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永き眠りからの目覚め

作者: 結城 刹那


 1


「久留須さん、気分はどうですか?」


 意識が覚醒すると不意に私の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は意識を失う前に聞いた声とは全く別のものであり、なんだか違和感のある声だった。

 視界に映るものは誰もいない。にもかかわらず私を乗せた台車は動いていた。揺れる視界と体に伝わる振動がその証だ。


 まだ完全に覚醒できていないからか体に力が入らない。だから私は無人で動く台車に身を預けるしかなかった。台車に揺らされながら、私は意識を失う前のことを思い出していた。病院の内装や医者の姿、それから愛する家族の姿。そのどれもが今見える視界には映らない。


 私が見ていた景色とは全く異なる病院内を台車は無人に駆けていく。エレベーターに乗り、液晶パネルに21と映し出されたところでエレベータは止まる。

 ここも違う。私のいた病室は8階だ。それに21階なんて私が入院していた当初はなかった。エレベータが開くと、再び台車は無人で走り出す。


 そこでようやく看護婦の方々の様子が見えた。彼女たちの洋服は以前と変わらない。

 台車は個室へと入っていく。個室は自動ドアとなっており、台車を察知すると開き、台車が室内に入ったところで閉じた。台車はそのまま走っていくとベッドの位置まで向かっていく。ベッドに覆い被さるような体制になると、私を乗せた台がゆっくりと下がっていく。


 やわらかなクッションが圧縮される音が微かに聞こえると、ゆっくりと両側に開き、私をベッドに下ろした。ふかふかなベッドに寝そべりながら、私は顔を横に向けた。見えるのは液晶パネルに映し出されたカレンダーだ。


 2106年3月6日。


 私は思わずハッと息を吐いた。

 その数字を見て、ようやく今までの一連の流れを理解することができた。

 再び白い天井を見上げると、三回深呼吸をした。


「ようやく帰ってきたんだ」


 自分の声を確かめるように、目覚めてからの第一声を漏らした。間違いなく私の声だ。

 2036年3月15日に冷凍睡眠した私は、約70年の時を超えて永き眠りから解放された。


 ****


 小学生の頃、私は脳に病気を患った。体の筋肉が弱まり、生活に支障をきたすレベルだった。医者曰く、死亡する可能性は小さいとのことだった。しかし、完治することもないため生きている間は車椅子での生活が必須になるらしい。


 医者からの話を聞いた時、お母さんは泣いていた。お父さんは泣くお母さんの背中をさすりながら険しい表情を浮かべていた。まだ幼かった私は二人が悲しむ理由がわからなかった。死ぬわけではないのだから良いと思っていた。


 しかし、車椅子での生活を送り始めて3年が経ち、両親が泣いていた意味が分かってきた。みんなとは違う生活。みんなにはできて、私にはできないことがたくさんあった。制限の中で頑張ろうと思ったけど、外で元気に遊んでいる子どもたちを見て、どうしても自分と比べてしまった。


 私だけどうしてこんな体になってしまったんだろう。

 ふと脳裏によぎる思い。目尻からこぼれ落ちそうになる涙を必死に隠して、毎日を過ごしていた。私が悲しい気持ちを抱いてしまえば、自分の時間を割いてまで私の介護をしてくれる両親に申し訳ないと思ったのだ。


 でも、そんな私の思いは両親には筒抜けだった。

 ある日、お父さんとお母さんは私にとある資料を差し出した。それが『冷凍睡眠コールドスリープ』。難病を患った人に対して、治療方法が確立されるまで冷凍睡眠をさせるというものだ。


 すでに諸外国で実施している国もあるらしく、来年からは私の国でも実施される予定とのことだった。お父さんとお母さんは二人で話し合い、私に冷凍睡眠をさせるのはどうかと考えたらしい。


 来年には中学を卒業する。義務教育が終わり、社会と向き合い始める時期が始まる。その時期を障害を抱えたまま過ごすよりは、完治してから過ごすのが良いのではないかと両親は考えたらしい。


