【さみだれ】
〈オカケニナッタ、デンワバンゴウハ・・・〉無機質な機械音が同じフレーズを繰り返す。
(やっべー、怒ってでないのかな?)気の弱そうな青年が情けない顔で携帯電話を見つめている。
携帯電話の画面は約束の時間から30分程過ぎた時刻を指していた。
緑を基調とした店内、窓際のテーブルに腰掛けた青年は店内を見回していた。いつもなら笑いながら彼女がでてくるはずだった。
青年は携帯電話のメールをチェックしながら窓の外をぼんやりと見ていた。昨晩から降り始めた雨は夕方になったとゆうのに一向に止む気配をみせなかった。意を決したようにリダイアルボタンを押す。
〈トゥルルルル・・・〉青年はホッとした表情で相手が電話にでるのを待った。
同時刻・数キロ離れた場所にて
まるでその場には似つかわしくないメロディが流れる。
先程から髪の長い女性が道に落ちている携帯電話を拾おうとしている。
「あれ?取れない?なんで?」女性は不思議そうに携帯電話をすり抜ける自分の両手を見ていた。
「君は、もうこの世に干渉する事はできないんだ」突然、女性の後ろからまだ若い少年の声が聞こえた。
「え?」驚いたように女性が振り返ると一人の少年が立っていた。
「僕はヒカル・・・死神です」他人事のように自分の事を話す。
「残念だけど、今世での君の寿命は終わりました。」たんたんと説明を続ける。
「待ってよ!何言ってるの」女性は訳が分からないといった感じで二・三歩後ずさる。その目は奇妙な者を見る目つきだった。
「不思議だと思いませんか?」ヒカルと名乗った少年は唐突に疑問を投げかけた。
女性は意味が分からないといった表情を浮かべるが、ヒカルはかまわずに話を続ける。
「こんな土砂降りの雨の中、僕とあなただけはまったく濡れていない」そう言うとヒカルはどす黒い空を見上げた。
「まさか・・そんな」女性は自分の身体をすり抜けていく雨を見て悲痛な叫び声を上げる。
「なんで・・」どこか放心した表情をしながら問いかける。
「交通事故でした。バスを待っていたあなたに、雨でコントロールを失った車が接触しました」ヒカルは泣きそうな目をしながらも、ただ事実をありのまま告げた。
「嘘よ・・」女性はその場に座り込んで泣いた。
〈ウゥー・ピーポー・ピーポー〉どこか間の抜けたサイレンを響かせながら赤い赤色灯が近づいてくる。
その段になってやっと女性は近くに止めてある事故車両に気づいた。
「あなたの話・・本当なのね・・」女性はポツリと呟いた。
「私・・どうなっちゃうの?」すべてを諦めたような目をしていた。
「新たなスタート地点へ向かうことになります」ヒカルが優しく語りかける。
「新たなスタート地点?」ゆっくりとヒカルの言葉を噛みしめるように繰り返す。
「お願いよ、何でもするから助けて・助けて」その言葉の意味を理解すると、女性は何度も懇願した。
「それは出来ない・・」ヒカルはゆっくりと首を振った。
「そんなの・・ヒドイ」女性はヒカルに掴みかかり、崩れるように泣いた。
ひとしきり泣いただろうか、ぎこちなく立ち上がる。
「スタート地点って言ったわよね?」ようやく話始めた。
「スタートがあるならゴールはどこなの?」言葉が震えていた。
「僕にも分からない・・僕はただ、あなたをスタート地点まで見送る事しかできないから」辛そうにヒカルの顔がゆがむ。
「あの人に逢いたい。あの人の側にいたいのに・・・」女性の瞳に再度涙が溢れた。
「ダメだ!」ヒカルが強い口調になる。
「この世に強い未練を残しちゃダメだ」女性の肩を強く掴んだ。
「どうしてなの?死にゆく者は好きな人と一緒にいる事を願ってさえもいけないの?」嗚咽混じりの声で叫ぶ。
「違う、あまりにも強い未練を抱く者は現世との鎖を断ち切る事が出来ないんだ」
「私、それでもいいわ、ずっとあの人の側にいれるなら・・」何かを決意したような眼差しだった。
「それじゃダメだ、今はよくても後悔する日がくる」一瞬ヒカルの脳裏に金髪の少女の笑顔が浮かんだ。
「私は後悔なんてしないから」女性の声はおもいのほか力づよかった。
