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Christmas Tableau

作者:

     †

 天にまします我らの父よ。

 願わくはみ名の尊ばれんことを。

 み国の来たらんことを。

 み胸の天におこなわるる如く、地にもおこなわれんことを。

 我らを試みにひきたまわざれ、我らを悪より救いたまえ。

 我らの日常の糧をこんにち我らに与えたまえ。

 我らがひとにゆるす如く、我らの罪をゆるしたまえ。

 父と子と聖霊のみ名において。

 アーメン。

     †






 長い祈りの文句を唱えた後、ようやく私たちは食事を始めることができた。

 私たち小隊、隊長以下13名は、毎食前の祈りが義務づけられていた。といっても決して全員が神を信じているというわけではない。この隊の隊長が大変にこの古い神への信仰心をお持ちなのだ。かくいう私は、知識として知っていたのみの「信仰」という行為が大変に興味深く、結構はまっている。





「寒いな、今日は」

 隣で椀をかきこんでいた男が鼻をすすり上げながらぼやく。彼の鼻の頭は、ほのかな揺れる灯りの下でもはっきりわかるほど真っ赤であった。

「当たり前だ。真冬だぜ、今は」

 向こうの方で銅鑼声が返る。別に彼は怒っているわけではない。あれが彼の地声なのだ。

「何言ってんだ。季節なんか関係ないだろ。こんな荒れ沙漠、夜になりゃ、夏でも凍える極寒地さ」

「っるっせえな。分かってるよそんなこたあ」

 ひゃひゃひゃ、と笑う男を先ほどの男が睨みつける。

 何と言うか、うん、平和な光景だ。とても戦場の最前線とは思えない。

「うむ、善き哉(よきかな)善き哉。仲良きことが肝要なのだよ」

 そんな皆の様子を隊長はにこやかに眺めている。それはそれで何か違う気もする。

(しゅ)も言っておられる。汝の隣人を愛せと」

「ああ、知ってます。汝の隣人を愛せ。全てのものは主の下において平等である。右の頬を殴られたなら左の頬も差し出しなさい。目には目を、歯には歯を」

「よく知っておるようだが途中に余計なものが混じっておるぞ」






 か細き月の下、見えるものと言えば白けた起伏激しい大地にくすんだ砂埃まみれの岩石、そして干乾びる寸前のような灰色がかった尖った植物がほんの飾り程度。

 私たちがいるのは大岩の陰で、焚火の暖かな橙が岩の表面で照り返ってここだけは嘘のように暖かな空間ができていた。こんな空間が得られるのは今が夜だからなのか。何という皮肉な。






「主は生きとし生けるもの全てを愛してくださるのだ。『愛』の心こそ主を理解するために最も基本で最も重要なものだ。博愛の精神というものだな。そして矮小な身ゆえ(じか)にお会いすることのできぬ我らのために、主は我らに近しい存在である御子(みこ)をお授けくださったのだ。つまり主はご自分の大切な存在であるはずのお子を手放してまで我らをお導き下さろうとしたのだ。なんともありがたきことではないか、のう」





 もはや最近では日常となっている隊長の話は、私たちにとっては休息時間の格好のBGMとなっている。他の隊員はどう思っているか知らないが、私自身は決してそういう話は嫌いではない。もっとも、素直に信じるほど純朴な人間ではないので、単なる好奇心である辺り、隊長の信じる『主』にしてみれば私は大変に不遜な存在であるかもしれないが。







 私たちは戦場にいる。ここに来てもうずいぶんになる。





 本隊とはもう随分前に別れた。隊員も今とは比べものにならないくらいたくさんいた。それもある者は戦場に(たお)れ、ある者は何処(いずこ)へかと脱走し、今は隊長含めてわずか13人。随分落ちぶれたものだと思う。