 彼らの気持ちがそうなのかは定かではない。もしかすると、私の介護に辛さを感じての提案かもしれない。卑屈な考えをするようになった私はそうも捉えてしまった。


 私は両親の提案を承諾した。

 どちらの考えだったとしても、冷凍睡眠することが正解なのだ。

 元気な姿になって、再び両親に会おう。私はそう考え、明るい未来に思いを馳せた。


 でも、それは間違いだった。

 病気の治療方法が確立された時にはすでに両親はもうこの世にはいなかった。


 ****


 冷凍睡眠から覚めて1年が過ぎた。

 1年という時間はあっという間だった。冷凍睡眠後の身体検査、治療の確認、治療の開始、治療後の身体検査、リハビリ。これらを1年かけて実施し、私はようやく自由な身体を手にすることができた。


 病院を出ると、晴れやかな陽射しに照らされた。

 以前と比べ、気温は穏やかになっていた。数十年間におよぶ人類の努力の恩恵だろう。

 私は空に微笑みかけると、足を前に出して階段を降りていった。最初のうちは数十分かけて降りていた階段も今ではものの数秒で降りることができる。


 ようやく普通になれた。そのことが何よりも嬉しかった。


 階段を降りると目の前に一台の車と老翁の姿があった。

 私よりほんの少し高い背。すっかりと白くなってしまった髪に、数の多いシワ。本当は私よりも年下なのに、彼からしたら私は孫のような存在だろう。


「ささ、姉さん。僕の家まで案内するよ。車に乗って」


 弟の日向ひなたは助手席のドアを開けると、私に入るように促す。容姿は変わっても、性格は以前と少しも変わらず、優しいままだった。私は「ありがとう」と感謝をしながら助手席に乗った。


 そこで私は少しだけ驚いた。車にはハンドルが見られなかったのだ。

 おそらく完全型自動操縦車であろう。以前、日向からもらった情報端末装置で閲覧した記憶がある。だが、実物を見るのは初めてだった。


 約70年が経ち、世界は大きく変わってしまった。それが分かっていても未だに些細なことで驚いてしまう。これからこの中で生きていくのかと思うとちょっと不安になる。でもそれ以上に、今は期待が大きい。


 運転席に座る日向は車に搭載されたカーナビで目的地を設定する。カーナビは車とリンクしているのか目的地が設定されるとひとりでに走り出した。事故が起こらないか心配になるが、「まだ一度も事故を起こしたことないから大丈夫だよ」という日向の言葉を信じる。


 車は病院を飛び出し、街の方へと走っていく。

 液晶パネルが映し出される道路。金属で作られた建物。変化する街行く人が着る服。全てがデジタルに繋がった街となっていた。


「姉さんに、退院祝いに渡したいものがあるんだ」


 二人してゆったり街の景色を眺めていると、日向が私に手を差し出す。

 握られていたのは一枚の封筒だった。『親愛なる我が娘へ』と書かれた封筒。亡くなったお父さんとお母さんの書いた手紙だった。


 私は日向の方を向く。彼は以前と変わらない優しい瞳を私に向け、ゆっくりと頷いた。

 封筒を反転させ、封を切る。中には一枚の便箋が入っており、両親から私宛にメッセージが綴られていた。


『親愛なる娘 由里香へ


 退院おめでとう。これからあなたは自由の身です。

 今まで抱え続けてきた不満を吹き飛ばすほど充実した人生が送れることを願っています。

 あなたの人生なのですから、あなたのしたいことを精一杯してください。


 また会えた時、あなたが過ごした人生の話を聞かせてください。

 私たちはいつまでもあなたを愛し続けています。


 あなたの父・母より』


 手紙にはそう綴られていた。

 短い文章。でも、それだけで私には十分だった。

 お父さんとお母さんは決して私を悪く思っていなかったのだ。それが知れて私はとても嬉しかった。

 

 だからだろうか、今まで溜め続けてきた気持ちが涙となって溢れ出てきた。

 私は強く泣いた。日向は私の背中をゆっくり丁寧にさすってくれた。

 両親の手紙で、私はようやく過去の苦しみから解放された気がした。


 きっとこれからは明るい未来が私を待っている。


 2


 70年後の世界は私が思っていた以上に変わり果てていた。

 

