犠牲の先に守られたモノ
まるで静止画のように、まるで時が止まったかのように辺りは静寂に包まれています。
目の前で起きた数分の出来事が現実であったと理解できていません。あるいは、それを拒んでいるのか。しかし木々がなぎ倒され、村の一部が破壊され、ヘルムさんがいない光景は確かにこの目に映っていました。
「わたくしの名前はヴェロ・ノーザン。ヘルム様のご先祖であられますヘルミー・ジャザリー様の手によって製作された機械人形であります」
「じゃあ、あの絵はやっぱり」
「ご覧になられたのですね。そちらにある物……ヘルミー様の残した品々を持ち帰られたということは、わたくしについては全てご存知なのでしょう」
ヴェロさんは胸に手を当てて、静かに語ります。フーリエちゃんの推察は当たっていたのでした。
「わたくしは両親を火災で亡くしました。孤児院からヘルミー様に引き取られ、教育を受けながら従者として側にお仕えしました。ヘルミー様は龍民族の生まれではあるものの、機械技師であった為にドラゴン達と顔を合わせることはありませんでした。わたくしは一日中、ヘルミー様に勉強を教わりました。本来はわたくしが尽くさねばらないのにも関わらず、逆にわたくしが尽くされてばかりだったのです。必ずや恩を返そうと誓ってましたが……」
目を閉じて深呼吸のような仕草を見せて続けます。
「ユージェズドラゴンと龍民族の契約で、ヴェロ・ノーザンが生贄と捧げられることが決まったのです。彼女はそれがヘルミー様の為になるならと覚悟を決めていましたが、やはり恐ろしく可能ならば逃げ出したいのが本音でございました。それを汲み取って下さったのか、ヘルミー様は彼女の精神を別の“体”に移すことを提案されました。つまり肉体のみを生贄に捧げてドラゴンを騙し、“中身”は別の“体”にて生き残るのです。その結果が今のわたくしなのです」
「そんなこと可能なんですか」
「当時は可能でした。その数年後に禁忌の魔法として封印する取り決めが成されていたので、現在に残っているか不明ではありますが」
「でも騙しきれなかった。恐らくドラゴンの平均寿命である1900年を想定して長期休眠に入らせたんだろうけど、予想外の事態が発生して早くに眠りから覚めてしまい、ドラゴン達が勘付いてしまったと?」
「仰る通りでございます。もう少し私が遅くに意識を取り戻しさえしていれば……。全ての元凶はわたくしにございます。到底、謝罪で許されない事態とは重々承知しておりますが、どうか謝意を述べさせて頂きたく存じます」
ヴェロさんは深々と頭を下げました。一体どんな言葉を選べばいいのか、考える余地すら私にはありませんでした。
大切な人が突然消えてしまう悲しみを私は知っています。しかし、知っているからこそ励ましや同情ができないのです。心の傷は触れようとするだけで傷が広がってしまう繊細なもの。
私はまだ傷への触れ方を知りません。自分の傷ですら上手に触れないのですから。
一体どのくらいの時間が流れたでしょうか。風だけが静かに吹き抜けていきます。
「ヘルムは最初から分かっていた。こうなるように最初から仕向けていたんだと思う」
「じゃあ、ヴェロさんのことも……」
「族長から聞いたんだろうね。先祖との関係も。ただしその時点でまだ分からないのは、ヴェロの記憶を復活させる方法。だから因果関係を私達に調べさせたんだ。『生贄の少女』の正体がまだ分からないと嘘をついて『生贄の少女』はヴェロではないとミスリードさせた」
つまりヘルムさんの本当の目的はこうです。
“ 自らが生贄となりヴェロさんの記憶が復活した状態で生き残らせる。また、記憶を復活させる方法を、事件の真相に辿り着かれないまま私達に調査させる“
ヴェロさんの全ては先祖が握っている。しかし魔法が使えないヘルムさんでは密室を解くことができない。そのため魔法使いである私達に目を付けたのでしょう。
「契約の虚偽が事実である以上、龍民族として責任は取らなければならない。ヴェロを犠牲にせず、かつヴェロの記憶を取り戻して自らが代わりの生贄となることでドラゴンとの和解を取り付けたんだろう。それでもシムクィソ村の崩壊を完全には止められなかったみたいだけど」
