林道二輪旅奇譚 林道で出逢ったコスプレ美女
これは春のツーリング中に、私が体験した不思議な出来事です。ただ本文中にも書かれますが、ツーリングに行くつもりではなかったので、いつもはヘルメットにつけてるドラレコ兼用のアクションカメラもGPSレコーダーもセットしていませんでした。スピードメーターと距離メーターも壊れてて、真実と証明どころか自分でも本当にあったのか白日夢でも見てたのか確信が持てません。本当にあったと信じてもらえようと妄想とお笑いになられようと構いません。よかったら感想をおきかせください。
その日は、冬の間眠っていたバイクのエンジンに火を入れ、試運転をするだけのつもりだった。エンジンも最初こそもたついていたものの、暖まり溜まっていたオイルが白煙とともに燃え切れば軽快な歌声をあげた。今では年代物になってしまったホンダCRM250であっても、2サイクルエンジンのパンチ力ある加速は、今時の排ガス規制された同クラスのロードバイクにも負けない。
タイヤもサスペンションもブレーキも、とりあえず問題ない。そしてどこまでも青い空、少し足を延ばしてみたくなった。
交通量の多い幹線道路を避けて旧道と脇道を繋ぎ、よく整備された農免道路に出た。最近はGPSナビのおかげで、農道もけっこう行楽の四輪車が多くなった。それでも信号が少なく適度にカーブがある農道は、国道よりずっと気持ちよく走れる。ワインディングをそこそこペースで走っているうちに、気がつけば山間部とよばれる地域まで来ていた。
そこまではよかった。そこでおとなしく引き返して洗車でもしてればよかった。しかし久しぶりのライディングの昂揚感は、さらにその先を求めていた。
こいつはオフロードバイク。そして履いてるタイヤはブロックパターンのオフロードタイヤ!一時流行ったトレールに小径のオンロードタイヤ履かせたモタードなる奇形ではなく、オンオフどっちも走れるとか言ってやたら重くなり、どっちも中途半端になったアドベンチャーツアラーでもない。
保安部品を外すだけでエンデューロレースでも十分戦えるダートのレプリカマシン。むしろ耐久レースでは競技専用のモトクロッサーにもアドバンテージがあるといわれる生粋のオフロードマシンだ。
ワインディングを流すのも気持ちいいけど、やはり未舗装路を走ってこそのCRM。
この辺りは何度も来ている。少し先に行けば里山林道がある。何年か前にバイク雑誌に紹介されて、この地方のオフロードバイク乗りなら大抵知ってる林道だ。本格的な林道ツーリングとして走るなら物足りないが、適度な未舗装の区間があり、試運転としてはちょうどいい。
集落を抜け、棚田の脇の小道が里山林道入口だ。私は軽い気持ちで林道に入った。
✳✳✳✳✳✳
カーブを曲がり、見通しが開けた所でアクセルを軽く撚る。リアタイヤが小石を掻き、程よくアウトに流れる。足もとが本格的なオフロードブーツでなく、一応足首を覆うだけのバスケットシューズなので豪快なドリフトとまでは攻められないが、ホイルスピンとカウンターステアで立ち上がる感覚を楽しんだ。
峠の手前まで登った所で、上の方から軽トラックが下ってくるのに気づいた。おそらく林業か山菜採りの地元の人だろう。道幅の狭い林道でもバイクと軽トラなら、互いに淵に寄ればすれ違えるとはいえ、やはり林道は地元民のための道。よそ者である私は、少し広くなってる道端で停まって軽トラが通り過ぎるのを待った。
そこでふと横を向くと、そこにも未舗装の道が延びている。
ここには何度も来ているが、この道端は車がすれ違うために広くなってるだけと思っていた。こんな所に枝道があるのは気づかなかった。
軽トラに乗った年配の男性が手をあげて通り過ぎる。私も挨拶を返すが、発進を躊躇った。
この枝道はいつからあるんだろう?どこまで続いているんだろうか?
これまで単に気づかなかっただけなのか、最近新しくできた道なのか。草木の生え具合や日陰のコケの雰囲気からすると、以前からあったようにも思える。林道の枝道が数百メートルで行き止まりになってることはよくある。だけど昔からあるのなら、どこかに繋がってる可能性は高い。このまま今走って来た里山林道で峠を越えたとしても、向こう側の集落まで下るだけ。そこから国道へ抜けるか、走って来た同じ道を戻るしかない。時計はまだ12時少し前。時間はあるし、新しい道を探索してみるのも悪くない。私は枝道へバイクを向けた。
✳✳✳✳✳✳
なにこれ、すごくいいんじゃない!?
