第10話(1200年2月) 殺したかった男
◇◇梶原平三景時視点◇◇
俺の心を現すかのように寺の境内が暗くなった。月が雲に隠れ、石灯籠の灯りが安達藤九郎盛長をぼんやりと浮かび上がらせる。俺の存在を示すのは火縄の種火だけになった。
「お前の妻と頼朝公が初恋同士という噂のことか?」
「そうだ。だから、わしには頼朝公を恨む理由はない」
強い語気とともに藤九朗が太刀を手に、歩みを進めてくる。
「お前が噂を信じていたら、そうなるな」
「――何を言っている?」
「俺は参河国に来るまで、頼朝公の勘を信じず、お前を騙せていると思っていた。だが、今は違う。妾たちに会って、俺の『初恋の計』が見抜かれたことを確信した」
「あの噂を流したのはおぬしなのか……」
藤九朗の声がかすれるのを聞いて、俺は目をそらした。太刀を持っている相手に対し、危険極まりないが藤九朗の目を見て話を続けることができなかった。
「妾たちを一度も抱いていないそうだな。侮辱されたと怒っていたぞ。だが、それで俺は悟った。お前が亡き妻を今も愛しているのだと。美女狩りは偽装なんだろ?」
砂利を踏む音が止み、藤九朗の殺気が消えた。
「妻はいい女だった。わしが頼朝様の弟分として出世するのを喜んでくれた。数年後、妻は重病になった。だが、頼朝様が来る日にはそんな素振りを見せず、化粧をして相手をしていた。わしは、初恋同士なのだから無理をせず甘えれば良いではないかと言ったが、妻は病床でうなされながらこう返した。『初恋というのは嘘です。わたしが頼朝様に嫌われればあなたの出世が止まるかもしれない』と。数日後、妻は亡くなった。
大泣きしたよ。わしが外で女遊びをしていたとき、妻はわしのために頼朝公の相手をしていた。わしを苦しませぬために初恋の相手だと嘘までついて……。愚かなわしは妻が死ぬ直前にはじめて妻の愛の大きさを知ったのだ。だから死んだ妻を愛し続ける。そう誓った。だがな、平三――」
懐から歌札を取り出した。
「詠めぬ! 詠めぬのだ! 妻へ恋歌を! 頼朝の顔が浮かび、憎しみが心を埋め尽くす。後悔が心を染める!」
藤九朗の言葉が涙で湿っていくのを聞いていくうちに、俺は苦しくなってきた。俺が誰も傷つけないようにと得意げになって考えた謀は、一つの夫婦を深く傷つけていた。
「許せ、藤九朗。俺はわかっていて『妻の愛を知らぬ愚か者』と挑発した。お前の心の傷に触れれば、誘い出せると思った」
罪悪感で重く感じる腕に力を入れ、銃を構え直す。
「――頼朝公の命だ。許せ」
「初恋の計を知っているのは、頼朝とおぬしだけか?」
「ああ」
江間義時は知っているかもしれない。だが、言ったところで藤九朗を苦しめるだけだ。
藤九朗は安堵したのか、その場に座り込んだ。
「そうだ。わしは謀反者だ。妻を追い詰めた頼朝を殺したかった。だが、もっと殺したい愚か者がいる。それは――」
藤九朗が太刀を逆手に持ち、首にあてる。
「――わし自身だ。平三、頼みがある」
「聞こう」
「妾たちのことを頼む。あの世で妻に叱られたくない」
藤九朗はそう言って笑った後、自ら首を斬り落とした――。
◇◇◇◇
翌日、大将である安達藤九郎盛長がいなくなったのにも関わらず、嫡男の安達弥九朗景盛は軍を率いて、室平重広が殿を務める輸送隊に襲い掛かってきた。
「おい、義経。室平が死にそうだ。もう許してやったらどうだ」
大蒸気船「大和丸」が係留している伊良湖岬へ逃げる輸送隊の殿を、室平重広が必死で守っている。盾替わりの板にはすでに何本もの矢が刺さっていた。
「チェッ、ひどいなあ。僕は無慈悲な男じゃないよ。敵の騎馬隊が前に出るのを待っているだけさ――安達の息子は慎重な戦いをするね」
伊良湖岬に向かうにつれて道が細くなり、東側は山と林だけになる。俺と義経はその林の中から戦いをみていた。
「案外、本気じゃないのかもな。大将が消えた軍をまとめるために、同じ目的を与えているだけかもしれん。しばらく耐えれば引き上げるだろう。放っておくか」
最後の言葉はわざと言った。義経は考え込む。
我慢するな、義経。お前は俺が「右」と言えば、「左」と言いたくなる男だ。
「完勝はできないけど……。勝ちを逃がすのはもっと嫌だ。弁慶、敵の後ろに出るよ! 平三、僕たちが攻める声が聞こえたら――」
「ああ、横から銃を撃つ」
陸丸と大木に登り、銃を構えていると、義経軍が安達軍の背後に襲い掛かる声が聞こえた。安達軍は予想以上に崩れ始めた。目を細めて義経軍のほうを見た俺は舌打ちをする。
「いつの間に……」
埋めて弔ったはずの、藤九朗の首が弁慶の槍先に掲げられていた。
義経め、やっぱ無慈悲な男じゃねーか。
横合いから安達軍に銃を撃ちかけると、まず地元参河の武士が林の中に逃げ始めた。むろん、義経も俺もそんな雑魚は相手にしない。狙うのは鎌倉からきた安達の手勢100騎。だが、後方にいた安達弥九朗は家人に守られつつ、義経軍の中を突っ切って逃げた。
実は俺の銃口は何度か安達弥九朗を捕えていた。しかし、藤九朗と丹後内侍の息子に、引き金を引く気にはなれなかった――。
一刻後――俺は室平重広とともに伊良湖岬から物資を小舟に乗せていた。参河国には大型船が接岸できるような港が無いため、漁船を借りて海上のペリー号に運ぶしかない。
さらに一刻後、安達軍を追撃していた義経が軍を引き返してきた。
顔を見ると不機嫌で、討ちもらしたのは明白だった。しかし、義経が仕損じるとは考えにくい。
「敵の援軍か現れたんだな。旗印は?」
「三つ鱗。北条だ。安達と北条の両家が、援軍を出すほど親しい仲だとは知らなかったよ」
違う。家の関係ではない。江間義時個人の考えだ。
江間義時は俺が安達藤九朗に仕掛けた初恋の計を知っている。だから、安達を気にかけていたのだろう。ありがとな、義時。
「ん? 何だ、平三。ニヤけた顔をして。僕が失敗したことがうれしいの?」
「ははは、そんなことないさ。さあ、早く幕府の勢力圏から離れよう」
ペリー号は汽笛で参河国に別れを告げた後、播磨国を目指して波を切った。




