第8話(1181~1182年) 回想「側近試験」
俺は石橋山の戦いの後、領地に戻るとようやく自分が何者かがわかった。名前は梶原平三景時。梶原家は坂東八平氏と呼ばれる家柄で平氏の血筋を引く豪族らしい。平三という俺の仮名も平氏の三男坊という意味だ。ちなみに頼朝様は三男なので源三郎。藤原氏の血筋を主張する者は藤〇郎と名乗ったりする。
父母も二人の兄も亡くなっていて、家族は小太りの妻と長男の景季を始めに七人の息子がいる。実にむさくるしい家だった。
梶原一族の棟梁であることがわかった俺がまずやったことは、自分の転生前とそう歳の変わらない息子たちを説得し、源氏へ降伏することだった。幸いにも頼朝様は石橋山のことを覚えていて処罰無しで御家人に加えてくれた。
中学までの勉強で何が一番役立つか考えた結果、数学の知識をアピールして内政の仕事をやりたいと願い出た。合戦に出たくはないし、頼朝様の側にいて政権の情報を知りたかった。
平安時代初期、日本は中国から数学書を輸入し、面積の計算法や比例・反比例・ピタゴラスの定理などを「算道」として学んでいる人々はいたが、今では知識の世襲化、秘伝化が進んで衰退していた。
頼朝様はなぜ武士に算道を知る者いるのかと怪しんだが、深く追求してこなかった。この時期の頼朝様は京から明法家の中原、大江の兄弟を鎌倉に呼び寄せるなど、行政家を精力的に集めていたからだ。
半年も経つと幕府(便宜上、こう呼ぶ)の内情もわかり、俺の頭の中にある謎も解けた。
石橋山で敗戦した頼朝様が三カ月もしないうちに数万の大軍を率いることができたのは、上総介広常が味方になったのが決め手で、その後に駿河国富士川で平家の大軍を破ったのにも関わらず、京に進軍しなかったのは、これまた上総介広常が強く反対したからだ。
上総介広常は義平十七傑と呼ばれる英雄で、上総国の大豪族だ。動員兵力、名声ともに関東では群を抜いている。三浦介義澄も幕府の柱だと自慢していたが、すべてにおいて上総介のほうが上だった。
そんな上総介なので頼朝様に対しても遠慮せず物を言い、頼朝様も上総介の意見を尊重していた。それは、平将門、いや、桓武天皇の孫・高望王が臣籍降下して平高望になり、関東に降ってから抱いた野望、『関東独立』だ。
関東平野は広大だ。頑張れば頑張るだけ開拓者に報いてくれる夢の土地である。フロンティアスピリッツが自然と宿る。だから、貴族がやってきて苦労もせず税を取り立てることに対しての反感は他の地域の豪族より強い。『関東独立』が上総介一人の考えではなく関東武士の総意に近いことは頼朝様も気づいていた。
頼朝様は上総介の意見に逆らわず、鎌倉に腰を据えて、関東の敵対勢力を潰し、幕府作りに力を注いだ。朝廷に税を納めるのを止めたので予算には余裕があった。俺は簡単な帳簿を作り、明快に予算の流れを頼朝様に見せることで評価され、財務の一端を任されるようになっていった。
その反面面倒くさい仕事も任された。政子様の出産奉行がそうである。神社への祈祷・寄進や鶴丘若宮の造営など、未来の知識など何の役にも立たない。俺はこの時代の無知をバレたくないので、息子と妻と呼んでいる小太りの女に仕事を全部ぶん投げた。代償は京の小袖十枚と高くついたが仕方がない。妻は張り切り、そのせいか若君(頼家)が生まれた後、乳母に任じられた。
たが、この後に事件が起こった。頼朝様が政子様の妊娠中に亀の前という女と浮気していたことがバレたのである。この夫婦の喧嘩は多くの人がとばっちりを喰らった。まず、政子様が牧宗親という武者に亀の前の屋敷を破壊させ、鎌倉から追放した。
これに怒った頼朝は大勢の武者の前で牧宗親をののしり、烏帽子を取って髷を切った。現代でいうと公衆の面前でパンツを脱がされて陰毛を剃られるようなものである。宗親は泣いて鎌倉から去っていった。
普通なら夫婦仲が悪くなるはずなのだが、政子様は頼朝様にベタ惚れなので直接怒ることはなく、頼朝様は女に対しては無類に優しいので、政子様を叱らない。
このことがあってから、御家人はみな恐怖し、自分の娘を隠した。何しろ頼朝様はモテる。京育ちで品が良く、恋歌を渡してくる。関東武士には到底できないロマンチックな手口に、女は落とされてしまうのだ。
頼朝様は浮気を諦めなかった。目を付けたのは安藤藤九郎盛長の妻・丹後内侍だった。京都では歌無双と呼ばれたこともある才女だ。頼朝は彼女を秘密裏に妾にしたと同時に盛長の忠誠心を試した。
なぜ、知っているかって? 俺もこんな厄介事なんて知りたくなかった。だが、俺も試されたのだ。盛長と同じように――。
◇◇◇◇
「政子に気取られぬように来るように」
頼朝様の近習から伝えられた俺は重い足取りで大倉御所の回廊を歩いていく。部屋に入ると頼朝様と先ほどの近習が座っていた。
「余は秘密を共にできるものを求めている。前に余の側近になりたいと言っていたな。そなたは確かに実務ができる。しかし、人との関わりを避けているようにみえる。なぜだ?」
俺は前世で、クラスの人間関係に首を突っ込んだことが原因で自殺に追い込まれ、後悔していた。だから、転生してからは人との関りはできるだけ避けていた。
「そなたは余よりも年上なのに、人に慣れていない。まるで世間知らずの若輩者のようだ」
頼朝がからかうように笑った。だが、目は笑ってはいない。俺を観察している。
「算道に没頭していたためでしょう。梶原家の長としてお恥ずかしい限りです」
「余は伊豆に流されてから二十年、野心を隠し通した――ふ、ふ、ふ、そなたも秘密が好きそうだ」
「そんな事は!」俺は平伏した。
頼朝様が扇子で床を鳴らす。
「思いあがるな。地方豪族の秘密になど興味はない――よいか、平三。実務だけでは小役人止まりだ。余は側近に小役人を求めてはおらぬ。謀を覚えろ。そなたの口の堅そうだ。だから、試すことにする」
それから、頼朝様は安達盛長の妻を奪った話をした。そして、近習のほうを見て言った。
「この男も試した。紹介しよう。新たに警護衆(親衛隊)筆頭に任命した江間義時だ」
俺はハッとして細身の若者を見た。北条義時。後の執権である。鼻筋の通った美男子で、人目を惹く容貌なのに、影の薄い不思議な男だった。
「江間殿というと政子様の弟では? 良いのですか? 浮気話を聞かれても」
「安心しろ。試したといったはずだ。義時は亀の前事件のとき、余の味方として政子をなだめてくれた。家族より余を取ったのだ」
「そうではございません。頼朝様を第一に考えることは、家族を守ることに繋がります」
義時が反論したのにも関わらず、頼朝様はむしろ満足気だった。
頼朝様は立ち上がると言った。
「政子と安達盛長を納得させる謀を考えろ。しくじれば鎌倉にいられないと思え」