新しく見つけた林道は、予想以上に素晴らしかった。
あまり使われてない林道は、たちまち草が生い茂り、道端が崩れたり落石で道が塞がれたりしてるものだ。だけどこの道はそういうのも一切なく、適度に踏み固められた土と小石で締まった路面が続いている。地元の人が日常的に使ってる道なのかもしれない。そういう道は、ほとんど舗装されてしまっている昨今、これだけのダートはめずらしい。それにしてもかれこれ30分以上走っているのに、すれ違う車も、人影も、林業作業で道端に停まっている車も見かけない。今日はなにか村で祭りか集会の行事でもあるのだろうか。
林道で調子よく走ってる時ほど気をつけなくてはならないのがガソリンの残量だ。2サイクルエンジンはパワーはあるが、低速トルクに乏しい。従って軽快に走ろうとすれば高回転域を多用する事になる。当然燃費は悪くなる。こいつにガソリンメーターなどついてない。距離計は壊れてる。途中一度満タン給油してるが、経験的にそろそろ予備タンクになる頃だ。ここで引き返せば来る時入れたガソリンスタンドまではたぶん保つだろう。しかしせっかく見つけた新たな林道だ。もう少し探索したい。どこかの町か幹線道路に繋がっているならガソリンスタンドぐらいあるはずだ。
私は一旦バイクを停めて、スマフォのGPSで位置を確認しようとしたが、電波が届いてないらしく地図は表示されなかった。林道にまで来る予定ではなかったので、紙の地図も持ってきてない。あったとしてもこの道は載ってない可能性が高い。というかさっきまで快晴だったはずの空は厚い雲が覆って、太陽の位置さえわからなくなっている。
いったいどの辺りまで来てるんだろう?
田舎ではあるが、周囲何十kmにも渡って集落や道路のまったくないほど山奥でもない。山に囲まれているから見えないだけで、もう少し行けば集落か道路に出るはずだ。もう少しだけ行ってみよう。ガソリンタンクがリザーブになってから引き返しても、あまり飛ばさなければガソリンは保つだろう。
結果的に、私は大きな判断ミスをした。否、思えばこの時点でもう深く入り込み過ぎていたのかもしれない。
そこから20分近く走った頃、ようやくメインのガソリンタンクが空になった。ゆっくり探りながら走ってた事もあってか、燃費は思ってた以上延びた。というか延び過ぎだ。ここから予備タンクの残りのガソリンだけで、スタンドまで引き返せるだろうか?急に不安になってきたが、戻るしかない。最悪押してでも人里まで辿りつけばなんとかなるだろう。
考えても仕方ない。私はバイクをUターンさせると燃料コックをリザーブに切りかえ、来た道を引き返した。
✳✳✳✳✳✳
どうやら完全に迷ってしまったらしい。Uターンしてから一時間近く走っているのに、一行に見慣れた里山林道に辿りつけない。一体どこで間違えたのか?この道に入ってからも引き返してからも、枝道や脇道には注意してたはずだ。間違えるような枝道はなかった。なのに見慣れた里山林道には一向に戻れず、相変わらず思いきり走ったら気持ちいいだろうダートが延々と続いている。しかし今は燃費との戦い。リザーブタンクが3リットルとして低燃費に徹した走りでリッター20kmは走れる。だとしたら60kmは走れるはず。この辺りに60km以上続く未舗装路があるとしたら大発見でもあるのだが、そうなると生還すら危うくなる。
近頃は人里近くでも熊が出没するという。最近この辺りでも熊が出たというニュースをインターネットでみた。
嫌な事を思い出した。今までツーリング中に熊と出くわした事はないが、基本走ってる時はやかましいエンジン音を響かせてるので、熊の方が避けてくれてたかもしれない。
だけどガス欠でバイク押してる時に熊と出くわしたら……
こちらの装備はヘルメットぐらいしかない。さすがの熊もヘルメットは簡単に噛み砕けないはず、たぶん。だけど首とか胴体噛まれたらおしまいだ。気休めのプロテクターつきグローブなんて熊の爪や牙にしたらティシュペーパーみたいなものだろうし、ブーツすら履いてない。襲われたらヘルメット頭突きで対抗するしかない。
もしガス欠でバイクを押す事になっても、ヘルメットは絶対脱がないと決めた。
滑稽な事考えてると思われるかもしれない(自分でもそう思う)が、実際熊と至近距離で出くわしてしまった場合、とにかく夢中で抵抗して助かった例はいくつもあるらしい。本気で殺りに来られたらどうにもならないが、偶然遭遇しただけなら、熊だって痛いの、面倒なのは嫌だから、強者の余裕で見逃してくれるらしい。運が良ければだけど……
何にせよ、今一番の熊対策はガス欠しない事だ。それに熊と遭遇しなくても、現在位置もわからない山の中でバイクを押してさまよう事態は、是非とも回避したい。
ネガティブな思考が脳を支配し始め、いよいよ絶望しようとしていた時、突然光が見えた。
前方から、一台のバイクが走って来るではないか!?
