大切な存在
咲楽のことを知りたすぎて、俺がこの世界を創り出しただと。そんな馬鹿な話あるはずがない。
「この可能性に気がついたのは……そう、この世界に慣れ始めた頃のことだった。私がいつもより早起きして、森の中を散歩していた時、見つけたの。あの『縄』を」
咲楽の声がワントーン低く、重くなる。
「私はびっくりした。だって、私の……『死にたい』って気持ちは、消えないにしても、この世界に来てから強くは意識しないようにしてたのに。それなのに、突然出てきたから」
咲楽の声が少し弱くなる。彼女にとっても、ショックの大きい出来事だったのかもしれない。
「でも、実際それまでにも無意識に出てきたものはたくさんあった。最初の湖だとか、ダンボール箱に入った食料だとか。そういうものは私たちにとって都合の良いものだったから、『望めば欲しいものが何でも手に入る』ってことに気を取られてたんだと思う。実際は『私の意識が反映される』世界であって、私にとって不都合なことも晒される世界だったんだよ」
そう言うと、咲楽は「ちょっと疲れた」と一息ついて、いつの間にかテーブルの上に置かれていたグラスを手に取って、水を一杯飲んだ。
まだしっかり喉を震わせて喋ることに慣れていないのかもしれない。
「私に不都合なことが起きるなら、この世界は私のためだけに作られた世界じゃない。じゃあ、誰のためか。二人だけしかいない世界で、残りの候補はたった一人だけだった」
咲楽がジッと俺を見つめる。
「……真守くんは、私の心の内を知りたがってた。私の苦しみを理解したいと思ってた。そして、この世界は私の意識を反映する。つまり、真守くんは私のことを知るために、私が何を感じているのかを目に見える形で理解するために、私の意識が反映される世界を作ったんだよ。喋れない私に聞けないなら、私の心に出てきてもらおうってこと」
「……そんなことあるわけない」
「うん。常識的に考えて、一人の人間がそんな世界を創り出してしまえるなんてあり得ないことだと思う。私も信じられなかった。でも、もしもこの世界に存在意義があるとしたら、少なくとも私には、今言った可能性以外考えられないよ。真守くんはどう思う?」
……正直に言えば、彼女の言うことに一理あるかもしれない。
俺は咲楽のことは何でも知っておきたかった。咲楽が悩まないでいられるように。咲楽が悩むことなんかに時間を割かないように。
その知りたいという欲求が、彼女の首吊りを見て爆発した。それで、俺は問い続けた。どうして、どうして、どうして、と。
そうしたら、虚無に飲み込まれて、俺はこの世界に辿り着いた。
常識的な世界の理には合わないかもしれないが、その経緯は理に適っている。
「確かに……そうなのかもしれない。もしかすると本当に、俺が、この世界を創り出したのかもしれない」
だけど、それが本当なら俺はまず真っ先に聞かなければならないことがある。
それさえなければこの世界が生まれることも無かったかもしれない、大事なこと。
「…………じゃあ、咲楽はどうして。どうして……死のうと思ったんだよ……」
口に出して、俺は思わず涙が溢れそうになってしまった。人生最悪の瞬間を思い出して、心が押し潰されそうになった。
「……それは、本当にごめん。嫌な思いをさせるつもりはなかったの。……ううん、違う。分かってた。真守くんが嫌な思いをしてしまうこと。それでも……私は……私にとっては、それが一番楽なことだと思っちゃったんだよ。だから、これは、独りよがりで、身勝手な、私のせい。本当に……ごめん……ごめんね」
俺が咲楽の話に耳を傾けながら、溢れそうな涙を抑えていると、咲楽の洟を啜る音がした。
「咲楽……?」
見ると、咲楽は大粒の涙を流しながら、嗚咽をあげるように、目を擦りながら泣きじゃくっていた。
「ごめんね……ごめんね……」
彼女の声色に涙が滲んで湿っていく。
「本当に……ごめん……」
俺は思わず咲楽に向かって手を伸ばしそうになった。彼女を抱きしめて安心させてやりたかった。だけど……俺にはできない。今の俺にそうする資格なんて、無い。
俺が躊躇っていると、咲楽がもう一度、ゆっくりと語り始めた。
「……あのね……私、ずっと……独りだったの。家にいてもね……全然落ち着かなかったの。自分が家族の一員だなんて、全然思えなかったの。私が何も言わなかったせいだって分かってる。私がおかしいから、家族相手に声も出せなかった私のせいだって分かってる。だって、中学の時に言われたんだ、お母さんに。『どうして昔みたいに喋らなくなっちゃったの。昔はもっと可愛かったのに』って。お母さんも分からないなら、もう自分のせいにするしかないよね。お母さんもお父さんも本当に何も悪くなかったんだから。……でも……辛かった。お母さんもお父さんも妹の奏楽も、みんな楽しそうにしてるのに、私だけ楽しそうにできなかった。早く夕飯を食べ終えて、リビングを出てから聞こえてくるみんなの楽しそうな声を聞くと、『私はいなくてもいいんだ』って思っちゃった。みんなで食卓を囲むたびに、自分が酷く場違いに思えて仕方なくって、居た堪れなかった。誰も……私に気づいてくれなかった。体には何の異常もないのに声だけ出せない『おかしな子』でしかなかったんだ」
そう言いながら咲楽がしゃくり上げる。
「私はいてもいなくても変わらない。声が出せないなら、むしろいるだけ迷惑な人間。そう考えたら、何で生きてるんだろうって。内でも外でも、まともに人と会話することもままならない。事務的なことでしか声が出せない。そんな人間……もういなくなっちゃった方がましだよね」
咲楽が自嘲的に笑う。
泣き腫らした顔は紅潮して、涙で頬が濡れていた。
「……でもね、でもね。私にも、一緒にいられる人がいたんだ。こんな私と、一緒にいてくれる人がいたんだ」
咲楽と目が合った。
「……真守くん。真守くんがいてくれたおかげで、私はまだ生きていたいって思えてたの。幼稚園の頃からずっと、真守くんが隣にいてくれたから、どんな辛いことがあったって、文句一つ言わないで耐えられてきた。お母さんとお父さんから誕生日やクリスマスに見当違いのプレゼントをもらっても、悲しくなかった。だって、真守くんが遊びに来てくれたから。私にとっては真守くんが、どんなプレゼントよりもかけがえのない大切な存在だったの」
咲楽が薄く微笑みかける。
「……でもね、大切であればあるほど、真守くんが私と一緒にいてくれるのが申し訳なくなった。全てを擲って、自分の将来も犠牲にして、私に全てを費やしてくれる真守くんに対して、罪悪感を抱くようになったの」
「……けど、それは全部俺が望んでやったことで」
「だとしても、だよ。優しくて、頭も良くて、運動神経も良くて、何でもできちゃう真守くんが、私のために全部を捨てていく姿を見ていられなかった。だから……私は高校に上がってしばらくした頃、真守くんを避けるようになった。——もう二度と、真守くんが私に近寄らなくてもいいように」
そう告げる咲楽の表情は決意に満ちていた。その想いが今でも揺らいでいないことを証明するかのように。




