アラタ、法廷にて その5
「……私は、名前のほかにもいろんなことを忘れました。ですが覚えていることが二つほどあります」
その一つは、回復術士だったこと。
これは何度も聞いた。
で、もう一つは?
「……私には、仲間達がいました。……仲間と呼べる者達かどうかは分かりませんが……」
また聞きたくない身の上話を聞かされるのかなぁ。
けど、必要な情報であれば、聞かざるを得ない。
手っ取り早く終わってくれねぇかなぁ。
「……私は、あの子を助けられなかった……」
「あの子? そいつじゃなくて?」
顔らしき部分が横方向に動く。
否定、らしい。
「あの子は……あの子だけは、いつも泣いてた……。笑ってる時も、楽しそうにしてる時も……。必死な時も、休んでいる時も……。何も悪いことしてないのに。必死でみんなについて行こうと頑張ってたのに……。私は、みんなに笑ってほしかった。あの子にも笑ってほしかった、なのにみんなはあの子のことを……。私は、回復術士なのに、何もしてあげられなかった……」
……またその構図か?
ひ弱な奴が、人気がある連中に責められて仲間外れにされて、貧乏くじ引かされて。
可哀想とは思うがよ、飽きてきたな、似たような話を何度も聞かされてさ。
「……あの時も、私は、あの子を助けようと……手を伸ばした。けれど、その願いは、私の思いは届かず……」
彼女の言うあの子とそいつは違う存在なら、その先も大体わかる。
「命を落とした、か」
「えぇ。その通りです……。私が非力なばかりに……。何の力もなれなかった……。そんな私に、手を差し伸べる存在が現れました」
ほう?
「人の叡智を超えた存在が、私に話しかけてきたんです」
なんじゃそりゃ?
「えーと……神、とか?」
「いいえ。ただ……人の力の及ばない存在、としか思えませんでした」
なんかこう……曖昧な感じだよなぁ。
具体的なものが何一つ出てこない。
かといって、彼女の言うことには嘘はない。
「そこは……どんな場所だったんです? 屋外? 地下?」
「地下……いいえ。日の光が届かない場所、としか……」
「この国の、どの位置とか……」
「覚えて……いません……。そして、その者は私に言いました。『それほどに望むものがあるのなら、その望みを叶える力を与えよう』と」
なんじゃそりゃ?
「で……無償でその力をもらえた、と?」
「はい。それ以来、私は、なぜか昔のことは次第に忘れていきました。けれど私はうれしかった」
過去のことを忘れたら、自分はどこの誰だ、なんてことが分からなくなるだろ。
それって、結構不安じゃないか?
「苦しんでいる人、悲しんでいる人をたくさん見てきました。けど、そんな人達に私は手を差し伸べ、その人達はみなその手を取ってくれたのです。誰もがみな、安らぎに満ちた顔と心を見せてくれました」
その声には喜びを感じる。
だがおいちょっとまて。
「たくさん? こいつが一人目とか三人目とか、十人目とかじゃねぇの?」
「えぇ。もっともっと、たくさん、です」
「てことは今まで……例えばこいつが亡くなったとして、そしたら次の相手はすぐに見つかる、みたいな連続だった?」
「すぐ……だったような……。間が空いていたような……。いえ、そんなことはどうでもいいのです。多くの人に、安らぎを与えられたなら本望ですから……」
しかし、よくよく考えれば、彼女だって、人間ではあったろうが、今では人知を超えた存在であることに違いなかろうに。
「……あなたは、既に人間ではない、という自覚はあります? 最初に女神様なんて言ったのは……」
「……えぇ。何となく、ですが……。ですが、私は、今は幸せです。苦しい思いから解き放つことができるのですから」
伝えるべきか。伝えぬべきか。
いくら気配を感じ取って、危険な目に遭う前に退避できるとしてもだ。
こないだみたいに、いきなり目の前に途轍もない危険が目の前に現れるなんてことだってあったんだ。
俺も、この世界では並の人間じゃない。
が、人間だ。
人間を超えた存在じゃない。
すぐに撤退するつもりで、切りだすしかない。
「……こちらの現実世界じゃ、呪いの防具などと呼ばれてるらしいですよ? 俺はよく知りませんがね。事実、こいつの体は、健康と呼ぶには程遠い状態です。心身ともに。飯も碌に食ってないのは明らかに分かる。それに加えて、おそらく睡眠不足なんじゃないか? 風呂も、その格好のままお湯や水を浴びて終わり。清潔とは言い難い。それで健康を維持できるとはとても思えないんですが……」
さあ、どう出る?
かなり怖いが、出方を伺うまでは動けないよな。
「……それは、不本意な呼ばれ方です。だってこの子は……そんな事よりも、安らぎを望んでいるのですから」
あれ?
ということは……?
「……相手は誰でも彼でもってわけでは……?」
「ありませんよ。本人が、私ができることを望んでいなければ、私にできることはないのですから」
なんとまあ。
それはこっちの情報不足に思い込みが重なった。
「それは失礼しました。失言でした」
即座に謝るしかない。
悪意があるなら、誰でも彼でもこんな状態に追い込むはずだから。
「分かっていただけたなら、それでいいのです」
さて。
これまでのことをまとめると。
彼女は人間の回復術士で、冒険者のチームに入っていた。
仲間を助けたかったが助けられなかった。
その苦悶に付けこむ輩が現れた。
彼女の願いを叶えてくれた。
と同時に、彼女は人間を止めてしまった。
防具に取りつき、その防具をつけた者は、こいつのようにやつれてしまう。
ただし、そうはならない者もいる。
何か思い煩うものを抱えていた者に限り、ということだ。
そしておそらくは、長い長い間、こんな状態でいたということだな。
おっと、もう一つ聞かなきゃならんことが出てきたな。
「あなたが今の状態になった時、冒険者と言ってたな」
「はい。それが?」
「あなたはその……どこの養成所出身ですか?」
と聞いても、あそこのだのあっちのだの言われても、それがどこでどんな施設なのか分からんが。
まぁ聞くだけ聞いてみる。
「養成所……とは?」
え?
「えっと……冒険者になるための訓練所……養成所……だと思います。たくさんの子供ら……生徒を集めて、何年も……勉強とかしてたのかな? 武術や魔術を学んでるところのようですが……。俺は冒険者じゃないのでよく分からないんですがね」
「そんなの……初めて聞きました……。私は……先生の元に師事して……たくさんの人達と一緒に、ということはなかったことだけは確かですが……」
「仲間の人達は? どこかで武術を学んだとかは?」
「そういうことはなかった……ような気がします。周りの人達も……もしそんな場所があるなら、わずかでもその記憶があるはずですし……」
養成所なるもの自体がなかった時代の人達のお話し、てことか。
これで大体、彼女からの情報は、得られるだけ得られた。
「……長い時間にわたってのお話し、聞かせていただきありがとうございました」
「もう、ここから去るんですね?」
……ヤバくない?
ここから立ち去るなど、許さない! みたいな?
……ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい!
「久しぶりに誰かとお話しできて、楽しかったです。私の役目に障りがないのであれば、いついらしても結構ですよ?」
好意的だったっ!
……なんかこう、思い返すと紳士的な対応をしてもらえたんだな。
……紳士的って言葉は、女性に対する言葉としては適当なんだろうか?
「あ、ありがとうございます。では……」
……得体のしれないモノ、しかも情報がほとんど伝えられない相手とのファーストコンタクトでこの別れ方は上々じゃね?
にしても、危険な仕事をいきなり持ち込むんじゃねぇよ!
結果オーライなら問題なしって話じゃねぇぞ!




