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まほろば  作者: 一歳真誉
外の世界
5/15

はちおうこ市

 ピチュピチュって、陽気な声が遠くから聞こえる。

 空気は寒くなくて、きちっと固まった感じ。肌に全く風が当たらない。

 それに何だか、居心地の良いものの上に乗っかってる。

 毛布が掛けられていて、とてもあったかい。

 薄っすらと瞼を開けると、灰色の低い天井が見えた。

 手を伸ばしたら届くくらい、低い天井が目の前にある。

 足を延ばしたら、ゴツンて何かに当たった。

「あれ……」

 身を起こすと、私はとても狭い場所に入れられてるのに気付いた。

 寝る前、おねえさんが小瓶を取り出してきた、あの白い箱の中に入れられてるみたい。

 すぐ傍にはドアノブみたいなのがあって、引っ張ってみたら、バコって変な音を立てて開いた。

 ガラスの張られたそこから出ると、とても澄んだ空気が灰の中に入ってきた。

 思わず「んんっ」て、伸びをしちゃう。

 気持ちいい。

 良く寝た。

 何だか、色んな夢を見てたな。

 掛けられていた毛布を地面に落としちゃって、私は「あっ」と声を上げて拾った。

 多分、あのおねえさんが掛けてくれたんだと思う。

 あったかい、あったかい優しい毛布。

 おねえさん、どこだろう。

 どこにも居ない。

 ありがとうって、言いたいのに。

 箱の中に毛布を放り込むと、私は周囲を見渡した。

 黒い道はなくて、代わりにいっぱいの木と、何も無い広場が広がってた。

 遠くに、ぐねぐねとした道が見える。

 黒い道とは違って、アスファルトの色が灰色っぽかった。それが、斜面に沿って細く伸びている。

 きょろきょろとしてると、箱の陰からおねえさんが出て来た。

 おねえさんは箱の中から抜け出してる私を見て、ちょっと驚いた顔をした。

 私は挨拶した。

「おはようございます」

「……おはよ」

 おねえさんは静かに返すと、箱の後ろ側のドアを開けて、何やら荷物をがさがさし始めた。

 私はどうすればいいのか分からなくて、おねえさんがそうしてるのを傍でじっと眺める。

 遠くでピチュピチュと鳴ってる音。

 お山の陰から、眩しい光を溢れさせる太陽さん。

 肺いっぱいにすっきりとした空気が入り込んで、何だか心地いい。

 こういうの、なんていうんだっけ。

 夜じゃない、お昼でもない、これ。

 一番に太陽さんが登ってきて、とっても明るくなる、これ。

「おねえさん」

 私に声を掛けられたおねえさんは、無表情で振り向く。

「なに」

「これ、なんていうの」

 山の向こう側から登る太陽さんを指さす私に、おねえさんは眉をひそめる。

 私はあっちとかこっちとか、お空とかを両手いっぱいに広げて言う。

「この、明るくて、太陽さんが一番乗りで、それでいてピチュピチュとした音が鳴るのって、なんていうの?」

「普通に朝でいいんじゃないの」

「あさ」

 なるほど。

 朝、っていうんだ。

 おねえさんは『意味が分からない』っていった表情をして、また白い箱のお尻の中を弄り始めた。

 私は駆け寄って、訊いてみる。

「あの」

「なに」

「ここって、どこですか」

 おねえさんは鼻から小さく息を漏らすと、片手を腰に当てて辺りを見た。

おお何とかって、山の中」

「おーなんとか?」

「名前なんていちいち覚えてないよ。お前拾って、それどころじゃなかったし」

「拾った? どうして、私を拾ったの?」

「それは、道のど真ん中で倒れてたら――」

 おねえさんは答えるのが面倒くさくなったのか、それ以上は答えるのをやめて、荷物を弄りだした。

 夜にオレンジのやつがメラメラとしていた場所は、真っ黒なかすだけが残っていて、もう消えてた。

 おねえさんは色んな荷物を弄るのを終えると、バンってお尻のドアを閉めた。

 あんまりにもでっかい音だったから、私は肩をビクってさせて驚いた。

 おねえさんはまたまた変な顔をすると、服の裾を払いながら言った。

「家はどこ?」

「いえ?」

「住んでる場所のこと」

 私の住んでた場所は、あの白い建物の中だ。

 おじさんたちが言ってた、マグメル、ってところ。

