10 春風通りで
「お兄ちゃんさ、彼女っているの?」
いる訳ねーだろバカかお前。空手が恋人だよバカヤロー。
「お、おう。まあな」
「あ、そうなんだ。じゃあ断んなきゃ」
おい妹、断るって何をですか?え?どういうこと?
「いや、今はいないんだよ、今はな」
過去にもいないけどな。だけど未来にはすげー可愛いヨーロピアン美人の彼女が出来る予定なんだよ。つ、強がってなんかないんだからね! 勘違いしないでよね!
「ふーん、まあどうでもいいんだけどさ。私の友達にさ、お兄ちゃんの事気になってるって子がいてね。紹介してくれないかって頼まれてんの」
うんうん。いいよいいよ。明日でも今からでも。ウェルカムウェルカム。
「ああ、お前の友達なら断る訳にはいかないな。まあ、いいよ。会うだけなら」
断って妹と友達の仲がこじれちゃいけないからな。俺は優しいお兄ちゃんだからな。一肌脱ごうじゃないか。
「わーいありがとー、さすが私のお兄ちゃんだわー」
わーい棒読み。心が込もってないお礼どーもでーす。
―****―
「えーっと、これがお兄ちゃん」
妹と一緒に待ち合わせ場所に行くとそこには茶髪の女の子がいた。
おう、妹の友達にしては派手な子だな、イメージしてたのと違ったわ。
まあ、俺が見た目で人を判断するなんてのは正に、お前が言うな、だからな。話してみれば真面目な子かもしれない。
「えっと、こんにちは。藤沢恋です」
俺が自己紹介すると、茶髪の子は指を差して笑い出した。
「プッ、アハハハ! あんたの兄ちゃんマジ女じゃん、まつ毛多っ! 気持ち悪っ! 背もちっちゃいし超ウケル!」
お、おお、笑って頂いて恐縮です。見た目のまんまだったな。おい妹よ何をす……
パァンッ!
俺が止める間もなく妹の平手打ちが炸裂。茶髪の子はたまらず頬に手をあて、妹に抗議する。
「ちょっと! いきなり何してくれてんのよ!」
「それはこっちの台詞っ! 確かに見た目はこうだけど、強くて優しくて! 超カッコいい自慢のお兄ちゃんなんだから!帰ろ、お兄ちゃん」
茶髪の子に背を向けスタスタと歩き出す妹。
俺が茶髪の子に謝るのも変だし、放置して妹を追っかける。
「お、おい。良かったのか? 友達なんだろ?」
「ごめんねお兄ちゃん。ごめんね」
妹は泣いていた。バカだな、今更俺があんな事で傷つく訳ないじゃないか。毎日鏡見てんだぞ。ただ、事実を指摘されただけだ。
「お前が悪い訳じゃないよ」
「ごめんね。ごめんね」
泣きじゃくる妹をなだめる為に二人でパフェ食って帰った。
結局友達との仲はこじれちゃったみたいだけど、俺にとっては妹がちゃんと俺を兄として慕ってくれてたんだなあってわかった、今となってはいい思い出である。
―******―
手を引いたまま、アルベニエの店の前まで走って逃げてきてしまった。
神殿跡から1キロぐらいか、俺はなんて事ないが、アンジェは息があがって辛そうだ。
オルガも運動不足といっていたし、治癒魔術師ならば体を動かす事も少ないだろう。走るのだって久しぶりかもしれない。
「ここら辺で大丈夫でしょう。どこかで休みますか?」
「す、すいません。こんな風に走る事なんて滅多になくて」
治癒魔術で体力を戻してもいいんだが、治癒魔術だと超回復しないようなのだ。
運動をすると筋繊維が壊れるのだが、それを修復する時に壊れにくくしようと前よりも太く、強い筋繊維に修復しようとする。これを超回復という。超回復する事で以前より大きな筋肉となるのだ。
なので、筋トレをした後は2日から3日休息させる事が大事である。超回復が完了する前に筋トレしてしまうと強くなる前にまた筋繊維が壊れてしまうので意味がない。
トレーニーはこれを踏まえて、今日は胸、明日は背中、明後日は足、とトレーニングの部位を変えていき、効率的なトレーニングをする。
しかし、治癒魔術は以前と同じ、筋繊維が壊れる前の状態に戻してしまうので、折角トレーニングして筋繊維を壊しても意味がないのだ。
トレーニング後、治癒魔術で一瞬で超回復してすぐトレーニング、というループは出来ない。栄養をしっかり取って自然に回復するのを待たなければならないのである。
とりあえず今は治癒魔術よりも栄養を取ろうか。
「そうだ、甘い物をご馳走する約束でしたね。今からどうでしょう?」
「甘い物ですか?行きます行きます!」
