#11 魔に落ちた者
「魔堕人が出た‼ 避難しろっ‼」
そんな叫びを聞いたのは、ユアたちが食堂を出たときだった。
「魔堕人?」
その単語の意味を知らなったユアは平然としているが、周囲は全く違った。
「魔堕人だと⁉」
「どこに出たんだ‼」
「おい、早く逃げるぞ‼」
食堂は一瞬にして大騒ぎ。もはやディナーどころではない。
「ゆ、ユアさん! 私たちも避難しますよ!」
「え? ああ、うん」
何が何だか分からないが、言われるがままネムに連れられる。大慌てで進む窮屈な行列に、仕方がなく付いていく。
「ネム、魔堕人って何?」
「今はそれどころじゃ……って、知らないんですか⁉」
進行する人流に付いていきながら、ネムは解説する。
「魔堕人は、自分自身の魔力に吞み込まれた、『怪物』のことです」
「元は人ってこと?」
「……そうです」
その肯定には、どこか躊躇いの色が見えた。その原因を、ネムは自ずと語ってくれた。
「そうですが――魔堕人になった人たちが人に戻ったという記録は、ありません」
いつもは察しの悪いユアだが、今回ばかりは何となく解った。
魔堕人となった人々は、怪物の姿のまま生きているか、それとも生を終えたか。その二択のみということだ。
ネムは、魔堕人となってしまった者を憂いているのだ。その者はもう、助からないから――。
「着きました、魔草農園です」
しばらく行くと、大きな農園が現れる。今回の避難場所。主に魔草の類を栽培している、魔草農園だ。恐らく、魔堕人の出現した場所から最も離れていたのがここだったのだろう。
ほぼ全校生徒が集まって来るので、人口密度は非常に高い。
それだけに、様々な話し声が聞こえてくる。女子寮で出たとか、魔堕人になったのは一年生だとか、女子寮が燃えたとか。結局のところ、その真偽は不明だ。みんな、不安を紛らわすために、喋っているようなものだ。
しかしその中から、少し違った声が聞こえた。
「エルン様っ‼ エルン様っ‼」
大きな声でエルンを呼ぶ少女。ユアは彼女に見覚えがあった。
「あ、君、エルンの後ろにいた子だよね」
確か、エルンの取り巻きの一人だ。エルンを敬称付きで呼んでいる辺り、間違いない。
「っ、ユア・イストワール⁉ エルン様を見てないか⁉」
ユアの両肩に手を置いて、彼女は必死にそう訊く。
彼女の表情はひどく青ざめており、額には汗が浮かんでいた。その様子だけでも、相当エルンを探していたのだろうと想像できる。
しかし、ユアは彼女の期待に応えることはできない。躊躇われたが、言わねばならなかった。
「……ごめん、見てない」
そう言うと、肩に置かれた彼女の手から、すっと力が抜けた。
「……っ!」
すぐに手を放した彼女は、焦燥に駆られたように踵を返した。
「あ、あのっ‼」
だが、そのまま駆け出すことはなかった。ネムの言葉に、足を止めた。
なぜ呼び止めるのか、とこちらを振り向いた少女に、ネムは問う。
「エルンさん、いないんですか?」
少し震えた声で、ネムは訊いた。日中から心配していただけに、不安は大きい。
取り巻きの少女は最初、答えるか否か悩んでいた。それは、ユアたちはエルンにとって敵の立場にいるためだ。
だが、今はそんなことを気にしている時間はないのだ。
そもそも、声をかけた時点で、敵か味方かなど気にしていなかった。だったら、それ以上悩む必要はない。
彼女は静かに頷いた。それは、ネムの問いに対する肯定。
「エルン様についていた者たちで探しているが、避難所にはいないらしい」
エルンの取り巻きは一人や二人といった規模ではない。二、三〇人はいるはずだ。それにエルンの知名度も馬鹿にはならない。聞き込みを続けていれば発見できるだろうが、それでも見つからないのなら、やはりここにはいないのか。
「いち早く異変に気付いたエルン様が、別の場所に非難した可能性もある。でも、エルン様がここに来るかもしれないと考えると……」
入れ違いになってしまうことが怖い。連絡がとれない以上、こちらから迂闊に動けないのだ。
「あのっ、私、ネム・キアサージっていいます。私も手伝います、どこを探しにいけばいいですか?」
まくし立てるような突然の提案に、彼女は少し驚いた様子を見せた。
しかし、すぐにその表情は失せ、代わりに覚悟があった。何かを決意した目つきだった。
「私はソニア・ハウニグ。ネム、校舎の方を頼まれてほしい」
「はい、分かりました!」
やる気に満ち満ちた瞳で、ネムはすぐに振り返る。
「ティアもネムに付いて行ってあげなよ」