 でもこれ、あんまり言いたくない。

 言ったら、おねえさんがそこへ連れて帰りそうだから。

 おまえは出てくるな、帰るべき場所へ帰れって言われそうだから。

 もじもじとしてると、おねえさんは「はぁ」とため息をついた。

 白い箱に寄りかかってじっと私を見て、観察してる。

 私は右の腕を触りながら目を逸らす。

 何も言いたくない。

 言ったら、きっと戻される。

 だから、何も言わない。

 おねえさんがぽつりと呟く。

「何で運動着なんだか」

「…………運動、してたから」

 は? っていった顔。

「もう一度聞くけど、なんであんなところ歩いてた?」

「道に、迷って」

「なら家に帰すよ」

「いい」

「なんでだよ」

「帰りたくないから」

「……はぁ。家出か」

 おねえさんは困った顔でしばらくじっと下を見てたけど、やがてこっちを真っすぐに見て言った。

「帰るつもりはある?」

「ないです」

「親が心配すると思うんだけど」

「おや、って?」

「お前を生んでくれた人。いるでしょ。お父さんか、お母さんて呼べる人が」

「分からない」

「兄弟とかもいないのか」

「きょうだいっていうのが、分からない」

 おねえさんは頭をがりがり掻きながら、ぼそっと呟いた。

「記憶喪失かって」

「きおくそーしつ?」

「生まれた場所とか、自分の名前とかを忘れることだよ」

 生まれた場所は、分かってる。

 あの白い建物。

 名前も知ってる。

 雪保。

 誰が付けてくれたか、分からない名前だけど。

「ちゃんと、覚えてるよ」

 そう答える私を見て、おねえさんは面倒くさそうに言った。

「だったら何で帰らないんだよ。おまけに、火のこととか朝とかを忘れてるでしょ、お前」

「知らなかったの。あさ、とか、ひ、とかのこと」

「知らなかった?」

 無言でうなずく私。

 おねえさんは訳分からないって顔してこっちを見る。

 私は恥ずかしくて、目を逸らしちゃった。

 じっと見られることより、今の姿恰好を見られることの方が恥ずかしかった。

 だって運動してた時の恰好そのまんまだし、この服、ぴちっとしていてまるで裸みたいだから。

「とりあえず」とおねえさん。

「帰る気はないと」

「ないです」

「家の場所は覚えてるってことでいいの」

「場所はもう、分からないです。ずっとずっと、歩いてきたから」

「それでも、おおよその見当くらいはつくはずだよ。どんなところだったとか、こういうところだったとか」

「……うん」

「でも、それを言う気も戻る気もないと」

「ない、です」

 おねえさんはとってもとってもおっきいため息をつくと、白い箱に寄りかかるのをやめて、私が寝てた場所のドアを開けると言った。

「乗れ」

「え」

「これから街に行くから。そこで家に帰るか、別のどこかに行くかとか自分で決めてもらうからね」

「おねえさんに、付いて行っていいの?」

「こんな山の中に、ひとり置いていくわけにもいかないでしょ。だけど、街に降りたあとのことは知らないよ。最後まで一緒に居る気はないからね」

 おねえさんは反対側のドアを開けると箱の中に入って、丸いわっかの前に座った。それと同時に箱はプスススって変な音を出して、暫くそれを繰り返したと思ったら、ひときわ大きい声でブオンと唸った。

 私は怖くて尻もちをついちゃった。

 だって、いきなり箱さんが目を覚ましたんだもん。

 ドアのガラスがウィーンて下がって、そこからおねえさんが声を掛ける。

「何してんの、置いてくよ」

「ま、まって」


 白い箱は歩くよりもずっと速い速度で進む。

 ガタガタ揺れて、それでいてぐいぐいとお山の道を登ったり下りたりを繰り返す。

 私の全力疾走よりもずっと早くて、それなのにちっとも疲れないからびっくりした。この椅子みたいなところに座っているだけで、お山を一個、二個と越えてしまう。

 おねえさんは隣でわっかを掴んでぐるぐる回してる。箱の進行方向をコントロールしてるみたい。

 私とおねえさんの間には鏡が付いているんだけど、そこにあみあみの物体とふわふわとしたものが数本垂れさがってる変な飾りがあって、それがずーっと揺れてるから気になった。おねえさんたらちっとも喋らないから、そういう些細な部分がとても気になる。

