第五十七話 A組、B組、D組
瀬名と別れ、自分の教室に向かおうとした矢附だったが、その足でそのまま奈菜の姿を探しに行こうと決めた。だが、数歩踏み出したところで、ふと、妙な違和感に気づく。
──自分の教室に戻る。
瀬名にそう言われ、矢附も頷いていた。けれど、それはおかしい。
瀬名と矢附は、同じクラスだったはずだ。バレーボール部の部長と部員。監視する側とされる側。そういう関係だった。
にもかかわらず──さっき、階段を上った先で瀬名と別れたとき、彼女は矢附とは違う方向に歩いていったのだ。
瀬名の向かう先は、C組やD組の教室が並ぶエリア。けれど、二人が所属するはずの教室は、二年B組。奈菜がいると思われる二年A組は、そのさらに奥にある。
このズレは、偶然のはずがない。
──追いかけるべきか?
それとも、まず西生奈菜に会いに行くべきか?
迷った末に、矢附は踵を返した。これ以上、他人任せにするわけにはいかない。どうにもできなくなる前に、自分で動き、確かめなければ。
瀬名の後ろ姿を探し、廊下を進む。すぐに追いつけると思っていたが、思ったよりも距離が離れていた。
やがて、瀬名は二年D組の教室に入っていった。
そこは、二人の教室ではない。まるで当然のように違う場所へと向かうその様子に、矢附は胸の奥がざわめくのを感じた。
早足になりながら、教室の入り口まで近づく。
「おはよう、朋美。まぁた眠そうな顔して。昨日もバイト遅かったの?」
瀬名の声が聞こえる。教室の中にいるのは、笠原朋美。
茶色のショートボブに、くりっとした瞳。柔らかそうな唇に、どこか可愛らしい丸みを帯びた体型。座っていても背が高めなのがわかる。
「うん、そうなの。今のバイト先さ、すごくいい雰囲気でね。つい、残業も引き受けちゃって。あ、高校生がやっちゃいけない時間まで働いてたのはナイショね。ワガママ言って無理に残らせてもらってるから、あんまりバラすとバイト先に迷惑かかるかも」
矢附にとって、笠原は「どこかで見かけたことがある」程度の存在だった。
名前も、誰かから聞いた記憶があるような──そんな、ぼんやりした印象しかない。
中学時代は別の学校、高校ではクラスも部活も違い、特に係で関わったこともない。なのに、どこかで確かに、対面した記憶がある。それがなんだったのか、思い出せないまま胸の奥に引っかかっていた。
「……あれ、矢附さんだよね?」
覗き込むようにしていた視線に気づいたのか、笠原が小さく手を振ってくる。
その言葉に瀬名も気づき、軽く目を見開いた。
「どうしたの、矢附? ……私、何か忘れてたっけ?」
瀬名が口にしたその問いに、矢附はさらに違和感を覚える。
彼女は常に部長として上に立ち、相手に落ち度を問う立場を崩さないはずだった。だが今の口調は、まるで自分に非があるかのような、そんな言い方だった。
「違うの……その、笠原さんに用があって」
「え、私?」
咄嗟に出た言い訳。けれどもちろん、笠原に何か用があるわけではない。次の言葉をどう続けるか、矢附は内心で焦った。
交流もない相手に話題を繕うのは難しい。それでも、笠原は不思議そうな顔をしながらも席を立ち、入り口まで歩み寄ってきた。
笠原自身、矢附に特別な印象は持っていなかったが、どこかで見たような気がした。最近、瀬名に声をかけられるようになってから、少しだけ周囲に目を向けるようになっていたこともある。
「えっと……笠原さん、西生奈菜さんがどこにいるか、知ってますか?」
思わず出たのは、さっき迷ったもう一つの選択肢だった。
偶然かもしれない。でも、何かがこの流れに繋がっているような気がした。瀬名、笠原、奈菜──その関係に、導かれているような。
「西生さん? えーと……あんまり詳しくないんだよね」
だが、その“知らない”という一言もまた、矢附にとっては一つの収穫だった。
違和感を覚えたものの、そこに何もないと判断できるなら、それも前進だ。
「教室にいなかったなら、登校してないか……あ、図書室は? 西生さんって図書委員なんだよね。私も同じ図書委員なんだけど、私とかは仕事サボりぎみでさ。西生さんが私たちの分まで真面目に働いてて、放課後の準備とか、朝のうちにやってるって聞いたことある」
そう言って、笠原は窓の向こう──校舎の四階隅にある図書室の方を指さす。
「バイト始めてから、仕事の大切さ、準備の大切さを実感してるんだよね」と照れたように笑った。
「ありがとうございます。図書室、行ってみますね」
矢附は深く頭を下げた。話の断片が、またひとつ繋がったような気がしていた。
「あ、待って。せっかくだし、私も行くよ。……ほら、図書委員の仕事、やるチャンスって感じで」
笠原の申し出に、矢附は頷いた。断る理由もなかった。
二人が並んで廊下を歩き始めると、背後から瀬名の声が飛ぶ。
「時間、気にしなよー!」
いつものような調子で、けれどどこか、見守るような響きが混じっていた。




