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屍の剣  作者: ももたろう
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第一話 幕開け

 ――その勇者はただ世界のために。その男はただ、友のために。


 千年前の物語。誰も知らない物語。その物語には続きがある。千年の時を経て、再び物語が動き出すことを――彼だけは、知っていた。ゆるりと目蓋が持ち上がる。


 金色の瞳がただ、そのときを焦がれて待っていた――。



* 



 乾いてひび割れた地面が、空から落ちてきた一粒目の雨粒を吸い込んだ。分厚い雲に覆われた真っ白な空から、それを皮切りに突然の雨が降り注ぐ。何日かぶりの雨だった。レインは空を仰いだ。ばたばたと地面を叩く雨音が心地いい。雨水を確保しなければ、と、そう思ったが動くのが億劫だった。空を仰いだまま、レインは目を瞑った。冷たい雨が衣服を濡らし、体を伝う水の感触に心が潤うのを感じた。




 聞こえる。まだ、絶えず呼びかける声が聞こえる。声にならない、でも何かを呼びかける想いが聞こえる。同じ波長だった。同じ想いを抱えている。そんな気がした。何者なのかはわからない。こんな場所に閉じ込められているのだ、人間のはずがあるまい。さしずめ化け物か、いや、そもそもこの声こそが幻なのかもしれない。



 どうでもいいと心の奥底で諦めている気持ちと、何とか打開できるかもしれないと期待し、もがこうとする気持ちが相反しながら、ぶつかり合ってこの体を引きずっていた。



 建物の影から、ずぅっと人型の黒い影が這い出してくる。この化け物は何かなど、知るはずもなかった。とんでもない場所に閉じ込められたらしい。



だが驚いたのは最初だけで、何日か過ごした今、この奇天烈な環境にも慣れつつある。金物を爪で引っかいたような、鈍く歯の浮くような鳴き声をあげたその影は、四つんばいになってレインに飛び掛った。レインは剣を強く握り、影に向かって剣を振るった。


まだ倒れるものか。そうだ、死ぬのはまだ後でいい。せめて、この声を確かめるまで。諦めるのは、その後からでも遅くない――。








 国王の様子がおかしい。まるで何かを企てているようだ。瞳がぎらついている。何かを隠している目。気付いていた。見てみぬふりをしていた。何か恐ろしいことを企てているのかもしれないと勘ぐりもしたが、それよりも王国騎士の地位を剥奪されることが恐ろしかった。



 レインの家系は元々資産家だった。幼少期は何不自由のない生活を送っていたものだが、ある日父も母も死んだ。殺されたのだ。資産も家もあっという間に奪われて、何もかもが没落した。そこからは苦労続きの人生だった。


 しかしもうそんなことは、どうでもいい。妹をどう養うかだけ、考えながら生きてきた。剣ひとつだけだった。レインが持っていたものは。不自由な思いをさせたくはなかった。妹に。妹だけが生きがいだった。妹だけが大切なものだった。


 だから、黙っていた。国王が何を企てていたとしても、自分と妹に、危害がないのならどうでもよかった。




 この世界は、腐りかけていた。およそ1000年ほど前に起きた魔界からの闇の侵食。人間は、“勇者”の力を持って魔界からの侵食を抑えることに成功した。


侵食し始めた闇を完全に消すことは、人間の持ちえた力では不可能だった。ゆえに、魔界から溢れ出した闇を、初めに闇が溢れ出した場所――たった一つの王国に、国民ごと封印したのだ。くさい物には蓋を。まさにその原理だった。国と国民を道連れにして、その国は今現在でも強大な結界に守られて存在している。


しかし、誰もがその存在を無視していた。封印さえあれば、魔界の闇が人間界をこれ以上侵食することはない――。かつての世界崩壊の危機を乗り越えた人間たちは、その出来事すらを忘れ、また人間同士の争いに目を向け始めていた。




 それを哀れだと思いはするが嫌悪はしなかった。戦争が起こることで仕事が増える。争いの場が増えればより目立つ機会も増え、一端の兵士だったレインはあっという間に王国騎士の座へとのし上がっていった。


