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悪役令嬢モノの王子に転生したので知識チートで令嬢たちを幸せにします  作者: 鳴島悠希


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第4話 十年の軌跡、夜の前日

 夜明け前の書斎は静かだった。

 窓の外はまだ深い群青で、遠く王都の屋根を覆う霧が、眠る街を柔らかく包んでいる。


 蝋燭の灯だけが、机上の記録帳を照らしていた。

 そこに記された筆跡は、幼い頃の震える文字から、今のヴァリスの整った筆致へと変わっている。


 ──ヴァリスの十年が、この一冊に詰まっている。


 あの日、貧民街の水溜まりを見下ろした少年は、いま、国の未来を語る王太子になった。


「王都の平均寿命は、十年間で六年延びました」


 先日の政務会議で、宰相が誇らしげに述べた言葉だ。

 ヴァリスが本格的に下水網の改革に乗り出してから、すでに八年。

 王都全体に魔力式の浄水導管と排水処理槽が張り巡らされ、疫病の発生率は激減した。


 北区の貧民街──最初の現場は、いまやモデル区域とされている。


 だが、ヴァリスが最も重視したのは、実はそこではなかった。


「快楽は、罪ではない」


 ──この言葉を、公的な法文として発布するまでに、三年かかった。


 この世界では、性の話題は“神聖”という名のタブーに包まれていた。


 貞操は美徳。婚姻は血統の義務。

 貴族令嬢たちは、政略の道具として嫁いでいく。

 それが、当たり前だった。


 だがヴァリスは、あの世界から知っている。

 知識も術も持たぬままに行為を重ねれば、病は広がり、子は育たない。


 だからこそ、ヴァリスは定めた。


 結婚における女性の年齢制限。

 身体的な成熟の有無による“適齢”の明文化。

 そのうえで、教育カリキュラムの導入と、国家管理の公的施設制度の整備。


「人間として、正しい営みである」と。


 快楽を否定せず、羞恥や抑圧ではなく、知識と理解で尊さを示す。

 その理念に、最初に賛同したのは──意外にも、高位貴族たちだった。


「我が家系も、先代に放蕩があってな……あの時こうした制度があれば」

「姪が結婚後に若くして亡くなった。無知でなければ、と思う」

「殿下の考えは“綺麗事”ではない。確かに、必要なことだ」


 そんな声が、王侯会議で次々に上がった。


 なにより大きかったのは、レイナの父・アグレイア侯、そしてエルフェイン公爵家が早期に制度賛同を表明してくれたことだ。


 その日から、風向きは一気に変わった。


 以降の詳細は──記録官が厚く綴ってくれている。

 けれどヴァリスにとって重要なのは、数字でも法律でもない。


 “人々の顔が変わった”ということだった。


 施設では、魔導療法士による健康診断が月に一度実施され、

 清潔な室内で、従事者が堂々と「講習士」の称号を持つようになった。


 誰も、後ろ指をささない。

 誰も、誤魔化さない。


 快楽が、恥ではなくなった。


 それは──“文化”が変わったということだった。


 そして──ヴァリスは、

 その教育改革の中心にいながら、誰の手も取らなかった。


 誘われなかったわけじゃない。

 政務補佐として働く侍女の中には、親密な希望者もいた。

 学術講義で教官を務める貴婦人に、協力を依頼されたことすらある。


 それでも、ヴァリスは手を伸ばさなかった。


 理由は……自分でわかっている。


 ──ヴァリスは、レイナを待っていたのだ。


 別に、貞操観念を美徳とする立場を装っていたわけじゃない。

 年齢や経験がどれだけ“神聖視”されているかも、十分承知していた。


 むしろ、ヴァリス自身が制度として、それを変えようとした張本人だ。

 身体の成熟、心の準備、そして技術と知識。

 すべてが揃った時にこそ──人は、正しく交わることができる。


 だからこそ、ヴァリス自身がそれを“先駆け”として示す必要があった。


 けれど、それでも。

 本音を言えば──ヴァリスは、レイナを迎えることだけは、軽々しく済ませたくなかった。


 幼少の頃。

 最初に出会った時の彼女は、まだ氷のように硬く、鋭く、そして眩しかった。


 政略結婚──それが、誰の目にも明らかな関係だった。


 だがその中に、ヴァリスはほんのわずかでも、誇りと孤独を抱えた一人の少女を見た。

 だからこそ、“好きになった”という言葉は、あまりにも軽すぎる。


 ヴァリスは彼女を、「誰よりも美しく、誇り高き存在」となることを知っている。


 アグレイア侯爵家。文治に長け、法典整備と文化育成を代々担ってきた家門。

 貴族としての格は公爵家より一段下だが、その品位と教育水準は国内でも屈指だった。

 それは幼い頃のレイナの知識を見てもわかる。


「レイナは、王妃の器だ」

 そう言ったのは、父──現国王だった。


 ……そしてヴァリスは、彼女との距離を保つことを選んだ。


 王太子として、公的には何度も顔を合わせていた。政務会議、儀式、年始の謁見。

 けれど私的な場では、ほとんど言葉を交わしていない。


 彼女は若くして、教育の最高水準を受けていた。

 ヴァリスは、彼女の努力も知っていたし、政務資料に目を通していることも知っていた。


 だが、それでも──近づきすぎるわけにはいかなかった。


 幼い頃から知っている彼女を、“対等な存在”として見るために。

 今、この夜を“対等に”迎えるために。


 今夜──ようやく、同じ歩幅で隣に立てる。

 それが、十年という時間に込めた、ヴァリスの“答え”だ。


 窓の外が、徐々に薄紅に染まり始める。


 王都の鐘が、第一刻を知らせる音を低く響かせた。


 ──今日、ヴァリスは、二十歳になる。


 そして、今夜。


 ヴァリスはついに、レイナと向き合う。


 わずかに、胸の奥が痛む。


 緊張か?

 期待か?

 ──あるいは、未だどこかに残る、自分の中の“少年の感情”かもしれない。


 だけど、もう迷いはない。


 ヴァリスたちは、正しい道を歩んできた。

 今夜は、それを祝う日だ。


 一人の男と、一人の女として。

 愛を語り、心を通わせる。

 ようやく、その瞬間が来る。


「……行こう」


 ヴァリスは席を立ち、書を閉じた。

 長かった“準備期間”は、これで終わりだ。


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