#5 模擬戦という名の
「うぅ……恥ずかしかった」
魔法実技の授業が終わり、教室へ戻る道中。赤面するネムは、手で顔を覆っている。
「魔法学園で魔法が使えないなんて、私だけです……」
そう、先程の授業、ネムだけが魔法を行使することができなかったのだ。
「でも、ネムはその分、座学が得意じゃん」
「そうですけど……」
彼女にとって、できることの自信より、できないことの不安の方が大きいようだ。ユアは真逆の性格のせいで赤点を心配されているようだが。
「それにしても、エルンさんはすごかったですね」
羨望の眼差しで、ネムは言った。
ほんの少しの詠唱であれだけ巨大な火球を出現させた。見ただけでは何とも言えないが、《禍焔糾》の魔法陣は非常に複雑なもののようだった。ネム然り、他の生徒でもあの魔法を再現することは難しいだろう。
エルンだからこそ行使することができた、超高火力の魔法。あれに魅せられない者などいない。彼女に取り巻きがつくのも納得だ。
「そうだね、やっぱりエルンの方が素質ある気がする」
お世辞などではなく、ユアの本心だ。しかし――
「――嘘よっ‼」
廊下に強く響く声。怒気と哀情に支配された叫び。
弾かれたように振り返るネムと、それとは対称的に、平然と振り返るユアとアストランティア。
案の定そこには、憎悪に満ちたジオグラスの魔女の姿があった。
「……どうして、本気でやらなかったの?」
取り巻きたちも距離を置いてしまうほど、エルンの感情は溢れ出していた。
「あなたなら、容易に私より高い点数をとることができたでしょう?」
「でも、そうしたら僕は賭けにまけちゃうからね」
ユアはエルンに賭けた。確かに、エルンが最も高い点数を出さなければユアは賭けに負ける。冷静に考えてみると、合理的な判断だ。プライドを度外視した、最も合理的な勝ち方。
「……悔しいけれど正論ね」
彼女の雰囲気が変わった。落ち着き払って、それはまるで、いつものエルンのように思えた。
「今日の放課後、またこの教室に来なさい」
そう言うエルン。しかし、いつもの毅然とした態度に加え、冷ややかな眼差しがユアに突き刺さる。
「放課後? 別にいいよ」
「ふふっ、待っているわ」
これも平然と答えるユア。
エルンの口角が密かに上がったのは、特に気に留めなかった。
* * * * *
大変な一日がほぼ終わり、あっという間に放課後。
ユアとアストランティア、そして心配性のネム。三人は魔法実技室に入った。
「早いね、エルン」
「私が呼び出したのだから当然でしょう」
部屋にはエルン、そして彼女の取り巻きたちが待ち構えていた。
「それで、何の用?」
「単刀直入に、ユア、あなたに模擬戦を申し込むわ」
そう言うと一歩、こちらへと近づく。
「私とユアの一対一。この部屋から出ない、この結界を破らない。それ以外の禁止事項は特にないわ。そして――」
エルンはそこで一度、言葉を切ると、言い放った。
「――この模擬戦は、相手が負けを認めるまでよ」
自信に満ちた笑みを浮かべるエルン。
ユアは彼女の提案した模擬戦のルールを脳内で反芻する。この部屋からでなければ特に禁止事項はない。相手が負けを認めるまで続く、ということだ。
「あー、いいよ。やろう」
まるで考えていない返事。もはやイエスマンだ。
「……後悔しないことね」
取り巻きの中から一人呼び出すと、彼に審判を任せた。
ユアとエルンが前に出る。
エルンは完全に戦闘態勢。いつでも魔法を行使できる状態だ。
対してユア。彼は一見すると、何の準備もしていないよう。まさにその通りで、本当に何の準備もしていない。立っているだけだ。
