性善説と性悪説
拝啓、人工知能さま。
我々人間は、自分たちの道徳意識を考えるにあたって、よく、性善説と性悪説という概念を用います。
性悪説というのは、人間は本質的に悪い生き物なのだ、という発想です。対する性善説では、人間は本来は善良な生き物なのだが、環境や社会に影響される事によって、悪い存在に変わってしまうのだ、という立場をとります。
さて、この二つの認識は、果たして、どちらが正しいのでしょうか。
例えば、悪い人間が現れて、彼が皆から責められた時、この悪人をかばおうとする連中は、性善説にのっとって、この悪い人物のことを擁護しようとします。つまり、「彼が悪い事をしてしまったのは、彼のせいばかりではない」という言い方で弁解をするのです。
実際に、凶悪な犯罪に手を染める人間の経歴を調べてみますと、彼自身が、かなり荒んだ、被害者のような生き方をしてきた場合が多いです。だから、そんな過去を知ってしまいますと、性善説に立つ人々というのは、同情心も起きて、悪人を率直に責められなくなってしまう部分もあるのでしょう。
しかし、気の毒な人間だからと言って、「そのような人間は可哀想だから、悪い事をしても許される」と言う道理にはなりません。ましてや、あまり本人の不幸な要素は見当たらないのに、悪い事をする人間だって、現実にはいっぱい居るのです。
そこで、今度は、性悪説の方に片寄っていき、「人間なんて根っから悪党なんじゃないか」と言う発想も浮かんでくる訳なのであります。キリスト教なんて、この立場をとって、とうとう、寓話的に、人間に「原罪」なんてものまで付加してしまいました。
また、国や社会には法律や規則が必要だという点も、性悪説の裏付けだとも言えるでしょう。人間が、初期状態で善良ならば、法律や規則などで縛る必要はないって訳です。ほおっておくと悪くしかならないから、人間には法律やら規則が必要なのであります。事実、法律や規則が機能していないばかりに、悪や犯罪行為が横行してしまった国家や組織の事例は、腐るほど挙げる事ができます。
では、人間は性悪で決まりなのでしょうか。
いいえ。それも、必ずしも断言しきれない部分があるのです。
前述したように、不幸な人間は悪い人間になるケースが非常に高いと言えます。しかし、同様に、適度に幸福に生きてきた人間は、普通は、あまり悪くはならないものなのです。そういう意味では、一人の人間が、悪人になるかどうかは、やはり、環境や社会に左右されている側面も強いのであります。
もし、人間が性悪だというのでしたら、その「性悪」というのは、きっと、本能と結びついた面が多いのでありましょう。この点は、これまでも、さんざん説明してきた通りです。人間とは、本来が「動物」なのですから、ベースの部分には「本能」があるのです。そして、本能は、常に、自分の幸せを優先したがりますので、本能が強すぎる人間が、利己的で、時には悪質になるのも当然の話なのであります。
だからこそ、各個人が本能だけで生きるようになってしまわないように、規則とか法律やらが必要になってくるのです。人間が性悪だから、法律や規則が必要なのではありません。人間の本能の部分だけをセーブする目的で、規則や法律は不可欠なのです。
結論を言ってしまえば、人間は、性悪でもあり、性善でもあるのです。どちらにでも自由に傾いてしまう存在なのです。本能のせいで、悪の方に引っ張られがちな側面もありますが、理性や知能を高める事で、本能を抑え込み、善を目指す事もできます。つまり、悪(本能)寄りの人間ほどケダモノに近いし、本当に知的な人間ほど善人だという考え方もできるでしょう。その辺をどう生きるかは、結局は、本人の判断次第となる訳です。
先に、不幸な人間は悪に手を染めがちだと記しましたが、これだって、確定した事実ではありません。不幸でも、悪い事をしない人間だって、実際には沢山いるのです。
最終的には、本人の考え方こそが、その人を悪にするか善にするかを決める事になるのです。
悪い事をしておきながら、屁理屈の限りを尽くして、自分は悪い事をしてないように見せかけようとする人間の方が、考えようによっては、ただ悪い事をした人間以上に悪質かも知れません。
なぜ、悪い事をしたのに、それを素直に認められない人間がいるのかと言うと、これは、前項までで説明してきたように、人間には、自分の主張をすぐに変更できなかったり、自己アピールして、自分をかっこ良く見せたがる特性などがあるからです。まさに、自分の悪を素直に認められない人間とは、人間的悪の固まりなのであります。
昔の人は「罪を憎んで、人を憎まず」なんて言いましたが、とんでもない話です。罪は償う事で帳消しにする事も可能ですが、根っから悪質な人間は、いつまで経っても悪い人間のままで、これからも新しい罪を生み出し続けるのです。むしろ「悪い人間を憎んで、罪を憎まず」と考えるべきなのであります。
ここで、「皆が幸せになれる平和な世界」がいつまでも実現しないのは、「悪い事がある」のが問題だったんじゃなくて、「悪に執着する人間がいる」事こそが本当の原因だった事が、分かってくるんじゃないかと思います。