 箱にはモノがいっぱい積まれてた。ごちゃごちゃとしてて、どんなふうに使うのかは分からないモノばっかりだけど、とにかくいっぱいで、散らかってた。

 でも、外を見るとそんなのは瞬く間に忘れちゃった。

 窓の外はたくさんのモノがびゅんびゅんと移り変わってて、すごかったから。

 色んな種類の木や、白いもくもくや、でっかい水溜りが山の中にあって、「わああ」って眺める。

 十字の形をした生き物が、たまにお空の中を飛んでた。

 ずっとずっと向こうの、お山だらけの先を目指してその生き物は飛んでいた。

 一匹だったり、数えられないほどだったり。その時その種によって飛び方は違った。

 最初はおねえさんに逐一名前を聞いていたんだけど、でもおねえさんはどれに対してもそっけなく「とり」としか答えてくれないから、そのうち聞くのをやめた。

 取り敢えず、あの生き物は“とり”っていうらしい。

 突然真っ黒になって、私は声を上げる。

 慌てる私に、おねえさんが言った。

「ただのトンネル」

「とんねる?」

 詳しく聞き返す隙もなく、白い箱がピカーって眩しい光を前方に照らし始める。

 そしたら、天井にでっかい筒がぶら下がってるのが見えて、私は思わず「ひっ」て声を出しちゃった。

 何だか良く分からない、とっても、とっても不気味なものがぶら下がってる。真っ暗な中に、ぽっかりと口を開けた変なモノが、頭のすぐ上を掠めて行って、それが何度も何度も姿を現しては消えていく。もう出てこないでってお祈りしても、またすぐに出てくる。

 私は怖くて、目を覆った。

 毛布を手繰り寄せて、それを被った。

 しばらくしたら毛布の先が明るくなって、だからやっと“とんねる”から抜け出したんだって安心したら、すぐにまた暗くなって、あの不気味な筒が出て来た。

 箱の外はオオオって唸るような、こだまするような音を出してる。

 まるでおおきな底抜けの穴に吸い込まれていくみたいで、肌が寒くなってブツブツとした。

 かなり長い間“とんねる”は続いた。

 けど、ようやく“とんねる”を抜け出ると、見たことのない景色が広がった。

 さっきまでみたいなお山の群れから少し外れたらしいそこは、平らな場所がずっと続くのが見えた。山の下あたりに、ぶわーっと建物が広がっている。大きいものや小さいものがびっしりと生えていて、ぐねぐねとした水の流れる道が真ん中を貫いている。

 おねえさんと私の入ってる箱はまだお山の道を進んでいたけど、でもこれからあの平らなところへ向かおうとしているのが何となく分かった。少しずつ、お山を下りていたから。

 私は不思議なあの場所に近づいていってるのが嬉しくて、窓に顔をくっつけて夢中で見た。

 まだかな、まだかな。

 早くあそこに着きたい。

 着いて、気になるものを全部見て触って、覚えたい。

 道の端に、青い板がひゅんと横切った。

 何だろう、今の。

 意味は解らなかったけど、でも文字は見えた。

 白い文字で『八、王、子、市』。

 はち、おう、こ、し?

 なんて読むのか分からない。

 箱をコントロールしてるおねえさんに訊いてみよう。

「おねえさん」

「なに」

「はち、おう、こ、しって、どういう意味なの?」

「八王子のこと言ってるなら間違ってるよ」

「はちおうじ? はちおうじって?」

「あの街の名前」

「まち、って?」

「ああいう、建物の沢山立ってるところの呼び名」

 私たちの乗る白い箱は、やっとお山を抜けて“まち”とかいうモノの中に入った。

 四方を全て建物に挟まれた道。そんなところを、白い箱はゆっくりと進んでいく。

 道の上には白い袋やプラスチックの容器が風に巻き上げられたみたいに散らばっていて、箱がそれを踏むとベコって鳴った。ぼこぼこと揺れるから、私は天井に頭をぶつけちゃった。