私は焦る気持ちを抑え、無駄にガソリンを消費しないように、相手に警戒心を抱かせないように、トコトコゆっくりと近づいていった。
かなり古い、旧車?外車?
ビッグボアエンジン特有の低いドドッ、ドドッと迫力ある音を響かせ近づくそのバイクは、林道を走るにはもったいないほど古いバイクだった。一応オフロードっぽいタイヤは履いている。というか舗装路がない時代のバイクなのか?そう思うと逆に未舗装の林道にマッチしてるように見えてくる。
戦前?いやもっと前?モーターサイクル黎明期のバイクだろうか?旧車というより博物館に展示されてそうなクラシックなバイクだった。クラシックバイクには詳しくないので車種も年式もわからないが、アラビアのロレンスが乗ってたみたいなバイクだ。
乗り手の格好もまた、決まってる。昔の飛行機乗りが被ってたような革の帽子?飛行帽?にクラシックなゴーグル、スカーフにボワのついた革ジャンで決めている。
一瞬ヤバい人かも?とも思ったが、田舎だから許されるノーヘルも、長距離は無理そうなクラシックバイクも、地元の住民に違いないと確信した。
私がバイクを停めて挨拶をするとそのバイク乗りも停まってくれた。
近くで顔を見た私は、再び戸惑わされた。
ゴーグルはしたままだったが若い女性……しかもかなりの美人だとわかる。
田舎の変り者爺さんを予想してた私は、道を尋ねる事も忘れて、しばらく見惚れてしまった。
「なんだ、こんなところにいたのか?」
「えっ?」
唐突に女性の口から出た言葉に、思考はまったくついていけない。
「なんでもない。なにか用か?」
「あっ、えっと……道に迷ってしまって……」
「よく戻って来られたな。このまま進めばすぐに山里林道だ。そこからはわかるだろう?」
その謎の女性は、まるで私の状況をお見通しなように答えた。
「あの……」
「なんだ、まだなにか用か?」
「どこかでお会いしましたか?」
こんなところにいたとはどういう事か訊きたかったが、直球で訊くのは憚れる。
「おぬしに会った事はない。道に迷ったと言ったから、わらわは大変だったろうと思ったまでよ。山に入ったまま戻って来れぬ者もいるでな」
この辺りの山で遭難したという話は聞いた事がない。もしかしたらニュースにならないだけで稀にいるのかもしれない。つい先ほどまでの自分の経験からしても、遭難してもおかしくはない。それよりその口ぶりだ。自分より歳下と思ったけど、けっこうなお歳?いや今どき高齢者でも「おぬし」とか「わらわ」とか言う人はいないだろう。わざと使ってる?なりきってるの?なにかのコスプレだろうか?何のキャラかわからないけど、第一次大戦時代の飛行機乗りのような衣装もコスプレだとしたら納得できる。希少なクラシックバイクまで揃えてるとしたら、尊敬に値するオタクだ。この手のバイクを走れる状態で維持するには、かなりの知識と手間と、相当な経済的余裕を持ち合わせてないとできない。
「用がないのなら失礼するぞ。今日は大変な日であったからな。おぬしも気をつけて帰れ。せっかく助かった命じゃ」
助かった命ってなんだ?どういう事?命が危なかったって事?
