憧れるけどなりたいかと言われたら微妙な職業、スパイ
連れて行かれたのは裏路地にある小さな酒場でした。外で一旦待つよう指示され、先にスパイさんが入店してしばらくしてから私達も入店が許されました。
スパイが利用するということは、酒場はカモフラージュなのでしょうが、一応普通の店としても経営してるぽいです。そうでなければ昼間から呑んで潰れてる人はいないでしょう。
「いらっしゃい! 2階上がりな」
典型的な気前の良さそうな店主に出迎えられて2階席へ。個室席がひとつだけあり、防音対策が施されているからか不気味なほどに静まりかえっています。
「それで、捜査局のどの人間が一般人である貴方達にわたしのことを教えたのです」
「タバコを灰すら残さず吸い尽くす人」
「……あの警部に会ったのですね」
若干の呆れ顔をしながら、何もないはずの壁を押しました。するとタイプライターのような機械が出てきたではありませんか。継ぎ目の無い隠し引き戸、実在していたんですね……!
カタカタとキーを打ち込み、しばらくして彼女は普通の表情に戻りました。若干の釣り目に引き締めた口元。無表情というよりは悟られないように作った表情で、恐らくこれが彼女のデフォルトなのでしょう。
「アイツは人の心を読めるのです。単なる心理学でも魔法でもない。何と言うべきか……生来、人の感情に敏感な性格の人間って一定数いますよね。それの感度が何百倍にも跳ね上がったやつ、とでも言えばいいでしょうか。貴」
異能力みたいでカッコいいと思ってしまいましたが、他人の考えていることが分かるというのは、日常生活ではデメリットの方が大きいでしょう。外面は好意的でも心では嫌悪感を抱いていると知ったら、私なら秒で精神を病みます。
私は本音が分からないのが怖いタイプですが、それはそれとして自分が思ってるより冷めた関係だった、なんてのは想像もしたくありません。それならば自分だけ親しい関係と思い込んでいたほうが、まだ幸せなはずです。
「じゃあ彼にとっては天職だろうね。包み隠した心情を丸裸にできるなんて、捜査局からすれば喉から手が出るほど欲しい人材だろうから」
「アイツが言うなら、貴方たちは怪しい者ではないのでしょうね。崖の上でこちらを監視してのは敵地観察ですか」
「そうに決まってるじゃん。会話を聞いて、君がスパイだろうと当たりを付けて協力を申し出たのさ」
「どう考えても脅迫だと思いますが。でも背後を取ったその手腕は認めてもいいでしょう」
「あれ気付いてなかったんだ。演技だと思ってた」
「突き付けられてからのは演技ですが、後を付けられていたことには不覚にも…………魔法で音を消したのです?」
「その通り。あとはリラの空気感?」
「確かに言われなければ気付かないほどに空気ですね」
本職のスパイに隠密行動を認められて素直に嬉しい気持ち。陰キャ特有の影の薄さが効力を発揮したんですね。喜んでいいのかな、これ。
スパイさんはほんの少し口角を上げると、よろしくと平手を差し出してきました。
その手は細くて色白でなめらか。しかし握力は強く、厚い皮膚の下に感じる無骨な骨はスパイの裏の顔を想起させました。
「そして貴方たちはどんな策で奪還するつもりで?」
「箒で突入。敵は気絶する程度の魔力弾で無効化する」
「あ、あのー…………」
周囲の視線を受けながらおずおずと手を挙げる私。でも最近は割り込みで質問することへの耐性が付いてきた気がします。
挙手に必要なMP量が減った気がする。
「スパイさんの言葉だと既に証拠を掴んでいるように聞こえるのですが、どうしてまだ逮捕されないのですか。証拠があれば逮捕できるって……」
すると今度は「はぁ」とため息をついて言葉を返しました。気を許した相手には表情をコロコロ変えるようです。声のトーンは変わらず一定ですが。
「ヤツらがカローラに来たのは2日前。その日に発生した盗難事件で目撃者の証言から、【黄金の共鳴】の疑いが浮上したばかりなのです。2日で15人の犯罪集団を一網打尽にできるほど我々も暇ではありません。あとは国際犯罪組織なので、各捜査機関に共有するにあたり精度と信憑性の高い情報を収集したいのです」
「逮捕後ではダメなんですか?」
「頑なに口を割らないヤツ、虚偽の情報を吐くヤツなどいますから。現場の声が最も信憑性が高いのです。こっちも現場なんだから拾ってほしいんですけど……」
彼女はまた大きなため息をつきました。いろいろあるのはどこも一緒なんですね……
なんて他人事のように思ってしまいましたが、実際他人事なので仕方ないです。私にスパイなんて死んでも無理なので