 しかも3日前久々に本隊と通じた無線の情報から察するに、私たちの隊は正に最前線に位置しているらしい。そう分かってからは静かなジャングルも風のそよぎさえも恐ろしくなり、彷徨(さまよ)うように岩沙漠に出てしまったのである。荒野の過酷な環境も、身を隠すものがないだけ、ましだと思うのだ。敵の伏兵を恐れずに済むのだから。

 もし私たちの隊が()りすぐりの精鋭揃いであったなら、こんなこともなかったのだろう。皮肉なことだ。隊長もキャリアこそ長いが温厚な紳士として知られるインテリ軍人で、親しみやすいが戦場に向いた人ではないのだろうと思う。そんな人物であるからこそ、(いにしえ)の宗教に心引かれてしまうようなこともあるのだろう。





 かく言う私とて、他人のことは言えない。私はこの戦場に来るまで――否、兵役に就くまでは大学で研究をする学者(の卵)であった。

 私たちの母国では男子満15歳以上で兵役の義務が生じる。期間は配属される部隊によって多少違うが、大体1年から最高3年である。

 私は研究中の国立大学職員であることを口実に兵役をぎりぎりまで延ばしていたが、結局国民の義務から逃れることは不可能で、20歳になる少し前に国軍に入隊した。しかしその期間中にこの戦争が始まってしまい、そのまま一兵卒として戦地へ徴兵されてきたのである。

 といっても拒否することができなかったわけではない。さすがに戦局がこんなに長引いてしまっている現在では不可能であろうが、少なくとも開戦初期は個人の意思が考慮されていたのだから。結局、今ここにいるのは私の意志と選択の結果なのだ。

 とは言え、私は戦争は嫌いだ。戦うことは嫌いだ。他人と争うことすらできれば避けたいのだ。しかしこんな私でも戦わねばならぬ心情になるのだということを、私はこの戦争が始まってから初めて知ったのだ。実感したのだ。

 私は大学で古代史の研究をしていた。そのために私の一生を捧げる決意をしていた。その気持は今でも変わらない。むしろ今この瞬間にも、私の思考の一部分は遥か遠き時代、この同じ大地を踏みしめていたかもしれない人たちのことを思い、この地で起こったとされている出来事に思いを馳せている。

 そして今この時この瞬間が歴史として堆積しているのだと考えている。






 そんなことを考えてぼうっとしていた私に、不意に隊長が話を振ってきた。

「のう、そなたは知っておろう。主が愛の証として一人児(ひとりご)を地上の人間たちに授けてくだされたことを」

 突然のことに私は驚いたが、確かにそのストーリーは私が【アーカイブ】からダウンロードしたものの中にあった。私は皆の視線の中話し始める。







     ***



 時代は遙か昔、地中海沿いのとある小国があった。その国は独立国ではあったが、大国の属国であった。その王は大変に猜疑心と権勢欲が強く、また残忍でもあった。

 その王がある日大変な預言を受けた。この国に民衆を救うため、神の子が救世主≪メシア≫として産まれてくるという。王は驚愕し、畏れ、そして怒った。国民が崇めるものは唯一王であればよいはずではないか、と。

 そこで王はその預言を伝えてきた外国の学者たちに、救世主を見つけたらすぐに知らせるよう言った。自分も神の子を拝みたいから、と口実を付けて。

 しかしとある宿場街の粗末な馬小屋で産まれたばかりの神の子・救世主を無事見つけた学者たちはそのことを王に知らせなかった。王がその子供の存在を知れば、必ず殺そうとするに違いないということを皆分かっていたからだ。そして親子に国を出て身を隠すことを勧めた。おかげで彼らは命拾いをした。その後その国では新生児を一人残らず殺せとの王命が出たからだ。

 からくも難を逃れた神の子とそれを産んだ夫婦は、地中海沿いにアラビア半島からアフリカ大陸まで逃れ、そこで何年か暮らした後故国へ帰ったのだそうだ。



     ***






「それだけの話なのか?」

 かいつまんで粗筋を話した私に、不満げな声が上がる。

「まあ、大筋はね。この話では神の子がただの人間の娘に宿るところも一つポイントなんです。神の子の母となった女性は、婚約者はいたけれども処女だったというんです。これが第一の奇跡ですね。