フーリエちゃんは表情を一切変えずに真相を語っていきます。きっと誰よりも早くヘルムさんが自らを生贄に捧げることを察していたのでしょう。けれど彼女の意志を尊重して知らないフリをしていたのです。
ヴェロさんは目を閉じて深く息を吐く仕草を見せました。
「その通りでございます。わたくしは何も知らなかった故にヘルム様の行動を止めることができませんでした。本来はわたくしが犠牲になるべきだったはずなのです」
「私も自信は無かった。でも彼女の言い方や性格からして誘導は確実にしてくると思った。それがヘルムの先祖の部屋。そこに辿り着くように仕向けられていたんだ」
「だったら最初からそう頼めばいいのに……」
「自らが生贄となることを、周囲から止められることを嫌がったんだろうね。そして恐らく龍民族の掟にもそう定められているんだろう。ユージェスドラゴン側も足りない生贄を補填すると提案されて受け入れたんだろう」
エリシアさんがようやく頭が落ち着いたといった具合で口を開きました。
「でもなぜドラゴンはヴェロさんを差し出すことを要求しなかったのですか? 本来はヴェロさんが生贄のはずであって、それが捧げられてないと気付いたのが発端じゃなかったんですか。あっさりとヘルムさんの犠牲を受け入れてたように見えましたが……」
「交渉の際、確かにドラゴンはわたくしを生贄として要求しました。しかしヘルム様は、フーリエ様の推察通り、龍民族の掟を根拠として自らの身を差し出しました。ですが、本当の理由は…………」
沈黙が流れました。今まで口を開けば言い淀むことのなかった彼女の、初めての沈黙。私達はただ待っていることしかできませんでした。
風によって壊れた木材が朽ちる音が不気味に響きます。
「掟ではなく、わたくしの為に身を挺されました。長く、永く止まった時間はもう一度動かねばならないと仰られました。ですが私にはもう残された時間などありません」
「それは、どうしてですか」
「…………わたくしは1895年前の自分と同一なのか、分からないのです。従うべき御方も亡くし、本来の肉体は遠い昔に無くなりました。精神は移し替えられたと言えど、この体は設計された物。ヘルミー様を疑うつもりではございませんが、今こうして体を動かしているのは、自分ではない何かの命令によって成されているのではと、そう感じて仕方がないのです」
「ヴェロさんは間違いなくヴェロさんそのものです」
私は一歩前に出て、助走をつけるようにしてから言いました。こうでもしないと、この先も切り出せなくなるでしょうから。そうなればヘルミーさんの部屋を捜索した意味がなくなります。
私は悩みや辛い気持ちを抱えないことが羨ましいとさえ思います。でも逆に、それが最も人間らしい感情であることも知っています。
「ヴェロさんは悩んで、傷付いているじゃないですか。それって最も人間らしい感情だと思うんです。それにヴェロさんは深呼吸や胸に手を当てる動作をしていた。機械の体ならば普通は必要ない行為なのに自然と出ていました。あの、これ、ヘルミーさんの部屋で見つけたものです。これは多分、いいえ、未来のヴェロさんにヘルミーさんが託したものです。見つけたときは意味が理解できなかったのですが、今なら理解できます」
それはフーリエちゃんの座っていた木箱の中に1枚だけ残されていた、シーリングスタンプで封がされた手紙でした。ヴェロさんはゆっくりと手紙を受け取ります。ほんの少し触れた指先は柔らかく、とても機械のものとは思えません。
私は全身を震わせながら読み終わるのを待ちました。どんなに確信を持っていようと、どんなに相手を想っての行動だろうとも、否定をするのは勇気が必要です。
やがてヴェロさんはゆっくりと顔を上げました。そこに無感情さも無機質さもありませんでした。
「ありがとうございます」
ヴェロさんは微笑を浮かべ、手紙を胸に抱きよせました。