 レインは腕の立つ剣士だった。貴族上がりの王国騎士には嫌な顔もされたが、妹リーナを養い、守るためにはこれ以上の仕事はなかった。血の滲むような努力を重ね、国内では敵なしだと噂されるまでに腕を磨いていた。両親がいないという理由で不自由をさせたくはなかった。そのためには何だってした。


 表沙汰には出来ないことも、汚れ仕事も、人の嫌がることを率先してやった。全てはリーナの為。妹の明るい未来の為。自分はどうなったってよかった。プライドなんてものは、はなから持ち合わせていない。


 人と人とが殺し合い、奪い合う世界を見ても何とも思わない。冷血漢、人でなしの鬼だ、などと、陰口を叩くものがいるのも知っていた。好きに言っていればいいと思う。そういうお前は何なのだと問いたい。豊かな資産があり、幸せな家庭がある人間こそ、剣を握る資格などない。


 己の過ちを認め、罪を受け入れる覚悟はある。冷酷に人を殺そうが、涙を流しながら人を殺そうが、所詮は同じ殺人だ。誰かがやらねばならぬことなのだ。それを外野にとやかく言われる謂れはない。



 そうしなければならない環境で育った。ゆえに、レインはそれなりの性格に育っていた。対するに、妹のリーナは違った。ベランダで鉢植えに水をやり、花を愛でる心がある、普通の少女に育っていた。それが、レインにとって何よりの癒しだった。


「お兄ちゃん、お仕事お疲れ様」


 そう言ってリーナは笑う。花瓶に色とりどりの花をそえながら。遠征で赤黒い血ばかりを見ていると、レインはいつもリーナに会いたくなった。いつも清らかな心でいて欲しかった。それは願望に近かった。レインの心にいはいつも燃え滾るような憎悪が潜んでいた。そんな心の醜さを知っている。だからこそ、そんな思いをさせたくはなかった。


 父と母が殺されたあの瞬間から、レインの心から憎しみが消えたことなど一度たりともなかった。リーナは記憶にないだろう。リーナには、両親は病死したと伝えていた。今まで一度足りとも、心のうちの憎しみを、リーナに晒したことなどない。これからも。いつか復讐を果たしたとしても、何食わぬ顔でこの家に戻ってくるだろう。


 それでいい。そうあって欲しい。この憎しみを晴らしたい。だが、リーナは清い心のまま育って欲しい。同時に叶えたい願望だった。こんな思いをするのは、自分ひとりで十分だ。


「今日は式典があるから、遅くなる。家の戸はしっかり閉めておけよ」


 あわただしくブーツを履きながらそういうと、リーナははぁい、と軽い返事をした。最近は物騒になった。もし暴漢が家に押し入ってきたら、と思うと、少しでも家を空けるのを躊躇った。それを口にすると、リーナはそんなに子供じゃないと頬を膨らまして怒るのだが。


「お兄ちゃん、忘れ物」


 そう言って、リーナはレインのポケットに何かを押し入れた。取り出してみると、いつも常備しているはずの懐中時計だった。どうして今日に限って忘れそうになるのだろうとレインは苦笑する。長い紐を纏めて再度ポケットに突っ込むと、レインは行ってくる、と片手を上げた。


 いつになく嫌な予感がしていた。何かが起こるような、そんな気がしていた。そう思う日は大抵何かが起こる。勘は鋭いほうだ。何故かはわからないが、一抹の不安が心の中から拭いきれなかった。


「気のせいだ」


 そう自分に言い聞かせて、いつものようにレインは城へと向かった。そう、それはいつも通りの日常であるはずで。これからもずっと続くはずで。

 心の奥底で、これ以上の不幸はないと思っていた。世界中の誰よりも、自分は不幸な人間だと思っていた。だから、これ以上、悪いことなど起きるはずがない――そんな風に思っていた。


 生きる意味を持て余している人間がごまんといる中で、何故必死に生きているのにも関わらず理不尽に生きる権利を奪われなければならない人間が存在するのだろうか。欲望に塗れた生き物だと、知っていたはずだった。知っていて、それでもまだ信じていた。これ以上に不幸なことは、ないと。

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