第11話(1200年3月) 「ゑびす屋」主人 藤原高衡
◇◇梶原平三景時視点◇◇
参河国を出たペリー号は、紀伊沖を周って瀬戸内海に入り、播磨国(兵庫県南西部)の魚住泊に着いた。魚住泊は奈良時代に開かれた大港、摂播五泊の一つだ。この播磨国と隣の美作国(岡山県東北部)は一ノ谷の戦い以降、15年間、俺が守護職を務めた土地でもある。
源平合戦のころは飢饉と戦のため国土は荒れ果てていたが、今は田畑も回復し、貿易と造船によって多いに栄えている。
「ペリー号の子供みたいのがいっぱいいるね!」
陸丸が停泊している蒸気船を指す。南宋へ輸出する檜を積んでいるようだ。各船の船長が大声で指示を出している。
「この泊にはペリー号を作った造船場がある。ただし、似ているのは外見だけだ。中は貨物を多く詰めるように、ほとんど取っ払っている」
「守護はもう平三じゃないんでしょ。いきなり襲ってきたりして」
義経が隣で合成弓の弦を張りながら言った。
「播磨国府はここから遠い。この泊は安全だ。それに貿易王子がいる」
俺だけ甲板から降りて待っていると、派手な色彩の船が赤根川を下ってきた。船着き場で待っていると、船から三十前の小太りの男が現れた。大きな福耳が愛嬌となっており、恵比寿様のような顔をしている。
男の名は「藤原高衡」。奥州藤原氏の唯一の生き残りである。三代目秀衡の四男で、奥州征伐の後、俺が交易の才を見込んで庇護をしていた。
「ペリー号を見てたまげました。ほんまに生きてはるとは……。ここでは人目に付きますよって。ささ、手前の屋敷に」
川船に乗って赤根川を上っていくと、寝殿造りの立派な館が見えてきた。10円玉に描かれている平等院鳳凰堂のイメージに近い。俺は館の中にある寝殿に案内された。
「また増築しているな、貿易王子。館に金箔を貼らなくていいのか?」
「王子は勘弁しておくんなはれ。すべて梶原はんのおかげです」
「そのエセ関西弁は何とかならないのか?」
「西国になじむための健気な努力でおます」
健気な努力の甲斐もあっのか、播磨国の貿易を任せた高衡は「ゑびす屋」という店を作り、あっという間に大商人になった。商品開発や造船で知恵を貸したが、俺では大儲けはできなかっただろう。奥州藤原氏の貿易を一手に担っていた経験と、大陸の商人とのコネの力は絶大だった。
「しかし、これからはわかりまへん。なんせ新しい守護はんは、この『ゑびす屋』を潰す気や。ほんまかなわんわ」
新しい播磨守護は小山朝政。俺の弾劾状のきっかけを作った男である。褒美として播磨守護をもらったに違いない。
「しょうがない。俺との繋がりが深いからな。で、どうするつもりだ?」
「新守護はんに消えてもらわんとあきまへんな」
俺は苦笑する。ここにもテロリストがいた。
「弓矢で戦うのか?」
「手前にそないな度胸はありまへん。これ、見ておくんなはれ」
藤原高衡は文箱を取り出すと、中から越後の豪族・城長茂からの密書を取り出した。京に大番役で出てきている小山朝政を討って俺の仇を取り、後鳥羽上皇から院宣をもらって幕府を倒すと書いてある。高衡には船と資金の援助を求めていた。
「そんなうまく行くわけないだろう。越後守のやつ、やけになっているな」
城長茂の人生は波乱に満ちている。平家側として大軍を率いて木曽義仲と戦うが大敗北する。平家が滅びた後、源氏に捕らえられ囚人となった。そのときに俺が頼朝公に頼んで助け、今は御家人になっている。越後守は城の平家時代の官職で、親しみとからかいをこめて俺はそう呼んでいた。体も2メートル以上あり、越後(新潟県)の長細いイメージにぴったりだったからだ。
