第八話
整備された石畳の大通りを、クロードは歩いていました。
そこはどこもかしこも喧騒だらけ。
世界中の声という声が、ここに集まっているかのようでした。
多種多様な人種が往来し、歴史を感じさせる建物が視界から切れることはありません。
入口の開け放たれた食堂を覗き込めば、人夫が乱暴に麦粥をかきこみ果実をかじっています。
貴品珍品から異国の食材まで並べた露店が所狭しと連なっており、その横には物乞い達がたむろしています。
大通りから直接つながるのは、古い謂れの教会や聖堂。
少し道を外れるだけでも、聖なる殉教者達の墳墓にいくつも行き会うでしょう。
そのどれもが、優に五百年前を超える歴史を誇っていても珍しくないのです。
壮麗たる永遠の都、ローマ。
千年を超える、七つの丘の聖なる都。
「すげぇ人の数だな」
「帝国の都市としては地に落ちたが、未だに世界有数の都市であろう。あまりうろたえるな。従者がその無様ではわらわの風格が堕ちるというもの」
七人の従者を従えたアレクサンドリーヌは、どこかの王国貴族さながらの装いでした。
異国の麗人が、ローマの雑踏を見物しているのを誰も疑いません。
そして七人の従者のひとりに、クロードは扮していました。
「こんだけいれば、あんたが紛れ込んでもすぐには分からないって寸法か。いやぁ、ローマに連れてってくれればいいと俺は言ったが、本当に連れてこられるだけじゃどうしようもなかったなぁ」
都市は広く、人も多すぎました。
どこにクリスティナがいるか、クロードひとりではたとえローマにやってきても皆目見当がつくはずがありませんでした。
片眼鏡の報奨として、ローマへ連れて行ってもらう認可を得たクロードですが、無論その経緯をアレクサンドリーヌへとつまびらかにします。
「ふむ、ローマに行って、それからどうする?」
「え、クリスティナを探して、眼鏡は悪くねぇと談判する」
「誰に?」
「そ、そりゃ……裁判する奴に」
「それが教皇でもか?」
「は?」
「貴様はな、今自分で思っている以上の事態の渦中におる。もう少し、事の詳細を明らかにしてやろう。その上で、真に己が望むものを突き詰めるがよい」
というのが、アレクサンドリーヌと再会してした会話です。
眼鏡に関して、大事になっていました。
視力が衰えるのは自然の理。
それを耐え忍び生きることこそ神の意向に沿う。
教会の主張する論調はこうです。
それを無視して、視力を取り戻すような行いは悪魔の所業。
そして、まさにそれがアレクサンドリーヌという、悪魔教の棟梁の活躍によって証明されてしまったのです。
最前のアレクサンドリーヌが凌いだ教会の攻勢は万全のものでした。
アレクサンドリーヌの右目という、衰えた視力の情報を元に組み立てたものなのだから、片眼鏡がなければアレクサンドリーヌ率いるルシファーの使徒は全滅していたでしょう。
それを、凌ぎ切ったのです。
理由は明白、戦いの場でアレクサンドリーヌがかけていた片眼鏡。
教会は戦いの中でアレクサンドリーヌの視力に問題がないことを悟り、撤退したのです。
つまり悪魔教が、その道具で神の加護があるはずの教会軍勢を退けてしまったのです。
アレクサンドリーヌの視力を助け、そして革系のぴっちりした衣類と蛇腹剣とおっきなおっぱいに似合いすぎて教会の者達を邪悪に魅了した片眼鏡は神の行いを害するもの。
そんな時に、片田舎で評判になっている視力を回復する道具を嬉々として使用する修道女の噂が流れてくれば、看過できようはずがありません。
かくしてクリスティナは捕らえられたというわけです。
クロードはちょうど、村を留守にして補足されなかっただけで、マリーの村へ出発するのがもう少し遅れて入れば、今頃クロードも裁判の場に立たされていたでしょう。
想像していた以上に、様々な要素が絡んだ現状に対して、クロードは改めて己の望みを見出します。
即ち、クリスティナと眼鏡の弁護である。
もしもそれの弁護が退けられれば火炙りも考えられるとアレクサンドリーヌは冷たく言い放ちます。
しかしクロードのクリスティナと眼鏡に対する愛の炎は止まりません。
その裁判の場へ連れて行ってくれという熱い願いを、アレクサンドリーヌは聞き届けて、ローマの地を踏んだというわけです。
「見えたぞ、ラテラノ大聖堂だ」
雑踏の向こうに、荘厳な建築物が遠目に見えました。
ローマにおける、偉大なる四つの古代ローマ様式の大聖堂。
その最上位たるラテラノ大聖堂は、ローマ司教の司教座聖堂として名を馳せます。
即ちそれは、世界最高の大聖堂ということ。
教皇のおわす聖堂なのででした。
あそこで、クリスティナが裁判にかけられているのです。
その日はぐるりとラテラノ大聖堂の周辺を歩いて感覚を掴むに留めて、夜には宿に戻ります。
「吼え猛る獅子の館」という、パラティーノの丘に建つ古代の貴族の館を改造した高級な宿です。
アレクサンドリーヌが借りたひと部屋だけで、クロードの家三つ分くらいの広さでした。
部屋から丘の下を見下ろせば、コロッセオが俯瞰できる宿で、諸外国の貴人からも人気の高い宿でした。
そこで間諜から上がってきた情報を纏めて明日の作戦タイムです。
「既に、三度クリスティナの裁判が済んでいる。明日が四度目であり、最後だ」
「そんなにするのか?」
「実は既にクリスティナという女に焦点は当たっていない。クリスティナには、眼鏡を棄てて聖なる神の教えに戻れという勧告だけだ。それを受け入れて眼鏡を棄てれば、村に帰れるであろよ。だが、かたくなに眼鏡をかばっている」
クロードは目をつぶって、うなだれます。
作った眼鏡をそんなに大切してくれているのか、という嬉しさ。
そして、その眼鏡で怖い目に合わせた申し訳なさにまみれます。
「……だが、そんなの一回だけでいいんじゃないか?」
「だから、クリスティナに対しては焦点が当たっておらぬと言うたであろう。裁判という名だが、現在眼鏡の是非に対する議論が紛糾しておるのだ」
「それって、有りか無しかってことか?」
「そうだ。わらわが眼鏡をかけて、ああして赤天派の軍勢を退けたのだ。ならば教会も使わぬ手もあるまい。しかしこれまでの体裁がある。簡単に是とは言えぬのであろうよ、頭の固い神の下僕どもはな」
アレクサンドリーヌが教会の体制の不自由さを嘲ります。
しかしその話に、クロードは希望が湧いてきました。
議論が紛糾しているということは、
「……眼鏡を有りだって思ってる奴もいるってことだな?」
「そうだ。そいつを射止めるように、存分に貴様の狂った愛情をぶちまけるがよい」
コロッセオで戦う剣闘士が、獣を相手に勝てるかどうか見物するような顔で、アレクサンドリーヌがクロードを焚きつけて笑いました。




