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第51話 晴れる迷い

「今日も天気が悪いでありますなあ」


 ケイトさんが窓の外を眺めながらそう呟いた。

 雨が窓を強く叩く音が部屋全体に響き渡っていた。

 

「最近なんだかおてんとう様の機嫌がよくないであります。お日様の光が我々人間に活力を与えるというのに。まっこと残念でありますなあ」

「…………」

「む、機嫌がよくないと言えばソーイチ殿もそうでありますな。機嫌が悪いというより、元気がない……? お日様を浴びていないからでありますかな?」


 数日前、モカさんから第三師団の件を聞いた時から、俺はずっと頭の中で考え事をしていた。

 自分が今までしてきたことは果たして正しかったのか、誰かを救うことは、同時に誰かの命を奪うことになるのではないか、戦ってきた意味はあったのか、と。


 答えなんていくら考えても出なかった。おんなじところをグルグル回ってるだけで何も解決しない。ただいたずらに時間だけが過ぎていった。


「ふむ、仕方がないであります。こんな狭い部屋で何日もじっとしていれば出る元気も出ないであります。よし決めた! 今日はわたくしめが夕餉を作るであります。何か食べたいものはありますかな?」

「…………」

「むう、やはり育ち盛りの男の子であれば肉がいいか、いや待たれよ。年頃の子だからこそ野菜の美味しさをい今のうちに刷り込むことで食育を身につけさせ健康な肉体を作らせることも大事でありますな」

「…………」

「……なにか悩み事でもあるでありますか?」


 ケイトさんが覗き込むように顔を近づけてくる。ウサギのように赤く大きな目でこちらを真っ直ぐ見つめていた。


「……ケイトさんに言っても仕方がないよ」

「む! 聞き捨てならないでありますなあ!」


 口をへの字に曲げてケイトさんは怒り出す。とはいえ、全く怖くない。人の好さや人懐っこさ、愛嬌が滲み出ていてかえって可愛らしくもあった。


「囚人の体調管理、メンタルケアも我々看守の勤め。悩める子羊を見捨てないのが我々の為すべきことなのであります。さあ、話してみい」


 ケイトさんは自信満々に胸を張ってみせた。無駄に大きいなこの人の胸。


「……じゃあ、ケイトさんはさ。例えば人を助ける仕事についているとして、自分が助けた人間が他人を殺したらどうします?」

「んー?」


 ケイトさんは顎に手を当てて首を横に傾けた。


「随分物騒な例えばでありますな」

「……やっぱなんでもないです。忘れて――」

「そんなの決まっているであります。わたくしめは何も変わらないであります。引き続き誰かを助け続けるであります」


 あっけらかんとした顔でケイトさんはそう答えた。


「……どうしてそんなはっきり言えるんですか。もし自分がその人を助けなかったら、誰かが殺されるなんてことなかったかもしれないんですよ?」

「それがわたくしめのやるべきことだからであります。与えられた職務を全うするのは当然の義務であります」

「だからって……迷ったりはしないんですか? 誰かにやれって言われたからやるんですか? よくないことかもしれないのに、命令されればやるんですか?」

「そうじゃないであります」

「俺は!……何のために戦ってるのか……わからなくなっちゃいましたよ……優しい人や正しい人を助けるために戦ってきたのに、その中に人殺しの悪人が混じっていた。その人が誰かを殺すために俺は戦ってきたんじゃないのに……」


 自分で言っていて虚しくなってくる。徐々に目線が下に行って俯いてしまう。


「当たり前であります。善人と悪人の区別が簡単についたらこの世はもっと美しいでありましょうよ」

「だったら俺は誰を――」

「それでもわたくしめは可能性を切り捨てることはできませぬ。悪人かもしれない、善人じゃないかもしれない、それだけの理由で目の前で失われそうになっている命を見捨てることはできませぬ。だってその人がもしかしたらとてつもないお人好しの大馬鹿者かもしれないのだから」


 自然とケイトさんの顔に目線が行く。雲一つない夕焼けのような瞳は自分の信念を表すように真っ直ぐと正面を捉えていた。


 一時の静寂が流れた。先ほどまで強く鳴らされていた雨の音はいつのまにか止んでいた。


「お、雨が止んだでありますな」


 雲の隙間から差し込む光が窓の外から入ってくる。

 部屋の床を照らすその光はどこか温かそうだった。




 ◇◇◇◇◇




「くかー……くかー……くかー……」


 深夜0時10分。ケイトさんはイスで眠りこけていた。

 交代の時間にモカさんが尋ねてきたので俺が扉を開けた。


「全く、この娘は……」


 モカさんはてのひらを頭に当てて呆れかえっていた。


「すみません、起こしておけばよかったですね」

「いえ、あなたが気にすることじゃないわ。彼女の問題よ」


 モカさんはどかっとケイトさんをイスから蹴り飛ばし、空いたイスに座る。

 蹴り飛ばされたケイトさんは頭から床に倒れ伏したが、一向に起きる気配がない。


「ああ、心配することないわよ。こいつ、タフだから」

「はあ……」


 普段からこんな扱いを受けてるんだろうなあこの人。

 