 次は産まれるときのエピソード。神の子の誕生を告げるために天に一際明るい星が出て、それに導かれて、外国から学者たちがやってきたのだそうです」

「つまりそいつらは天文学者だったというわけか?」

 いつの間にか全員が会話に参加していた。オレンジ色の大きな焚火の周囲に全員が身を乗り出している。食後の椀は背後に放り出されていた。

「とも言われているし、暦を調べていたのかもしれません。天候を調べていたのかもしれません。占星術者とも言われています。ともあれ全く別々の地に住んでいた彼らが唯一つの星の光に導かれ、小さな街の小さな宿屋のそのまた(うまや)で一人の子供に出会った。これはやはりたくさんの偶然の重なった結果、すなわち奇跡と言えるでしょう」

「そしてこれもやはり生誕の際のエピソードですが、羊飼いもこの神の子の生誕を祝いに駆けつけたというのです。何故彼らにそんなことが分かったかといえば、寝ずの番をしているときに天使が現れ、彼らに神の子・救世主の出現を告げたからだと言うのです。

 常に星空を見上げ、些細な変化にも敏感になっている学者に対して、羊の番をするついでに星空を見上げている羊飼いたち。立場も環境も知識、もしかしたら知能も格段に違うはずの学者と羊飼いが同じ現象を何らかの方法で知り、同じ目的地に辿り着いた。それはやはりかなりの奇跡的確率であろうと思うのです」

「『奇跡』ねえ…全部ただの偶然じゃねえか?」

「ええ、偶然かもしれません。ですがこれだけ偶然が重なること自体、奇跡だろうということなのですよ」

「で、その『神の子』とやらは何をしたんだ?」

 それはもっともな疑問だ。しかしそれに関しては断片的なことしか私には言えない。

 当時腐敗しきっていた宗教を正そうとしたとか。政治的圧力や宗教的差別のために虐げられていた人々を『奇跡の技』とも呼ばれる不思議な方法で救ったとか。そのために官憲の怒りを買い、公開処刑に処されたこととか。死んだはずが生き返って弟子たちの前に姿を現したとか。その弟子たちが結局彼の遺志を引き継ぐ形で宗教的活動を続け、遂には全世界中に教えを広めることになるとか。

「何だ、新興宗教の教祖の生まれた日だってだけか」

「ええ、そうも言えます。でもここまで当時の人々の心を彼の生死がとらえたのには、わけがあるのだと私は思うのですよ」

「当時、その国は近隣の大国の支配下にあって独立という形式は保っていたものの、ほとんど属国扱いにあったのです。王は強大な権力を持ってはいたがそれも大国の威を借るものにすぎず、そして王自身の気性は温厚さとは程遠かった。王は独裁者で、歯向かう者には一切容赦しなかった。宗教も土着のものは異教扱いされた。そして移入された大国のものが良いとされたのです。また宗教や人々の信仰心を喰いものにする商人はいつの時代、どんな場所にでもいる。

 そんな抑圧された状況で、しかし歯向かえるだけの勇気も力もない民衆にとって、救いを与えてくれる存在というものは、この上なく魅力的で頼りがいあるものだったのだと思うのです」





 当時その国ではそういった抑圧感や逼迫(ひっぱく)感、いつ(いくさ)が起こり、それに巻き込まれるかしれないといった恐怖感とでもいったものが満ちていた。だから人々は救いを渇望していた。

 産まれた瞬間から神の子・救世主だと呼ばれ、その名で民を救う数々の活動を為した彼は、やがて民衆にとって、世の変革のための希望の光と望まれるようになってしまったのは、だから当然の流れであった。