アンジェは目を輝かせ即答する。甘い物には目がないようだ。
パン屋で聞いた有名なドルチェの店でいいかな。ラ・ムスランと言ったか、四天王の会話に出てきた店だが、奴等と出くわさないといいなあ。
「クスッ、甘い物と聞くとすぐ元気になるのですね。わかりました、行きましょうか」
繋いだままのアンジェの手を引きラ・ムスランを目指す。
俺と手を繋ぐの、アンジェは嫌じゃないのかな?別に意識していないのかな?いかん、緊張すると手汗が出てきてしまう。
俺は立ち止まりアンジェに聞く。
「あの、アンジェリークさん。その、手を繋いだままですが大丈夫ですか? 嫌でしたら離しましょうか?」
キモいな俺、何確認してんだって。普通にしてればいいのに、自分に自信がないからつい聞いてしまうんだ。
召喚される前、妹に友達を紹介された時のあの友達の言葉、鏡を見るとたまに思い出すんだよな。思い出す度に、俺を異性として見てくれる女の子なんているのかなって思ってしまうんだ。
俺と一緒にいても周りから気持ち悪いって思われるのを気にしてるんじゃないかって、思ってしまうんだ。
「え? あ、いえ、そうだ、護衛の方の様に、はぐれたら困りますもの、繋いだままでよろしいのではないでしょうか?」
慌てた様子で答えるアンジェ。まあそうだろう、理由がなきゃ俺となんて手を繋いだりしないよな。
「俺の顔、女みたい、というか、女の顔で気持ち悪いでしょう?嫌じゃないのかなと思いまして」
「誰かに気持ち悪いと言われたのですか?」
「よく言われますね。指差されて笑われた事もあります。体を鍛えているのも、この顔がコンプレックスで少しでも男っぽく見えるようにと、そんな女々しい理由で始めたんです」
俺がそうこぼすと、繋いでいた手にアンジェがギュッと力を込めた。
「ごめんなさい。私嘘をつきました」
「え? 嘘?」
「はぐれないようになんて嘘です。セイ様と手を繋いでずっとドキドキしています。だって、こんなにも美しい男性と手を繋いでいるんですもの、ドキドキするのが当たり前でしょう?」
アンジェは恥ずかしそうに俯いていたが、やがて顔を上げると俺の目を真っ直ぐ見て言葉を続けた。
「だから全く嫌ではなくて、心地いいんです。ドキドキして、心地いいから、私が繋いでいたいんです。でも、それをそのまま言うとはしたない女だと思われたりしないかな、と考えてしまい嘘をついてしまいました。セイ様、はしたない私でよろしければこのまま手を繋いでください」
なんだこの子、天使か。
そんな事言われたら泣きそうになってしまうじゃないか。
「女の顔ですよ?」
「綺麗なだけですわ」
「背も小さくて貴女と同じくらいですよ?」
「同じ目線で同じ景色を見れますわ」
「中身はド変態ですよ?」
「じゃあはしたない私とお似合いかもしれませんね。フフフ」
アンジェはそう言った後に笑い、俺もつられて笑った。
なんだ、ただの天使か。
この子がそう言ってくれるのなら、もう顔の事でうじうじ言うのはやめよう。鏡を見ても綺麗な顔なんだと思う事にしよう。
俺も一度ギュッと手を握り返し、春風通りを目指して二人で歩き出した。
春風通りはファッションや流行の発信源と言われており、若者の姿が多く、ブティックやカフェなどが軒を連ねている。
歩いている若者も華やかである。奇抜なファッションをしている者もいて、表参道と竹下通りを足したような所だ。原宿なんて修学旅行で一度行ったっきりだからよくわからないが、そんな感じだろう。
ってかこんな所に同人ショップがあんのか、アーガルム始まってんな。
ラ・ムスランはそんな春風通りに店を構えるソルミナでも一番人気のスイーツ店である。
昼下がりとなれば平日でも午後のお茶をしに来たミス、ミセス達で溢れかえる。
予約必至の人気店なのだ。
うん、俺予約なんてしてなかった。
「申し訳ございませんお客様。満席の上、予約のお客様で本日は空きがございませんで」
深々と頭を下げる店員。
アチャー、そんなに人気なのね。仕方ない、後日予約を取るとして今日は他へ行こうか。
「私達の予約、このお二人に譲りますわ」
後ろからの声に振り返ると、そこにはニヤニヤしたメイド四天王がいた。
俺は慌ててアンジェと繋いでいた手を離す。
デボラが俺にそっと耳打ちをしてくる。
