「とっかえべえ」への釘
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共に、この場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんは、裏紙を使っている人かしら?
さすがに、人に提出するものに使うわけにはいかないけれど、書き損じた紙とか、広告の裏とか、自分専用のメモとして扱うならば、数に困らない時代よねえ、現代は。
物品があふれてくると、何があって何がなかったか、管理がずさんになりがちね。いざという時に目的の物がすぐには見つからなかったり、どうでもいい時に無くしたと思っていたものが見つかったり、非効率な場面もしばしば。
ひとつひとつの品の重要度が、大量に存在する他の物の中に埋もれてしまう。大量生産、大量消費の弊害といえるかもね。もしもこれがほとんど新しいものを作らず、修理や再利用によってまかなっていた江戸時代とかだったら、もう少しましな状態になっていると思う? それとも、結局は個人個人の心がけ次第だと思う?
私、最近授業の課題で江戸時代のシステムを調べているんだけど、それにまつわる面白い話もいくつか見つかったわよ。ちょっと聞いてみない?
江戸の中期ごろから始まった、「とっかえべえ」という仕事、ご存知かしら。
子供相手の古金属類取り換え業者で、折れ釘とかを拾って持っていくと、飴やおもちゃと交換してくれたらしいのよ。これらの金属を溶かして、将来的に神社の釣り鐘などを作るのに役立てるのだとか。
子供たちにとっては、そのような大義名分などさしたる問題じゃなかった。ただ、臨時のご褒美がもらえることを考え、どうにかゴミを集められないか、工夫を凝らしたみたいね。
とある男の子は、それらのゴミを探すコツをつかんでいたわ。彼は釘が必要になる場面を考えた時、一番いいのが火事の起きた現場付近だと判断したそうね。
当時の火事は延焼を防ぐため、火元となる場所以外にも、周囲の家屋を崩すことが多かった。その後にやってくるのは、普請事業。大工たちのお仕事ってわけよ。
大規模な作業の最中には、うっかり釘を落としてしまうこともあるでしょう。それもすぐには拾いに行けない、どぶや縁の下の中へ潜り込んでしまっては、取りに行く手間だけでも一苦労。その間に作業を進めた方がいいと、放っておかれた結果、忘れ去られてしまうことが多かったとか。
彼はまだ子供。大人なら二の足を踏みがちな狭いところ、汚いところへ入り込むことにほとんど抵抗はなく、「とっかえべえ」が気に入りそうなブツたちを集めに集めていた。
寺子屋が終わって、家の手伝いをお願いされるまでの時間つぶしに溜め続けたけど、ちょっと臭いがきつい代物。自宅へ持ち込むのははばかられた。常に懐に入れておくのも限度があるし、とっかえべえそのものも、しょっちゅう自分の近辺を訪れてくれるとは限らない。
そこで彼は町のあちらこちらに、自分の探し出したものを隠し始めたの。釘を拾った時と同じ、虫の多い寺社の縁の下とか、橋の影、時には陸にあげられたままあまり使われない、船の中とかね。
遊び回る範囲も広かったから、どこでとっかえべえがやってきても、すぐに取り出すことができるよう、仕込みを行っていたみたいなの。その動きはまるでリスが貯食をするかのごとくだと、気の置けない友達は話していたみたい。
そうしてとっかえべえが訪れるたび、一定の成果を挙げていく彼だったけど、ある時から隠し場所の一部が掘り起こされて、中身を奪われることが少しずつ増えてきたの。
当初は友達の仕業だと思っていた。自分の働きを知っている友達が、成果を横取りしているのだと。「だったら」と、彼は自分が確保していた貯蔵場所を、どんどん替えていくことにしたのね。周囲を気にしつつ袋を抱えて、釘たちを掘り起こしながら詰めていき、何町も先に隠し直す彼。人の目を避けるように気をつけたから、その動きは悟られていないはず。
実際、ひと月あたりはそれで問題なく推移したのだけど、以降はまた同じようなことが起こり始めてしまったとか。貯えを奪われてしまった現場には、やはり土を掘り起こしたままにしていく、ずさんな手口の痕跡が残っていたらしいわ。
こう何度も繰り返されるなんて、だいぶ自分が舐められているんだと、彼はみなしたわ。再犯を防止するためには、いっちょ「しめてやる」必要があるかもしれない。
彼は、いつも懐の中にしまっている、折れ釘入れの袋の中へ、代わりに石を詰めて持ち歩くようになったの。子供相手であれば腕ずくで止めるところだけど、もしも大人が犯人だったりしたら、正面からの勝負ではまず敵わない。その時は卑怯だけど、物陰からこの石つぶてを投げ、脅してやる算段よ。
自分の目的は、相手を傷つけることじゃない。自分の手柄を労せずして奪おうとする奴への警告。ちょっと怖い思いをさせて、懲りさせればそれでいい。彼は、日中はもちろん、日が暮れてからも親の目を盗んでは外へ出た。