 なんでだろう。道があまり綺麗じゃない。

 私がずーっと歩いてた黒い道と違ってアスファルトはひび割れていてちっともスベスベじゃないし、描かれている白と黄色の線は剥げ落ちてる。

 壊れてるのは道だけじゃない。あらゆる建物はみんな古く壊れてて、“マグメル”の中で見ていたものと全然違った。

 こんな作りの建物は全然見たことがない、というくらいには違う。

 私はワクワクとして、おねえさんに言う。

「出たいです。お外に行かせて」

「やっと帰る気になった?」

「ちがいます。まちの中を、歩いてみたいの」

「どうして」

「見たことないものがいっぱいだから」

 おねさんは私のことを訝しむような目でじっと見てる。

「なんですか」って言うと、「別に」とか言って目を逸らした。

「ん?」って首を傾げる私。

 変なこと言ったかな。

 私とおねえさんは“まち”の真ん中あたりにやって来たみたい。

 ヒトの身長を何十人も積み重ねたくらい高い建物があるところで、おねえさんは白い箱を止めた。

 箱が唸るのをやめるなり、私はドアを開けて外に出た。

 一番最初に感じたのは、匂い。

 少し埃っぽい匂いがする。

 砂みたいなかさかさとした匂い。

 吸いながら、足をうんと伸ばし、背伸びする。

 ずーっと閉じ込められてたから、疲れちゃった。

 おねえさんも箱の中からゆっくり出て来た。

 出てきて、辺りを見渡すなり囁いた。

「酷いな」

「え?」

 私の返事には答えず、おねえさんは辺りを見渡しながら道の一つを横切る。

 私もおねえさんの真似をして周りを見て歩いた。

 建物に赤とか黄色とか派手な色の板がいっぱいくっついていて、それぞれに文字が書いてあった。

 “カラオケ”とか、“甲州そば”とか、どれの意味も全部分からないけど、でも何でかワクワクとした。

 きっと楽しい所なんだろうな、“まち”って。

 ガラスは殆ど割れているし、ごみ袋みたいなのが散乱しててとても汚いところだけど、見たことのないモノがいっぱいだから、私は直ぐにでもおねえさんの元から離れてひとり触りに行きたくなった。