「レン様、ここのドルチェを一緒に食べたらもうイチコロでございますわ。頑張ってくださいませ」
これは夜に尋問タイムだなきっと。
かわってアニーが耳打ち。
「お帰りが遅くなってもなんとかしますので大丈夫ですわ」
遅くなんねーよ。アニーが鼻血を噴くような事にはならねーっての。
続いてティファニー。
「むふー。むふー。むふー」
ちょっと何言ってるかわかんないです。
最後にジルベルト。
「プッ、プププ……アハハハハ! 痛ッ!」
耳元で笑いだしたからチョップしてやった。
デボラが店員と二言ほど言葉を交わすと、店員が俺とアンジェを席へ案内しようとする。
「いいのか? 楽しみにしてたんだろ?」
俺の言葉に四天王は親指を立てると、ばちこん! とウインクをして去っていった。
無駄にカッコいいなアイツら。
「えーと、入りましょうか」
アンジェを促し、店員の案内で通りに面したテラス席へと着いた。
「良かったのでしょうか? 宮殿のメイドの方々ですよね?」
「後で礼はしておきます。ここは甘えておきましょう。注文も予約してあったみたいなので選ぶ事は出来ませんが…」
店員に確認した所、苺のショートケーキに似たガトーフレーズを予約してあった。フレーズとは苺の事だ。
席は余っていないがケーキには若干の余りがあるらしい、四天王の為にガトーフレーズを4つ持ち帰りにしてもらい、俺とアンジェに一つずつ出してもらうよう頼んだ。
「注文してあったのはガトーフレーズという苺のケーキみたいですね」
「苺! 私大好きなんです。とっても楽しみです」
ケーキを待つ間に店内を見渡す。木目調のテーブルと椅子が並べられ、落ち着いた雰囲気の店内。俺達が座るテラス席は風通しが良く、昼下がりという一番暑い時間帯だったがとても涼しかった。
「それにしても、メイドの方々と仲が良いというか、大変くだけた感じなのですね。驚きました」
「彼女達は俺を舐めてるんですよ。毎日ヤツラの玩具にされていますから。ま、祖国から一人出てきた俺にはありがたいですけどね」
地球に姉はいないが、セラヴィスでは個性的なのが一気に四人もできちまったからな。ホームシックになっている暇もないというものだ。
そうだな、姉貴みたいなもんか。弟の初デートに遭遇してテンション上がってるんだろうな。
そう思うと、なんだか胸にストンとくるな。
「微笑ましい、というか、羨ましいご関係だと思いますわ。うちなんて完全に主人と使用人でしかありませんもの」
「普通はそうだと思いますよ。あれが特殊なだけで」
「その普通、というのが慣れなくて。何分、半年前までは使用人もいなかったものですから、王都に来てから戸惑う事ばかりで」
アンジェは地方にいた時の事を話してくれた。
ディディエ家は以前、アズィール地方のカント・プアンヌという集落をまとめる男爵だったらしい。
じゃがいもと小麦を主要作物とし、気候もおだやかなところで農業には恵まれた環境だったようだ。
「貴族、というよりは農民の代表といった感じでした。父も農具を持って一緒に畑を耕していました」
転期が訪れたのは一年前の事。
何年かに一度の国王の視察にて事件が起こる。
視察団の上空を飛竜が通過した。威嚇のつもりだったのか、視察団の頭上スレスレを飛んでいったらしい。幸い接触はなかったそうだが、飛竜に驚いた馬達が次々と暴れだしてしまった。
アーガルムで一番の名馬と言われた国王の馬は暴れる事はなかったが、他の馬がぶつかってきて国王は落馬し、更に馬に腹を踏まれ血を吐いた後に意識を失うほどの重体。
上級の治癒魔術が必要であったが、国王付きの治癒魔術師も同じ様に落馬し肺を潰し詠唱が出来なくなるほどの大怪我を負ってしまう。
他に上級治癒魔術を使える者はおらず、このままでは国王の命が危険な状況だった。
助けを呼ぶため、視察団の中で怪我のなかった兵士がカント・プアンヌに走った。
普通であれば地方に上級魔術師などいるはずがないが、幸いにもディディエ家の長女アンジェリークは治癒魔術の才があり、独学ではあったが上級治癒魔術が使えた。
アンジェリークは父と共に馬で駆け付け、国王をはじめ視察団の怪我人は勿論、たった一人で傷ついた全ての馬までも治癒魔術で回復させたのである。
その後、大事をとって国王はカント・プアンヌでしばらく療養する事にした。
