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まほろば  作者: 一歳真誉
外の世界
4/15

おねえさん

 どれくらい歩いたかな。

 もうずっと歩いてる気がする。

 黒いアスファルトと、お山がずーっと続く場所を、私はひたすらに進んでる。

 頭の上では、すっごく眩しい丸い塊が、色を変えて登ったり沈んだりする。

 私は月とは違った変なものが浮いてる空を見上げては、ずっと続いてる黒いアスファルトの上を見たりする。アスファルトは、白と黄色の線が描いてあって、意味は分からないけど、なにか規則的だなって思う。

 頭の上のあれは、きっと“太陽”だ。

 太陽が、この黒い道をじりじりと焦がしてるみたいで暑い。

 喉も乾いてきた。

 でも、周りに飲み物が入った容器も、水の出る蛇口も置かれていないので、我慢するしかない。

 ずっと歩いてると、夜になる。

 夜になると、私の着てる服ではとても寒かった。

 運動のテストの最中にこっそりと出て来たから、服はこれしかなかったし仕方ないけど、タオルの一つでも持ってくればよかったかなって、後から後悔した。

 夜は寂しい。

 明かりが無くて、それでいて変な音を発するものが見えない所のあちこちでリリン、リリンと鳴るのでとっても怖い。

 あるのは何故かいつも形が変わる月と、たくさんあるお山の向こう側からぼんやりと見えるひとつの光だけ。

 不思議なことに、あの光とお山はここから見ると近そうに見えるのに、どんなに歩いて近づいても全然姿かたちは変わらなかった。

 もっとすぐに近づけたり、大きく見えたり、たどり着いたりするかと思ったのに。

 前の夜とその前の夜も、ちっともお山の大きさが違わない気がする。

 頭上の月も、私はいっぱいに歩いているのに潜り抜けたり、追い抜かしたり出来ない。

 夜にいつも会える月が居ない日もあって、そういう時、私はとても寂しい気持ちで黒い道の横になった。

 ベッドがないから、とても寝にくかった。

 でも、寝ないと次の太陽が昇った時、歩けないから。

 何度かお月さんと太陽さん、二人に交互に挨拶した時間が過ぎてから、頭が急にぼーってしてきた。

 夜一番に目を覚ました太陽さんがやって来た時、私も太陽さんの眩しさで起きたのだけど、そうしたら鼻がずずってして、太陽さんが温かい光を浴びせてくれているのに、とても寒かった。

 頭はズキズキするし、なんだか熱かった。

 立ち上がるとフラってして、全然歩けない。

 でも、ずっとここに居るわけにも行かないから、少しでもあの光のあふれていた場所に近づきたくて、頑張って歩いた。

 太陽さんは夜一番の時は温かな光をくれるのに、私の頭の真上あたりにくる頃になると、とっても暑い光を降り注がせて意地悪する。

「やめてよ、太陽さん」

 そう話しかけても、太陽さんは何も言わない。

 それにちっとも動かず、でも気付いたら位置が変わってる。

 いつも同じラインを通っては、最後にとっても真っ赤になってさよならする。

 話す時も眩しい光を降り注がせるから、顔を見て話せない。

 太陽さんはちょっと意地悪だ。

 お月さんと比べて、気まぐれさんだ。

 お月さんもちょっと気まぐれだけど、でもいつも暗い中で傍にいてくれるし、優しい光を上から照らして道を見せてくれる。登ってくるときはいつもより大きくて真っ赤で、何だかひどく怒っているみたいに不気味だけど、でもそのうちいつもの大きさになって、ご機嫌になってくれる。

 だから私は、お月さんが好き。

 今回の夜も、会いたいな。

 そう思ってたら、急に目の前がグラって揺れて、何だろ? て困惑しているうちに、どさりと倒れちゃった。

 黒い道さんが、俺に触れるなよって感じで、硬い身体を私にガツンてする。

 ごめんなさい、黒い道さん。

 でもわたし、動けないの。

 足が痛くて、頭も痛くて、全然歩けないの。

 まだ太陽さんが上で気まぐれしてるのに、お月さんが迎えにやって来る時間じゃないのに、私は意識がぼーっとして、遠くなった。

 眠くないのに瞼がトロンとして、頭がとっても痛くなって、そのうちいつの間にか気を失ってしまった。

 カッカと熱い身体の中で、私は研究員さんのいる部屋でテストをし始める。

 いつもとちょっと違う作りの部屋。

 そこで私は、数字と記号のいっぱい並んだ紙の上にペンで答えを書いていた。

「お水が欲しいです」って言ったら、研究員さんは首を横に振る。

「今はないよ。後でにしなさい」

「でも、とっても喉が渇いているんです」

「勝手に出歩くから。許可なく動かれちゃ困るって言っただろう」

「ごめんなさい。…………頭が、痛くて」

「不具合か。だったら、後でメディカルセンターに行こう」

「はい」


 はっと目が覚めた。

 私は黒いアスファルトの道じゃなくて、何だかとっても柔らかい材質の物の上で横になっていた。

 私はその柔らかいものが何だろうって、触ってみる。

 もふもふとしていて、温かい。

 これは毛布だ。

 きめ細やかなふわふわがいっぱいの、毛布。

 くんくんと匂いを嗅ぐと、女の人のにおいがした。

 あまり洗われていないのか、女の人の良い匂いと埃っぽい匂いとが一緒くたになってる。

 それにちょっと、汚い。

 身を起こすと、おでこから何かヒヤっとしたものが私のおっぱいの上に落ちた。

「わっ」て声を上げて、その冷たいものを手に取る。

 タオル?

