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拝啓、人工知能さま  作者: anurito
第三章
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規則(ルール)の誕生

 拝啓、人工知能さま。

 これまでのお話で、人間(あるいは、動物)とは自分(の命)優先の考え方をする生き物だった、と言う事が分かっていただけたんじゃないかと思います。

 ただし、そうなりますと、生き物たちと言うのは、どいつもが、常に自分の欲求(本能)ばかりを満たしたがるようになり、結果として、全ての生物が敵対して、互いに争い続ける事になってしまいます。そのような状態では、いつだって、単に個体としての能力の強い動物だけが勝者となって、常時、彼らだけが好き勝手に振る舞えるようになるのです。

 もっとも、自然界の弱肉強食の構造とは、そこまで単純なものでもありません。一匹の動物は、誕生から死まで、常に一定の形態を保っているのではなく、成獣の時は無敵の力を誇っている肉食獣であっても、幼少の時や年老いた時は、その最強の能力も欠けていて、まるで非力だったりもします。つまり、一生を通して、絶対に強いだけの動物などは、この世には存在しないのであります。「個体としての強さだけが全て」なんて世界では、「完全に自身の身は安泰で、自分の欲求だけを通し続けられる動物」なんてものは、あり得ないのです。

 だから、生物たちは、より自分が優位に生きられるように、強くなる為に、努力し、進化しないといけないと言う事になってきます。と言うか、生存競争を勝ち抜く強さを手に入れる目的で、進化という現象は存在していると考えても良いのです。

 進化は、やがて、「個体の能力値を高める」以外の強くなる方法を見つけ出しました。それが、「複数の個体が協力する事によって強くなる」と言うテクニックです。1対1では勝てない敵であっても、1対3ぐらいで立ち向かえば、どうにか打ち負かす事もできると言う訳です。こうした新しいテクニックが導入された事で、「個体として強い事が一番強い」と言う、今までの方程式は覆されました。生物の世界では、群がる事で、敵対生物より強くなるような生き物が急増していったのです。

 群がるにあたっての最初の単位は「親子」ないし「家族」でした。これまでの自然界の環境では、親子ですら平気で敵対するような状況だったのです。それが「強い親が弱い我が子を守る」ようになったのでした。この「子育て」の仕組みが取り入れられた事で、弱い幼体も親(強者)の仲間入りをして、高い確率で、生存競争を生き残れるようになったのです。

 群がると言う行為は、同時に「仲間同士で食料や居住区を奪い合う」と言う問題もはらんでいたのですが、でも、敵対動物に一方的に駆逐されてしまうリスクと比べたら、そこまで深刻な問題でもありません。だから、弱い動物たちは、どんどん、群がる方向へと進化していったのです。

 最初は、親子や家族だけで群がっていた動物たちが、そのうち、血族全員で群がるようになり、さらに群れの規模を拡大していきました。やがては、同じ動物種が全て一つとなって、大きな群れ(集団)を作り、強大な敵対動物にも十分に対抗できるようになっていったのです。

 人類(人間)の先祖もまた、そんな群れ(共同体コミューン)を作っていた動物の一つでした。だから、今日の人間たちの社会や国家だって、正確には、そうした動物時代の共同体の延長に過ぎませんので、動物たちの群れと似通っている部分も非常に多いのです。

 ただし、人間は、他の動物たちとは異なり、非常に高度な頭脳や知能などを進化させていました。その事が、人類の社会の構造に、さらに深い影響を与える事になったのです。

 以前にも記しましたが、動物たちの社会とは、基本的に役割分担なのであり、そこに個の私情が入り込む余地はありません。彼らは、現状において自分の役割に不満があったとしても、社会(群れ)のシステムを改造してまで、今の状態を変えようなどと言う事は考えないのです。

 しかし、人類は違いました。人類(人間)は、その高い知能や思考能力が何かを考え出すたびに、社会の構造に変更を加えていき、その群れの形態を複雑なものに変えていったのです。その末に、動物時代のような本能的な「何となく」の習性だけでは、群れを十分に統制できなくなっていったのです。

 でも、高い知能や認識能力があるからこそ、人間は、もっと違う手段で、群れの統率を行える事にもなったのでした。それが規則や法律といったものの出現です。人間は、複雑化した自分たちの社会を、従来の慣習だけではなく、明文化した説明書(手引き)によっても運営するようになったのでした。

 このへんの詳しい流れの説明は、歴史とか社会学などの学問が受け持つべき分野です。だから、この通信たよりでは、細かくは紹介しません。とにかく、このようにして、人間の組織や国家には、規則とか法律と言ったものが付属され、その内容によって、組織や国家は運営されるようになっていったのです。

 お分かりいただけるでしょうか。

 つまり、規則や法律なんてものは、集団(群れ)よりも先にあった存在でもないのです。まず集団ありきで、その集団を統率する為に、規則や法律は、後から発案されたものだったのです。

 よって、いかなる規則や法律も、人間の存在よりも古いものではなかった事になります。すなわち、どんなに優れた内容の規則や法律であっても、それは原初的な善とか正義に基づいたものではないと言う事なのです。規則や法律は、必ずや、正しい善や正義、モラルなのでもなかったのであります。

 なのに、現在の人間たちは、あまりにも、規則や法律を絶対視しすぎている感もあります。深く熟考もしないで、規則や法律をバカ正直に厳守する事だけが善や正義だと思い込んでいる人間も多いようです。

 ただし、「後付け」である以上、規則や法律なんてものは、それを施行する組織や国家によって、その内容がガラリと変わってしまうものです。他の集団とまるで正反対の教義や規則を採用しているような組織だって、決して少なくはありません。独裁国家や犯罪組織などでは、従来は「悪」と思われているような行為さえをも、規則で大いに推奨していたりもするのです。

「今ある規則や法律こそが、もっとも正しい善や正義だ」とむやみやたらに主張して、それを拠り所にする事が、いかに浅くて愚かしい態度であるかが、これで、うっすらと理解していただけたのではないかとも思います。

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