隠された教室
エリシアさんでも銃を背負ったままでは通れないほどに狭い道。声の反響する方向へ分かれ道を進み、突然現れたのは中庭のように吹き抜けになった空間でした。
正方形の建物に囲まれた場所は芝が生えていて、日光が優しく降り注いでいます。表通りとは対照的な景色の中にいるのは、7人の子供を前にぼろぼろの黒板で授業をするシルクハットの少女――ルーテシアさんでした。
「10分の1なら小数点をひとつ、100分の1ならふたつ、つまり0の数だけ小数点を左にずらすんだ。もしこれが15分の1のように中途半端なら、この前教えた割り算を使って…………なんだ、お前か」
「あ、すいません。盗み見するつもりじゃなかったんですけど……」
彼女がこちらに気付くと同時に子供の目線が一斉に私へ向けられました。警戒されてる気がする……とはいえ自分より年下の子供相手でもたじろいでしまうのも情けない……豆腐メンタルってレベルじゃないですよオォイ!!
「お前なら見られても問題ない。終わるまで大人しく待ってろ。それとも一緒に受けるか?」
「いやいいです」
「復習になると思うぞ」
もしかして:ナメられている
実際、戦闘力は向こうが上かもしれませんが、学力までそう見られるのは心外も心外ですよ……これでも私、高校2年生だったんですけど! ばねていすう……? 習ってるんですけど!
ま、そんなこと主張しても仕方ないので大人しく角っこで体育座りして終わるのを待ちました。見学になった体育の授業みたいな気分を異世界でも味わうなんて想像できたでしょうか? いやできない。
「――という考え方で小数点を使った計算ができる。明日はもう少し複雑になるからしっかり復習するように。では解散」
ルーテシア先生の一声で子供達は散り散りになって帰っていきました。私のことはアウトオブ眼中なのか誰とも目線すら合いませんでした。そっちの方が好都合ですが。
「もう帰る時間か?」
「あ、まだ、分かんないです……ちょっと抜け出してふらふらしてたら、ここにたまたま来ちゃっただけなので……」
「今日見たことは誰にも話すな。話したら殺す」
冷えた鉄のような視線が、鈍く光るナイフの切っ先と共に鼻先へ突き付けられました。
私よりも低身長で見上げる姿勢なのに、圧倒的に分が悪く感じます。それは彼女の身体能力の高さを見たから? 殺すという警告のせい? それとも、反抗しようと思わなくなったから?
「クラウンロイツ姉妹も、知らないんですか」
両手を上げながら恐る恐る尋ねました。
「知ってる。必要だから」
「勉強を教えているんですか」
「そうだ」
「とても、立派なことだと思うんですけど、どうして隠す必要が」
「声を、与えるためだ」
「声…………?」
彼女は首も目線も動かさずに、ただ淡々と言葉を続けます。
「抗う声を。真の自由を得るための声」
「この街が貧しいからですか?」
「それもある」
「…………」
「……………………」
彼女は質問に対して最低限のことしか答えてくれません。続きの声に構えていても口を閉ざしたまま直立不動で見上げるのみ。一方で対話を切ろうともしてきません。私から真意を突く質問を待っている、そんな様子にも感じられます。
「貴族から権利を剥奪されているから?」
「貴族ではないが、それも含まれている」
やはり曖昧な答えしか返ってきませんが、眉がほんの僅かに動いたのを見逃しませんでした。徐々に正解に近づいているようです。
貴族ではない誰かに権利を剥奪されている。権利とは人々に与えられた自由であり、それらを剥奪できるのは上に立つ者。
いえ、もっと視点を変えてみましょう。ここは異世界であり、転生前の日本とは違うのです。権利という言葉の意味合いも違うかもしれません。
「権利……自由……侵害…………魔物ですか」
「違う」
「えぇ……」
思考を転回させて導いた答えがあっさり否定され、思わず困惑と落胆の混じった声が漏れました。正直、この異世界での特有の事情や環境を考えると、それ以外の答えが思いつきません。
頭がキュウと締め付けられる感覚を覚え、首を横に振って降参の意を示しました。
「私には、思いつかないです」
「……お前は前世を信じるか」
「前世……? はい、信じてますけど」
信じるも何も、1回死んで生き返ってますし。
すると、どこか満足したようにクルリと踵を返し、私が来た方向とは逆の路地に足を向けました。
「なら、いづれ分かるだろう。帰るぞ」
「あ、あはい!」
いまいち意味が理解できないまま、速足で先を行くルーテシアさんを追いかけました。