 メガネ、コンタクト、BMIによる視覚的情報通信技術の繁栄。

 生体認証に基づくパスワードの解除・電子通貨の入出金の確立。

 街や家での生活をサポートするヒューマノイドの登場。


 どれもこれも新鮮で、日々戸惑うことばかりであった。

 それでも、少しずつ私はこの世界の生活に慣れていった。

 人間の適応能力は凄まじいものだと、経験を通して思い知らされた。


 ****


 新しい年度を迎え、私は高校に進学することとなった。

 高校といっても、私の通う学校は『冷凍睡眠コールドスリープ』をしていた未成年が通う支援学校だ。そのため、学年が全く違う生徒たちが各々勉強をして暮らす事になる。


 私たちの年齢は出生から現在までの期間から冷凍睡眠期間を差し引いて算出される。そのため私は今年で16歳となる。


 私のクラスには同い年の女子が一人いた。

 名前は安藤あんどう 理沙りさ。彼女は私よりも遅く生まれており、約20年間冷凍睡眠をしていたらしい。ちなみに冷凍睡眠期間は学校の中で私が一番長かった。


「こんなん習ってないよーー」


 入学初日に受けた学力検査テストの答え合わせを二人で行っていると理沙が不意にそんなことを嘆いた。数学の『図形の相似』の問題だった。


「中学3年の時にやったじゃん」

「えーー、うそーー。やってない、やってない。全然記憶にないもん。賭けてもいい」

「んーーー、カリキュラムから一度消えてまた戻ったのかな。あ、でもこの問題『中学2年レベル』って書いてある。やっぱりちょっと変わってるね」

「いやいや、中学2年でもやってないって」


 同い年とはいえ、生きてきた時代が違うため、タイムカルチャーギャップによる会話のずれが起こることが多々あった。私のいた時代とは全く異なっているものもあれば、以前と全く変わらないものもある。それを探るのがなんだか面白かった。


 昔はこうして友達と気軽にはしゃべれなかった。みんな私の体を気遣い、下手なことは言わないと言葉を選んでいた。だから会話がうまく弾まなかった。

 でも今は違う。互いに冗談を言い合える。寄り道して遊んだり、旅行で遠出したりできる友達がいる。


 私はようやく夢のスクールライフを送れるようになったのだ。


 ****


「これ美味しい」


 私は理沙と自販機で買った『コオロギせんべい』を食べながら商店街を歩いていた。

 私の時代にもコオロギせんべいはあった。だが、コオロギなんて美味しいわけがないと思って毛嫌いしていたため食べたことはなかった。


 リサに勧められ、いやいや食べさせられたが案外美味しい。普通のせんべいの形をしているため口に入れるのを憚れないのもポイントが高い。一枚食べたら、もう一枚食べたくなるというお菓子のあるあるにちゃんと則っていた。


 理沙のいる時代では昆虫食は当たり前になっていたらしい。ただ、見た目が昆虫の形をしている食べ物ではなく、昆虫の栄養素を取った食品らしい。それなら私も食べられるかもしれないと思った。美味しいと分かっていても、流石に昆虫の形をした食べ物を口には入れられない。


「コラッ! 待て、ガキんちょ!」


 商店街を二人して歩いていると、不意に前方で男の人の怒鳴り声が聞こえた。反射的にそちらを見ると、店から出てきた一人の少年の姿があった。まだ少し肌寒いにもかかわらず、袖のないシャツに短パンを着ていた。服はところどころ破れており、見える肌は荒れている。


 少年は袋を抱えて私たちの方へと勢いよく走ってくる。少し経って、男の人が店から出てくる。エプロン姿の彼はおそらくこの店の店員に違いない。彼は何かを探すように首を左右に回すと、私たちへと顔を向ける。


「誰か! そのガキんちょを止めてくれ!」


 大声で叫ぶ彼に心臓が跳ねるのを感じた。なんだか自分が怒られたような気がしたのだ。でも、彼が怒っていたのは私たちの元を過ぎ去った小さな少年に対してだった。

 私はそれに気づいて後ろを振り返る。すると少年は別の店の店員に捕まっていた。店員は店の商品と思われるお菓子袋を必死に取り返そうとする。少年もまた必死な表情でお菓子を取られまいと抵抗していた。


 二人のやりとりに先ほどの男の人が割り入ってくる。すかさず少年をグーで殴ると少年は袋から手を離し、あえなく地面に倒れた。男の人は別の店の店員からお菓子の袋を受け取る。それから少年の腹を数回蹴った。