私が訊く間もなく、彼女はステップに立ち上がり、右足に全体重を掛けるようにキックペダルを踏み込んだ。
“バッ、バッ、ドッカーン”
排気音というより爆発音と言った方が相応しい凄まじい音。爆音に慣れてるつもりの私でも思わず後ずさるほどの音を響かせ、古典的なバーチカルツインは息を吹き返した。2〜3回スロットルを煽ってアイドリング状態にすると幾らかマシになる。それでもカシャカシャという金属が擦れ合う音とともに“ドドッ、ドドッ、ドドッ”と排気管から吐き出され空気を震わせてる鼓動は、機械というよりまるで生き物のようで、猛獣の唸り声のようでもあった。並の女性ならコケティッシュになってしまいそうなそのファションも、めちゃくちゃ格好良く見える。
そのままギヤを入れて立ち去ると思ったら、もう一度振り向き大きな声で言った。
「おお、そうじゃった!山里林道に出て少し下ったところで娘が一人で困っておる。おぬし助けてやれ」
「えっ、娘って?」
「元はと言えばわらわの手違いだが、おぬしが早く来すぎたのも原因の一つじゃ。どんくさいあの娘が身代わりになったと言えなくもない」
まったく話が読めない。私が原因?身代わり?
「まったくどんくさい娘じゃった。何度やっても同じことしてしまいおってのぉ。おかげでわらわは本来の目的どころじゃなくなった。いや、捜してはおったが、まさかこちら側に入り込んでおったとは思わなんだ。まあわらわも今日は疲れた。あの娘も一人で帰れるか心配だからのう。おぬしの事は見逃してやるから、あとは任せたぞ」
クラシックバイクの排気音でよく聴き取れないところもあったが、たぶんこんなような事言ってたような気がする。もちろん私には何の事だかさっぱり意味がわからない。「見逃す」って、ここは立ち入り禁止だった?諸々訊きたい事が溢れ出したが、すでに彼女はバイクを発進させ、排気音と砂埃だけを残して走り去ってしまっていた。まあこの林道から無事抜け出せれば、細かい事はどうでもいいか……。
✳✳✳✳✳✳
謎のコスプレロリババア、もとい謎の美女の言った通り、すぐに山里林道に出た。とは言え、ガス欠の心配はまだ残る。田舎のスタンドには、「もう客来なさそう」とか、「孫の送り迎えがある」とかの理由で早く閉めてしまう自由な経営スタイルのところもある。熊と出くわす心配は薄まったとは言え、国道のスタンドまでバイクを押して歩くのは嫌だ。
山里林道に出て少し降ると本当に娘がいた。ヤマハのセローの傍らに座り込んでいる。上着の左肩から肘にかけて土がついている。肘のあたりは擦り切れてもいるようだ。どうやら転倒してしまったらしい。
コスプレした年齢不詳の美女の次は、転倒して途方に暮れてる美少女。男なら誰でも鼻の下伸ばしそうだが、こういうのはトラブルに巻き込まれるシチュエーションと相場が決まってる。だいたい知っていながら他人に「あとは任せたぞ」と行ってしまうのが怪しい。
とは言っても、転倒して自走できなくなってると思われる女の子を一人山ん中にほっとく事もできない。
「大丈夫?怪我とかしてない?」
一応、警戒心を抱かせないよう注意しながら声をかけた。
こちらはとびきり美少女というわけではないが、まあ可愛いと言って差し支えない。歳は……たぶん若い。10代に見えなくもないし、30近くと言われればそんな気もする。中をとって20代半ばぐらいにしておこう。
言っておくが、男であっても声はかけたぞ。同じライダーとして、否、人として、山ん中の林道で困ってる人を見過ごせない。
「ありがとうございます。ちょっと転んじゃって……」
それは見ればわかる。それより彼女の助けを求めるような視線にドキリとしてしまう。まあ私としても、このまま放置はできん。ロリババアの話じゃ私の身代わりとかなんとか言ってたし、意味わからんけどこれも何かの縁だ。
身体の方は肘と肩の打ち身以外、大した怪我はなさそうだ。問題はバイク。クラッチレバーが根元近くでポッキリ折れている。左側ステップとシフトペダルもひん曲がっているが、これはプライヤーでなんとか乗れる程度には戻せそうだ。
「スペアのクラッチレバーとか持って……ないよね?」
「すみません、初心者なので……」
世の中には予備のクラッチ&ブレーキレバー、前後のタイヤチューブまで常備するのは林道ツーリングの常識という人もいるらしいが、私も積んでない。過去に積んでた時期もあったが、一度も使わなかった。サハラ砂漠横断とかシルクロード走破めざすならともかく、日本の林道なら車載工具+ガムテープと針金ぐらいあれば大抵なんとかなった。それより怖いのはガス欠だ。