 うろうろしてたら、おねえさんが後ろから大きい声で咎めた。

「あまりひとりで勝手に動くな。どこに誰が居るのか、分からないんだから」

「どういうこと?」

「いきなり持ち物盗ったり、乱暴したりしてくる奴が居ないとは限らないってこと」

 持ち物は何も持ってないけど、でも乱暴はされたくないや。

 ぶったり蹴ったりされるってことだよね? それって。

 痛いのは辛くて嫌だから、私はおねえさんの元から離れるのをやめた。

 その代わり、しっかりとおねえさんの隣にいることにした。

 おねえさん、目つき鋭くて何だか強そうだから、一緒に居ればきっと安心。

 手をつないだら、おねえさんは顔を真っ赤にした。

「何だよ、急に」

「え?」

「いきなり手なんて握って」

 私は研究員の人たちと一緒に歩く時、いつも「こっちに来なさい」って手を引かれてたから、誰かと一緒に移動する時はこうするのが普通のことだと思ってた。

 けど、おねえさんは違うみたい。研究員さんのがっしりと握ってくる手とは違って、おねえさんの手は控えめでぎこちなくて、あんまり握って来ない。

 でも、硬くてシワシワのおててにぐいぐい握られるよりはやさしいので、私は初めての感覚にちょっと楽しくなった。

 おねえさんの手、柔らかくてあったかい。

 いきなり怒ったり、そっぽ向いたりと怖い人なのに、おててはこんなにもあったかい。

 おねえさんの手の心地をにぎにぎして確かめてたら、おねえさんは歩き始めた。

 私も一緒に付いて行く。並んで、あちこちが壊れた“まち”を歩く。

 私とおねえさんは一つの建物の中に入った。

 割れたガラスの合間を縫って、そっと忍び込み作戦。

 中は薄暗くて、汚かった。

 壁は穴だらけ。天井ははげ落ちて真っ暗な穴を覗かせている。ケーブルがあちこちから垂れさがってるのがいかにも壊れてるって雰囲気。

 ああいうのって、こういう風に壊れるんだ。

 もこもことした板や、棒状のものがむき出しになっちゃってる。

 おねえさんが急に「誰か居ますか」って大きな声を上げた。

 私はびっくりしておねえさんにしがみついたけど、でも誰も出てこないし返事もない建物の中は異様に静か。

 おねえさんは私の肩に手を置きながら、そっと呟く。

「東京が前橋に遷ってからはもう人すら居ないか」

「まちっていうのは普通、人がいるものなの」

「まあね」

 近くに落ちてた本みたいなのを拾いながらおねえさんは言う。

「こっちの方はむかし首都だったっていうけど」

「しゅとってなに?」

「……ちょっとさ、知らないことが多すぎない?」

 おねえさんが呆れ顔で言うので、私はしょんぼりと俯いた。

 だって、お外出るの初めてなんだもん。

 私を置いて、おねえさんはひとり勝手に建物から出た。

 急いで追いかけたら、おねえさんは枯れた植木みたいなものが生えてる壇に腰を掛けて、頬杖をついてた。

 困った様子で辺りをぼーっと見て、小さくため息。

 どこにも行こうとしないで結構長い間そうしてるから、私はどうすればいいか分からなくて、取り敢えずおねえさんの傍に立った。

 ちらちらと様子をうかがうけど、おねえさんは何も言わない。

 私、早く“まち”を探検したいんだけどな。

 ほら、あっちに見えてる“加古川書店”とか、“ダーツ・ビリヤード-2F”とか描かれてる建物の中に入ってみたい。

 うずうずしてきて、でも勝手に行動したら怒られちゃうから、仕方なく近くに転がってた容器を足の先でつついてたら、おねえさんが急に言った。

「人、探さなきゃ」

 私に言ったんじゃなくて、独り言みたい。

 立って待ってる私を置いて、おねえさんはスタスタと白い箱の方へと歩いてく。

 私はまたまた慌てて追いかけた。

 もう。おねえさんの方が、勝手にどっか行っちゃってるじゃない。

 軽くプンスカしながら、おねえさんと同じように箱の中に乗る。

 路上のごみをよけながら白い箱が進む中で、私はおねえさんに訊いてみた。

「どうして、おねえさんはここに来たの?」

 直ぐには答えてくれなかった。

 じっと前を見て、唇をきゅっと結んでたおねえさんだけど、やがて呟くように言った。

「物が足りないから、幾つか仕入れるつもりだった。それに、おまえを保護してくれる人間も探すつもりで来たんだけど――」

「連れて帰るのっ?」

 どこから来たのかばれたのかと思って、つい大きな声になってしまう。

 おねえさんはぎょっとした表情で首を横に振ると、言った。

「連れて帰るもなにも、お前がどこから来たのか知らないよ」

「保護って、どうするの?」

「警察でもセンターにでも行って、親元に帰させてもらう。こんなご時世でいちいち責任なんかとれないからな」

「けーさつって、なに?」

「警察っていうのは――」

 私たちの乗る箱が、道端に生えてた高い棒に正面衝突しそうになったので、おねえさんは「きゃっ」て輪っかを回してぎりぎりのところで回避した。

 びっくりした。キュキューって、すごい音だった。

 何故か私が怒られて、納得いかずにむくれてる間、“警察”がどんなものか教えてもらった。

 “けいさつ”というのは、ちっとも機能していないものらしい。

 “外側のけいさつ”はひんぱつするじけんに対応しきれなくて、そもそもやる気もあんまりないらしい。

 話を聞いても何を言ってるのか全然分からないし、そもそもどうして私が怒られたのか「むーっ」て感じだったから、私はおねえさんの説明を聞き流した。

 おねえさんのいじわる。こーまんちき。

 ぷい、てそっぽを向いてると、おねえさんが呟いた。

「人が居そう」

 私はおねえさんの言う方を見た。

 外に、四角くてひと際大きな建物がある。

 開いてる窓からタオルや服が留められているロープが張られていて、その下に手作り感のある小さなおうちがいっぱいに建ってる。

 おねえさんが「病院……?」ってつぶやく。

 びょういん。メディカルセンターのことかな?

 “マグメル”に居た時、メディカルセンターのことをたまに“びょういん”とか“しんりょうじょ”って言う研究員さんがいた。

 小さい頃、私はよくそこに行かされて、みゃくはく、とかしんぱい、とかを細かく診られた。

 今になって思い返すと、あれは一体何だったんだろう。

 私の心臓の音を聞いて、なにか意味があったのかな。特に調子悪くないのに、たくさん心配されるみたいに「気分は?」とか「どこか違和感はあるかい?」なんて聞かれたから、「えっ」て感じでよく分からなかった。答えるたびに、データをいっぱいに取られたし。

