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梶原殿と12人  作者: キムラ ナオト
四ノ元老 善信入道
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第33話(1185年) 回想「罪人親子」

 瀬戸内海に浮かぶ干珠島で、平家との最終決戦に向けての軍議を終えた俺は、自分の船に戻っても、まだ怒りが収まらなかった。


「また義経(判官)殿と派手に喧嘩したらしいな。わしが裁いてやろうか? ハッハハ」


「来ていたのか善信」


 昨年、頼朝に仕えた善信入道は、その経歴からすぐに問注所執事(裁判所長官)に抜擢された。西国と鎌倉で離ればなれではあったが、善信が算道家の出身と知っていたので、鎌倉に戻っているときは善信が持っている中国の算術書を見せてもらっていた。頭を悩ませながら難問を解いている時間は、学生に戻れたような気がして楽しかった。


「何があったのだ?」


「判官殿が先陣をやりたいと言い張るので、つい『大将の器じゃない!』と言ってしまってな。そこからは判官殿の郎党と殴り合いだよ」


「父上、私のためにありがとうございます!」


 顔を腫らした景季(かげすえ)が歯を輝かせて言った。

 そうだ。この馬鹿息子が先陣を申し出るから、義経が意固地になって話がこじれたのだ。

 息子を下がらせると、善信に溜まった愚痴を吐き出した。


「判官殿に一条忠頼の例をあげ、実力を頼朝様に認められるほど、死に近づくと説いても、まったく聞く耳を持たん。むしろ俺に手柄を奪われてたまるか、と思われているフシさえある。(範頼)殿はわかってくれたのだがなあ……」


 鵯越の知識を話してしまったのは本当に迂闊だった。あれから義経は俺を将としてライバル視して、作戦を事前に話さなくなった。


「なら、もう助けなくても良いではないか。見捨ててしまえ」


「俺には目指している人がいる。強い男だ。決して人を見捨てなかった。俺はまだ弱い。だから人を見捨てないことで、真の強さを手に入れたいのだ」


「本当に助けたいのならば、毒の根を絶つのが一番だ」


「また、その話か善信。頼朝様にも無理だと言われただろう」


「いや、諦めぬ。木曽も平家も後白河法皇の離間工作で弱らされた。次は鎌倉の番だ。一条忠頼を調べているときにわかった。法皇は人を惑わす妖怪だ。裁かねばならぬ」


「平清盛も木曽義仲も法皇を幽閉したが、最後に勝ったのは法皇だ。人が龍を裁けたとしても一時のことで、後に大きな厄災やってくる。法皇は中原親能が策で無力化すると言っている。お前の友に任せておけばいい」


「わぬしは乗ってくると思ったんだがのう。まあ、またにしよう。さあ、船の中を案内してくれ。わぬしが造った船を見に来たのだ。二カ国の守護はいろいろできてうらやましいわい」


「播磨国や美作国は戦でボロボロだ。余力なんてない。今は平家を倒すという名目があるから、幕府の軍費も使いまわせるが、平家が滅んだ後は細々とやるしかない。何か考えないと」


「船を造ったのなら、交易をすればいい。平家は交易で大きくなった」


「商いはよくわからん」


「だったら、平家に聞けばいい。どうせ大量に捕虜にするのだ」



◇◇◇◇


 後に壇ノ浦の戦いと呼ばれる海戦は、源氏の大勝で終わり、平家の名だたる将は海の中に消え、惣領の平宗盛は捕虜となった。平家はついに滅びたのだ。ここから、義経がバッドエンドに向かうことを俺は知っている。摂津国へ向かう船の中で俺は新たに決意した。


「知っていて、助けられなければ、俺はよほどの無能だ。京都で判官殿を守る!――おい、善信。書類ばかり読んでないで何とか言ったらどうだ」


「わぬしの行先は京都じゃない、鎌倉だ。罪を償え」


「はぁ!?」


「軍監としての過失があった。判官殿の功を過少に評価しているのも問題だが、罪を問うまでではない。問題は夜須行宗の功についてだ。わぬしは認めなかったが、証人が現れ、夜須が敵将を捕えたことが証明された」


「壇ノ浦は大乱戦だった。一件ぐらいいいじゃないか。俺は京都にいなきゃいけないんだ――」


「わしが裁く限り、見逃しなどありえぬ!」



◇◇◇◇


 一カ月後、俺は罰として鎌倉で道路の修繕工事を命じられていた。

 景季をはじめ、手柄をあげた息子たちは京都でさぞかし楽しんでいるだろう。それにひきかえ、こちらは実にのどかだ。というか、西国に遠征する武士と、奥州藤原家に備えて北の国境線を守る武士が出払ってしまい。鎌倉はゴーストタウンのような静けさである。


「兄上たちは、今頃、江口の色里で遊んでいるんでしょうね……」


 息子や郎党の中でも手柄を上げなかった者は、道路工事を手伝わせるために連れてきていた。


「働かざるもの抱くべからず。次があれば頑張るんだな」


「父上も鉄の棒で遊んでないで、仕事をしてくださいよ――痛っ!」


 ペチッと音を立て、枯草を丸めた弾が、地面に転がった。鉄の棒の端を口から離して、中を覗き込む。


 後はネジだな。これが難しい。南宋にも無いらしく、作り方がわからない。概念も無い。鍛冶職人に対し、説明しても首をかしげるばかりだった。仕方なく銃床となる部分は、後ろから取り付ける形をやめて、台形の凹凸を作り上からはめ込む方法を試している。



「そうだぞ、平三。京都の息子ともども真面目に反省することだ」


 見ると善信入道が、牛頭馬頭を従えてやってきた。


「景季が何かしでかしたのか?」


「幕府の禁を破ったお調子者二十四人に、東国の追放の沙汰を下した。わぬしの息子が尾張より東に入れば、所領召し上げの上、斬罪だ」


「どういうことだ、善信、詳しく聞かせろ!」


 幕府は御家人に対し、朝廷から直接、官位を受けることを禁じていた。頼朝が推挙したものだけが受任できる。これは幕府が御家人を支配するために必要な措置だ。俺も充分理解している。

 しかし、壇ノ浦の戦いで手柄を上げ、浮かれていたのか、馬鹿息子は勝手に左衛門尉を受任したのだ。頼朝が怒るのもわかる。


 一番高い官位を受けた義経に対しても厳しい処置が取られた。平家の惣領・平宗盛を護送してきたが、頼朝に鎌倉入りを拒否されたのだ。義経は詫び状を大江広元に託したが、頼朝の答えは無視だった。

 義経は憤り、大江と俺を讒言者だと激しく罵って戻ったらしい。何で俺まで? とんだとばっちりだ。


「大路の普請が終わり次第、京都へ行く!」



◇◇◇◇


 京都・六波羅の梶原屋敷に着くなり、俺は景季をぶん殴った。


「いやあ、やっちゃいました。すいません」


 鼻血を出しながら、景季は笑った。白い歯の輝きが苛立たしい。馬鹿息子は俺より、武の心得もあるのに、一度として拳を避けたことはない。正面で受けようとするのだ。俺が間違って叱ることはないと信じ切っている。だから憎めない。頼朝に好かれているのもこの純粋さだろう。官位を返上して、謝罪文を鎌倉に送ると、あっさりと許された。


「朝廷から、何か言われたときは、中原親能に相談しろと言っただろ」


「中原殿が判官殿も受けているから大丈夫だと言ってくれたのですよ。あんなに頭の良い人でも間違えることはあるんですねー」


 勝手任官が禁じられていることを、やつが知らないはずがない。


 俺は中原親能の屋敷へ向かった――。

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