「初心者とかベテランとかあまり関係ないと思うよ。それに上手い人は転ばないからね」
自分がガス欠のピンチに立たされている事は棚にあげ、先輩風を吹かすと彼女が申し訳なさそうな顔になってしまう。自分で自分が恥ずかしい。
それにしてもセローのクラッチレバーが折れるなんて、一体どんな転び方したんだ?セローといえばわりと壊れ難いイメージがあるけど、実際所有した事ないからわからない。
「下から走って来て、そこのカーブ曲がったら突然軽トラックが目の前にいて……」
来る時、私がすれ違った軽トラかと思ったが、時間的に違うだろう。もしあのお爺ちゃんの軽トラだったら、この子はかなり長い時間座り込んでいた事になる。
「その軽トラは助けてくれなかったの?」
「たぶん私が転んだのも気づいてないと思います。ぶつかってないし、すれ違ったあとで転んじゃったんで」
「どういうこと?」
「軽トラックとの衝突はなんとか避けられたんですけど、ちょっとスピード出てて、急にハンドルきったからバランス崩して、あれ?あれ?って思ってるうちにあそこの大きな石に乗り上げちゃって肩からどっしゃーんと……。軽トラックはもうカーブ曲がってて見えなくなってました」
聞いてるだけで痛そう。よく鎖骨を折る転び方だ。骨折しなかっただけでも運がいい。軽トラのドライバーもさぞびっくりしたろう。見通しの悪いコーナーの手前では十分減速するのは林道の鉄則だぞ。
「それでどれくらいここに座り込んでるの?」
「う~ん、正確にはわかりませんけど、転んで『イタタタ』ってなって、バイク起こして『あら~』ってなってへたり込んだところだから、そんなに経ってないと思います。せいぜい30分ぐらいでしょうか」
自分が行きにすれ違った軽トラでない事に少し安心した。すれ違っただけの見ず知らずの他人でも、その後事故に関わってたらあまり気持ちいいものではない。正直、謎のコスプレ美女に「おぬしの身代わり」なんて言われたのも引っかかっていた。そんなはずあるわけないのに。
シフトチェンジは、クラッチ握らなくても回転合わせればできるとして、難しいのは発進だ。幸いセローは低速トルクあってセルモーターもついてるから、ローに入れといて少し押しながらセル回せば発進できるだろう。エンジンにはあまりよろしくないだろうけど、信号の少ない田舎道なら自走はできる。だけど初心者のこの子には……
「そんなの絶対無理です!ただでさえ発進苦手なのに、絶対転びます!」
だと思った。半クラッチ苦手なら、押しながら走り出す方が容易そうに思えるけど、この子の場合、上手く跨がれずバイクだけ行ってしまう光景が目に浮かぶ。
あとは彼女に私のCRM乗らせて、私がセローに乗るという手もあるが、さすがにトラブル抱えた他人のバイク乗るのは責任持てない。事故でも起こしたら面倒だ。それにCRMはセローよりずっとじゃじゃ馬だ。特に私のCRMはクラッチの繋がりに癖があって、オフロード仲間でも最初は大抵エンストさせる。
「セローは後日取りに来るとして、今日どうやって帰るかだな……」
私はわざとらしく考え込む仕草をしてみせた。
「あの……近くの駅まででいいんで、後ろに乗せていってくれませんか?おねがいします!」
これは彼女から言い出した事だ。私が誘ったのではないぞ。まあそう仕向けた気はしないでもないが、けっして若い女の子とタンデムしたかったとか下心とかないからな。
「う~ん、そうしてあげたいのはやまやまなんだけど、実は私のバイクもガス欠寸前で、いつ止まるかわからない状況なんだ。まして二人乗りで、駅まで行くのは……」
本当の狙いはこちらだ。もちろん若い娘とのタンデムが嫌なはずないのも事実だが。
「すみません……。そちらも大変だったんですね。私、自分の事しか考えてなくて……」
おいおい、簡単に諦めるな!諦めたら終わりだぞ。
落ち込んでしまった娘に、なんとか希望を持たせてやりたい。
「いや困った時ほど助け合わないとだから。そうだ!きみのバイク、ガソリンどれくらい入ってる?」
「ガソリンですか?えっと人里町の国道にあるスタンドで満タンにしたんで、半分以上はあると思います」
人里町の国道スタンドならたぶんあそこだ。あそこからここまでだいたい30kmほど。燃費のいいセローならほとんど満タンじゃないか!
