第1話(1200年1月) 煽る義経
◇◇三浦介義澄視点◇◇
相模国一宮の梶原館から勢いよく昇っていた炎が黒煙に変わっていく。戦いは終わりを迎えていた。
追討軍の将である、わし(三浦介義澄)と比企藤四郎能員は、駒を並べて梶原館の門をくぐった。藤四郎を見ると上質な白絹の上に白色の大鎧を着けている。前からいけすかない奴だったが、比企の娘が二代目の男子を産んでから、より華美な衣服をするようになった。
藤四郎は白馬を止め、辺りを見回した。
「敵の抵抗が弱い。梶原平三は真に反乱を企てていたのか?」
「わしらが強すぎるだけだ。十三元老の二人が攻めれば、どんな敵でも弱者に変わる。いささか物足りないがのう。ハッハッハ!」
「梶原も十三元老の一人だ。周りの死体を見ろ。誰も鎧を着てはいない」
「それがどうしたというのだ! 藤四郎も平三の弾劾状に名を記したではないか」
「我が弾劾したのは平三の讒言の罪。反乱の罪ではない」
面倒くさいやつめ。腹が立ったが、納得しない限り、比企が譲らない性格だと知っている。
「それでは、こう考えよ。平三は上総介を殺した罰が当たったのだ。そうであろう? 藤四郎よ」
比企能員の瞳に怒りの色が浮かぶ。
「――そうだ! 上総介は関東の希望だった。平治の乱では義平十七傑の伝説を作り、上総国では一大勢力を築き上げた。その英雄を平三は無実の罪で殺した!」
義平十七傑とは、平治の乱で源頼朝の長兄にあたる源義平と共に戦った17人の武士のことだ。500騎がいる平清盛の本陣に斬り込み、負けこそはしたが、その武勇は伝説となった。
「貴公も義平十七傑だったな。英雄に失礼な物言い。許してほしい」
よしよし、そうだ。思い出したか。若い奴はすぐ忘れるから困る。どれどれ、英雄らしく大人の態度を見せようかの。
「これで二代目の後見人はおぬしだけになった。二代目の立場はさらに弱くなるのう」
頼家が誕生したとき、頼朝は後見人をつけた。梶原平三景時がいなくなれば、残りは比企藤四郎能員だけだ。
「我一人で充分。13人の合議制を許したのは、頼家様が成長する時を稼ぐため。いつの日か二代目を関東にふさわしい王にしてみせる」
「おぬしらしい。だが、危険でもある。上総介の悲劇を繰り返すやもしれぬぞ」
「誰の刃も届かせはしない! それが元老であろうとも――」
「怖い目で見るな。わしはもう隠居する」
「何故?」
「前から平三を殺したらと決めていた。やつは得体のしれぬ男だった。人を見抜く天才の頼朝公にさえ腹の内を隠し通した。やつが何を隠していたのかは謎だが、知りたくもない。藤四郎よ、おぬしがこの戦に納得できぬのなら引き揚げるがよい。戦後の検分は三浦軍がしよう」
年配者の優しさを装って藤四郎を諭し、比企の軍を鎌倉に帰還させると、三浦軍に周りの村への襲撃を命じた。
「――さあて、うるさいやつもいなくなった。この戦に納得できぬのは、わしも同じだ! 射抜いた数が少なすぎるわ! 狩りを、殺しを楽しもうぞ!」
◇◇梶原平三景時視点◇◇
梶原館・秘密の地下道。人一人が通れるような暗い通路を抜け、裏山へ続く洞窟に入る。前へ進む義経が持つ松明の灯りだけが頼りだ。俺は前を行く義経を問い詰める。
「なぜ帰ってきた! モンゴルへ渡るという条件で助けたはずだ」
「兄上が亡くなったからいいでしょ? それに今は自身の心配をしたらどう? 平三はもう鎌倉の元老ではないんだよ。僕と同じ。謀反人で死人――そして無実だ!」
義経は振り返って睨んできた。俺はため息をつく。
「――助けたときも言ったはずだろ。政争ってそういうもんなんだよ」
「平三は物分かりが良すぎる。謀反の汚名を被せられたんだよ!」
転生前は幼い正義感のせいで酷い目にあった。だから、転生後は長いものに巻かれて生きると決めたのだ。しかし、こんなことを義経に言っても軽蔑されるだけだろう。
「お前は後世、英雄として歴史に名を残すって言ったろ。日本人はな、悲劇の天才が好きなんだ。お前もそう聞いて喜んでいただろう」
「ああ、あのときはね。だけど、静が『歴史は勝者が作る』と教えてくれた。そして勝者は僕じゃない」
あの白拍子か? ありえないくらい美人で、ありえないくらい気が強い。義経に余計なことを吹き込みやがって。
俺は義経、静御前、弁慶には転生のことを話していた。
「信じられないなら、勝手にしろ! どうせ俺にはもうお前を止める力はない」
「確実に英雄になれる方法がある。天下を取るんだ。平三の知恵と僕の軍略が合わせれば簡単だと思わない?」
「断る。生きるために散々嫌な思いをして、この有様だ。もう疲れた。天下取りする気力も体力も残っていない」
裏山に通じる地下道の出口が見えた。その先には滝が落ちている崖がある。
人生に絶望していた俺には「死」がとても甘美なものに思えた。
「もう考えるのもしんどい。あの崖に飛び込ませてくれ」
義経は呆れた顔で俺に言う。
「馬鹿なの? 絶望すると自殺しかできないの? 一度目の人生と同じでいいの? 馬鹿は死んでも治らないというけど、本当なんだね。笑っちゃうよ」
義経の煽りに心臓がドクンと跳ねた。
出口から裏山に出ると、義経が山の麓を指さした。
なんてことだ。俺の鼓動が早鐘のようになっていく。
「ああいうの嫌いだよね。でもきっと平三の仕業になるんだろうなー。前世の死は同情されたかもしれないけど、今度は大悪人として語り継がれるねー。ああ、かわいそうな、平三」
眼下に見える、焼かれる村々が俺の怒りを爆発させ、死の誘惑を吹き飛ばした。
「許せねえ……。族滅だけで飽き足らず、民まで殺し尽く気か! 義経、手を貸せ。三浦介をぶち殺す!」