#13 雪の華
《転移》の魔法が完了すると、目の前の光が解け、外界が現れる。目の端には木々があり、遠くには寮が見える。
ユアが転移したのは、女子寮から少し離れた場所。
「……向こうだ」
ここに来た瞬間、解った。
はやり寮の方から、異様な気配を感じる。とても邪悪で、凶悪なもの。そして、その最悪な気配の深淵に、感じたことのある気配があることに気付いた。
いてもたってもいられず、ユアの足は加速する。木々の間を縫い合わせるように、寮の方へと駆ける。そして気配は強くなっていき、同時に複数の気配があることに気付く。ユアはさらに足を速めた。
女子寮をぐるっと回り、反対側に出ると、――見つけた。
巨大な立方体。それがそこにあった。そして、その内部からすべての気配、魔力を感じる。エルンはこの中か。とにかく、ユアの第一目標は、この中に侵入すること。
その立方体に触れると、それの様々な情報を視る。当然だが、これは魔法の一種。そして、特性として魔法の反射を持ち得る。外界を遮る壁としては、かなり完璧な造りだ。しかし、彼にとっては、何の問題でもない。
「《繋結解》」
魔法壁にさらにその魔法陣を描き、起動する。ガラスが割れたような軽快な音がして、立方体が粉々になる。
「エルン……っ‼」
雪のように輝く魔法の欠片。それに包まれて、何人もの人影が見えた。
その中の一人。とても見知った、しかし初めてみる容貌。たった一日ぶりの邂逅。それでも、ユアは叫んでいた。
最悪に近い状況だった。地面は抉り取られ、いくつもの穴が空いており、まるで飾り付けのように、血が流れていた。そしてその血は、言うまでもなく魔堕人、エルンが源であった。
戦況は一目で理解できる。それほどの悲惨さだった。
「領域魔法が……」
自体を把握しきれない先生方。だが、その中でもミラリアだけはユアをはっきりと見据えていた。
「ユア・イストワール……どうしてここにいるのですか」
「エルンを助けるために決まってるじゃないですか」
「助ける……?」
視線を険しくし、彼女は言った。
冷たい現実を、少年の理想に突き刺す。その覚悟として。
「不可能です」
莫大な魔力が膨れ上がるのを感じ、ミラリアは言いながら防御する。
先程と同じパターンの、爆発系の魔法が辺りを包むが、それは難なく防がれる。実力者がこれほどに集まれば、魔堕人とて敵ではない。尤も、エルンの場合は完全な魔堕人ではないが。
それゆえ現状、魔堕人よりも、ミラリアとユアの間にある火花こそが真の戦場だった。
「エルンを助けます」
「不可能です」
「できます」
「何度言えば解りますか」
「何度言われても、僕はエルンを助けます」
現実を見ない子供だ。彼の言うことは、まさに理想。笑止千万だ。
「……魔堕人が何か、解っていますか」
ミラリアとて、彼女を助けられるのならそうしたい。だが、それができないのだ。この世で誰一人として、魔堕人の状態から回復した者はいない。前例もなく、方法も判らない。そもそも、魔堕人というシステムが不明なのだ。
原因不明の病が治せないのと同じだ。
「――はい。当たり前です」
だから、易々と返答するユアが、口先だけとしか思えない。知ったようなふりをして、敢えて危険に身を晒す。それだけは、させられない。
ミラリアは一つ、ユアの勘違いに気付いた。彼は最も重要なことを理解していない。
「だとしたら、あなたも解っているはずです。――あれはもう、エルン・ジオグラスではありません」
その容貌は既に人の面影を薄くする。根源から発する魔力さえも、人間とは思えない。その奇怪な存在は、エルンである以前に、人ですらないのだ。
「いや、エルンはエルンです」
ひと際瞳に力を込めて、ユアは返した。
「魔力のもっと奥に、まだエルンの気配を感じますよ、ほら」
魔堕人が魔法陣を展開。その数は十二。追い詰められていた割には余力があるようだ。
通常、このタイミングから魔法発動までの間が、最も魔力を強く感じられる。感覚を研ぎ澄ますと、確かにユアには彼女の気配が感じられた。邪悪な魔力に包まれ、今にも消えてしまいそうな気配。――まだ、エルンは生きている。
しかし、一秒も経たずに構築を完了した魔法陣。あとは瞬き一つも無い内に発動する。
ある者は魔法防壁を展開し、ある者は相殺する力を籠め、またある者は――
「っ⁉ ユア・イストワールっ‼」
命の重さを知らないのか。ユアだけは、生身で突っ込んでいく。その行動には、誰もが驚愕を隠せなかった。文字通りの自殺行為。しかし、彼を引き戻すことはできない。
「ガアアアァァァッッ‼」
ユアを止めようと一歩を踏み出す前に、膨れ上がった魔堕人の魔力が爆発する。炎は周囲を飲み込み、そして、彼も。
獰猛な熱風と灼熱が、視界を白く埋め尽くす。あまりの高温に、全身が焼け爛れてしまいそう。
ミラリアは強く歯を食いしばった。この攻撃に耐えるため。愚直な行動を恨むため。己が弱いため。
ただ、この爆炎が収まることを望むことしかできない。そんな自分を憎ましく思う。
時間にして四秒ほど。放射される炎が止むと、白光していた視界も回復する。
その土煙の先に人影を捉えると、ミラリアは魔法陣を展開する。三重の魔法陣を組み合わせた結合魔法。それを一息に構築すると、魔力を装填し起動する。
――確実に、魔堕人を殺せる魔法を。
「《銀雪華千々》」
魔法陣から穏やかな流れで雪が出現する。その光景だけを見れば、ただの一芸のような魔法。しかし、その魔法は決して一芸では済まされないもの。
《銀雪華千々》。それは魔素自体を凍結させる魔法。ゆえに、世の中の殆どのものを凍結させることができる。無論、魔堕人となったエルンでさえも。奴の炎さえも凍らせ、そしてその命までも凍らせる。
ユアのことは考えないようにしていた。
九を救い、一を見捨てる。いや、ミラリアにとっては三千を救い、一を見捨てる。学園の生徒の数で考えると、選ぶべき選択は一つだけだった。
魔法を撃ち込んでからは、いくら経っても魔堕人の反撃はない。
空気中の魔素が凍結し、辺りを白く包む。
冷気に身震いする余裕がある点を見ると、どうやらそうらしい。――対魔堕人戦は、ここに終結した。
――そう思っていた。
2023/07/19 ルビ振りの修正