「顔色、よくなったわね」

「え?」

「あなた、ここ最近ずっと気分が沈んでたじゃない? まあ、こんな軟禁状態じゃあ気も病むでしょうけど。何かいいことでもあった?」


 モカさんは文庫本を開きながら、そう俺に尋ねてくる。

 珍しいな。この人、積極的に話しかけてくるタイプじゃなかったけど。


「ケイトさんと少し話をしまして」

「へえ、どんな?」


 俺は先ほどのケイトさんとの会話をモカさんに話した。


「ふーん、ケイトがねえ」

「なんか、すっごく真っ直ぐ過ぎてなんにも言えませんでした」

「まあ、彼女の経験から来るものでしょうね」


 カチッ、とモカさんはアロマに火をつけた。レモンの香りが部屋全体に広がる。


「彼女の言う通り差なんてないの」

「え?」

「私とケイトに能力的な差はない。優秀よあの子。そんなあの子が看守見習いで私が正規の看守に就いてるの、なんでかわかる?」

「えっと……」


 チラッと寝そべっているケイトさんを見やる。よだれを床に垂らしながらはなちょうちんを膨らませてぐうぐう眠っている。


「……まあ、確かにこんなザマだからってのはあるけど、ちゃんと別の理由があるの」


 モカさんは文庫本に目を向けながら語り出した。



「アカデミーを卒業して看守見習いとして監獄に就いていたのだけど、そこで研修として見習いには一人ずつ釈放間近の囚人を当てられた。まずは一人の囚人を管理しなさいってね。彼女は人柄もよく担当の囚人とも関係が良好だった。そこで囚人は彼女に約束したの。もう二度と悪さをしないってね。ケイトも囚人の善性を信じていた。そして釈放された翌日、その元囚人は人を殺したの。その場で処刑されたわ」

「…………」

「その後、ケイトは正規の看守になる試験に落ちた。裏切られたのが余程ショックだったのでしょうね。だから私と違ってまだ見習いってわけ。私と彼女の差は純粋さだったわけね」

「ケイトさんも裏切られてきたんですね……」

「正直私は、あの子はこれをきっかけにもう看守を辞めるのかと思ってたわ。でも彼女は諦めなかった。『私はそれでも彼らをどうしようもない悪人だと切り捨てたくない。少しでも更生の余地があるのならその可能性を捨てたくない』ってね」


 囚人というのはきっと悪人の方が多いのだろう。その中でもケイトさんは一握りの善性を信じて彼らに手を差し伸べてきたんだ。

 

「だから不特定多数の中に悪人が混じってたくらいじゃあ、あの子は止まらないでしょうね。だって世の中根っからの悪人の方が少ないもの。善人が間違いなく混じっているのなら、必ず救いあげるわ」


 俺が救ってきたのは悪人だけじゃない。

 シオンにミラさん、チルちゃんのお兄さん。俺は今まで大勢の善人を救ってきたはずだ。

 俺の戦いは決して無駄ではなかった。確かにいい人たちだって救ってきたんだ。


 だから、迷う必要なんてなかった。変わらず戦い続ければいいんだ。

 悪人を見捨てる為に善人を見殺しにしていいはずがないのだから。


 月の光が窓から差し込み、俺の体を照らす。

 その光は俺が走るべき道を確かに示していた。




 ◇◇◇◇◇




 月の光すら差さない真っ暗な部屋の中で、ジンバック・アルファウルブズは目を覚ました。

 もっとも、彼は眠ってなどはいない。頭の中で鳴り響く呪詛はジンの精神を蝕み続けていた。その声は常に人の血を欲している。


「わかってるよ」


 ジンは立ち上がり、一張羅のロングコートに手を通した。


「そんなに欲しけりゃ吸わせてやる」


 前髪をかきあげ、オールバックに仕上げる。


「始めようぜソーイチ。この国の命運を握る殺し合いを」


 刃のように鋭い目を大きく見開き、孤狼ころうは犬歯を剥き出して獰猛に笑った。

第51話、いかがだったでしょうか。




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