折れ釘を新しく隠す仕事も、しばらくは中断。相手がどれだけ自分の隠し場所を把握しているのか、理解しておこうと思ったらしいわ。
結果、彼は自分がつきまとわれているんじゃないか、と思うほどの戦慄を覚える。合計30を超える自分の埋めた場所は、およそひと月で半分以上暴かれていたの。
更に、隠し場所のひとつとしていた船。久方ぶりに利用されるや、船底に穴が開いてしまったらしく、海に比べれば遥かに浅い川の底へ、沈むことになってしまった。当然、釘たちも巻き添えを食らっている。
乗っていた者たちは助かったものの、その着衣は川を十間(約18メートル)ほど泳いだだけにも関わらず、荒波にもまれたか、それ以上の強い力を受けたらしくぼろぼろになっていた。彼らの素肌は全体的に赤みを帯びていて、腫れと痛みが引かず、十日余り経ってもまだ薬の世話になっているとか。
彼らの証言では、船に乗り込んできた何者かに暴行を受けたわけではないらしいの。船底に瞬く間に穴が開いて、塞ぐ暇もなく沈んでしまい、その際に川の水に浸かった自分たちにも、熱い風呂へ飛び込んだかのような痛さとこそばゆさが駆け上ってきて、夢中で逃げたというんだ。
釘を積んだ船が狙われたのは、ただの偶然だと思いたい彼。でも、もしこれが釘の場所を暴いた盗人と同じ者の仕業なら、少なからぬ害意を持っていることになる。
――いっそ、釘のことは諦めた方がいいんじゃないか。
そうささやく声が心の中でしたけど、こうもいいように荒らされ回られては、引き下がれない気持ちも強い。
――一回だけ。一回だけ、犯人の姿を見やって、どうにかできそうだったら石を投げて脅かす。それでおしまいにしよう。
夜に溶け込むような黒い服を身に着け、手拭いを頭にかぶり、彼は日夜、残された自分の隠し場所をめぐり続けたらしいわね。
そして、ついにその現場に出くわしたのが、四つの頃(現在の午後10時前後)。河原に立つ一本の柳の根元に、釘を埋めていたの。
彼がほど近い長屋の影で、息を潜ませながら待っていたところ、風がないのに、不意に柳の枝がそよぐのが見えたらしいわ。ぐっと気を凝らしていると、「ざくり、ざくり」と土を掘り返す音が、小さく聞こえてくる。
――ついに現れたぞ。
彼は足音を忍ばせながら、現場へ近づいていく。その距離は街路と含めて、およそ三間(約5.5メートル)。面を整えられた街路の上なら、まだ音を殺せるものの、大小さまざまな石が転がる河原では、ちょっとした拍子で気取られてしまうかもしれなかった。
「あくまで警告」と割り切る彼は、街路のぎりぎり端へ立ち、柳の根元へ改めて目を向け、思わず声を出しかけた。
柳の根元には、誰もいなかったの。土を掘り返しているのは、その内側に眠っているものたち。すなわち、彼が隠していた釘たちそのものだったのよ。
盛んに内から砂を吐き出し、河原の石たちを覆っていく姿は、まるで道を作るかのよう。ややあって、吹き出す土たちに乗り、釘が一本ずつ飛び出してくる。
敷かれた土たちの上に横たわった彼らは、おのずとコロコロ転がって、川水の中へとまっしぐら。身の丈にあった小さい水音と共に、姿を沈めていってしまう。
少年は、彼らの奇妙な行進を、かたずを呑みながら見守るばかり。釘がすっかり吐き出し尽くされるまで、その場を動けなかったそうよ。
土の噴出が止まる。彼はそれでもなお、しばらく待った後に、そろそろと現場へ近づいてみる。これまでの場所で何度か見かけたものと同じ、小さく乱暴な形の穴の中に、釘は一本も残っていない。
確認が終わると、今度は川へと近づいていく彼。先ほど釘が飛び込んだ箇所に手を触れようとして、思いとどまった。先日の、船に乗っていた人たちの怪我のことが頭をよぎる。代わりに手近な枝を広い、先端を水の中へと漬けてみる。
枝はたちまち「シュウシュウ」と音を立てつつ、川面から湯気を吐き出し始めたの。慌てて枝を取り出した彼は、このわずかな時間で、三寸(およそ10センチ)はあった枝の先が、ほとんど消えてしまっているのを、この目で見たわ。
枝は折れたんじゃない。溶けたのよ。あっという間にね。
釘たちがこの中へ飛び込んでから、それなりの時間が経っている。この水の中では、ひょっとすると、すでに姿かたちを失っているかもしれない……。
彼は釘たちを探るのを断念したの。
それから彼は、夜の外出をやめて、折れ釘を隠すこともやめてしまったわ。とっかえべえが来た時、その間で拾い集めた釘の交換だけにとどめることにしたの。
「もしも、とっかえべえに渡した釘たちが、本当に形を変えてまた使われているのなら、釘たちはそれが嫌になったのかもしれない。
どんだけくたびれても、こき使われ続ける自分の運命に嫌気が差して、この世から完全に消えようとした。それをあの時の川の水が、手伝ってくれたのだろう」
歳をとってからの彼は、子供たちにそう語ったのだとか。