 全然元気なのにね。

 思い出してる間に、おねえさんはあの建物の近くに箱を寄せて停めた。

 直ぐには降りず、箱の中から“びょういん”の様子を窺っているおねえさんの真似をして、私も観察してみる。

 『第一駐車場』とか『第二駐車場』とか書かれているスペースに、いくつかの手作りハウス。そこに居る四、五人がこっちを見てる。

 肌が真っ黒になったおじいさん。昨日おねえさんがやってた“ひ”のそばに座って、何かを持ちながらこっちを見てる。

 おねえさんよりずっと年上ぽい女の人。ロープに引っ掛けたお洋服を触りながらこっちを怪しそうに見てる。

 それだけじゃない。色んな人が物陰からぞろぞろと出てきて、“びょういん”の敷地はわっと十数人のひとたちで賑わった。

「見て。人、たくさんいる」

 私が指さすと、おねえさんは「車の中で待ってろ」って言った。

「くるまって何?」

「わたしたちが今乗ってるものだよ」

 早口でそう答えると、おねえさんはさっさと箱から出て行っちゃった。

 これ、くるまって言ったんだ。

 ずっと、箱って言ってた。なんだか恥ずかしい。

 それはともかくとして、私だけおねえさんのお留守番してるだなんてつまらない。

 つまらないから、そっと抜け出して、おねえさんの後をこっそりとついて行ってみた。

 ちょっと離れたところから、“まち”の人とおねえさんとが話してる内容を聞く。

「あんた、どこから来たんだい?」

 ”ひ”の傍から立ち上がったおじいさんが、紺色の帽子を上げ下げしながら尋ねるのに対して、おねえさんは端的に、短く答えてる。

「新東京の方からです。あの車に乗って来ました」

「ほぉー」

 おじいさんがおねえさんの肩越しに後ろの“くるま”を見てるので、私もついついそっちを見てしまった。

 白くて、四角い“くるま”。

 大きいのか小さいのか、他の“くるま”を見たことがないから知らないけど、でもどっちかって言うと、小さい方のような気がする。揺れると天井に頭をぶつけちゃうくらい、せまいし。物もぎゅうぎゅう詰めで、広いとは言えない。番号の書かれた黄色い板がくっついてるところが、何だか口みたいで可愛いのが特徴。

 私がすっかりとそっちに気を取られている間、おじいさんとおねえさん、それからちょっと周りに集まってきた人たちは会話の続きをしてた。

「新東京ってことは、あんたオプショナル?」

 やつれた感じのおばさんが、ハンドタオルで手の水気を拭き取りながら訊いてる。

 おねえさんはその質問に対して、少しばつの悪そうな顔で答えた。

「いえ。私はナチュラルです」

「ナチュラルの人が、群馬方面から。何だいオプションの連中にでも追い出されたのかい」

「お父さん。今は群馬じゃなくて新東京だよ」

「いっけね。そうだった」

 おばさんとおじいさんからなるべく見られない様に、こっそりとおねえさんの元へ近寄る。

 でも、あっさりと見つかっちゃった。

「連れの子がいるんだね」

 ぎょっとして固まる。

 おねえさんがジロリと、ゆっくりこちらの方を見てきた。

 うっ。

 ばれてしまった。

 ごめんなさい。

「女の子二人で、はるばるこんなところまで来たの?」

「浜松の方に、少し用があるので。甲府方面はマグメル側の検閲が厳しいと聞いたので、こっちに迂回してきました」

 “マグメル”って言葉にぎくっとする私。

 なんで、おねえさんがその名前を知ってるんだろう。

 急に思い出した、脱走した日の夜のこと。

 おじさん達が話してた、“外の世界”の話。

 真っ白くて、周りのお山くらいの高さがあった卵みたいな建物から、私は脱走して来た。

 抜け出して、外の世界を確かめに来た。

 でも、それがばれたら、私はどうなる?

 怒られる? 叱られる?

「皆さんは、この街の人ですか?」

 おねえさんがそう言うと、おばさんとおじいさん、それに私たちを囲むようにして見ていた人たちは一斉に頷いた。

 おばさんが、皆の言葉を代弁するように言った。

「そうだよ。私たちは、この先の旧東京や他所には行かず、ここで静かに暮らしてる地元民」

「旧東京はここより人が居るんですか」

「多少ね。この街は都が遷って以降、不便だし用事もないからどんどん人が減っちゃってこんなになってるけど、あっちの方はまだ全然人が居るよ」

「殆どがオリジナルの、見捨てられた人間だけどな」

 何だか自暴自棄気味におじいさんが吐き捨てるのを、おばさんは「もう」って叱った。

 さっきから皆が言ってる、おりじなるとかおぷしょなるとか、なちゅらるとかって何?