「てめぇ、二度とうちに来るな!」


 そう言って、最後に唾を吐くとこちらに戻ってきた。

 怖い形相の男の人に私は恐怖と憤怒を感じた。いくら店のものを盗んだからって、あんな貧弱な少年に暴力を振るうのは間違っていると思ったのだ。


 気づけば私は男の人に向けて足を一歩前に出していた。でもそれを私の肩に乗った手が牽制する。見ると、理沙が私を見ていた。彼女と目が合うと、理沙は首を左右に振り、「行こう」と私を引き戻そうとした。


 私は少年をもう一度見る。殴られた箇所が痛むのかお腹を押さえながらゆっくり立ち上がろうとしていた。放っておくわけにはいかない気持ちは山々だが、私が行っても何もしてはあげられない。仕方なく、理沙の言う通り前を向いて歩き始めた。


「私のいた時代にもちょくちょく居たんだ。時代が進んで捨て猫のように子供を捨てる家庭がでてきたの」

「身内の特定はできないの」

「できないらしい。こんな言い方をするのは嫌だけれど、大貧民が産んだ子供だよ。私が冷凍睡眠する少し前に制定された『出生規制』によって大貧民は子供を産むことを禁じられたんだ」

「そんな……」


 なんて可哀想なことをするのだろう。私はぎゅっと胸が締め付けられるような感覚に陥った。

 こんな進んだ時代なのに、私のいた時代にはなかった差別がこの国では生まれていた。


 ****


「難しい話だよ。こうなってしまった根本の原因は『技術が進歩しすぎた』になるからね」


 その夜、私は日向に今日あった出来事について話した。日向は長話になるかもしれないと思ったのか、2人分の紅茶を注いでくれると私の前に置き、向かい側の席に座った。


「技術が進歩しすぎた?」

「30年くらい前になるかな。世界で技術革新が起きたんだ。それで巨万の富を手に入れたこの国で非常に大きな格差が発生し、『超々格差社会』になってしまったんだ」

「超々格差社会……」


 確かに私がいた頃にもそんな話がニュースで取り扱われていた。その時は『超格差社会』なんて言われていたが、その差がさらに広まってしまったらしい。


「格差により大貧民なるものが生まれた。それで一時期『餓死』が流行してしまったこともある。政府はそれを防ぐために一定所得以下のものに対して『出生規制』を行うことにしたんだ。でも人間、欲望には逆らえない。大貧民たちは秘密裏に子供を産んでいた」

「その子供は政府にバレなかったの?」

「政府は住民登録しているものしか管理できないからね。秘密裏に生まれてしまった子供まで管理はできない。だからこそ、今この国には多くの非住民の孤児が存在する」


 なんてことだろうか。私が冷凍睡眠している間にそんな恐ろしいことが起こっていたなんて。きっと孤児は私のように普通の生活が送れず、寂しい思いをしている子たちが多いはずだ。彼らは私たちの姿を見て、そう思っているに違いない。


「何か彼らにしてあげられないかな」

「……姉さん。父さんや母さんから言われたことはまだ覚えている?」

「うん、もちろん。今でも手紙は大切に持っているから」

「そっか。僕も父さんと母さんと同意見だ。小さいながらも姉さんが苦しんでいたのは知っているからね。僕も老人だ。寿命も残りわずかだろう。でも、その間は姉さんがやりたいことを全力でアシストさせてもらうよ」

「日向……ありがとう」


 私は弟の目を見て、微笑みかける。体がどれだけ変わっても、心はあの頃のまま少しも変わってなかった。私だけじゃない。私に恩地を授けてくれた家族のためにも自分のやりたいことをしよう。


