カネがモノを言う
拝啓、人工知能さま。
人間の社会は、かつては、どこもが王制の国家でした。そうした国では、権力だけではなく、財力も武力も全てが王のもとに集約されていたのです。
しかし、時が経つにつれて、そうした社会システムは次第に変質していきました。まず最初に、王への一点集中の仕組みを壊したのは、兵力を任されていた軍人たちでした。彼らは、武力を持つ強大な自分たちが、非力な王族に仕えなくてはいけない事に、じょじょに不満を持ち始めて、いつしか、国の運営の執行権だけを王族から奪い取ってしまったのです。やはり、人間の世界でも、野生の動物の社会と同様に、普通に腕力を持つ存在の方が強かったのであります。
さらに時が流れると、王族と一部の軍人だけが特権階級である事に疑問を抱いた一般市民たちが蜂起し、今度は民主化の波があちこちの人間の国家に訪れました。こうして、今度は、王族たちのもとから、地位も武力も財産も、何もかもが、全国民へと分散されてしまう事になったのです。
これで、全ての人間は平等になれたはずでした。少なくても、民主革命の理念としては、そのように考えられていました。ところが、実際のところは、王族の持っていた全ての特権を、国民全体にバラしてみても、どうやら、均等にはばら撒かれないらしい事が分かってきたのでした。
国の民主化のあと、国内には、生産者(農家や職人など)、兵士、商人らが、それぞれ独立した存在として、活動できるようになりました。しかし、その結果、なぜか、商人ばかりが特に富んでいったのです。
そうした傾向は、実は、まだ王制だった頃から始まっていました。国の体制が身分制で、王の支配下に置かれていた時ですらも、どうした事か、商売を行なう者は、生産者や兵士よりも儲かって、裕福になる展開が多かったのです。
そもそも、お金を仲介に使って、モノのやり取りをすると言う文化は、人間以外の動物たちにはあり得ない仕組みでした。そして、だからこそ、このお金と言うものが存在する社会システム、すなわち経済は、人間たちの社会を、野生動物たちのような既存の力関係だけの世界とは違うものに変えてしまったのでした。
本来の野生動物たちの社会では、各個体の純粋な腕力が、彼らの強さの順位づけを決定します。ところが、人間の社会では、経済なんてものが導入されたから、ただの個体の腕力や身分(血筋)だけではなく、それらの個体の経済力も、強さの順位づけに影響を与えるようになったのです。しかも、この経済力が、時には、腕力や身分や才能なんかよりも、はるかに強い要素となったりしたのでした。
何と言っても、お金(経済力)があれば、そのお金で他人を雇う事ができます。敵が、いかに腕力、知能、才能などに長けた者であったとしても、彼ら以上の能力の持ち主を味方にして対抗すれば、それらのライバルにも十分に勝ててしまうのであります。経済力の持ち主(富豪)は、こうして、かつての支配層であった貴族や武人なども出し抜いて、ついには、自らが社会の最上層にまでのし上がっていったのでした。
しかも、それだけでは終わりません。お金と言うものは、実は、お金の沢山ある場所にさらに集まっていく性質があったのです。だから、お金持ちはますます富んでいきますし、貧乏人はいつまで経っても、なかなか豊かになれませんでした。こうして、もっともっと、お金を持つ者は強くなっていき、ついには、身分の高かった者や軍人すらも、それだけでは、金持ちには全く歯が立たず、太刀打ちできないようになってしまったのです。そして、今日、世界で問題視されている「貧富の差」と言うものが広がっていったのでした。
人間たちは、残念ながら、「貧富の差」と言うものを認知していながらも、なぜ、金持ちばかりが儲かって、富んでしまうのか、そのメカニズムについては、あまり正確には理解していないようにも思われます。
そこで、次回は、そのへんの仕組みについてを、分かりやすく、ご説明したいと思います。
補記
会社や組織の運営が、経費的に苦しい時、よく「まずは人件費を見直す」と言います。これは、組織の構成員(労働者)を辞めさせたり、その給料を減らす事を意味しています。
しかし、本来、労働とは、人間自身が生きる為にあるものなのです。そうじゃなければ、誰も働かないでしょうし、労働のシステム(会社や組織)だって求められはません。
それなのに、会社や組織の維持の為に、真っ先に人間(労働者)が犠牲にされるとは、なんて矛盾した話なのでしょうか。
これもまた、人間社会の中でお金(経済)ばかりが力を持ち過ぎた事で生じた問題だとも考えられます。