 私はちっとも分からない。

 自分はどっちなんだろう。

 おねえさんは自分のことを“なちゅらる”みたいに言ってたけど。

「物があったら何か売ってください。お金は払います」

「このご時世、お金はあまり意味ないのよね」

「でしたら交換でも。車の中に幾つか生活に使える物があります。一応雑貨屋やってるので」

「あら……。それじゃあ、ちょっと見せてもらおうかしら」

 おねえさんの周りに人がわいわいと集まる中、私は離れたところへひとり外れた。

 おねえさんが皆に取られちゃったみたいで寂しかったから、近づくのをためらって、その代わりにこの“びょういん”と呼ばれるところを歩いた。

 外側には色んなものが置いてあってごみごみとしていたけど、中はわりとさっぱりしてた。

 お部屋が等間隔にいっぱいあって、皆はそれぞれの場所で寝たり起きたりをしているぽかった。

 お洋服を入れる収納が工夫して置かれていたり、色とりどりのベッドが並んだりしてて、ちょっと面白い。私が暮らしてたお部屋より、ずっと賑やか。在り方が個性的で、楽しい。

 私も、万が一あの“マグメル”の中に帰されちゃったら、自分のお部屋をこの人たちみたいにおしゃれにしてみよっと。

 きっと、毎日が楽しくなるはず。

 お部屋の一つをじーっと見てたら、すごいお年寄りのおばあさんに声を掛けられて、私はびっくりした。

「おや、見かけない顔だねえ。一体誰だい?」

 誰って訊かれて、私は一瞬詰まる。

 今まで「誰?」って聞かれたことなかったから、答え方に困った。

 こういう時、どうすればいいんだろう。

 名前、言えばいいのかな。

雪保ゆきほ……です」

 ぎこちなく言ったら、おばあちゃんはしわしわの顔をにこりとさせて、「雪保ちゃん。可愛い名前だねえ」って返してくれた。

 あれ。何だか、とっても嬉しくなった。

 背中がぞくぞくとして、胸がいっぱいになって、それでいておばあちゃんがいきなり好きになった。

 だって、名前のことをどうにか言ってくれたの、この人が初めて。

 可愛いって、感想を言ってもらえて、それがすごくすごく嬉しい。

 どうしようもないくらい、嬉しい。

「雪保ちゃんは、何歳?」

「じゅうさんさい。去年の十一月に、そう言われたの」

「そうかい。じゃあ、中学生くらいだねえ」

「中学生って?」

「お勉強してる子の、ランクみたいなものかねえ。雪保ちゃんは学校、行ってるの?」

「うーん。がっこうかどうかは分からないけど、テストはいっぱいしてた」

「そりゃあいい。いっぱい勉強して、えらくなるんだよ」

「うんっ」

 雪保は今、いっぱいお勉強中です。

 テストとはちょっと違うけど、外の世界のあんなことやこんなことを、沢山学んでいます。

 ここは、“びょういん”。

 おねえさんの持ってる白い箱は“くるま”。

 空に浮かんでる白いもくもくは“くも”で、夜一番の太陽さんは“あさ”で、十字の形をした生き物は“とり”。お山に隠れている黒い穴は、“とんねる”。

 ここまでくる間におねえさんにいっぱい質問してるから、私は色んなものを覚えた。

 おねえさんは、雪保の先生だ。

 何でも知ってる、物知りはかせ。

 おばあちゃんとは違う話し声が、何故かおばあちゃんの近くからずっと聞こえるから、私は質問した。

「ねえおばあちゃん。この声、誰が喋ってるの?」

「うん? わたしが持ってる、ラジオのことかねえ」

「らじお? なにそれ」

 おばあちゃんは腰に下げていたモノを外して、私にそっと手渡してくれた。

「ほれ、これがラジオ」

 小さい穴がいっぱいに空いた部分から人の声が聞こえてくる、不思議な箱だ。

 プラスチック製で、とっても軽い。

 “マグメル”の人たちが持ってたタブレットやモニターと違って、映像は見れないけど、その代わりにとても分かりやすい口調で中の声さんが説明してくれる。

「これ、面白い」

「もっと面白いものがあるよ」

 そう言っておばあちゃんがくるりと背を向けて歩いて行くので、私は後ろから付いていった。

 皆で使っているっぽいお部屋に着くと、そこには“マグメル”では見たことがない形のモニターがあった。薄さがこぶし一つ分くらいの、かなり分厚いモニターだ。

 おばあちゃんはそれに近づいて、うきうきとした仕草で点けた。

「ほら。テレビ。珍しいだろう?」

「わあ」

 画質は悪かったけど、でも映っている内容は見たことがない。

 男の人や女の人が、なんかとっても面白いことを言ってる。

 テレビの中の人たちも笑ってて、それを見ているおばあちゃんも笑ってて、私も何だか、ほっぺがにかってしてきた。

 面白い。

 こんなに楽しい内容の映像は初めて。

「ここに人を集めて、みんなで見たりするんだよ」

 そう言ってリモコンで色々な映像に切り替えるおばあちゃん。

 賑やかな映像だったり、淡々とした口調の映像だったり、風景だけが映ってる映像が次々に流れる。

 その中で、私は自分の顔が移っている映像を見た。

 あれ?