 弟が注いだ紅茶は時間が経っても冷めることはなく、温かかった。


 3


 私は商店街周辺を散歩していた。

 休日の商店街はたくさんの人で賑わっていた。大勢の客の中で目的の人物を探すのは難しいかと思われたが、案外簡単に見つけることができた。身だしなみが浮いていたのだ。


 建物の一角を盾に身を潜める少年の後ろに回り込み、ゆっくりと近づく。

 少年は前ばかり見ていてこちらの存在に気づくことはない。数日前にあんなことがあったと言うのに警戒心が無さすぎる。私はぎゅっと彼の肩を掴んだ。


「っ!」


 驚いた顔でこちらを振り向く。体を一歩後退させる。だが、すぐにその足が止まった。

 少年は私が手に持っている『お菓子の袋』に視線を向けていた。分かりやすい子だ。


「一緒に食べよ」


 私はニッコリ微笑んで彼に言う。彼は私を警戒するもゆっくりと頷いた。

 2人で建物に保たれて座る。お菓子の封を開け、少年に差し出した。彼は袋を持つとものすごい勢いでお菓子を食べる。よっぽどお腹が空いていたのだろう。


「名前は?」

風馬ふうま

「いい名前だね。ご両親は」

「いない。三年前に捨てられた」


 少年はあっさりそう言った。私がこの世界に適応したように、少年も今の環境に適応してしまったのだろう。だから両親がいないという事実をすっかり受け入れてしまっている。


「そっか。辛かったね」

「うん、すごく。将来も不安だし。死んじゃった方が楽かななんて思ったりする」


 目尻には涙が浮かんでいた。まるでお酒を飲んだかのようにお菓子を食べた少年は自分の気持ちを素直に吐露する。私は自然と少年の頭を撫でていた。頬に涙が伝う。私も泣いているみたいだ。


 彼の想いが聴けただけで今日ここにきた甲斐があった。

 すると、不意に視界に緊急通話が入った。相手は日向の妻。私はすぐに通話を入れた。


「由里香さん、主人が倒れました。今病院に向かっておりますのですぐに来ていただいていいですか?」


 彼女の言葉に私は目を大きくした。いつか来ると思っていたが、その時はあまりにも早すぎた。私は立ち上がるとバッグに入った水筒を少年の横に置く。

 そのまま少年の顔を見ることなく、病院の方へと走っていった。


 ****

 

「あと保って3ヶ月と言ったところでしょう」


 医者から受けた宣告に私は頭の中が真っ白になった。

 日向の妻は冷静に「そうですか」と答える。彼女の表情を見ると涙ながらも覚悟していたように感じた。それから医師から延命措置等の説明を受けることとなった。


「ねえ、おばさん」


 病室を出るや否や、私は彼女に声を掛ける。他の誰かに聞こえないように小さな声でしゃべった。


「おばさんは日向が『末期のがん』だってこと知っていたの?」

「……ええ」


 束の間、リアクションに困っていたものの観念したようにあっさりと肯定した。


「どうして治療しなかったんですか?」

「……これからする話は主人には内緒にしていただいていいですか?」


 私は彼女の言葉にゆっくりと頷いた。

 

「がんが発見されたのは由里香さんが冷凍睡眠から冷める1ヶ月前のことでした。当初は治療を受ける予定だったのですが、由里香さんが目覚めたことで治療を受けるのをやめたんです」

「どうして?」

「あなたに未来を託したいと主人はおっしゃっていました。自分はもう満足するほど長く生きた。だから、これから楽しく生きる由里香さんのサポートをすることを最後にしようと思うとおっしゃっていました。自分のせいで由里香さんをまた不自由にはさせたくなかったのでしょう」

「そう……なんですね」


 私はどうしてこんなタイミングで目覚めてしまったのだろう。もし、眠りから覚める前に知ることができたのなら、タイミングをもう少し遅らせてもらうよう頼んだのに。なんて絶対不可能であろうことを思ってしまう。


 一瞬、ネガティブな気持ちが私を襲うが、日向に言われた言葉を思い出す。

 きっと、私が今するべきことはこうやって悔いてしまうことではない。


「ねえ、おばさん。日向の最後まで一緒にいてあげてください。私は最後にやるべきことを思い出しました」


 彼女は私の言葉に優しく微笑み、「はい、分かりました」と頷いた。


 ****


 それから2ヶ月半が経過した。

 ベンチで書籍を読んでいた私の視界に緊急通話が入った。

 ついに来てしまったかと、戸惑い躊躇しながらもゆっくりと通話開始のボタンをタップした。最後の最後まで杞憂であってほしいと願ったが、そう現実は甘くない。


「由里香さん、すぐに病院に来てもらっていいですか?」


 その言葉を最後まで聞く前に私は走っていた。通信機器で近くにある空席のライドシェア車と連絡を取る。ライドシェア車はすぐに現在地へと来た。

 車に乗り、走らせること10分ほどで病院へと辿り着く。ドアを開けると、走って日向のいる病室へと向かった。


 日向っ!


