第5話(1200年2月) 館の奥の野心
二代目鎌倉殿・源頼家のいる大倉御所から大江広元の屋敷を挟み、200mほど南へ下ったところに、北条四郎時政の住む屋敷がある。その奥の間で、時政は息子の江間四郎義時から報告を受けていた。
◇◇北条四郎時政視点◇◇
「参河国の騒乱ですが、合議の結果、梶原の変からまだ日も浅く、みだりに大軍を起こせば、朝廷に幕府弱し、と侮られるとの意見が多く、参河国守護の安達殿のみで対処することが決まりました」
「反対した者は?」
「比企能員殿ただ一人。反対と決まった後も、安達は比企の一族ゆえ、比企だけでも援軍を出すと言い張っておりましたが、安達殿自身が断わられたので引き下がられました」
比企能員。曇りなき藤四郎。己が正しいと突き進み、周りをみない愚かな男。
「今さら、安達を二代目側に引き入れようとしても遅い。とうに安達の心は離れておる。そうであろう、義時」
「はい。もうじき、安達殿がこの館に来ます。父上はこれからも評定に出られないおつもりですか? 皆が父上の病気を疑っております」
「それで構わぬ。意見を聞きたければ、屋敷に来いと言え。いずれここが幕府の中心になる」
わしは梶原の変の前後から、大倉御所に顔を出さないようにしていた。有り余る野心が抑えきれず、つい言葉となって出てしまうからだ。気力の充実は肉体にも現れるのか、妻である牧の方は「出逢ったときのように、お若くなって」と喜んでいたが、身内のひいきだろう。
野心に火をつけたのは頼朝の誅殺状だ。頼朝は何人も誅殺してきたが、それは天下を狙える力があると認めた男だけだった。だから誅殺状に我が名を見つけたとき、湧き上がった感情は、恐怖ではなく歓喜だった。60を過ぎ、周りはわしを隠居前の老人として扱うようになっていた。しかし、頼朝だけは、脅威と感じてくれていた。それがうれしかった。
頼朝の死後、わしは精力的に動いた。|誅殺状に名を記されている者《天下取りの競争相手》たちの中で敵になりそうな、二代目派(梶原平三景時、比企藤四郎能員、安達藤九郎盛長)の弱体化だ。結果、梶原を死に追いやり、安達もこちら側についた。いつも自慢話ばかりしていた三浦介は林の中で賊に殺された。
「安達殿が比企殿の援軍を断ったのは、父上への遠慮からです。参河国の隣の遠江国は北条の守護国。陰ながら助けましょう。そうすれば、北条と安達の同盟はより強くなります」
「同盟だと?」。義時の進言を鼻で笑った。息子はどこか甘い。
数刻後、安達藤九郎盛長が鎧を着て訪ねてきた。今日、出陣するわけでもないのに大げさな男だ。
「藤九郎、勇ましい恰好だな。だが、油断するなよ。賊軍に負ければ比企藤四郎がそなたを糾弾する。援軍を断ったから負けたのだと。やつを調子に乗らせたくはない」
「安達の武に誓って負けはせぬ。ただ、兵を少しばかり貸して欲しい」
「ほう……。昨年、そのほうは息子の命乞いにやってきた。此度も北条に助けを求めるのか? それではまるで――」
幾つも傷がある安達盛長の顔がみるみる赤くなった。
「安達藤九郎は物乞いではない! 挨拶に来ただけだ!」
安達盛長は用意してあった膳にも手をつけず、顔を朱に染めたまま北条邸から出て行った。わしは膳の猪肉を食べながら、横にいる義時を見る。
「余計な心配だったな。安達は援軍などいらぬそうだ」
「あのような言い方をすれば、安達殿は援軍を申し出ることを恥と感じます。そもそも、安達殿の息子を危機に落とし、命を助けたのは、父上の『美人の計』ではありませんか」
「計などと。良縁と思い、都の美女を安達の息子に薦め、頼家様に安達の妾は京一番の美女と言っただけだ」
「その結果がどうなるかわからない父上ではありますまい」
とぼけてはみたが、息子は長年、頼朝の側にいただけあって知恵は鋭い。わしの策を看破していた。
昨年、安達藤九郎盛長の嫡男・弥九朗景盛の妾を、景盛の不在時に頼家が奪うという事件が起こった。そればかりか、頼家は景盛を謀反の罪で討とうとし、鎌倉中が騒然となった。わしが頼家の母である尼御台政子を動かし場を納めたのだが、このくだらない騒動で頼家は鎌倉中の失笑を買った。
「安達自身が招いた災いよ。遊女通いに妾漁り、美女狩り藤九郎などと呼ばれてはいるが、女にだらしないだけだ。景盛もよく似ておる。わしが罠にかけずとも、いずれ女で身を亡ぼす」
「安達殿はそのような方では――」
義時はそう言った後、黙ってしまった。そうだ。わかればいい。
「罠にかかった安達に情けをかける猟師がいるか? 獣は恩などすぐ忘れる」
「――元老すべてを倒すおつもりですか?」
藤九郎が手をつけなかった膳を自分の隣に引き寄せると、猪肉に箸をぶすりと入れる。わしは精をつけねばらぬ。
「減らすだけだ。政治の舞台は狭い。安達のような獣は北条の家畜となるか、食われるしかない」
そう言って猪肉を口に放り込んだ。
◇◇安達藤九郎盛長の嫡男・弥九朗景盛視点◇◇
私は郎党が集まったのを確認すると父の元に向かった。広い屋敷だが探すのは簡単だ。十年前に母が死んでから、朝は決まって持仏堂にいる。
妻戸を開けると、傷跡だらけの顔をポリポリとかきながら、筆と札を手に持ち思案していた。この後はわかっている。何も書かずに筆をおいて、頭を下げるのだ。天国の母と歌比べをしているのだろう。
「また母上の勝ちですか」
母の位牌を見て言った。横には遺品の歌札が入った文箱が置いてある。母は京都にいたときは評判の歌人だった。
「そんなに歌好きになるのだったら、母が生きているうちに気づけば良かったですね。そうしたら教えてもらえたのに」
父は女遊びが激しく、あまり家にいなかった。
「恋歌だ。妻からは教えてもらえんよ」
「呆れた。まだ女の尻を追いかけているのですか……。私は二代目との妾争いで目が覚めましたよ。女遊びはもうしません」
「そうか。変わるなら強く変われ。では参河に行こうか」
「お待ちください――もう一度北条に援軍をお願いしてみてはどうでしょうか? 賊軍は国府を落とすほど強力です。江間義時殿も心配しておりました」
「安達家は二代目と不仲になった。家の未来のためには北条と共にゆくしかない。だが、それは北条の同盟者としてだ! 恩を受け続ければ、安達は北条の従者に成り下がる。そうならぬためには安達の力を北条に見せつける必要がある! 恐れさせる必要がある! 息子よ、この父が必ず二代目から妾を奪い返してみせようぞ」
「父上、あの妾はもう二代目のもので良いのです!」
「――後悔するぞ」
私は忘れたいと思っているのに、父のほうが意地になっているから困る。
「ならば、わしの女のことを考えよう。国府には参河国中から集めた妾どもがおる。奪い返さねば世間に笑われるわ!」
威勢がいい父を、いつもは頼もしく思うのだが、今日はなぜか無理しているように感じた。
「父上、まず私が先に参河国に入り敗軍兵をまとめます。集めれば1000近くになりましょう。それから戦っても遅くはありません」
私はそう言って父をなだめると、不安を振り切るように参河国へ急行した。