 水がいっぱいに含ませてあって、冷たい。

 おっぱいと手が濡れちゃった。

 カッカと熱い頭が、冷えているのか熱いのか、何だか良く分かんなくなってる。

 でも、これを額に当ててるととても気持ちいいので、私はもう一回横になって、おでこに乗せた。

 ひんやり。

 気持ちいい。

 それに毛布、あったかい。

 空、いつの間にか夜になってた。

 いつものお月さんと、お星さんたちだ。

 周りはお山に囲まれたまっすぐの道じゃなくて、木のたくさん生えてる場所に変わってる。

 あれだけ歩いてた、黒いアスファルトの道さんがどこにも居ない。

 その代わり、土の剥きだした小さな広場みたいなところで、お月さんとお星さんはぽっかりと開いた木々の穴の向こうできらきらと輝いていた。

 瞼の裏に、お月さんたちをそっと招き入れるように静かに目を閉じたら、私の隣がなんだかとても熱いのに気づいた。

 閉じた目をまた開けて、驚いてそっちの方を見る。

 そしたら、木の枝の上でオレンジ色のもわもわとしたものが、しきりに踊っていた。

 パチ、パチって積み重ねられた枝たちが声を上げてる。

 何だろう、これ。

 メラメラとしていて、温かい。

 おでこのタオルとは違って、これは私を温かくしてくれる。

 身を起こして、手を伸ばして触ろうとしたら、突然誰かに止められた。

 私の左腕が、別の誰かの手に掴まれてる。

 驚いて、手の持ち主を辿っていったら、両目に一人のおねえさんが映った。

 英語が描かれたシャツと、ズボンとスポーツシューズを履いた人が、私の腕を無言で掴んでた。

 女の人はじっとこっちを見る。

 怒っているのか、優しい人なのか分からない冷たい目。

 それと、あんまりお喋りが好きそうじゃない人の雰囲気。

 この人も私と同じように毛布にくるまっていて、今触ろうとしたメラメラとするモノのすぐ近くに座ってた。

 これはおねえさんのものなのか、私が触ろうとするのをずっと止めてくる。

 おねえさんは何も言わずに、私が力を抜くまで手を放さない。

 触られたくないのかな。

 私が触るのを諦めて手を引っ込めると、おねえさんも私を放した。

 おねえさんは、囁くような声で言った。

「火なんか触ってどうするつもり」

「ひ?」

「こんなの自分から触ったら、火傷するだろ」

「やけど?」

 やけどって何だろう。

 訛りかな。

 抜け出してきた“まぐめる”の中にも、なんとかやけど~って喋る、気さくな人が一定数いた。

 やけどっていうのは、だけどって意味と同じだって後から気づいた。

 でも、このおねえさんの今言ってる話し方だと意味をなさないから、違う“やけど”かも知れない。

「おねえさん、誰」

 私が訊くと、手を毛布の中にもぞもぞと入れたおねえさんはそっぽを向きながらぶっきらぼうに言った。

「そんなの、誰だっていい」

「でも、誰だか分からないと困る」

「そこら辺車で走ってた一般人だよ」

「いっぱん、じん……? おねえさん、いっぱんじん、て名前?」

「ばかにしてんの?」

 私は首をぶんぶんと横に振る。

 そんな、おねえさんを馬鹿になんてしてない。

 ただ、おねえさんの名前を知りたいだけで。

 なんでこの人、最初から怒ってるんだろう。

 お短気さんなのかな。

「……ごめんなさい」

 私がしょぼくれてると、おねえさんはやっと私の方を見て、仕方なさそうに名乗った。

「……真歩まほ

「まほ? それが、おねえさんの名前?」

「……そう」

「まほ、おねえさん」

「………………」

「私より齢取ってそうだから、おねえさんだよね?」

「わたしはまだ二十代なんだけど」

 また突然怒り出したおねえさん。

 私は怖くて、毛布にくるまると、そのまま隠れるようにしてうずくまった。

 おねえさんは私を見るのをやめて、目の前でメラメラしてるヒとか言うのを見つめながらぶつぶつ言ってる。

「なんなんだ……。路上で倒れてたと思ったら、……」

「倒れてた?」

「そう」

「誰が?」

「おまえが」

「私が?」

「何も覚えてないの?」

「うん……」

 私が直前まで覚えているのは、太陽さんやお月さんの事を考えていたことと、早く光の場所に着きたいって願ってたことと、急に瞼が重くなったってことだけ。

 おねえさんは毛布を寄せる私を見ると、言う。

