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競作 三題噺

闘神

 眼下では数万の兵が鬨の声を今か今かと待ちかねていた。

 初めは、ほんの数百だった彼の軍はここまで膨れ上がった。彼は、ほぅと息をつく。自分が右手を上げれば、すべてが始まる。

 掌が、震えていた。

わけぇなぁ」

 ざらついた濁声が、風に乗って耳朶を打つ。そんな、気がした。



 少年は愛刀を正面に構え、目の前の男を凝視した。

 身の丈二メートルはあろうという巨体。熟柿の匂いをぷんぷんさせ、右手には一升瓶を握っている。

「小僧、かかって来い」

 少年は黙って頷くと、力強く地面を蹴った。

 真っ直ぐに突っ込んでいく少年に余裕の笑みを漏らすと、男は緩やかに体を横に反らした。滑るような柔らかな動きでほんの少しだけ位置をずらす。

 それだけで、少年の刀は虚しく空を斬る。

 完全にトラの状態なのに、まるで歯が立たない。少年は男の濁った目を睨み付け、ぎりりと歯切りをした。

 ここに来るまでに血の滲むような努力をしてきた。

 少年の左の手首から肘にかけては赤く盛り上がった引きつれが走っている。今は服で隠れてはいるが、彼の全身には似たような傷痕が無数にある。

 鼻腔を突き刺す匂いを追い出すかのように鼻を鳴らすと、少年は男に向かって叫んだ。

「本当に、あんたが力を授けてくれるという闘神様なのか!?」

 彼には信じられなかった。自分が求めていたものが手に入ると意気込んできたのに、裏切られた思いだった。

 村を守るためには力が必要だった。

 旅に出て、腕を磨き。そして、この祠にすむ闘神様の噂を聞いた。知性溢れる闘いの神様が心正しき者に力を授けてくれるという。

 それがなんだ?

 目の前にいるのはただの酔っ払いのごろつきにしか見えない。無精髭を生やし酒瓶を抱えた粗野な中年男だ。

「さて、な? 麓の人間共が俺のことをなんて呼んでいるかなど、興味ない」

 男は軽く笑うと、少年を挑発するような眼差しを送った。それで終わりかと問い掛けている。

 何度繰り返しても同じだった。

 少年の繰り出す刀を、男は音もなく滑るような動作で避けていく。

 これで何戟目だろう。

 少年は肩で息をしていた。

 どんなに勢いよく飛び掛っても、あるいは横から隙をつこうとしても、するりするりと逃げていく。

 男は退屈そうに持っていた酒瓶をあおった。

「もう、ねぇや」

 男が空になった一升瓶を逆さにすると、酒が一滴、滴った。

「あぁ、もったいねぇ」

 地面に吸い込まれていく液体を、名残惜しそうに見送る男に、少年は背後から襲い掛かった。

 男の手から酒瓶が飛ぶ。

 それは実に正確に少年の眉間を打ち付けた。

「おっと、手が滑った」

 少年は声もなく、その場に崩れ落ちた。



 額に冷たい感触を覚え、少年は目を覚ました。濡らした手ぬぐいが載せられていた。彼はそれを掴みながら上体を起こした。

 綿の潰れきった煎餅布団に寝かされていたらしい。

 辺りを見回すと、囲炉裏の向こうに人影が揺らめく。男が酒をあおり、美味そうに息をついた。

「麓の人間に何を言われたか知らねぇが、俺はただの酔っ払いよ」

 少年のほうを見もしないで、唐突に男が語りかけてきた。相変わらずの粗野な物言いだが、少しだけ険が取れたのが感じられた。

「小僧、なんのために強さを求める?」

「村を守るため。蛮族の侵攻を防ぎ、脅威を取り除く」

 少年の答えに男は鼻で笑った。その態度に少年はかっと目を見開く。

「おっと、怒るなよ?」

 肩をすくめて男がおどけたように言った。

「まぁ、お前は強くなるだろう。あと十年もすれば、ここらで一番の使い手になるかもしれん」

 男に対して信頼も何もあったものではなかったが、自分がまったく歯が立たなかったという自覚はあったので、少年は素直に男の強さを認め、そして自分が褒められたらしいことを少しだけ嬉しく思った。けれど、それは口には出さない。ただぶっきらぼうに「十年も待てない」とだけ答えた。

「俺がついていりゃ、三年、かな」

 にやりと男が笑う。その意味することを悟り、少年は男の顔を凝視した。

わけぇなぁ。なんでそんなに生き急ぐんだよ」

 男が柔らかく苦笑する。意外に人好きのする笑顔だった。

「まぁ、分からないでもねぇか」

 一人で納得し、男はまた酒をあおる。

「何を言いたいんだ?」

 苛立ちと純粋な疑問の混じった声で、少年は尋ねた。しかし、男はただ笑っただけだった。

「歳を食えば、分かる。嫌でも、自然と、な」

 それから三年の間、少年は男のもとで暮らした。

 別れの日に、男は少年に幅広の柳葉刀を手渡した。

「俺の刀だ。やろう」

 巌のような手から転がされた刀はずしりと重く、鍛え上げられた少年の腕にも確かな感触を与えられた。鞘から抜くと刀身に刻まれた銘が読み取れた。

「どんな結果になっても、俺はお前を認めよう。達者でな」


 結局のところ、男が何者だったのかは定かではない。

 けれど、自分が蛮族と呼んだ一族縁の者であることは間違いなかった。



わけぇなぁ」

 兵たちのざわめきに混じって、男の声が聞こえた気がした。

 傍らに控えていた腹心の部下が信頼の眼差しで彼を見つめる。

 

 彼は、自らの手を上へと滑らせた。


この作品は友人との競作、三題噺として執筆いたしました。

三題噺とは、三つのお題を盛り込んだ小説です。


今回の条件は以下の通りでした。

お題:「とら(音が入ればどのような意味でもよい)」「滑る」「結果」

文字数:800~3000文字

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