「高衡は越後守の計に乗ったのか?」
◇◇◇◇
「ちょうどいいじゃないか。京へ行こう。京へ! 僕も院宣が欲しい!」
日が暮れるとペリー号にいた400人も藤原高衡邸に招かれ、宴席が開かれた。兵たちは中庭でどんちゃん騒ぎをしている。俺と義経、弁慶、高衡は寝殿で今後について話していた。
「お前は一度もらって失敗しただろうが。ダサいやり方で」
「ダサいって何だよ!」
「院宣くれないなら、ここで死ぬ~って駄々をこねたんだろ? 後白河法皇もドン引きしたって噂だぞ」
「何を!」
俺に飛び掛かろうとする義経を弁慶が後ろから太い腕で止めていた。
その姿を見て高衡は首をかしげる。
「――仲がええのか悪いのか。昔からけったいな関係でおますな」
「高衡。これからの動きは?」
俺は手足をバタバタさせている義経を無視して、高衡から計画を聞いた。
すでに平安京に潜伏している城長茂たち200人に、武具を積んだ船ごと渡す予定だという。作戦が成功すれば院宣を持って、その船で海上へ逃げるという段取りだ。しかし――。
播磨から船で上洛するにしても2、3日はかかる。俺の胸に不安が拡がった。
「宴会は中止だ。今から京都へ向かう。陸丸、支度しろ!」
中庭にいる陸丸に声をかけると、安達盛長の妾だった女たちとヘラヘラしながら飲んでいた。マセガキめ。盃を投げようと振りかぶったが、高衡がまあまあとなだめてくる。
「どうしはったんですか? まだ計画は先や。慌てる必要ありまへん」
「陰謀をのんびりやる馬鹿がいるか! 京都守護は十三元老の一人・中原寂忍に代わった。生半可な相手じゃない」
中原掃部頭親能。法名・寂忍。公家出身で頼朝から行政官の才能を見込まれスカウトされた中原兄弟の兄である。弟の広元は戦に出なかったのに対し、寂忍は軍師もこなす。平家追討戦では源範頼・義経が大将として戦術を担当し、寂忍は参謀長として戦略を立てていた。
「心配ありまへん。城はんは手前が懇意にしとる反幕府派の公家の家におります。院と幕府の関係は決してようない。京都守護と言うても、公家にはむやみに手を出せまへん。昨年の三左衛門事件を知ってますやろ?」
三左衛門事件とは、源頼朝が危篤に陥った際に京都で起こった、内大臣・土御門通親襲撃未遂事件である。背景には源頼朝と土御門通親の外戚(外祖父)争いがあった。天下を取った頼朝は娘を後鳥羽天皇に入内させ、生まれた男子を天皇にしようと考えていた。
だが、土御門通親も同じことを考えていた。この男は親幕府の立場を取りながら、娘を後鳥羽上皇に入内させ男子を産ませていた。自分の孫を皇太子を経ずに天皇に電撃的に即位させた。このとき、後鳥羽上皇17歳。土御門天皇2歳。土御門通親の奇襲によって、頼朝の外戚の夢は絶たれたのだ。
朝廷の動きを察知できなかった、当時の京都守護・一条高能は、頼朝にひどく責められ、一年後、一条高能は23歳の若さで病死した。その一条家の家人である、後藤基清、中原政経、小野義成が土御門通親を恨んで兵を集めたのが「三左衛門事件」である。三人の官職がいずれも左衛門尉であったことからそう呼ばれてた。
「並みの守護なら混乱を収めるだけで手いっぱいだろう。だが、寂忍は並みの男じゃない。むしろ、この状況を利用しようとする。奴は――」
義経の顔が大将のものに変わった。
「後の先を好む」
そう。寂忍はカウンターを得意とする。軍略だけでなく政略においても――。