「あんな、ちっとも使われてない幹線道路を一人でほっつき歩いて、何してたんだか」

 私は答えるのを躊躇った。

 だって、この人があの、真っ白いドームの中に私を連れて帰る人なんじゃないかって思ったら、答える気になれなかった。

 おねえさんは中々答えようとしない私をじっと見てる。

 私は怖くて、目を逸らした。

 ちょっと目つきの悪い人だな、って思う私。

 そんなこと言ったらまた怒られそうなので、じっと黙る。

 黙ってたら、おねえさんは急に立ち上がって、近くにあった白くて四角いもののドアから小瓶を取り出して来た。

「起きたんならこれ、飲めるだろ」

「なに? それ」

「解熱剤」

「げねつざい?」

「熱が引く薬のこと」

「ねつ? ねつって、なに?」

「は?」

 心底おかしな奴、みたいな目で見られて、しょぼんてなる。

 なんだかとっても、悲しくなった。

 このおねえさん、やだ。

 おねえさんは暗がりで小瓶のラベルを見ながら、そっけなく訊いてくる。

「齢いくつ」

「じゅうさんさいだって言われた」

「でっかい赤ちゃんですこと」

 おねえさんは「ん」て私に薬の粒を三つ渡すと、鉄の筒から水を注いだカップを差し出してきた。

「それ、なに?」

「水と薬」

 私が知りたかったのは、おねえさんの左手に持ってる鉄の筒の事だったんだけど。

 でも訊いたら、そんなのどうでもいいんだよ、みたいに言われそうな感じだったから、私はおねえさんのいう通り、三つの粒をごくんて飲んだ。

 水は苦い、変な味がした。

 お水を飲んだら、今度はお腹が急にごろごろ鳴りだした。

 そう言えば、あそこを出てから一回もご飯を食べていない。

 ずぅーっとお腹が空いてて、それをお月さんや太陽さんとお話しすることで紛らわせてた。

 道路のそばにいっぱい生えてた野菜は、どれも美味しくなくて。

 野菜と“草”は違うんだって、そこで初めて知った。

「お腹空いてんのか」

「……うん」

 おねえさんは無言で立ち上がると、荷物の積み上げられているところから取っ手のついた丸い鉄板を持ってきた。

 その上にお肉を乗せて、それをヒの上でゆさゆさし始める。

 そしたら鉄板の上のお肉はジュージューと音を立て、とっても良い匂いを漂わせ始めた。

 嗅ぐだけでなんだかとっても美味しそうで、それでいて私のお腹をいっぱいいっぱいに空かせた。

 ぐぎゅるるるる、て変な音をたくさん鳴らすお腹。

 よだれがかつてないほどじわじわと出てくる、口の中。

 ヒとかお腹とか鉄板とか、不思議がいっぱいで頭がとても追いつかなかったけど、でもこれがきっと“外”ってものなんだと思うと無性にわくわくした。

 お外は、私の知らないことでいっぱいなんだ。

 お肉は音を立てるし、とっても良い匂いを出すし。お腹は減るし、ねつ? にはなるしで。

 おねえさんはジュージューして固くなったお肉をパンと野菜とで挟むと、それをお水と一緒に私にくれた。

 口に含んだら、とっても美味しくて、「んんーっ」て、声を上げそうになった。

 白衣の人からいつも手渡されてたパンと野菜とハムの食事と大して変わらない気がするのに、こんなに味が違うのは何故なんだろう。

 いつもよりちょっと身体の具合が悪いけど、でもおねえさんのパンはとっても美味しかったので、夢中で食べた。

 久しぶりに食べたごはんをいきなりいっぱいに食べたから、お腹が痛くなっちゃったけど、でもそんなのお構いなしに食べた。

 だってとっても美味しくて、嬉しい。

 肩がぎゅーってして、胸がいっぱいになって、そのあと感覚がふわーってなって、ほんのりした。

 食べ終わったら、いきなりすごく眠くなってきた。

 瞼がとろんとして、お腹がいっぱいで、すーって横に寝てしまいそうになった。

 頭がかくんかくんして、今にも倒れてしまいそう。

 アスファルトの道で倒れた時よりも、ずっと柔らかくて、優しい感覚。

 おねえさんは静かに言った。

「眠ったら。そしたら、熱もひくでしょ」

「……うん。おねえさん、おやすみなさい。ありがとう……」

「…………おやすみ」

 体を横にした時、隣に居たおねえさんがそっと頭を触ってくれた気がして、それが何だか、すっごくすっごく嬉しかった。

 眠っていいんだって、そう思えた。

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