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まほろば  作者: 一歳真誉
外の世界
11/15

すなはま

 翌朝。

 私はおねえさんより、ずっと早い時間に起きちゃった。

 お空に太陽さんは昇っていない。

 辺りはぼんやりと青白くて、真っ暗でもないけど明るくもない。

 車からそっと出たら、お肌がきゅって締まった。

 寒い。

 それに、空気がいつもより冷たい。

 風は吹いていないけど、海の音だけはざざーって鳴り響いてる。

 森も、草も、みんな寝てるみたいに静か。

 私は隣の席で丸まってるおねえさんをちらと見やると、一人で何も無い周辺を歩き始めた。

 足を前に持って行くたびに、さく、さくって敷き詰められた石ころが軽い音を立てる。

 だだっ広いそこを抜けたら、普通にきれいな小道とベンチとが姿を現した。

 どうやら、このお山自体が公園になっているみたい。

 板には“鳥羽山天龍海浜公園”の文字。それと、すごく大雑把な地図が描かれてる。

「ごみ、は――持ち帰って、ください。ペットの、ふんの始末は――飼い主が行いましょう」

 ペットって何だろう。

 ペットボトルのことかな。

 ごみは持ち帰ってくださいってかかれてるし。

 ううん、それよりも私は早く海が見たいの。

 ここから海のそばに行ける道とかないかなって思って、来たのに。

 私は地図の内容を頭に記憶すると、それを頼りにまた歩き始めた。

 この公園の下に、丁度海が見れる場所があるらしい。

 暗くてじめじめとした森の中に細々と伸びる小道。山の斜面に沿って、緩やかに下へと伸びている。

 私はそこを、きょろきょろとしながら歩いた。

 枯れた葉っぱがいっぱい。

 水で濡らした土みたいな匂いがいっぱいする。

 木の破片みたいなのがたまに上から垂れ下がってて、ちょっと不気味。よく見たらそれはほとんど見えない糸に吊るされている。一体誰が、何のためにそうしたんだろう。

 ぐちゃぐちゃとした粘土みたいなものがいっぱいに付着している小道を抜けると、お山の一番下に出た。

 そこは、さっきとは打って変わってつるつるのしっかりとしたアスファルトが続いている、不自然な場所だった。

 前方に、木も道も何も無い、ぱっと地面が途切れてるみたいな場所が見える。

 近づいてみたら、そこは大きな段差だった。

 段差はすごく高かった。おねえさんを何人も何人も、縦に積み上げたくらいの。

 下の方では、砂だらけの地面とそれに向かって走る波が真っ白な泡をたてて唸ってた。

 綺麗なお砂の地面が、かなりの範囲で広がっている。

「ひょっとして、すなはま……?」

 下を覗く私のそばに、階段みたいなものがくっついてた。

 砂だらけエリアに、自分で降りられるようになってる。

 私はふらふらと吸い寄せられるようにして階段を使った。

 まるで大きな壁。昨日車の中から見た、”ふじのみや市”の白い壁に作りが似ている。

 見上げながら降りていたら、いきなり脚がぼすってめり込んだ。

 「わっ」て自分の脚を見たら、お砂にめり込んでた。

 面白い感触。

 さらさらで、ひんやりだけどあったかくて、それでいてくすぐったい。

 両手ですくったら、指の間からさらーってこぼれた。

 匂いをくんくんと嗅いだら、海の風とおんなじようなにおいがした。

 つーんとしてて、どことなく生臭い感じ。どういったものの匂いなんだろう。

 足元の砂を何度もすくって遊んでたら、白い塊が地面の中から出て来た。

 私は「なんだろう」ってそれを拾う。

 白くて硬くて、ちょっとすすけた変な物体が、私の人差し指と親指とに捕まる。

 何の素材で出来ているのかちっとも分からない、不思議な石ころみたいな。

 それが、私の手の中で静かに佇んでいる。

 一つだけじゃない。

 周りを見渡すと、すなはまのあちこちに色々な形をしたそれが散らばっていた。

 私はそれらを食いつくようにして摘まんでは、あっち、こっちと拾い続ける。