通例であれば、一日ほどでさっと領地を見て終わりであった視察だが、今回はじっくり時間をかけて視察を行う事になったのだ。
その中で国王はカント・プアンヌの農業のレベルの高さに驚くと同時に、今までしっかりと視察を行ってこなかった事を恥じた。
綿密な農地計画に基づいて巡らされた用水路など徹底された農地管理をはじめ、肥料の作り方や栽培の仕方など殆どの作業にマニュアルを作る事で標準化されており、誰でも安定した収穫が出来るように考えられていた。
部下に調査させた所、カント・プアンヌの農民一人辺りの収穫量は他の地域と比べると2倍以上もあると判明し、直ちにカント・プアンヌをモデルとし、そのノウハウをアーガルム全土に展開させる事に決めた。
その為に、国王は男爵だったアンジェリークの父ジェフを国の農政の中心へと抜擢、農業改革の舵取りを任せる事になった。
ジェフ・ディディエは子爵へと陞爵し(しょうしゃく、爵位が上がる事)、半年前に王都へと住まいを移したのである。
その際国王の命を救った褒賞として、子爵としては分不相応な立派な屋敷が与えられたそうだ。
また、アンジェリークもその才能を買われ魔術師の養成所へと通うようになった。
カント・プアンヌの癒し手、といえば王都ではかなり有名らしい。顔こそ知られてないものの、国王の命を救ったアンジェリーク・ディディエの名前は多くの人が知っているそうだ。
オルガがディディエ家の事を成り上がりと言ったのはこういう背景からだろう。
もっともオルガはツンデレだからな。成り上がりと口では言っていてもアンジェリークの才能も努力も認めているに違いない。
「私も母も王都の生活にはまだまだ馴染めなくて」
男爵だって歴とした貴族には違いないが、アンジェの話を聞く限りでは農村の村長のようなものだったらしい。それが突然都会での屋敷暮らしだもんな。
こないだまで俺も庶民だったから気持ちはよくわかる。
「妹だけは元々王都での生活に憧れていたようではしゃいでいますが」
「妹さんがいらっしゃるんですね。俺にも3つ下の妹がいまして」
「苺~! 苺のケーキがいい!苺じゃなきゃやだ!」
子供の駄々がアンジェとの会話を中断させる。
6、7才の男の子が母親に駄々をこねていた。
「お客さま、ガトーフレーズは売り切れてしまいまして」
「ほらニコラ、売り切れちゃったものはしょうがないじゃない。他のケーキにしましょう?」
「やだ! 苺のやつがいいの!」
どうやらガキンチョはガトーフレーズが食べたかったようだが売り切れてしまったようだ。
さっき一人で6個も頼んだ奴がいたからな。俺だけど。
「お待たせしました。ガトーフレーズでございます」
俺とアンジェにガトーフレーズが運ばれてきた。それをジーっと見つめるガキンチョ。
……。
甘やかしちゃいけない。駄々を通しちゃいけないとわかってはいる。が、俺がいっぱい頼んでしまったからな。今日はアンジェのおかげで俺の機嫌もいいし、特別だ。
立ち上がり、ガトーフレーズの皿をガキンチョの前に置いてやった。
「俺、間違えて頼んじゃってさ。良かったらどうぞ」
パッと表情が変わり喜ぶガキンチョ。母親は遠慮するが俺は「苺苦手なんですよ」と押し付けた。
「ありがとーおねーちゃん!」
俺の練兵服の青いラインに気付いた母親が慌ててガキンチョに間違いを指摘する。
「ありがとーおにーちゃん!」
ガキンチョのお礼に笑顔で応え、母親からも礼を受けて俺は席へ戻る。
「セイ様、宜しかったのですか?」
「俺が6個も頼んでしまいましたからね。さ、気にせず食べてください」
ケーキと一緒に運ばれてきた紅茶に砂糖を多めに入れて、カップに口をつける。ショートケーキなんて地球で何個も食べたからな。それにここに来ればいつでも食べられるのだ。
「美味しい! 生クリームがふわっふわです!」
ガトーフレーズを口に運ぶと、アンジェは頬をおさえて感嘆の声を漏らした。
ショートケーキは生クリームが命だと思うんだよな。俺はどちらかというと濃厚な生クリームよりも軽いふんわりとした方が好みだ。
「セイ様、一口どうぞ」
気付いたら目の前に生クリームたっぷりの苺が刺さったフォークが差し出されていた。反射的にそれにパクッと食いつく。
フォークをくわえたままアンジェと目が合い、しばらく見つめ合う。
ん? これは俗に言う、あーん、という奴か? え? 人生初あーん?