 言葉は喉元でつっかかり、声となって出なかった。

 たくさんの看護師、看護婦が日向のベッドのそばにいた。その中にはおばさんの姿もあった。彼女は私の存在に気づくが、すぐにベッドの方へと顔を向ける。


 私はゆっくりと歩いていき、日向のいるベッドを見た。

 余命宣告をされて最後まで日向に会うことはなかった。会ってしまえば、私はおばさんから言われたことを話してしまうだろうと思ったから。日向を失望させたくなかった。


 久々に見た日向の姿は以前とすっかり変わってしまった。

 痩せ細ってしまった体に、髪はすっかりと抜け落ちてしまっていた。私が近くに歩み寄ると重そうな瞼がゆっくりと小さく開く。


「日向……」


 ようやく声が出た。日向は目だけで「姉さん」と私を呼んだ。

 私は目尻に溜まった涙を抑えながら、日向と視線を合わせる。病室には日向が生きていることを証明する一定周期の音が流れる。


『あのね、日向。私、やりたいことが見つかったよ。

 孤児たちのための施設を作ろうと思うの。きっと彼らは今、幼少期の私と同じように不自由な生活を送っている。生きるだけで精一杯の日々。そこから解放して、自由をあげるの。そうすれば世界はより平和になる。


 そのために精一杯頑張ろうと思う。今は猛勉強中。70年も寝てたから覚えることが多くて大変。でも、少しも苦じゃないよ。すごく楽しい。


 もし、天国に行ってお母さんとお父さんに会ったら伝えてあげて。

 私を産んでくれてありがとう。不自由な私を自由にしてくれてありがとうって。

 そして、日向。辛かったよね。ごめんなさい。そして、ありがとう。あなたがいてくれたからこの世界でもやっていけたと思う。家族みんなの意思を今度は私が引き受けるよ』


 心の中で、日向に訴えかけるように伝えた。

 日向に届いているかはわからない。でも、私が言い終わると日向の口元が少し柔らかくなったように感じた。


 一定周期だった音は、時間間隔を忘れたかのように長い音を出し続けた。


 4


 それからの日々はあっという間に過ぎ去った。

『年々老いていくこと』と『楽しい時を過ごすこと』の相乗効果による結果だろう。


 支援学校を卒業し、国内随一の大学へと入学した。そこを首席で卒業した後、海外の大学へと進学。主に社会学を学ぶとともに、必要な知識は余すことなく培った。


 両親がくれたのは命だけではない。

 秀でた才能が私にはあったのだと、勉強していく最中で思わされた。

 命が尽きることなく、才能を発揮できたことに毎日のように感謝した。


「では、ノーベル平和賞を受賞した『早瀬 由里香』さんにお話を聞こうと思います」


 渡航を終えて帰国すると、報道陣が私の方へと駆けてきた。

 海外の大学で学問を深めた後、私は孤児の保護施設を作るため『厚生労働省』へと参入した。それからいくつもの施策を重ねた末、ようやく孤児の施設を建設することに成功した。


 その功績が世界に認められ、私は栄誉ある賞をいただくことができた。


「この度は栄誉ある賞をいただき、とても光栄に思います。

 私は生まれつき体に難を抱え、不自由な生活を送ってきておりました。それを見かねた父と母が私に自由を与えるために、共に過ごすはずだった時間を犠牲にし、冷凍睡眠による治療を受けることを選んでくださいました。


 70年経った世界で困惑していた私を年老いた弟がサポートしてくれました。彼はがんを患っていたにも関わらず、そのことを隠して私を全力でサポートしてくれました。家族の力があったからこそ私は今ここに立てております。


 これからは家族のためにも、私が実現したい『不自由のない自由な生活』に向けて、まずは第一歩を歩むことができた『孤児の保護』に取り組み続けていきたいと思います。私の命がある限り、頑張ろうと思いますので、どうか応援よろしくお願いいたします」

 

 話を終えると、報道陣を含めた観覧者の皆が拍手を送ってくれた。

 両親から授かった命と家族が支援してくれた身体のおかげで今の私がある。

 だからこそ、これからも自分のやりたいことを実現していこう。


 いつか家族と再会を果たしたとき、自信を持って私が送ってきた人生を語れるよう、これからも精一杯頑張ろう。そう強く願いを込めて、私は深々とお辞儀をした。

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