 手のひらの中に、こぼしてしまいそうなほどのいっぱいな小石が集まった。

 私はじっと見る。

 白い小石さんたち。

 鳴いたり喋ったりしない。けど、でも私から逃げて行こうともしない。

 ただそっと、私の手のひらの上に乗ってくれる。

 いきなりぶわっと、顔に風が吹きかかった。

 私の髪が巻き上げられて、くしゃくしゃになる。

 毎日眩しい太陽さんは、まだ居なかった。

 代わりにいつもと様子の違う、ふんわりとした紫色の雲さんが、あちこちで柔らかそうに溶け込んでる。お空はいつもの青色じゃなくて、赤と青とが滲んだ不思議な色をしていた。

 私は白い小石を握ったまま、そっとお砂の地面に座り込む。

 運動場のトラックの片隅に敷き詰められたようなお砂場とは違う、すなはま。

 ここは、私が今まで身を置いていた場所じゃなかった。

 誰も話題にしない山や海という存在にずっと恋焦がれていた、あの真っ白い建物の中とは違う、すべてが不思議で、大きな場所。

 海や空に憧れることが可笑しいことなのかもしれないって、一人で悩んでいた小さな空間とは比べ物にならないほど、大きな、大きな、ものたち。

 手で感じられて、鼻で感じられて、目で見ることの出来る、ただひたすらに真っすぐで、広大な世界。

 私は目の前にこうして広がってくれているものたちに対する気持ちでいっぱいになった。

 胸が苦しくて、そんな感覚が全身から溢れて、痺れているみたいになる。

 おめめがじんわりと熱くなって、痒さを伴って滲み始めた。

 悲しくもないのに涙が出始めたから、私はそれを両手でぐいぐいと拭った。

 自分でもよく分からない涙が、ぽろぽろと溢れて、止まらなくて。

 えぐ、えぐって泣いていたら、後ろから急におねえさんの声が飛んできた。

「おい、何してんの、こんなところで」

「おねえさん」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で、私はおねえさんの顔を見た。

 真歩まほおねえさんにはちょっと寝ぐせが付いていた。

 眠そうな瞼のまま、目の前に立っている。

「おはよう、おねえさん。今日は早いんだね」

「おはよう、って――」

 って言いかけたところで、言葉を切るおねえさん。

 私ははっとして、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を慌てて拭いた。

 手のひらや腕で咄嗟に拭いたから、ますますぐしゃぐしゃになっちゃった。

 そしたら、おねえさんがポケットからハンカチを取り出して、それで私の顔を拭いてくれた。

 鼻をすすりながら、おねえさんにおまかせするみたいにして目を瞑ったまま立つ。

 拭き終わると、おねえさんが静かな声で訊いてきた。

「何してた、こんなとこで」

「海を、見てただけなの。そしたら、涙が出て来た」

 私はこぼしちゃった白の小石を拾いながら、もそもそ答える。

 しゃがんで、一つ一つを手のひらに乗せていく。

「貝……?」

 おねえさんがそう呟くのを聞いて、顔を上げる。

「貝? これが?」

 頷くおねえさん。

 ざざーんと、大きな音で転がり込んでいる波が、おねえさんの言葉を打ち消した。

 おねえさんの口だけが、緩やかに動いてる。

 辺りはまだ薄暗いけど、でも海さんはお昼の調子と変わらないまま、朝早くから波を立てていた。

 とっても早起きに感じるそれをじっと見つめる私と、そばで静かに佇むおねえさん。

 お互いにあまり喋らなくて、ひたすら波の音が辺りを支配する。

 身体に流れるびりびりがまだ微妙に残ってるから、すっかり喋る気持ちが失くなった。

 海の音が、押し寄せるだけ。

「……朝ご飯作るから、なるべく早く戻りなよ」

 私は振り返る。

 段差の階段に向かって歩いてる、真歩おねえさんの後姿。

 私は“貝”を握ったまま、その姿をじっと見た。

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