#1 入学式
春。今年もキャディアス魔法学園の入学式が行われた。
まだ着慣れていない黒の制服を纏う少年少女たち。期待、緊張、興奮、不安。その表情には、様々な気持ちが浮かんでは沈む。
この巨大な空間、大講堂に集まる新入生はおよそ五〇〇人。
その内の一人に、ひどく緊張している青髪の少女がいた。ネム・キアサージは、こういう場合いつも緊張してしまう。自他共に認める不利な性格だ。
そのせいで、整えてきたはずの青色ショートヘアがやけに気になる。
「間もなく会式です。今しばらくお待ちください」
会場にアナウンスが入る。もう少しで式が始まると思うと、一層緊張する。
しばらくすると、入学式が始まった。だが、式自体は座っているだけでよく、先ほどまでの彼女の心配と緊張は、杞憂だったと安堵する。
次は学園長の話だ。
「リューラ・フィニクス学園長、お願いします」
司会の男が言う。しかし、登壇する人影はない。どういうことかと、壇上に視線を戻すと、既にその人物がいた。
「……!」
恐らく、転移魔法の一種。いやそうなると、とても信じ難い。瞬き一つの内に完全発動させる技術。それには、戦慄せざるを得ない。
黒いローブを纏う、年老いの女性。その風貌、威厳。まさしく彼女が学園長だ。
「キャディアス魔法学園、学園長リューラ・フィニクスと申します」
淑やかな、だが芯のある声。
「学園長として、私は、新たに我が学園の一員となるあなた達を祝福します。入学おめでとう。この学園は知っての通り、魔法を学ぶための場所です。ですから、私から一つ、課題を出しておきます。これからここで過ごす七年間の間に、魔法とは何か、どうして魔法が在るのか、自分なりの答えを見つけてください」
魔法とは何か。自己を振り返るネムだが、確かにそれは考えたこともなかった。
魔法を根源から学ぶ。この学園の教育理念を表した言葉だったのだろう。
「ここから話すことは、あくまで私個人、リューラ・フィニクスという一人の魔術師としての言葉です」
そして一拍、間を開けて言葉を繋いだ。
「魔法は一種の武器であると、私は思っています。他を傷つけることができる。自身を護ることができる。生活を楽にすることができる。人生を変えることができる。その影響は計り知れないのです。だからこそ、これから魔法を学ぶあなたたちには、それ相応の覚悟をもっていただかないといけない」
次第に、学園長の声音が低くなっていく。どこか不穏な雰囲気だが、嫌な予感は的中してしまう。
「――生徒としての、最初の試験です」
声が響くと、大講堂の壁に沿って魔法陣が展開される。
「《魔召喚》」
その詠唱で、展開された魔法陣が起動。
「なんだ……?」
「魔法陣⁉ どういう……」
「なっ⁉ 緑小鬼⁉」
「っ! どういうことだよっ‼」
騒めきがどんどんと広まっていく。
ネムが聞き取れた情報は、緑小鬼が出現したということ。
しかしその一つでも、彼女の混乱を引き起こすには十分だった。
「緑小鬼……っ」
ひどく青ざめた顔で、ネムは呟く。呼吸音でさえ掻き消せてしまうほどの、か細いものだった。
小さな体躯で緑色の肌が特徴の魔物、緑小鬼。最も一般的な魔物でもある。
生徒の間にも混乱が広まっていく。ネムと同じで、突然のできごとに対応できないのだ。
次々に出現する緑小鬼たちに、最初に行動を起こしたのは誰か。確かではないが、大聖堂右端から、大きな火柱が上がる。
「相手は緑小鬼よ‼ 落ち着いて対処しなさいっ‼」
そんな声が聞こえた。それがどれだけの生徒に届いたかは分からない。だが、それは確実に、反撃の狼煙となった。
「そ、そうだっ!」
「俺たちでも倒せる相手だ!」
「やるぞぉっ‼」
反撃が始まり、魔法戦が拡大する。そうやって、一丸となりつつある中、未だにネムは怯えたまま。指の一本も動かせない。
しかし、幸いなことにネムは集団の中央付近にいたので、緑小鬼の襲撃に最も距離がある。襲撃の影響をほぼ受けない。外周の人には申し訳ないが、頑張って倒してもらいたい。
拡大する戦線はやがて、緑小鬼たちを押し返すまでに強大となっていた。
魔法による爆裂音が、あちらこちらから聞こえる。そんな中、やっとネムにも辺りを見るくらいの余裕が出てきた。
背伸びして見ると、辛うじて戦線の様子が窺える。《魔召喚》の魔法陣から緑小鬼が湧くように出現している。そして、それらと交戦する新入生。戦況は拮抗しているように見えた。
「……負ける」
だからこそネムは、そう呟いたのだ。
無限にも思える緑小鬼の出現。元をたどればそれは、学園長リューラが発動している魔法によるもの。まともに緑小鬼と戦う、それ即ちリューラとの我慢比べをしているようなものだ。どちらが先に戦えなくなるか。
キャディアス魔法学園の学園長を相手に、その勝負は勝ち目がない。
直接魔法陣を叩かないと、この『試験』は終わらない。だが、ネムを含めた新入生に、そんな技術はなかった。
考えている時間はない。限界が近くなっている。
疲弊し、魔法が撃てない者が増え、緑小鬼の侵攻が進む。
それに伴って、ネムの緊張も増していく。ここまで緑小鬼が侵入してこれば、文字通りネムはどうすることもできない。対抗する手立てがないのだ。
――私は、魔法が使えないから。
しかし、敵は待ってはくれない。突然に飛び上がった、一体の緑小鬼。そいつは強暴な眼差しでネムに照準を合わせた。
襲われると悟ると、息が詰まり苦しい。まるで心臓が止まってしまったかのよう。苦しさと恐怖で、ネムは目をつむった。暗い中で、やって来る痛みへの覚悟を決める。
「大丈夫?」
しかし、やって来たのは痛みではなく言葉だった。
恐る恐る目を開けると、襲い掛かって来た緑小鬼の姿はない。代わりにいたのは、緊張感のない表情の少年だった。
これが彼との、ユア・イストワールとの出会いだった。