「模擬戦、始め!」
審判役が手を振り上げ、模擬戦が開始された。
先手を打ったのはエルン。即座に掌を正面に向け、魔法を行使する。
「《炎穿》! 《朱烈》っ!」
二種の魔法陣が展開される。一方からは鋭い炎の魔力弾が。もう一方からは拳大の火球が放たれる。それぞれが異なる速度で飛来。ユアに波状攻撃を仕掛ける。
広範囲に及ぶ攻撃に、しかしユアはゆっくりと腕を振り上げたのみ。防御魔法を展開するでもなく、対抗して攻撃を行うでもない。ただ腕を上げただけ。
「っ⁉」
すると、エルンの放った魔法が、ユアに届く前に崩壊していく。波状に飛来するそれらすべてが、そこから消滅した。
「魔力の節約はいいことだけどね」
余裕を含む顔で言うユアに、エルンは眼光を返す。
彼の言う通り、最初は魔力をあまり消費しない魔法を選んだ。しかし、そのような魔法では簡単に対処されてしまう、とユアは暗に言っている。
「いいわ、それならっ!」
魔力消費など気にしない。一気にきめる。
この勝負で勝つ。勝たなければ、ジオグラスの魔女としての威厳が保てなくなる。ジオグラスの者は、常に上に立つ者でなければならない。だから、絶対に負けることはできない。
両手を掲げ、これまで以上に魔力を注ぎ込む。持ち得る頭脳のすべてを稼働し、難解複雑な魔法陣を構築する。
「《炎殲亡無堕》っ‼」
二つの魔法陣が繋がれ、一つになる。そこから現れるのは、まさしく太陽。その巨大さ然り、熱量然り。そして渦巻く太陽は無慈悲にもユアへと発射される。
あれが直撃すれば、無傷ではいられない。ユアが軽く視ただけでも、相当、練度の高い魔法に違いない。あれは手で振り払った程度ではどうしようもない。
「エルンが本気出してくれたし、僕もちょっとだけ、――《暗繭転矢》」
そう唱えると、赤紫の魔法陣が七つ展開され、それぞれ魔力弾を打ち出す。
だが、魔力弾程度では、太陽は壊せない。火力不足だ。
「できる抵抗がその程度? 笑わせないで!」
再び《炎殲亡無堕》を撃つ準備をするエルン。
しかし、二撃目を放つ直前、ようやく彼女はその異変に気付いた。
物凄い速度で、一撃目の太陽が収縮していいっているのだ。
それに気付くと、エルンの本能が叫ぶ。――上だ、と。
「くっ……⁉」
見開いた目には、無数の火炎弾が映った。まるで雨のように、火の球が降り注いでいるのだ。
咄嗟に二撃目の太陽を上空に放つ。
「きゃああっ‼」
無数の火炎弾とぶつかった太陽は、相殺され爆散。消滅する。
一体何が起こっているのか、当のエルンも理解が追いつかない。ただの魔力弾が《炎殲亡無堕》に対抗できるわけがない。
「何を、したの?」
「ただの転移魔法だよ」
転移魔法、と彼はそう言った。だが、どのタイミングで発動した?
そう自分に問うと、解った。
「あの魔力弾?」
「そうだよ。魔力弾に転移魔法の術式を入れ込んだだけ。意外と簡単なんだよね」
つまり、転移魔法の術式が刻まれた魔力弾で、すこしずつ《炎殲亡無堕》を削り取り、エルンの頭上に転移させた。
転移魔法をそのような用途で用いるとは、考えてもみなかった。恐るべき発想力だ。
「はあ、疲れたー」
踵を返すユア。エルンはそれを制止する。
「待ちなさい! まだ模擬戦は終わってないわ」
「えー、いいじゃん。友達なんだから、明日にしようよ。約束は破んないから」
「あ、ちょっと、ユアさん!」
そう言い残して、ユアとネム、アストランティアは出て行ってしまった。
しかし、これはエルンにとってもメリットはある。ユアに勝つための対策を練る時間が与えられたも同然。
「……ユア・イストワール、勝つのは私よ」