「提案なんだけど、きみのセローは自走できないからここに置いてくしかない。そして私のCRMはガス欠寸前でいつ止まるかわからない。もしかしたら走り出した途端、止まってしまうかもしれない。だけどガソリンさえ入れれば、二人乗りで駅まででも、きみの家までだって乗せていってあげられる。国道のスタンドまで走れるだけでいいんだ。セローのガソリン、分けてもらえないかな?」
「どうせ走れないんだから、そんなのぜんぜんいいですよ。でもどうやってガソリン移し替えるんですか?灯油ポンプとか持ってないですよ」
私もポンプなんて持ってない。だけど長年バイク乗ってれば、こんな状況よくある。
「ペットボトルとか持ってるかな?」
「お茶のペットボトルならあります。まだ残ってるけど」
「OK!じゃあ今すぐ飲んじゃって。お茶ぐらいあとでいくらでもおごるから」
彼女がペットボトルを空にしてる間に、私はセローの燃料コックを閉めてキャブに繋がるホースを外す。手渡された空のペットボトルの口にそのホースを挿し込み、少しだけガソリンを入れた。最初はお茶が残ってるとまずいので、ガソリンですすいで捨てる。再びホースを挿し込んで、今度はいっぱいまで入れてCRMのタンクに注いだ。
「へえ、そんなところからガソリン抜けるんですね。でもペットボトルにガソリン入れちゃいけなかったんじゃないですか?」
羨望の眼差しに気をよくして口も軽くなる。
「本当はダメだけど、今は緊急時だから許してもらおう。それにペットボトルで保管や運搬するのは危険だけど、隣のバイクに移すぐらいなら気をつければ大丈夫」
よい子はマネしないでね。あくまで緊急事態なので。
それを6回ほど繰り返しセローの燃料ホースをもとに戻す。500㏄を6回だから計3リットル、これだけあれば二人乗りでも国道のスタンドまで十分保つだろう。CRMのタンクも閉め、空のペットボトルはキャップを外したまま潰して、ガムテープでタンクに貼り付けた。
セローを目立たない所に移動させ、彼女の持っていたワイヤーロックで立木とフレームを繋ぐ。常習のバイク泥棒がこんなところに来るとは思わないが、人目がないだけ逆に持っていかれる可能性もある。まあその気になれば何やってても無駄だけど、乗り棄てられたものでない事は示せるだろう。
「できるだけ早く引き上げに来た方がいいよ。あと場所わかるようにGPSに位置情報保存しといて」
似たような景色が続く林道は、後日どこだったかわからなくなる事はよくある。正確な位置を保存しておけば、本人が来なくても、バイク屋やそういうサービスに頼むにしても間違いない。
「でもここ、電波届かないんですよね」
そんなことはないはずだ。先ほどの枝道は届いてなかったけど、ここは集落の方に向いた山肌だ。障害物もないからいつも問題なく使える。私は自分のスマフォで確認すると、やはりアンテナはフルについている。
「あ、本当だ。さっきは通じなかったんですけど……」
「転んだ衝撃で一時的にダウンしてたかもしれないね。今は大丈夫?」
「大丈夫です。えっと現在地………保存、と」
私もスマフォに詳しくないのでなぜだかわからないが、唐突に固まって何もできなくなった経験はある。少しすると何事もなく使えるから謎だ。
念のために私も位置情報を保存しておいた。連絡先交換する口実などでは、断じてない。
「これでたぶんいいでしょう。暗くなる前に帰りたいから早く帰ろう」
日は長くなってきたとはいえ、道は大抵川に沿ってるから日没より早く太陽は山に隠れる。そしてCRMのライトは暗い。バッテリーレスだから回さないと更に暗い。
「家、遠いんですか?」
「バイクなら裏道で1時間半ぐらい」
セローのナンバーは私と同じ地域だった。たぶん混んでる国道をすり抜けもせず走って来たのだろう、1時間半とという時間に驚く事を期待した。
「それなら余裕ありますよね。私、乗せてもらうお礼に、どこかでお昼ご馳走します!」
「お昼って、確かに昼は食べてないけど山道は暗くなるの早いから」
「だってまだ1時少しまわったところですよ。まだ食べてませんよね。少し遅いお昼ごはんですけど街に出たら一緒に食べましょう」
何言ってるんだ?と思いつつ自分の腕時計を見た。