無意識でやってしまったであろうアンジェも、行為に気付いてしまったのか顔が真っ赤になっている。ゆっくりと俺の口からフォークを抜くと俯いてしまった。
「カタストロフ!」
俺は大爆発を起こす特級火魔術の名を叫んでしまっていた。
突然の大声にビクッとなるアンジェ。
「セ、セイ様?カタストロフ?」
俺の取るべき言動を話し合い採決する、フジサワレン心の会議の議員の一人である17年間彼女いない君が、今の幸せな現状を自分の事として捉える事が出来ず、他人事として認識してしまい暴走してしまった。
リア充爆ぜろの基本理念の下、カタストロフと叫んでしまったのである。
17年間彼女いない君はイチャイチャしているカップルを見るとやたらと爆発させたがるのだ。今までモテた事など一切ない彼である、無理もあるまい。カタストロフの詠唱を知らなくて良かった。
次に彼が欲しくなるのは壁だろうな。結界魔術を覚えておくべきだろうか。
「ただの照れ隠し……です。こういうの、初めてなんで」
実際、本当にただの照れ隠しだからな。キモ、何テンパってんの?これだから非モテ野郎は…とか思われていないだろうか。
「カタストロフ!」
不意にアンジェも特級爆発魔法を唱える。え?どうした?
「こういう事をするの、私も初めてなので、照れ隠しです。その、まだ恥ずかしいな。もう一回やっておこうかな、カタストロフ!」
えいっ、と人差し指を振るアンジェ。
彼女の魔法は俺の中で爆発し、炎上した。
ウウ~! ウウ~! 議会にけたたましいサイレンの音が鳴り響く。
敵襲! 敵襲! 総員退避! 総員退避!
アドレナリンを止めろ! 副腎髄質は何をやってるんだ!
もうやめて! 俺のライフはとっくにゼロよ!
壁ぇええ! 壁持ってこぉぉい! とにかく頑丈なヤツ!
決めた! ボクこの娘のお嫁さんになる!
パニックになるフジサワレン心の会議の議員達。
たまらず議会も中断である。
議員の一人である絶対懐古主義氏は後に当時の事を思い出しこう語った。
いや~衝撃でしたね! だってそうでしょ? 昔は巨乳と言えばCカップだったのに今ではE、Fが最低ラインだ。それどころかH、Iカップだって普通に存在してるんですから、もうアンビリーバボーですよ。
こいつは何を言ってるんだ。いや、俺の一部なんだけどさ。当時ってれいことかふみえの時代の事かよ、いい加減にしろ。
アホな話はこれくらいにしておこう。閉会ガラガラ。
その後はアンジェと何を話したか覚えていない。完全に舞い上がってしまい、気付いたらカウンターの店員にお金を払っていた。持ち帰りのガトーフレーズを受け取り店を出ると、春風通りを西の方へと歩き出す。
「本当にご馳走になってしまって大丈夫でしたか?」
「約束しましたし、俺の作ったものが良い値で売れるそうで臨時収入もあったので大丈夫ですよ」
「ご馳走さまでした。売れる、というのは桜の花の事でしょうか? 市場に季節外れの桜が出回っているという噂を聞きました。ほら、あのお店にも」
アンジェが指差した店の軒先に桜の花が飾られてあった。間違いなく聖女産の桜だろう。
「あんな事が出来るのはセイ様以外には聖女様だけだろうと思います。私も何度か植物に治癒魔術をかけてみましたが、何の変化も起きませんでした。やはり植物には効かないという先入観が邪魔をしているのでしょうか」
「うーん、どうでしょうね。確かに俺は何の予備知識も無かったですが」
アンジェの問いに首を傾げていると、突然後方からガシャーン!!という何かが落ちてきたような音と女性の悲鳴が響いてきた。
「誰か! ニコラが! ニコラが!」
「治癒術士! 治癒術士はいないか?! ひどい怪我だ!」
怪我という単語に反応し、すぐに声の方へ駆け出すアンジェ。
俺もそれに続き、走り出すと同時に治癒魔術を構築して準備をしておく。魔力量の調整を残して右手にスタンバイさせる、既にうっすらと光り始めていた。
ラ・ムスランの前に出来た人だかりにアンジェは声を張り上げる。
「ディディエ子爵家長女アンジェリークです! 道を開けてください!」
サッと左右に割れる人だかりの間を抜けるアンジェに人々の期待の眼差しが刺さる。
「カント・プアンヌの癒し手様だっ!」