「精神面の救いよりも現実的な変革の旗印になることを望まれたということなのだな」

「あくまで『慈善活動』をしていた彼としては、国に背いてまで何かを為す気などなかったのだろうがな」

「為政者の側からすれば充分民衆の不平不満の意志を集中している存在だと見なされるであろうがな」

「だが本人にはその気は全くなかった。しかし自分がそうなることを望まれていることも分かっていた」

「だが神の子を名乗り、弟子を集め、同士を増やし、信仰に基づいて目の前の人を救い、不正を正す。それは充分に国に反意ありととられるだろうな」

「なあ、そもそもなんでそいつが神の子なんて分かったんだろな?」

「……誰でもよかったんじゃねえの」

「どういうこと?」

「つまりさ、救ってくれる奴がいるなら、それは誰でもよかったんだよ」

「じゃあ、学者とか羊飼いとかが産まれたばっかのそいつを拝みに行ったってのは…」

「嘘嘘。そんなんあるわけねーじゃん?」

「いや、あってもかまわないのでは?」

「つまり」

「でも学者じゃなかったかもしれないね。羊飼いでもなかったかも」

「つまり?」

「つまり――」

「――誰よりも救世主たる存在を望んでおったろう者がおるな。つまり―――国に対する叛乱を企てておった者、或いは既に戦いの中に身を置いておった者。確固たる旗印・リーダーの存在を望んでおった者たち―――兵士、だな」





 白熱していた議論がふと途切れた。しんとした静寂を、ぽつりとした声が破った。

「なあ、これっていつの話なんだろな…」

「いやお前、そもそもマジな話なんか?これ」

「――随分昔の話ですよ。何万年か前だと記録されています」

「…少なくとも【アーカイブ】にはそう記されているということなのだな?」

「え、じゃあやはり真実の歴史という……」

「ああ、いえ。少なくとも【アーカイブ】にこれを記録した人物にとってはこれは真実の記録であったということなのです。もちろん精査は必要です」

「ああ、もう、ややこしいことはいいよ」

「重要なことは…」

「…今のことでもおかしくないってことだよな」





 唐突に再びしばらくの静寂が訪れる。焚火のはぜるぱちぱちという音だけがやけに耳に大きく響くような気がした。誰かが火の中に何本か細枝を放り込んだ。一瞬暗くなった炎の照り返しが徐々に大きくなってゆく。






 そうなのだ。問題は正にそこなのだ。私は唐突に今まで――研究に没頭していた頃から――抱えていた引掛かりの一つが何だったのか、はっきり認識した。





 一体これはいつの話なのだろう。

 答えは記録にある。B.C.4年の頃。いや、これはもちろん現在とは違う、古い表記の仕方。今の言い方でいえばB.F.2100年くらい。

 しかしこれはあくまで【アーカイブ】にこの記録を残した人物を全面的に信用するならば、ということが大前提でのこと。研究者ならば史料を全面的に信用するなんてことは大変に危険なことなのだ。





 一体これはどうしたことか。まるで今現在の私たちの生きているこの現実を映しているかのようなこの生々しいストーリー。

 大国の属国扱いとして搾取され続ける我らが祖国。大国の威を借りて尊大に振舞う政治家たち。そしてその体制に反発する者たち。各地で頻発する叛乱(CivilWar)。乱立する「救世主」を名乗るリーダーたち。それに縋り、集う民衆。日に日に肥大化してゆく組織とそれを潰す国家権力。その繰り返し。まさに“いたちごっこ”。

 私が――私たちがこの戦場に立っているのも元はと言えばその混乱に根があるわけで。







 はっと隊長が腰を浮かせた。その緊張した様子に、皆が一瞬硬直する。

「…隊長!?」

 緊張した、しかし辺りを憚る低い声に、隊長は視線も向けずただ微かに頷いた。思考を破られて呆然とした私はただアルマイトのマグカップを地面に置くことしかできなかった。視線の先で、隊長の側に座っていた色白の男が一層顔色を白くしながら、しかししっかりと背中の装備を取り出しながら腰を浮かせていた。視線を再び上げると、紳士然とした隊長の端正な横顔が、厳しい目付きを辺りに向けていた。