腕時計は、やはり3時15分を指してる。彼女は転んだ時、頭でも打ってるかもしれない。が彼女は「ほらっ」と言うようにスマフォの画面を私に向けた。
『13: 06』
慌てて自分のスマフォも見てみるが、彼女のと同じ数字を示している。しかし腕時計は相変わらずの3時15分あたり……
普通に考えて、私の腕時計が2時間以上進んでいると考えるべきだろう。基本電波の繋がったスマフォの時刻は正確なはず。
だけどバッテリーの十分あるクォーツ時計が2時間近くズレる事もそうそうあるものでもない。振動で狂ったとか知らないうちにリューズを回してしまってたとか原因はいくらでもあるだろう。だがそうすると、あの枝道に入ったのが正午少し前だから、1時間もいなかった事になる。だがガソリンはほとんど空になっていた。
はじめから腕時計が進んでいた?それしか考えられないのだが、今日は休日だからと朝遅く起きて朝食、この時点でプリキュアのエンディングを観てるから朝食終えたのが9時前後なのは間違いない。それから顔洗って着替えて、天気いいからバイク動かそう、ってなって整備してエンジンかけてで1時間として、そこから試運転がてらいろいろチェックしながらのんびり走って2時間……。枝道に入ったのは腕時計の時間で間違えない気がする。自分で思ってるより飛ばしてたとしても、2時間の短縮はありえない。
「どうしたんですか?思い出したら急におなか空いたんで、早く行きましょう!」
まあ考えても仕方ない。現実としてガス欠は回避できたし、私も腹減った。若い娘とめし食べよ。おっとその前にこいつを満腹にしてやらないと。
✳✳✳✳✳✳
「なんか不思議な話ですね。宇宙人に拉致されて、その間の記憶消されてたとか?」
「それなら知らない間に時間経ってただろ?私の場合、私以外の時間が止まってたんだ」
私たちは、国道沿いのファミレスで少し遅い昼食をとっていた。
それにしても宇宙人に拉致されたとか、大昔に流行ったやつだろ?最近また若い子に流行っているんだろうか。
「実は私も、不思議な体験したんです。言っても信じてもらえないだろうし、頭おかしいって思われそうなんですけど」
対抗してか、彼女も不思議体験の告白してくれるらしい。
「実は私、あそこの林道で転ぶ前に、軽トラックと正面衝突したんです」
「えっ?」
どんな不思議体験かと思ったら最初から力技できた。要するに単独事故じゃなく、軽トラとぶつかって軽トラは逃げていった、と言いたいのか?
だけどいくらなんでも無理がある。正面衝突したなら人にもバイクにも、もっと大きなダメージがあるはずだ。
「そういうことじゃなくて、夢か幻なんだと思うんですけど、凄いリアルで痛みとかも今まで経験したことないぐらい痛くて、胃から血とか中のものがあがってくる感覚も血の味も夢とは思えなくて、だんだん意識遠くなっていって、ああ私死ぬんだぁ、って本気で思いました」
「転んだ時、気を失っていたんだね。ヘルメットに衝撃受けた跡はなかったけど、ショックとか痛みで気を失う事もあるから」
「ちがうんです。私が正面衝突したのは、転ぶ前なんです」
確かに不思議だ。私が言うのもなんだが、彼女自身が不思議だ。
「転ぶ前に正面衝突したなら、転びようがないんだけど」
「そうですよね。だけどもう死ぬって思って意識なくなった瞬間、またバイクに乗ってるんです。そしてまた同じカーブに差し掛かって『あっ、ここ』って思ったら軽トラックが正面にいて、またぶつかってすごく痛くて……」
「今度は気をつけようとか思わなかったの?」
「だってまさか本当に繰り返しとは思わないじゃないですか。気づいたのは10回目ぐらいからです」
「10回も!?」
謎のコスプレロリババア、もといコスプレ美女の言ってた『まったくどんくさい娘じゃった。何度やっても同じことしてしまいおってのぉ』が頭に浮かぶ。
「それに気づいたのなら転倒事故も避けられたんじゃない?前から軽トラがやって来るのわかってるんだから」
「そう思いますよね、やっぱり。でも何回ぶつかってもやり直せるってわかったら、ゲームみたいな感覚で今度こそかわしてやろうとか、もっと攻めなきゃとか思ちゃったんですよ。だってせっかくのチャンスですよ。本当なら一回死んだらおしまいですけど、何回でもチャレンジできるんですから」
なんなんだこのポジティブシンキングは。これがゲーム世代か?
