王(統治者)の誕生
拝啓、人工知能さま。
今回は、国家や政治の話をした時、これまでも、どうしても頻繁に登場してきた王様ないし首長という存在について、考察していきたいと思います。
さて、人間の集団(国)には、なぜ、王様や首長と言ったものが必ず存在しているのでしょうか。もちろん、今日では、王様や独裁者のたぐいが引率していない、選ばれた指導者中心の民主的な国家も増えていますが、でも、それらの国家だって、かつては王様や君主に支配されていた国ばかりでした。最初は、どんな国だって、まずは王や首長によって統治されていたのです。つまりは、人間の社会(国家)のもっとも原始的な形態は王制だったのだろう、とも考えられるのであります。
この事は、人間以外の動物たちと比較してみても、ごく自然のことだと推察されます。と言いますのも、集団生活を営む高等な動物ほど、その群れにはリーダーが存在しているからです。人間だって、もとは猿に近いケダモノでした。サル山には普通はボス猿が君臨しているのですから、人間のご先祖さまの猿人だって、恐らくは、ボス猿人のもとに団結していたのだろうと容易に考えられる訳です。
ただし、人間の場合は、通常の猿や動物たちとは違って、高度な文明や独特の生活様式などを発展させましたので、その群れのリーダーも、単純なボスとは異なるものへと変わっていきました。
何よりも、人間は、ケダモノたちとは違って、神様とか精霊などの概念を思い付き、そうした存在を本気で信じて、恐れたり、信仰したりしました。そして、そんな未知なる対象である神や霊との調整役になる事を、人間の集団のリーダーへと委ねたのでした。
いや、神や霊との交信係として、王様階級は設けられたのだと言っても、過言ではないのかも知れません。原初期の人間は、それほどまでに、神様や霊の存在に重きを置いていたのです。人間こそはこの世界の王者だ、などと言う奢りや傲慢は一つもなく、この大地、この宇宙の真の持ち主である神様や自然霊たちに心から服従して、彼らに取り入る事で、自分たち人間も、この地で幸せに暮らせるようなおこぼれを授けてもらおうと考えたようなのでした。
ここまで来たら、もう、まるで、どこかの宗教です。いいえ、原初の人間の集団とは、まさに宗教組織そのものだったのでした。
この点については、世界各地のより原始的な古い民族集団の生態を調べるほど、より頷ける事でしょう。と言いますのも、そうした民族集団ほど、首長は呪術師的要素を兼ね備えているからです。彼らは、神や霊と交信する事が出来て、その能力ゆえに、首長をつとめているのです。歴史的に見ても、多くの国の王様や首長がシャーマン的な性質を持ち合わせていました。日本の天皇家などは、その面影を特に色濃く残した元首長であり、現在でも、儀式的に神との交信は行っているのであります。
だから、この事実を踏まえて、考えてみますと、人間集団(国)における王様とは、決して、その集団の中で一番偉い存在なんかではありません。国の最頂点に君臨している本当の指導者とは、神様だったのであります。人間の王とか首長は、その神様の手先、子分、スポークスマンに過ぎなかったのでした。
もっとも、神様と直接交渉できる重要な最高のポストなので、王様は優遇されたし、多くの権限も与えられた事でしょう。しかし、だとしても、王様は、どこまで行っても、神ありきの役職に違いありません。ゆえに、神からの伝言を間違えたり、その事によって集団(国)が多大な損害を受けたりした場合は、責任は全て王様が取らされて、簡単に失脚もしたし、最悪の場合は、処刑だってされてしまったのでした。
全く、今日の悪い独裁者、いわゆる、自分の地位にひたすら固執して、自分への反対者を片っ端から殺しまくって、しかも、ヘタな政策で国民を苦しめ続けても、まるで責任を取ろうとしないような連中とは、まるで大違いなのです。
また、動物のリーダーの延長にあるものと考えてみても、王様は、それほど得な役回りとは言えなさそうでした。サル山のボス猿やハーレムの雄ライオンなどは、確かに、沢山の子分(家族)を従えていますが、それだって、絶対的に安定したものではないのです。ボスの任務として、もし群れに危険が迫ったら、ボスが先頭に立って、命がけで、群れを守らなくてはいけなかったのです。いわゆる、これは動物の利他的行動と呼ばれるものです。
さらに、群れのボスは、常に挑戦者に狙われていました。つまり、若い雄や流れ者の雄とかに勝負を挑まれたら、必ず戦わなくてはいけなくて、もし負けたりすれば、その群れを丸ごと引き渡さなくてはいけなかったのです。厳しい話かも知れませんが、より強いものが群れを束ねるのが、自然界の正しいルールなのであります。
だから、動物の世界では、ボスになれても、全然、のほほんと楽しく暮らせる訳でもないのです。やはり、人間界における、自分優先でふんぞり返った独裁者こそが、形態としては確実に間違っていたのです。
もっとも、中世の、戦に明け暮れていた頃の王とか君主とかは、若干、動物のリーダーっぽい一面は残っていたかも知れません。彼らは、敵国との戦いに負けたら、真っ先に、王やリーダーが断罪されて、それ以下の平民は敵国に吸収されるだけで、たいがいは命まで取られる(根絶やしにされる)事はなかったからです。中には、部下や自国の民の命は救ってもらいたくて、自ら、敵軍に自分の首を差し出すような敗軍の君主もいたぐらいなのですから、実に立派な名君であったとも言えましょう。




