり、ぶるるって身体を震わせながら両腕を組む。

 私も寒くて、がたがた震えていたらおねえさんが声を掛けてくれた。

「ほら、これ着て」

 おねえさんは私が差し出した両手の上に、上着だけじゃなくて次々に色んなものを置く。

 シャツにズボン。パンツに長い靴下。ふわふわとしたパーカーに肌着数枚。

「わっ、わっ」て受け取っている間、おねえさんは静かに言う。

「生理は?」

「え?」

「せ、い、り。パンツの下に付けてるものはあるの」

「ない」

 はてな? って首を傾げてたら、おねえさんは「あっそ」て言って車の方に行っちゃった。

 せいり、って何だろう。

 パンツの下に付けるって、邪魔じゃないかな。

 おねえさんはそんなもの、付けてるのかな。

 窮屈そう。

 その場で着替えようとしたら、車の陰に居たおねえさんが眉をひそめた。

「人はいないけど、大胆過ぎるだろ」

「え?」

「車の中で着替えたらいいんじゃないの」

「狭いから、こっちの方がいい」

「あっそ」

 貸してもらった服を着たら、おねえさんの甘い匂いがした。

 そっか。これ、おねえさんのお洋服なんだ。

 道理で、ぶかぶかだと思った。

 おっぱいのあたりが、とってもスカスカで涼しい。

 でも、今日の夜には、ちょっと寒いかな。

 上着を着たら、首の後ろ辺りに被れる帽子みたいなモノがくっついていたので、それを使ったら、もっとあったかくなった。

 ふわふわ。気持ちいい。

「夜はまだ寒い……」

 おねえさんが独り言みたいに呟きながら車から荷物を降ろしてる傍に駆け寄って、私は着替え終わった自分を見せてみた。

「見て、おねえさん」

「んー」

「どう?」

「何が?」

「お洋服。可愛い?」

 私はくるりんて回ってみたのだけど、でもおねえさんは特に面白そうな顔もせず、いつもの静かな声で「いいんじゃないの」って言っただけ。

 むぅ。

 つまんない。

 おねえさんのいけず。れーけつ。

「お前、この服はどうすんの」

 脱ぎ捨てた私の運動着を手に持って尋ねるおねえさん。

 私は要るとか要らないとかいう気持ちがしなかったので、うーんて考えたけど思いつかない。

 “マグメル”から着て来た服。皆とちょっと違う雰囲気で恥ずかしいけど、でも捨てるっていうほどの理由がある訳でもないし――。

 考え込んでたら、おねえさんが運動着を広げながら呟いた。

「水着として使えるか」

 水着は私もよく知ってる。

 だって、“マグメル”に居た時によく水泳をやらされたから。

 私はおねえさんの言葉で、いい案を思いついた。

「それ、要る。海で泳ぐ」

「はいはい」

 ちゃんと分かってくれたのかな、おねえさんはすごくいい加減に車の中に私の運動着を放り込むと、手をパンパンと叩きながら言った。

「綺麗な水場と、ドラム缶探しするから手伝って」

「なにそれ」

「風呂を作るんだよ。あったらお風呂にする」

「ここで?」

「そう」

「おねえさんも、大胆だ」

「……うるさい」

 キャンプ場の奥に、大きな”いし”のたくさん重なっている所からさらさらと流れる水があったので、おねえさんに教えたら褒められた。

 “たき”って言うんだって。

 飲めるかも知れないって、一すくいしたお水をちょっとだけ飲むおねえさんの真似をしたら、注意された。

「煮沸してないから、運悪いとお腹壊すよ」

「おなか、ぐるぐるしちゃう?」

「そうならないよう祈るしかない」

 うーん、うーんてかみさまに祈ってる間に、おねえさんはどこからか“ドラムかん”を持ってきて、お風呂の準備をし始めた。

 色んな道具がいっぱいだ。

 石のブロックと桶、変な丸い木の板と棒とかいろいろ。

「これ、何に使うの?」

「風呂底に沈めるすのこ」

「この棒は?」

「見てれば分かる」

 おねえさんは私が“ドラムかん”に桶を使って水を何回も入れてる間に火を起こす。

 ゴオゴオと音を立てる“ドラムかん”と湯気の立つお湯に、私はちょっと不安になる。