「わかった、今すぐ決めなくてもいいから」ヒカルが落ち着かせるよに言う。
「一定期間は猶予があるから。俗にゆう四十九日。お別れをする時間がある」静かに諭すように話す。
「ただし、日数が過ぎる程現世との離脱が困難になってしまう。」ヒカルは一言、一言を慎重に伝える。
「あまり日数が経過したり、未練を残したまま離脱しようとすると魂に傷が残ってしまう。場合によっては消滅してしまうこともあるんだ」どれだけそれが重大なことなのか、ヒカルの眼差しが雄弁に語っていた。
「私、このままあの人の側にいられたらいいわ」女性はあくまで強情であった。
「肉体を離れた魂が現世で形を成すのは危険なんだ。だんだん記憶が薄れ自我を消失してしまう。後に残るのは強烈な未練に支配された感情だけだ・・・」決して脅しでいっているようではなかった。
「でも・・今はただあの人に逢いたい」女性は力なくつぶやいた。
「わかった。今のままでは未練が強すぎる。その人に会いに行こう」ヒカルの言葉に女性は初めて笑顔を見せた。
「ただし今は魂が不安定だ、少し安定するまで休むんだ」そう言うとヒカルは女性の顔の前で掌を広げた。
今まで女性の姿だった魂が、白い霧となってヒカルの側を浮遊した。
二夜後
女性とヒカルは女性の実家だった場所に来ていた。
家の周りは白黒の布に覆われ、沢山の黒装束をまとった人達で溢れていた。
降り続く小雨の中、ちょうど葬儀の最中だった。
「みんな・・」女性は、つい数日前に別れたばかりの家族や友人達を見つめながら、もう何年も会ってないかのような錯覚に襲われていた。
「みんなには私の姿も声も届かないのね」
弔問客の列を眺めながら悲しそうに呟く。
「あの人だわ」多くの人垣の中からたった一人の青年を見つけると、恐る恐る近づいて行く。
「私・・・やっぱり離れられない」いつの間にか、すぐ近くまで来ていたヒカルに言った。
「私の気持は変わらないよ」真っ直ぐに青年を見つめながら話す。
「あの人に初めて会った日も雨だったわ。歩道を歩いている私に車で横を走った彼が水しぶきをあげて・・あの人、すぐに車を降りてきて傘もささずにずぶ濡れになって謝るの」可笑しそうに笑う。
「車を車道に止めてるからクラクション鳴らされて・・」顔は笑っているがその瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「人が良いから、仕事を押し付けられても文句も言わないで。おかげでデートは遅刻ばかり、いつも待たされたわ」後から後から涙が溢れてくる。
「だから、私が側にいないとダメなの」さらに青年に近づいて行った。
ちょうど青年が棺に向かって最後のお別れをおこなっていた。
「ごめんな、ちゃんとした所連れてってやれなくて、いつも会う時間少なかったよな、もっと一緒にいたかったよ・・・」青年は泣きながら棺の中で眠る少女に語りかけていた。
すぐ隣で女性の魂も泣いていた。
「ごめんな、デートじゃいつも待たせてばっかりで」そう言いながら青年は何かをポケットから出した。
「また、天国で待たせちゃうな」そう言うと青年は女性の薬指に指輪をはめた。
エピローグ
長く降り続いていた雨が止んでいた。
長い煙突から天に立ち上る煙を見上げながら女性が言った。
「わたし、新たなスタート地点に立つわ」
清々しい笑顔であった。
「これから先、どんな苦難があっても負けない。だってあの人との思い出が守ってくれるから」ヒカルに視線を移す。
「あなたともお別れね、いろいろわがまま言ってごめんなさい」そう言うと女性は瞳を閉じた。
「さようなら」その顔に恐怖はなかった。
「さよなら」ヒカルが女性の額に手をやると、だんだんと女性の身体が透けていき最後は光の粒となって消えた。
遠く、遙か彼方で虹が輝いていた。虹の始まりはどこからで、虹の終わりはどこまでなのか、ヒカルはそんな事を考えながら自分の薬指を見ていた。その指にはクロスに石を配置した指輪が鈍く光っていた・・・。
END