第6話『その蹴りに、誇りはあるか』
──夜の部室。誰もいないロッカールームで、カリンは黙ってスパイクを磨いていた。
試合に勝ったのに、胸の奥に残るのは奇妙な空虚感。
パスも繋がり、ゴールも決めた。だけど……あのドMゴールキーパーの“満足そうな顔”が忘れられない。
(私は……何をしたんだろう)
その問いが、心を静かに満たしていた。
*
その夜、自宅に戻ったカリンは、母──麗奈が淹れたカモミールティーを手に、リビングでぽつりと呟いた。
「私の蹴り……ちゃんと届いてるのかな。チームにも、相手にも……自分にも」
麗奈は微笑む。薄いグラス越しの紅い爪先が、懐かしくも冷たい。
「昔、あなたはね。泣いていたのよ、毎晩。『なんで私だけ残されたの』って」
──カリンの両親は、小学3年の春に事故で亡くなった。身寄りがなくなった彼女を引き取ったのが、両親の友人であり、SM倶楽部の女王様として知られる、**黒麗奈**だった。
「だから私は、あなたに“強さ”を与えることにしたの。誰にも支配されない強さを」
麗奈の瞳は、母親のものでもあり、どこまでも“支配者”のそれだった。
「でもね、カリン。力で人を従わせるだけじゃ、世界は変わらないのよ。
本当に人の心を動かすのは、“想い”よ」
その言葉に、カリンは言葉を失った。
どこかで聞いたことがある。けれど、今なら、その意味がわかる。
(私の蹴りは……ただの力だった)
*
翌日。放課後のグラウンド。
カリンは1人で、ボールを蹴っていた。
ドンッ! ドンッ! ドンッ!
芝が抉れ、ボールがネットに突き刺さる。
力強く、正確に。だが、そこに“想い”はなかった。
そこへ現れたのは、ヒナだった。いつものように無表情、けれどどこか優しげに。
「カリン。何を思って、ボールを蹴ってる?」
「……勝つために。支配するために。蹴って、従わせる。それだけよ」
「じゃあ、そのボールは何も伝えてないんじゃない?」
「……!」
ヒナは、静かにボールを受け取る。そしてカリンへ向かって、ひとつパス。
トン。
まるで水面に浮かぶような柔らかさ。だが、狙いは的確。
そのパスを受けた瞬間、カリンの胸に──熱が灯った。
「これは……命令じゃない。お願いでも、ない。なのに……」
「“届けたい”って思ったの。あなたに、このボールを」
カリンは、スパイクの先でボールを止め、静かに目を閉じる。
──支配じゃない。恐怖でも、命令でもない。
この蹴りに、“誇り”はあるか?
彼女は問い直す。自分自身に。過去の自分に。
そして、次のボールを──誰かのために蹴り返した。
*
その日の練習の終わり、ミオが呟いた。
「今日のカリン、ちょっと優しかったよね……てか、シュートも柔らかかった!」
ヒナは、少しだけ笑って言う。
「うん。ようやく、“蹴る意味”を見つけ始めたんじゃない?」
空に向けて、カリンが軽くボールを放った。
その軌道は、まるで未来を照らすように──まっすぐに、やさしく、伸びていった。