「王の命を救ったというアズィールの才女か!」
アンジェリーク・ディディエの名は王都の人々に知れわたっているようだ。有名な治癒術士の登場に人々は沸いた。
しかし、人だかりをぬけた先に待っていたのはさっきまで美味しそうにガトーフレーズを頬張っていたガキンチョ、ニコラの変わり果てた姿だった。
「――っ! これは……」
惨状を目にして絶句しながらも、アンジェはニコラの側に駆け寄った。
テラスの床に倒れたニコラは、腹部を切り開かれ、中の腸が飛び出ており、しかもちぎれかかっている。
目を背けたくなるが、いつか戦いにこの身を投じたらこういう事は日常茶飯事だろう。胃の底からせり上がってくるものを抑えてこの光景を直視する。
こいつは一刻を争うな、目立ちたくないとか言ってる場合じゃなさそうだ。
「荷車の車軸が折れちまって…荷台の上の剣が滑り落ちて子供の腹に! ああ、なんて事を! 頼む、助けてくれ!」
「ニコラ! ニコラ!」
荷車の所有者だろう、顔面蒼白な男がアンジェに必死に訴える。
母親は半狂乱で息子の名を叫び続けていた。
「アンジェ! 上級で治りますか?」
俺はまだ人に治癒魔術をかけた事はないからな、必要な魔力量が分からずアンジェに聞く。
「上級では無理です! やったことがありませんがやるしかない、特級魔法の詠唱を始めます!」
特級でなければ助からないようだが、アンジェの詠唱が終わるのを待っている余裕はない。中級だと短くて覚えやすいが、級が上がれば詠唱も複雑で長いものになる。
詠唱魔術の特級に必要な魔力量はおよそ上級の8倍だとクロームが教えてくれた。
クロームの魔眼は魔力を視認出来るという。その眼によると桜を満開にする魔力量が上級相当。
右手にスタンバイさせているのは上級一つ分だ。特級並にするため更に右手に魔力を集める。
魔力量の調整は初日にこれでもかと叩き込まれた。
任意の量への調整はクリアし、訓練はより早く魔術を行使する段階へと移っている。
今は上級並の魔力を集めるのにかかる時間は1秒ぐらいだ。特級並であれば8秒で終わる。
魔力を密にした右手は眩い輝きを放ち出した。
「その必要はありませんアンジェ。もう出来ています」
アンジェの返事を待たず、ニコラの側に膝をついてその腹部に右手をかざし練り上げた魔力を放出する。
「月に引かれし命の満ち欠け 水面に揺れるは命のきらめ…セイ様?」
魔術のトリガーを引く、というのが苦手で、俺の場合は魔術名を唱えるとやりやすかった。
えーと、特級魔法の名前なんだったかな? イングリド先生の授業で一度出てきたな、詠唱魔術じゃないから正確には別物なんだけど。ああ、思い出した。
「シャングリラ」
柔らかい光がニコラを包み、やがて収まると破れたシャツの下には綺麗なお腹が見える。傷跡すらない。
完全修復。成功である。
「ニコラ! ああ良かった!」
母親がニコラの体を起こし抱き締めた。周囲の人々はまだ事態が飲み込めていないようだ、皆狐につままれた様な顔をしている。
「な、治ったのか?」
「特級魔法って、あんなあっさりしてるもんか?もっと大ががりなもんかと……」
厳密に言うと特級魔法ではなく、魔力量を特級並に注ぎ込んだ中級のハイヒーリングと言った方が近い。本家シャングリラは広範囲魔術だったはずだ。
「さすがアンジェリークさんです。見事な特級魔法でした」
もうアンジェリークの仕事にしてしまおう。俺はわざとらしい笑みで労いの言葉をかけた。
「詠唱省略ではない……? 魔力を直接操作する、古代魔法?セイ様、貴方はやっぱり異世界の……」
「俺はピエールランドのいたずら好きな王子ですよ」
「そんな冗談っ……」
「ニコラ! ああニコラ! 目を覚まして!」
母親の様子がおかしい。再び取り乱している。
「呼吸を、呼吸をしてないの! どうして!?」
失敗したのか? 手応えはあったのに。
アンジェがニコラの胸に耳を当てて鼓動を確認するが、やがて顔を上げると首を左右に振った。
「心臓も止まっています。残念ですがもう……」
「あああぁぁぁっ! いや、ニコラ! いやぁぁぁああっ!」
母親はニコラの胸に顔を埋め泣き崩れた。
間に合わなかった? 魔力量が多すぎてニコラの体に負荷をかけてしまった?