「こんな話、信じられませんよね?やっぱり……」
例の申し訳なさそうな顔で問われれば頭から否定できなくなる。
「よくわからないけど、すごく強い心を持ってるのはわかったよ。大丈夫、あなたなら異世界転生してもやっていける!」
後半は適当に言った。深夜のアニメでやってそうな話なので。
「待ってください!異世界転生だったら軽トラックにぶつかって、気づいたら中世ヨーロッパみたいな国にいて、悪役令嬢と勇者が魔術とか魔剣手に入れて魔王とか魔獣倒す物語で、繰り返しはタイムリープです。最近はヤンキーが暴走族で出世するみたいな」
「なにそれ?私にはよくわからん」
異世界転生とタイムリープの違いはなんとなくわかったが、ヤンキーの話はぜんぜんわからん。それにしてもアニメの話なったら急にテンション変わったぞ。彼女もオタクか?
「私も族の世界はよくわかりません。タイムリープはファンタジーというよりSFと親和性高くて昔タイムトラベルと言われてた系統の一つとの理解で大丈夫です」
「SFとファンタジーの定義もわからないんだけど」
今度はSFとファンタジーの話になってしまった。
「そんなのありません。勝手に決めればいいんですよ。作者がSFだって言えばSFだし、出版社がファンタジーって言えばファンタジーのジャンルになります。アニメ制作会社も映画会社もターゲットに合わさて使い分けてます。なので読者も視聴者も自分のこだわり基準で決めても否定されません。ただし、読んでない人、観てない人が批判するのは叩かれます」
要はそれぞれの都合で勝手に決めていいんだ。
「ちなみにきみの基準は?」
昨日までの私ならまったくどうでもいい話だけど、なんだか今日は彼女に少し興味ある。
「そうですね。感じた印象としか言えませんけど、あえて例えるなら、人類を滅ぼそうとする異星人、或いは暴走したスーパーコンピューターを倒すために何度もタイムリープするのがSF。神様が人違いで死なせてしまった主人公の時間を戻して、やり直しさせるのがファンタジーですかね、一つの例えですけど」
胸がぞわぞわした。なんだこの感覚は?
「話戻るけど、結局何回ぐらい軽トラックと正面衝突したの?」
「う~ん、30回ぐらいまでは数えてたんですけど、その倍は繰り返したと思います。あ、でも毎回戻ると怪我も痛みも全部なくなってるんで大丈夫ですよ」
いや、そういう問題じゃないだろ!それだけ同じ事繰り返してやっと正面衝突回避できて、だけど転んだと?どんくさいにもほどがある。
「ちなみに事故したのって、何時ぐらい?」
「友だちに電話かけようとしたんではっきりおぼえてます。電波届いてなくてできませんでしたけど。えっと12時02分だから12時ぴったりか少し前ぐらいですかね?」
(わらわの手違い)
(おぬしが早く来すぎたのも原因の一つ)
(あの娘が身代わりになった)
「…………」
本当なら私が死んでいたってこと?
「あの、どうかしたんですか?」
「なんでもない。今日は私におごらせてくれ」
「そんな、私がご馳走する約束じゃないですか!」
「いいんだ。ガソリン分けてもらったし、命の恩人におごらせるわけにはいかないから」
✳✳✳✳✳✳
後日、ツーリング仲間を誘って再びあの枝道に行ってみると(ガソリン満タンで)、100mほど先で金網のゲートで塞がれていた。
そこには、削られた山肌にずらりと並んだ太陽光発電パネルとそれを取り囲むフェンス、そしてゲートには『これより先、関係者以外立入禁止』と示されていた。