第三話 絶望のハジマリ
甘かった――と後にレインは後悔する。
大切なものを守るためには、何者も信じてはならなかったのだ。全てを疑い、全てを憎み、そして何もかもから目をそらし、ただ盲目に、大切なものを守るべきだったのだ。片時も目を離しては、いけなかったのだ。
何がいけなかったのか。王国騎士になったことか。でもそうしなければ生きていけなかった。何が悪かったのか。何がそうさせたのか。
全てが悪かったのかもしれない。リーナを守りたかった。その一心で、何でもやってきた。それが仇になったのかもしれない。わからなかった。何を憎めば良いのかも。
式典を終え、帰路に着く。リーナが笑顔で待っていてくれるはずだった。そうあるべきだった。誰かが運命を捻じ曲げたりしなければ。いつもより早足で歩く。心臓がどくどくと高鳴っていた。嫌な予感がしていた。空気が震える。いつしかレインは走り出していた。胸のうちで何者かが叫んでいた。早く戻れ、と。
これは直感だった。
肩で息を切って、レインはドアノブを握った。ひねると、そのドアは簡単に開いた。あれほど戸締りはしっかりしておけと念を押して言ったのに。
「リーナ……?」
名を呼んだ声は掠れていた。部屋の扉をひとつずつあけていく。返事はなかった。レインの額には玉のような汗が滲んでいた。この不安感はどこから来るものなのか。わからない。もし気のせいならそれでいい。寝てしまっていた、と笑ってくれればそれでいいいい。
しかし、最後の扉を開いた瞬間。信じがたい光景に、レインは叫ぶこともしなかった。
一面に飛び散った血の痕。床にある血だまり。その中心で倒れて動かない人影。開ききった瞳は空を見つめていた。白いスカートが血で赤黒く染まっている。喉元にはぱっくりと口をあけたような傷口が痛々しく残されている。
そのままに崩れるようにへたり込んだ。むせ返るような血のにおいが充満した部屋の中で、現実を受け入れることもできずに、ただ、その場から動けなかった。
家に、王国騎士が乗り込んできたのは、それからどれぐらいの時間が経った頃かは定かではない。陰謀か。あるいは本当に偶然な賊の犯行か。そんなことも考えられぬくらい、取り乱していた。何故リーナなのか。何故リーナが死ななければならないのか。
レインは、部下だったはずの王国騎士たちにそのまま引きずられるように城へ連れて行かれ、独房にぶち込まれた。まるで時間がぐにゃぐにゃと歪んだように過ぎていった。
冷たい石の牢屋にただへたり込んでいると、こつこつと硬質な靴の音が響いた。顔をあげることもせず、ただうつろに石畳の床を見詰めていると、足音が鉄格子の前で止まったのがわかった。
「残念だよ、レイン」
ゆるりと顔を持ち上げる。腫れぼったい瞼とぼさぼさの髪、赤くなった目からは絶えず涙が零れ、顎を伝って滴り落ちた。見る影もない様子をあざ笑うかのように、ジジ・オルファがそこには立っていた。
「まさか、君が実の妹を殺すとは」
「お前」
「可哀想に」
「お前が……お前が……」
唇がしなり、笑みを浮かべる。その表情こそが、全ての答えだと知り、レインは喉が裂けんばかりの咆哮を上げた。足枷についた鉄球を引きずって、拘束された腕も構わず檻に体当たりする。劈くような金属音だけが響き渡り、二人を遮る檻に噛み付いた。
「大人しくしろ!!!」
音を聞きつけた看守がやってきて、レインの体を剣の柄で檻から引き剥がそうと突き飛ばした。体を投げ出すように床に叩きつけられて、それと同時にぞろぞろと看守がやってきたのに気付く。それでもレインは叫び続けた。押さえつけられ、容赦のない鞭が体を叩きのめす。その様子に満足したかのようにジジが薄ら笑いを浮かべ、踵を返す。
その背中に向かって、レインは何度も呪いの言葉を吐き続けた。