 これ、私の顔?

 鏡みたいにテレビに映っているのかなって思って、試しに変な顔をしてみたけど、映像の中の自分の表情はずっと同じで変わらない。

 写真みたいに貼り付けられた自分の顔の横で、男の人が真面目な顔をしてこっちを向いて話した。


 ――今月未明、秩父市内にある全国第四十二号マグメルで、被験体の少女が行方不明となっている事件で、埼玉県警は少女がマグメル域外へと出てしまった可能性があるとして、捜索範囲をマグメル域内にとどめず、地方区レベルでの捜査拡大を政府に要請したことを明らかにしました。

 ――この事件では、“ノイエスレイス”と呼ばれる新しい人類の誕生を目指す国連研究機関の一つ、『日本生命工学研究廠』のある第四十二号マグメル内にて、過去最高の水準に達したとされるCER-00536.0の行方が分からなくなっていることを受け、警察が四日から捜査を開始していました。県警本部の斎藤義明特別巡査部長は今朝、九時ごろの記者会見で、被験体の少女は失踪当日にマグメル域外へと逃走した――。


「また警察は、想定外ってやつをやらかしちゃったみたいだねえ……」

 おばあちゃんは顎に手を当てながら、のんびりと言う。

「雪保ちゃん、この子によく似てるから、お巡りさんに間違って捕まらない様に気を付けなね。最近のお巡りさんたら、てんで駄目なんだから」

「う、うん」

「どれ。私はちょっと、お手洗いに行ってくるかね」

「私は外に、行ってきます」

「はいよ。またね」

 私はおばあさんを見送ると、急いで廊下を走って外に出た。

 どうしよう。

 私のこと、“テレビ”でみんなに話されちゃってる。

 しーいーあーるまるまるごーさんろくぜろって、思いっきり名指しで呼ばれちゃってる。

 そうさくはんいを、マグメルからちほーにするって、拡大するって偉い人がお願いしてる。

 このままじゃ、捕まっちゃう。

 おねえさんに、もしこのことがばれたら――。

「勝手に出歩くなって言っただろ」

 手作りハウスの陰からおねえさんが出てきて、私を呼び止める。

 私はキキッて走る足を止めると、おねえさんに言った。

「早く、次の場所に行こう? わたし、もうここには居たくない」

「何かされたんだろ。だから出るなって――」

「ちがうの。早く、ここから違う場所に行きたいの」

「なんで」

「なんでも」

 ううーって、じれったいって地団駄踏んで訴えたら、おねえさんは手に持った白い袋を持ち上げてじっと見たあと、言った。

「必要なものはあらかた手に入ったし、おまえを預けられるところもなさそうだからもう用はないか」

「わたしを誰かに預けるの、やめて」

「なんで?」

「だって、まだ外に居たいから。帰りたくないの」

「はぁ……はいはい。気が済むまで、どうぞ」

「いいの?」

「どうせ、こんな生活にはすぐ音を上げる。一週間もしたら毎日お風呂に入りたい~とか言うに決まってるんだから」

「おねえさん、毎日お風呂に入ってないの……?」

「…………身体は一応拭いてる」


 くるまに乗る時、びょういんに住んでいる人たちがお迎えをしてくれた。

 おじさんが青い管を持って、嬉しそうにおねえさんに話しかけてる。

 私はそれを、車の中からじっと見てた。

「ありがとよ、雑貨屋のねーちゃん。ホースがあるのと無いのとじゃ、有難みが違えや」

「こちらも食糧が貰えたので助かりました」

 さっきのおばさんとおじいさんも、並んで何か喋ってた。

「何日か日持ちするからね。食べる時は、教えたようにするのよ」

「また今度、寄れたら寄れよ」

「はい。では、また」

「またねー」

 小さい子が二人手を振ってる。

 その子たちは私が車の中に乗ってるのを見て、同じように手を振ってくれたから、私も嬉しくてつい振り返しちゃった。

 おねえさんが丸いわっかの前にバンてドアを閉めながら座った時、私はふと、ラジオを見せてくれたおばあちゃんを探した。

 おばあちゃんの顔は人混みのどこにもなかった。

 まだ、建物の中に居るのかな。

 まちの人たちとびょういんが遠くなっていくにつれて、なぜか胸が苦しくなった。

 手を振ってくれた子の顔と、おばあちゃんの顔と、私たちを囲んだみんなの顔が、ずっと頭にこびりついて、離れなかった。

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