だけど傷は治っているんだ。魔術は効いているんだ。
そもそも死んでしまった生物に治癒魔術は効果がないはずだ。でも傷が治ったということは生きているって事だ。
そう、そうだ。生きている。
心臓が動いていないだけで生きているんだ。
だとしたら簡単だ。
心臓を動かせばいい。
俺は母親の悲痛な泣き声をかき消すように叫んだ。
「胸骨圧迫! 心肺蘇生法がわかる人はいますか?!」
有らん限りの声で呼び掛けるが周囲の人々の反応は薄い。
クソッ、一人でやるしかないか。
初代聖女様は何してたんだ、こういう事こそ広めてくれよマジで。
上着を脱いで敷物代わりに床に敷く。
胸骨圧迫、いわゆる心臓マッサージだ。
「お母さん! 場所を代わってください!」
ショックで聞こえないのか、母親は泣きながらニコラを抱いたままだ。手荒い真似はしたくないがしょうがない。
「そこをどけ! 本当に死んじまうぞ!」
母親から強引にニコラを奪うと上着の上に寝かせる。
枕などは使ってはいけない、頭部への血流を妨げる可能性があるからだ。
うちは空手道場だからな、道場にはAEDも置いてあるし救命講習も毎年受けている。人形相手になら何度もやっている。
大丈夫だ。やれる。
右手をニコラの胸の中央に乗せ、その上に左手を重ねて指を組む。
ごめんなニコラ。俺は特別だから、聖女だから、魔力が無くならないから、余裕で助けられると勘違いしてた。
早く、強く、絶え間なく。
腕を真っ直ぐ伸ばし体重の乗せ、圧迫を開始する。
「1、2、3、4……」
数えることでテンポ良く圧迫する。
「セ、セイ様! お気持ちはわかりますが心臓が止まってはもう生き返る事はありえません。治癒魔術では止まった心臓を動かす事は出来ません!」
あ?
気持ちがわかるんだったら何で諦めるんだよ。死んだもんは仕方ないって? 仕方ないから納得しろって?
わかってる。俺が余裕ぶっこいてたからこうなってんだ。俺はクソだ。俺にアンジェ達に偉そうに説教する資格なんてない。
「でも! それでも!」
クソでも俺しか心肺蘇生がわかる人間はいない。
俺が諦めたらそれで終わりだ。
俺は聖女だ。
ただの聖女じゃねえ、キャンタマついてんだ! 諦める訳にはいかねーんだ!
「アンジェ、信じてください。必ずニコラは助かります。俺には力があるから、何でも出来ると思っていました。けど、一人じゃ何も出来なかった。お願いします、力を貸してください!」
「――! セイ様……」
流石にきつい。本来一人でやるもんじゃない、運動量が激しいからローテーションで交代しながらやるもんだ。
「ハッ、ハッ、ハッ……」
息が弾む。数を唱える余裕も無くなってきた。クソ、こんな事になるなら朝デッドリフトなんてするんじゃなかったな。まあ腕の筋トレじゃなかっだけマシか。
お?不意に体が楽になった。アンジェが俺の足辺りに手を添えている。どうやら治癒魔術をかけてくれたらしい。
その顔を見るとさっきまでの諦念は消えていた。その目からはニコラを助けるという意志を感じる。
「セイ様を信じます。私も諦めません、何をすればいいか教えてください」
ありがたい、治癒魔術をかけてもらえれば一人でもやれそうだ。いや、俺にかけるよりも……。
「アンジェ、上級で潰れた臓器を治せるんですよね?」
「はい、臓器一つほどであれば上級で治ります」
「じゃあニコラの頭に上級をかけ続けてください。一番怖いのは血が行かなくなって脳の細胞が死ぬことです。脳細胞が死なないように治癒魔術をかけ続けてください」
「わかりました。共に頑張りましょう」
力強く頷くと、アンジェはニコラの頭の方へ移動し上級の詠唱を始めた。
共に。一緒に。
その言葉が俺の体を治癒魔術以上に楽にしてくれる。
圧迫を続ける。
汗がポタポタとニコラの体に落ちる。あっという間に俺は汗でびしょびしょになっていた。
そんな俺の顔を誰かがタオルで拭いてくれた。
「こんな事しか出来ないけど、その、頑張ってくれ!」
「私、中級治癒魔術なら使えます! 疲れたら言ってください!」
「頑張れにいちゃん! 助けてやってくれ!」
共に。一緒に。
そう思ってくれたのはアンジェだけではなかったようだ。
ニコラ、みんな待ってるぞ。お前が目を覚ますのを待ってるんだ。だから、頼むよ。生きろ、死ぬな!