「――隊長!!」

「――まだわからん。だが油断するな。備えよ」

 隊長の声にはやはり緊張が隠されていなかった。私はどうにもぎこちなく動く自分の身体が自分のものだとはなかなか思えなかった。それでも何とか外れている装備もないし脇に置いていた銃にもきちんと弾が装填されていることを確認した。





『何度目なのだ?』

 心に湧いた言葉は私にも何のことだか分からなかった。

『小国家の乱立。共存とやがて来る衝突。殲滅、滅亡、自滅、そして吸収。肥大、拡大、縮小。連衡。支配。搾取。献上』

 支離滅裂だ。そしてこれは今考えるべきことではない。明らかに。

『何度目なのだ?』

 ヘルメットの顎紐を改めて調整しながら、私は皆に続いて腰を浮かせる。

『私が今いる戦場は、この世界は、何度繰り返された歴史の中にいるのだ?』

 いつの間にか走っていた偵察がいつの間にか戻って来ていた。報告を聴いた隊長が、私たちに手招きのような仕草をする。私たちは腰を低くしたまま、そろそろと岩陰を離れる。






 《歴史は繰り返すものだ》という言葉が私の脳裏に浮かぶ。脳に埋め込んだチップ――つまり小サイズ高容量の後付記憶媒体。それに【アーカイブ】からダウンロードして保存した【記録】から引き出された言葉に過ぎないが。しかも誰の言葉か私には――少なくとも今この瞬間の私には解らなかったが。

 チップを脳に埋め込むのはA.F.――つまり「After Flow・大災害後」――の2万年を過ぎた頃から開発され始めた技術で、歴史的にはつい最近実用化されたもので、まだ一部の人しか利用してはいないシステムだ。当然施術代も高価で一般市民の私など全財産をはたいて尚借金が残っているが、それでも今でも全く後悔してはいない。何故ならこの世界の歴史を研究し、解明しようというのが私の生涯を賭けた願いで、そのためには人間の脳などちっぽけ過ぎて全く容量が追いつかないのだから。これが私の覚悟の顕れなのだから。

 その私の人生を賭けた証から、今私の意識の中に言葉が洩れ出て其々を認識できないほどに私の中を満タンにしている。





《歴史は繰り返すもの》

《だけどそれが二次元状の繰り返しではなくて三次元状に展開されるものならば、繰り返しが止揚されるものなのならば、望みがあるかもしれないよね》





 機械的に、まるで年表のように必要事項だけ記された【記録】の中、時々ぽつんと、まるでノートの端の落書きのように残された誰かの言葉。

 彼は何を言いたかったのだろう?誰に?いつ?何のために?





 【アーカイブ】は人類の―――この世界のこと全てを記録している場所。私のチップにはそこから引き出した情報がダウンロードされている。

 私の知る限り、【アーカイブ】には管理者しかいなかった。しかし管理者はあくまで管理者で、その膨大な【記録】は別の誰かの手になるものらしいと聞いた。

 一体誰が?何のために?そして何故【記録】ではなく【言葉】まで残したのか?

 そして何故今私の脳はその【言葉】を引き出して意識上に認識させたのか?






 人類に主の愛を伝えようとした男は人の手によって殺された。処刑されたのだ。しかも拷問を与えながらの公開処刑だったそうだ。

 しかし彼の弟子たちはその後も戦い続けた。大国政府の弾圧や他宗教の信者たちからの敵意に対して。そして終に彼らは勝利した。彼らを弾圧した国の国教の座を射止めることにより。そしてほぼ世界中に彼の教えを広めることに成功したことにより。

 彼の死は、否、彼の生死は、そのためのものだったのかもしれない。ふと私はそんな風に思った。彼の生き方は、それだけではそんなにたくさんの人の心を動かせなかった。彼は黙って死を受け入れたことで、様々な人々の心を掴んだのだ。民衆の罪をも引き受け、黙って死んでいったのだと。彼は死することで後に勝利を遺したのだ。

 決して彼の意図がそこにあったのかどうかは、解らないことだが。





 では私が今ここに、この戦場に立っているのは、何を意味しているのだろう?






