第8話 生命
生命戦争。
宇宙暦5000年頃に起こったこの戦争後、人類はその死生観を大きく変えた。
その説明のためには、更にさかのぼることその5000年前、西暦2770年のダイダロス帰還について語らねばならない。
ダイダロスは、西暦2199年に出航した人類初の有人恒星間航行宇宙船であり、また初の世代交代型長期航行宇宙船でもあった。というより、当時は恒星間航行に使用できそうな技術は核パルス機関しかなく、恒星間の移動には百年単位の時間を必要とし、世代交代型とならざるを得なかったのである。
出航から570年経ってダイダロスはようやく地球圏に帰還したが、この間に地球の状況は一変していた。突如、汎銀河知性といわれる二大宇宙帝国、トスカルドとシアーズの恒星間覇権戦争に巻き込まれ、それまでのすべてが壊滅した。だが、この戦争は、地球人類にとってその始まりと同様唐突に終わった。やがてトスカルドもシアーズも共に瓦解し消滅したらしいことがわかったが、なぜ滅びたのかはまったく不明であった。恐るべき蹂躙は終わったが、その被害は甚大であった。二大汎銀河知性の超兵器群に破壊された地球圏に生き残った人類はわずか10億人足らず。戦渦を蒙る直前は120億人に達していたのだから、ほとんど全滅寸前だったといえるだろう。
しかし戦後の復興は早かった。惑星改造技術や超光速駆動系、超光速演算素子などの超技術がもたらされたからだ。また生き残った人々は人類復活のため大同団結し、史上初めての人類単一国家「地球連邦」が誕生した。戦後10年で地球は緑の大地と青い海を取り戻し、半世紀を超える頃には人口も35億人強となり、再度の外宇宙からの襲撃に対応する超光速宇宙戦艦による連邦宇宙軍が組織された。しかしそのような敵もついに現れず、人々はトスカルドとシアーズの消滅をようやく確信し平和な時代となった。復興の旗の下に一丸となった人々も、世界が豊かになるにつれやがて富の蓄積と権力の行使を重視するようになった。現状に満足せず常に更なる幸福を欲求するのが人の本質なのだろう。そして月基地やテラフォーミングされた火星をはじめ、太陽公転系空間都市などに新天地を求めて50億の人々が生活するようになった頃、はるか星のかなたからダイダロスが帰還したのである。
すでに汎銀河知性のオーバーテクノロジーを日常のものとしていた連邦にとってダイダロスの帰還はいかほどの意味があったか。実は、ダイダロスの持ち帰ったものははるかに衝撃であった。
ダイダロスは汎銀河知性の中核に接触していたのである。
ダイダロスがもたらした新たなオーバーテクノロジー、それは汎銀河知性の中核技術の数々である。
真に恒星間航行を可能とする極超光速駆動、人造人間バイオノイド、宇宙規模の事象を処理する時間遡行型巨大超AI(これは後の「第1の支配者」につながるものとなった)、無限エネルギー機関「虚空域誘導」、数千年の寿命と若さを約束する長命技術。
そのインパクトの大きさは、このダイダロスが帰還した年を宇宙暦元年と定めた事に象徴される。
しかし、これらの技術は「ダイダロスの遺産」と呼ばれ、連邦政府の厳重な管理下におかれた。遺産というのはダイダロスと共に帰還したクルーたちが、自らを「宇宙の子ら」と名乗りテロ集団化したため、逮捕後全員処刑されたためだ。連邦政府との抗争のなかダイダロス自体も破壊された。これは何世代もの間大地を離れ、狭い宇宙船の中で血縁を濃くせざるを得なかった者たちの悲劇として宇宙暦1万年の今日まで語り継がれている。
そして長命技術は、連邦の中でも一握りの者に施され、その後封印された。彼らはすでに官僚化していた連邦を実質的に支える政治・経済集団の指導層だった。最初の100年は何も起こらなかった。しかし、同世代の人間が死んでいなくなった頃、若さを保ったままの彼らは歴史の表舞台に現れた。
彼らは自身のグループを「賢者会議」と標榜し、連邦政府を統治する「至高なる者」として公然と君臨した。若さを保ち死なない賢者たちを、人々は超越者と確かに信じた。100年にわたる情報操作が功を奏した部分もあった。ダイダロスの真実を知るものが彼らのほかに誰もいなくなったこともあった。また、ある意味神の実在が待ち望まれていたという社会背景もあった。あまりに急激な技術革新のなかで、心の安定を求める思いが強くなっていた。それも情報操作の故なのかもしれないが。
いずれにせよ、意外なほど賢者会議は混乱なく受け入れられ、連邦政府は傀儡化した。賢者会議は太陽系外に勢力圏を拡大し始めた。宇宙帝国主義である。独裁的支配に対する疑問や抵抗を外に向ける政略の面もあった。銀河連邦の超超光速宇宙艦隊が数光年、数十光年、数百光年の空間に繰り出された。後に人類の大航海時代といわれる、開拓者精神に満ち溢れた、一方拡大する領土に制度や法制が追いつかない無法な時代の幕開けでもあった。モラルという点ではかなり後退した時代であったが、反面バイタリティーに満ち溢れた時代であったともいえる。
振り返れば、人類の宇宙帝国主義は、これまた意外なほどうまくいった。汎銀河知性による戦争で外宇宙の進んだ文明がことごとく破壊され、疲弊していたことによるものが大きかった。また、外宇宙の知性体が ―それは汎銀河知性との接触時から指摘されていたことだが― ほとんど地球人類と変わらないヒューマノイド・タイプだったことも成功要因であった。外宇宙文明は、自分たちと変わらぬ地球人支配を、トスカルドやシアーズのように蹂躙と死と略奪ではなく、融和路線だったこともありあっさりと受け入れたのである。何世代か後にはバイオノイド技術により地球人と外宇宙人との交配も可能となった。