真っ直ぐ伸ばした腕は体重だけではない、俺の思いだけでもない、みんなの思いを乗せてニコラの胸を押す。
ん? なんだ? 光が……。
俺の手が淡い虹色の光を纏い始めた。
アムル神殿跡の結界に触れた時のように、段々とその色を濃くしていく。
「アルカンシェル……」
「星の産声……」
「奇跡の前触れ……」
「アルカンシェルだ……」
「奇跡の前触れ、アルカンシェルだ……」
「奇跡が、奇跡が起きるぞ……」
「神様、奇跡を」
周囲の人々は同じ様な言葉を呟くと手を組み、祈り始めた。
虹色の光は眩しさを増し、やがて、ニコラの胸の中へと落ちていく。
そして、
祈りは届いた。
「う、いたい……うう……」
うめき声が聞こえた。
「セイ様! 意識が!」
慌てて圧迫をやめる。
「ニコラ! ママがわかる? ニコラ!」
むくっと何気なく上体を起こし、眠そうに目を擦りながらニコラは返事をした。
「ママ? どうしたの? この人達なーに?」
ケロッとしやがって。こっちはヘトヘトだっての。ああ、良かった。
「ニコラ! 大丈夫なのねニコラ!」
今度こそ母親はしっかりと自分の子供を抱き締めた。
「うおおおおおおおおっ!!」
「やった! 奇跡だ! 助かったぞ」
「ありがとうにいちゃん! 本当にありがとう!」
人々は思い思いに喜びの声をあげる。
春風通りは桜の花が咲き誇ったかのように、歓喜の声で満ちあふれた。
―*****―
流石に疲れた。
ニコラは母親と病院へ行った。何もないとは思うが念の為だ。
俺はテラス席の床に座り、壁にもたれかかる。
下着まで汗でベッタベタだ。帰って風呂に入りたいな。
「どうぞセイ様。お店の方が用意してくださいました」
アンジェがグラスに氷の入った黄色いジュースをくれた。俺はそれを一気に煽り、一息で飲み干した。水分を失った体にすぐに染み渡っていく。
「ありがとうございます、生き返りました」
さっきは本当に生きた心地がしなかったからな。
アンジェは俺の隣に腰を下ろす。
「私は何のお役にも立てませんでした。治癒術士だというのに、情けないです」
「そんな事ありません。アンジェがいてくれたから俺は頑張れました」
嘘やお世辞ではない。共に頑張りましょう、アンジェのあの言葉がどれだけ力を与えてくれたか。
「いえ、私は一度命を諦めてしまいました。ですがセイ様を見て、心臓が止まったから死ぬのではないと気付きました。私達が諦め処置を止めた時に死んでしまうのだと。何故セイ様は諦めずにいられたのですか?」
俺は心肺蘇生法を知っていたから、そこが諦めるラインではない事をわかっていたし、それに…
「ニコラにおにーちゃんと呼ばれましたからね」
「おにい、ちゃん?」
アンジェは目を丸くして首を傾げる。
「俺の妹、普段は憎まれ口しか言わないんですが、一度だけ言ってくれたんです。強くて優しくてカッコいい自慢のお兄ちゃんだって。諦めてしまったらあいつの好きな自慢のお兄ちゃんじゃなくなってしまうでしょう?って、ちょっとカッコつけすぎですかね。ハハ」
俺が照れ隠しに笑うと吊られてアンジェも笑った。
「クスッ、セイ様はキザな言動が似合いますから」
え? そうなの?
じゃあ調子に乗ってしまおうか。
「キザな俺はアンジェリーク専用ですよ」
俺はマジな表情でぶっぱなした。
「クスッ、フフフフ、フフフフフフ!」
ツボに入ったのかアンジェはしばらくクスクスと笑い続けた。
お、おお、笑って頂いて恐縮です。
あれ? 笑わせようとした訳ではないんだけどな。
「アンジェ、俺、頑張りましたよね?」
「はい。セイ様はとっても頑張りました」
「じゃあ、ご褒美をおねだりしてもいいですか?」
「ご褒美? お尻を叩けばいいでしょうか?」
「あれは冗談です。尻を叩かれて喜ぶ人間なんていませんよ」
そう、俺以外にはね。
「では何でしょう? 私に出来る事であれば何でも……」
よっ、と俺は寝転がり、頭を女の子座りしたアンジェの太ももに乗せる。
突然の膝枕に慌てふためくアンジェリーク。
「ちょっ! セ、セイ様? 人目がありますわ」
「大丈夫ですよ。俺は気にしませんから」
「そういう問題ではなくって!」
ああ、ええ太ももや。
アンジェの抗議に耳を貸さず膝枕の感触を堪能する。
「ああすげえ、ふわっふわです! さっき食べたガトーフレーズの生クリームよりもふわふわですよ!」
俺のセクハラ紛いの発言にアンジェは耳まで真っ赤になると、プイッとそっぽを向いてポツリと呟いた。
「カタストロフ」