 凍えるように冷たく重い銃を抱えて、私は上官の後に続いて岩陰に身を潜めた。心臓は時々びっくりするくらい跳ね上がるが息は穏やかだ。

 こんな私ですら戦場に、戦争に身心が慣れてしまった。こんな、文字を追いかけるしか脳のなかった人間ですら。

 しかしこれも《繰り返される歴史》なのだろうか?

『教えてくれ』

 痛切に願う。【アーカイブ】に歴史の【記録】を残したあなたに。【言葉】を残したあなたに。一体あなたは何を見、何を聞き、何を考えたのか。何を悟ったのか。

『教えてくれ』

 歴史が繰り返されているというのなら。止揚されるというのなら。何回繰り返されたもので、何度繰り返せば止揚の先が見えるのか。私たちはどこに辿り着けるというのか。

 凍えた息が鼻先を冷やす。手の甲で鼻の頭をこする。

「行くぞ」

 上官が肩越しに言う。私は頷き、ぐっと身を沈める。そして岩陰を離れる上官の背を追う。

『教えてくれ』

 適うならば。この不出来な脳しか持たぬ私に。独りでは答えを導き出せそうにもない私を救ってくれ。






     †

 主よ。

 わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

 憎しみのあるところに愛を、

 諍いのあるところにゆるしを、

 分裂のあるところに一致を、

 疑惑のあるところに信仰を、

 誤っているところに真理を、

 絶望のあるところに希望を、

 闇に光を、

 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。

       (アシジの聖フランシスコの祈り より)

     †







   -end-


 題名の『Christmas Tableau』は『クリスマス・タブロー』と読みます。

 本来の意味は「聖画」とかいうと記憶しています。よくクリスマスになると厩で飼い葉桶の中の幼子イエスを拝みに来た三賢者と羊飼い、聖母マリアと聖ヨセフの人形が飾られているのを見たことがあるかと思いますが、基本的にはそのことを意味するとか記憶しています。

 ただし、ここで私は「聖劇」の意味で用いています。私の母校ではクリスマスにキリスト生誕のシーンを劇として演じていました。これが「クリスマス・タブロー」と呼ばれていたのです。

 そんなわけでややお芝居がかった、「クリスマスとはなんぞや?」というテーマでのお話、というイメージで書き上げたものです。


 冒頭の祈りの文句は完全に私の記憶のみが頼りの「主の祈り」です。間違ってるとか、言葉遣いが変だとか言うのは、だから承知の上です。

 最後の祈りの文句は「平和の祈り」から採っています。ちょうど実家に帰ってて資料もあったもので、ぴったりくるかというものを引用させていただきました。

 ええ、作者は大変に不信心者ですが、聖書も持っていれば賛美歌も幾つかはそらで歌える人間です。(全国の信仰心篤い皆様にはたいへん申し訳なく思いますが、決して馬鹿にしているつもりはありません。そのことはご了解ください。ただ秀は、聖書に収められているストーリーが人間ドラマとして、また中東の歴史として、大変に興味深いと思っているのです)


 世界観は…分かりにくいかもしれませんが、「現代」ではなく、「未来」の設定です。世界が一回りした後の世界、と思っていただいても結構です。

 そこに至るまで何があるんだとかいうのはまた別の話で書いていきたいと思います。


ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。




2007.11.14

コメントでご指摘いただきましたミスを修正いたしました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです。 でも、父と子と精霊→聖霊です。ここ大事! 繰り返す歴史って私も一種のテーマとして考え続けていることなので、興味深く読ませていただきました。
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