宇宙暦1000年、地球連邦は差し渡し1万光年を支配する超光速国家「銀河連邦」となった。
この規模は賢者会議の初期メンバーだけでは管理できず、このころには長命化された者は数万人に及び、「長命族」とでもいうべき集団、いや階級に拡大していた。銀河連邦は「至高なる者」を頂点に「長命族」が中枢の支配者であり、被支配者は普通の人類、さらにその下部構造に植民地化された外宇宙人たちが位置するという階級社会であった。
この社会構造はさらに1000年、大きな変化もなく続いた。
宇宙暦2000年を過ぎたころ、賢者会議の初期メンバー「至高なる者」に寿命が訪れ始めた。メトセラ・プログラムの理論寿命は5000年以上であったが、当時の技術力ではそこまでの延命はできなかったのである。
誰も死ななかった世界に再び死が蘇り、賢者会議は混乱した。その詳細は割愛するが、連邦は本当に死なない「神」なるものに国家支配を委ねることを決めた。これが「第1の支配者」である。しかし、「第1の支配者」の完成は宇宙暦5000年代になってから、すなわち賢者会議メンバーが二世代ほど交代した後の話である。この時期の政治的混乱がいかに深刻で長期化したかがわかるであろう。
宇宙暦5099年、「第1の支配者」完成によって「同時性宇宙」という概念が具現化された。銀河連邦は真意の超光速国家となった。
「同時性宇宙」とは、超光速で情報が伝達されるが、事象は光速以下でしか伝わらないことに起因するさまざまな矛盾を回避するため、全ての事象を再計算し、銀河標準時を基準に組み上げられた仮想的宇宙のことである。神の眼で見た宇宙ともいえる。
光速という時空の基礎構造を超えてしまった時点で、人類には物理的にも因果的にも実存を把握することができなくなってしまった。時間と空間の共通認識を喪失してしまった。今とはいつのことなのか?あと・さきとは何を基準とすればいいのか?。根本的な基盤がない。もっとも深刻なのは市場取引だろう。経済が成り立たなければ、社会も政治も成り立たない。
「同時性」を持たない超光速国家がアウトロー化するのは当たり前のことなのかもしれない。モラルの基盤がないのだから。そこで人類は超光速ネットワークのなかに、仮想的な標準時を設定し、同時性に新たな意味づけを与えなければならなかったのである。
「第1の支配者」誕生によって銀河連邦の階級構造は、絶対的な支配・被支配という関係から相対的な関係に移った。世界の支配者は物言わぬ超AIであり、「賢者会議」といえどもその代行者に過ぎない。また、3000年に及ぶ政治的混乱から、「長命族」は神ではなく、非公開の技術によって寿命が延びた人類に過ぎないという認識が一般人の中にも広がっていった。
宇宙暦5150年、無血革命により長命族は銀河連邦の主要職を追われた。
長い寿命は政治や経済、社会にとって有害である。単純再生産に陥るだけで進歩がない。100年程度の寿命が人類社会のためには適切である、という主張が認められ、普通の人類が政府要職についた。ダイダロスの帰還から5000年かかってようやく民主的な国家が誕生したのである。長命技術やクローン、サイボーグ、自我転写技術などは非合法とされた。
宇宙暦5178年、「生命戦争」が勃発した。
長生きできる技術があるのにそれを使わせないのは生存権に反するという主張をするものたちが武装化したのである。長生きのために戦争をするというのは矛盾した話だが、裏で長命族が糸を引いていたという説がある。
戦争はちょうど四半世紀続き、多くの人命が失われたが、その過程もここでは割愛する。
個々の戦局の描写よりも、この戦争が「基本的人権」と「民主主義」とが矛盾するということに起因する、ということが重要である。
技術の進歩により、基本的人権のひとつである生存権を保障すると、不死を約束することになり、それは社会の階級化の固定、また単純再生産による停滞を生む。自由と平等を基礎とする民主主義が失われる。基本的人権を保障する社会構造が失われることでもある。ということはつまり、生存権自体に矛盾が内在していることになる。
こうして、生命戦争の後、新たな基本的人権「自然権」が確立された。
人は自然に存在するものであり、生存権は自然権の範囲内で行使されるべきものであるという概念である。
そして自然に存在するとはどういうことかが、医学的にも、物理的にも、哲学的にも、文学的にも、倫理的にも、心理学的にも ―およそあらゆる学問において― 検討された。生と死とはいったい何であるかが真剣に、大規模に、議論され、研究されたのである。
こうして莫大な知の集積が行われ、生と死、ひいては魂や心とは何かが精密に理解されたのである。
それは新たな人類観であり、新たな社会観でもあった。宇宙思想がはじまった、とも言えるかもしれない大きな変化であった。
そして宇宙暦1万年。
アイ・ナクガ・ワイルダーが、連邦公認のクローン体かもしれないという連邦軍内の噂が、重い意味を持つのはこのような背景による。自然権は真意の禁忌であり、これにそむくことはありえない。ありえないことが起こっているのなら、それは禁忌を犯すだけの理由があるのだ。
イデ中将は、あえてその噂を否定しなかった。
(そう理解するのなら、それはそれでよい・・・第一、あたらずといえど遠からずだ・・・)
ネットワークを監視する闇の艦隊 ―情報艦隊― を率いるキャプテン・ファントムでもあるイデ中将は、自らを監察者としておく癖があったのかもしれない。
アイ・ナクガ・ワイルダー中将は、まだレジェからの帰還途上にあった。