16 奴隷と会うために
「ヨハン、もうひとつ、お願いがあるんだ。」
ヨハンの表情がわずかに曇る。すでに大きな秘密を共有した直後だ。少年の次なる「お願い」に、ただならぬ気配を察したのだろう。
「……秘密を守ること以外に、ということでございますか?」
「そう……」
ヴィクトルは少し間を置いた後、静かに目を伏せる。
「奴隷を……見てみたいんだ。」
空気が、わずかに張り詰めた。
ヨハンは動かなかった。ただ、表情を保ったまま、黙ってヴィクトルの言葉の続きを待った。
「これは、ただ私の心の問題だと思うんだけど……
制度を根本から変えるなら……まず現実を知るべきだと思うんだ。目で見て、肌で感じないと……命を賭ける覚悟なんて、本物にはならない。」
言葉は少年のものだったが、その語気には年齢を超えた決意がにじんでいた。
「……ですが、ライヒベルク領には奴隷は存在いたしません。」
「わかってる。だから、他の領に行くしかない。……けど、貴族の子が正式に出向くとなれば、先方はおもてなしの準備をするだろう。そうなれば、奴隷を見るような環境ではなくなってしまう。」
「つまり、変装して、秘密裏に他の領地に赴くということですか……?」
ヨハンの声は、警戒と葛藤を孕んでいた。
「無茶なことは承知してる。でも、頼む。一度だけでいい。現実を見たいんだ。」
ヨハンは少し沈黙したのち、答えた。
「……ヴィクトル様の秘密をお守りすることを決めた時点で、もうともに歩むしかないですね。
分かりました、確かに現実を知ることはとても大事なことですから、こっそり他の領地へ赴くこととしましょう。」
そして、視線をまっすぐヴィクトルに向ける。
「ただし、一度きりです。さらに、1日だけです。それ以上をお求めなら、私はレオンハルト様に全てを打ち明けます。」
ヴィクトルはほっと息をつき、口角を少しだけ緩めた。
「ありがとう、ヨハン。それで十分。本当に助かる。」
* * *
数日後、ヴィクトルは両親に「最近魔法の練習が楽しくなってきて、もっと実践的な練習がしたい」と願い出た。「明日、森で丸一日過ごして、いろんな魔法を試してみたい」と。
母は一瞬怪訝な顔をしたが、父が「成長のためなら」と後押ししてくれ、ヨハンが付き添うことを前提に、1泊2日の外泊許可が下りた。
そして翌朝、ヴィクトルはヨハンとともに森の入口へ向かった。
「……じゃあ、向かおうか。」
「はい。こちらでございます。」
2人は森の中で、変装を始める。庶民の服に着替え、フード付きの上着を羽織る。ヴィクトルはさらに眼鏡をかけた。
「……これで、ただの旅の少年に見えるかな?」
「見えると思いますよ。ただし、所作にはくれぐれもご注意を。言葉づかい、歩き方、すべてに貴族の影が出ないように。」
「……分かった。」
2人は森の反対側へと歩を進める。獣道を越え、雑木林を抜けた先に、視界の広がる草原があった。
ヨハンは足を止め、地面に手をかざす。
「参りましょう。」
大地がうねるように動き、切り株が斜めを向いて現れる。木魔法。ヨハンもまた、マギステル=オルドより、”魔力の目覚め”を受けた者だった。
2人は切り株に乗り、ヨハンが再び魔力を込める。切り株は、ぐっと縮んだかと思うと、弾けるように伸び、バネのように2人を空へと押し出した。
風を切る音。足元の地面が遠ざかる。
木魔法にはこのような応用があるのか、とヴィクトルはヨハンに抱きかかえられながら感心していた。
しばらく飛んだのち、放物線を描くように2人は落下する。
ヨハンは落下しながら、着地予測地点に手を向ける。先ほどと同じように、地面から切り株が伸びてきて、2人はその切り株に着地した。
さらにその切り株をバネのように使うことで、再び空へ向けて跳ぶ。
これを何度か繰り返したのちに、やがて地面に降り立った。
ヨハンはフードを直しながら、静かに言った。
「間もなくカイゼル領ですから、ここからは歩きましょう。」
「分かった。」
それからしばらく歩くと、少しずつ町の輪郭が見えてきた。
町の前までくると、ヨハンは立ち止まり、ヴィクトルに向き直る。
「ここから先は、すべてが本番でございます。些細な仕草が命取りとなりますゆえ、くれぐれも……慎重に。」
「わかってる。気を引き締めて行くよ。」
ヴィクトルとヨハンは、もう一度フードを深くかぶり直し、ゆっくりと町の中へと足を踏み入れていった。
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