 今からこの中に、はだかで入るんだよね。

 茹だって、死んじゃわないかな……。

 タオルを巻いた姿でおねえさんをちらっと見たら、「入れ」って目で合図してきた。

 一番風呂はおまえにゆずってやるんだって。

 実験されてるんじゃないかって不安になりながら“ドラムかん”の縁を触ったら、そんなに熱くなかった。

 お湯にも手を入れてみる。とってもあったかくて、心地良い。

 勇気を出して内側の面を触ったら、これもあったかくて気持ちよくて、そっと入ったら、あっと言う間にお風呂が完成した。

「おねえさん。これ、熱くない」

 お湯をパシャパシャとさせて一生懸命に伝える私に、おねえさんはクスリと笑った。

「熱かったら入れないだろ」

 おねえさんのちょっとだけ浮かんだ笑顔が、私は嬉しくなった。

 おねえさんが笑った時の顔、初めて見た。

 とっても、美人さんだった。

 もっともっと笑ったら、素敵で綺麗で、可愛いのに。

 お風呂に入ってる間、おねえさんは何故か金属の棒を持って退屈そうに地面をつついてる。

 何だかぎょうぎょうしいので、私は訊いてみる。  

「それなに?」

「護身用」

「えっ?」

「どっちかが誰かに襲われたら、これで躊躇いなく殴ればいい。分かった?」

「わかった」

 おねえさんの腰に光る“はもの”も怖いんだけど、でも今はお風呂でまったりだから、忘れよう。

 “ドラムかん風呂”は出る時がひっくり返りそうでわたわたとしたけど、出たら夜の風が気持ちよくてのんびり出来た。

 今度はおねえさんがお風呂に入る番。

 私よりも身長が高いおねえさんは何だかお風呂の中にすぽんて嵌ってるみたいに見えて、ちょっとおかしかった。

 くすくす笑ってたら、「なに」って睨まれた。

 反省、反省。

 おねえさんが着替えている間、私はその姿をぼーっと見た。

 誰かの裸を見たことは今までなくて、今日が初めてだったから、色々と不思議だった。

 おねえさんは、私とは違う身体付き。

 身長は勿論違うし、大人だからおしりやおっぱいも私よりずっと大きくて、えっちな感じ。

 乳首の形だって違うし、腰のラインも微妙に違う。

 同じヒトでもこんなに違うんだって、びっくりした。

 大人になるって、ひょっとして身体がこんなにも変わることなのかな。

「ちょっと」

 お風呂から上がったおねえさんが呼んできて、私は「ん?」って顔を上げた。

 おねえさんは服を着ながら、いつもらしくない雰囲気でもそもそ喋る。

「名前、なんていったっけ」

「え?」

「名前。まだ訊いてなかっただろ」

雪保ゆきほだよ。冬ヶ峰雪保」

 おねえさんはしばらく考え込んでたけど、そのうち小さな容器を一つこっちに投げて、キャッチした私に言った。

「ドライシャンプー。雪保が使いたかったら好きに使っていい」

「う、うん」

 私は手渡された――というより投げ渡された“ドライシャンプー”とかいう容器を見つめながら、心の底から徐々に湧き上がってくる感覚にふわふわとした。

 なんだろ、今の。

 なんていえばいいのか、分からないけど……。

 おねえさんの言葉の中に、雪保って自分の名前がくっ付いてた。

 今まではおまえだったけど、今のそれはおまえじゃなくて、雪保っていう、ちゃんと自分の名前がくっ付いていて。

 たったそれだけなのに。

 ちょっとだけしか変わってないのに。

 何だかそれが、とっても、とっても。

 嬉しかった!

真歩まほおねえさん」

 私は背中を向けているおねえさんに、名前を付けて呼びかける。

「ん」って振り向いたおねえさんに、もう一回、名前で呼びかける。

「真歩おねえさん」

「なんだよ」

「ふふ、なんでもない」

 は? って顔したままのおねえさんを残して、私はステップでたくさんの木の中を回った。

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