「……ユアは?」
ユアとアストランティアは一緒に行動することが多い。ユアから別行動を提案するのは、アストランティアの経験上、珍しいこと。
「僕は、女子寮の方を見に行ってみるよ」
なるほど――と思ったのは、アストランティアだけだった。ネムやソニアが、彼を正気かと疑うのはある種当然だろう。
「待ってください! 女子寮って、魔堕人がいる場所ですよ⁉」
「きっと先生方が対応してくださいっているはず。わざわざ危険を冒す必要は……」
二人はそう制止するが、ユアの考えは変わらなかった。
「まあまあ、ちょっとだけ。《転移》」
一瞬で魔法陣を描き、彼は転移していってしまった。
* * * * *
時は少し遡り。
キャディアス魔法学園には、非常事態を知らせるベルが各所に設置されている。それは、魔石を応用した作りで、魔石を破壊すると職員室や学園全体に警報が鳴るようになっている。
職員室で明日の授業の確認をしていたミラリアは、直観的にその気配を察知した。直後、うるさい警報が鳴り響く。
「どこからだ⁉」
「寮! 女子寮の方です!」
緊急警報などいつも鳴るものでもないので、職員室も大騒ぎだ。しかし、その中でもミラリアは冷静だった。
「私が行きます。何かあれば応援をお願いします」
「わたしも行きます」
その場にいた用務員のルカ・トードルも名乗りを上げる。
「お願いします」
ミラリアもそれに賛同する。
用務員であるルカの方が、ミラリアよりも道具の扱いは長けている。同行して損はない。
職員室を出ると、向かい側の扉に入る。普段は使われていない様子の部屋。そこには、床一面に魔法陣が敷き詰められていた。
これはすべて、設置型の転移魔法陣。普段は使われていないが、このような非常の場合に稼働される。学園はとても広大であるため、緊急時には転移魔法を用いるしかないのだ。
二人はその内の一つに乗ると、魔法陣を起動させる。
「《魔力起動》」
魔法陣から溢れる青白い光が彼女たちを包み込む。そして、その光が収まるころには、二人の人影はなかった。
代わりに、女子寮付近に設置された魔法陣の上に立っていた。
「……煙の臭い?」
到着した瞬間、鼻につく特徴的な臭い。はっと見ると、夜にしては明るい。太陽は沈んだはずの空が赤く明るい。
状況だけを見ると火災。
処理に人手がかなり要るが、ミラリアはまだ応援を呼ばなかった。ただの火災にしては、異様な点が残っていたからである。
――この気配、ただの人間ではない。最上位の魔獣に匹敵するほどだ。
少なくとも、この気配の源を判明させてからでないと、応援要請はかえって危険だ。無策で敵陣に乗り込むほど阿呆なものはない。
「私が先に行きます。安全が確認され次第、合図をします。それまでは、ここで待っていてください」
「はい、お気をつけて」
一つ呼吸をして、集中する。無駄な気配と思考は不要。足音すらなく、特に眩いそこへ向かう。
距離を詰める程、増大する気配。そして強力な魔力を感じる。その感じ方には波があり、恐らく生命体。無機物の何かではない。
確かにそこに『何かがいる』。
「……あれは、まさか――」
女子寮の足元が見えてくると、だんだんと正体が見えてくる。それと同時に、身体の奥から得体の知れない『負』が浮かんでくる。
幾年ぶりかに味わうこの感覚に、彼女の戦闘神経が目覚めていく。
寝起きだというのに、その神経はよく働いてくれる。そのおかげで、初撃を防ぐ。
「ッガアアァアッ‼」
「《大魔反壁》っ」
醜い叫びと、超火力の炎が飛んでくる。それを防ぐが、見事とは言えない。魔法陣を構築する時間が、余りにも短かった。
「くっ……」
不完全な状態で発動した《大魔反壁》は脆く、炎を相殺すれど、ミラリアは後方へと飛ばされる。
――やはり、想像以上。しかし、想定内だ。
《伝通言》の魔法を行使し、職員たちに連絡をとる。
「女子寮東側、魔堕人です。属性は火」
『了解しましたっ。すぐに向かいます!』
魔法越しの連絡だが、向こうも騒がしくなったのが分かる。
それを落ち着けせるわけではない。単純に、ミラリアの自信から這い出た言葉だった。
「いえ、時間ならいくらでも稼ぎます。万全の準備をお願いします」
『無理は禁物ですよ』
「ええ、理解していますよ」
そう言って、魔法の行使を切った彼女。
鋭く眼光を飛ばすその先には『魔堕人』――それに成り果てた人物が。
「行きますよ――エルン・ジオグラス」
2023/07/15 セリフの訂正、改行の調整




