第5話 超光速SOS!(中編)
「真紅のトビトカゲ号」の船体の中心部から光の粒子がさざなみのように現れ、ほどなくそのすがたは、おぼろげになり、ゆらいでついに消えた。
観測される実在を捨て、不確定な波・・・波動関数に積分された。
極超光速駆動系を発動したのである。
オリオン腕幹線航路上から消えた「真紅のトビトカゲ号」は、それから5標準時間後、銀河盤面から垂直・・・銀緯方向に1万光年のハロー領域に自身を確定した。
半径15万光年に及んで銀河盤面を球状に取り囲むハロー領域は、主に加速されたニュートリノからなり、重力密度が平均している。この領域なら近似式で極超光速航路計算が可能であった。
スリージーのコムが提案したのはこうだ。オリオン腕航路上では極超光速駆動ができない。なら、いったん航路上から遠く離れたところへ極超光速でジャンプし、そこからキグナスへ再跳躍する。つまり極超光速駆動で三角跳びを行えば、航路は長くなるものの、充分に間に合うというものだった。
問題は、銀河盤面を基幹ネットワークのサポート無しで抜けられるかどうかだった。オリオン腕などを含む銀河盤面は、平たいディスク状とはいえ、厚みは1千光年ほどある。幹線航路は銀河盤面のちょうど中央部にあり、「真紅のトビトカゲ号」は約500光年の星の層を突っ切らなければならなかった。
しかも、基幹ネットワークのチェックを逃れるため、ダミーの航跡データを立てる必要もあった。
そんな困難な航法だったが、「真紅のトビトカゲ号」は跳躍に成功し、今このハロー領域にいた。かつて、ダークマターやミッシングマスと呼ばれた見えない質量・・・星どころか、原子すらない、ニュートリノだけが充満するスープの中に存在していた。
艇内チェックを行い致命的なダメージがないことを確認して、マグロウ・クックヒルはほっと胸をなでおろした。
「思い出しますよ。8年程前にもキグナスに間に合わせろと言われたことがありまして、三角跳びをやりました。ご存知ですかなあ・・・ザ・ローリング・メテオズ・・・」
「ああ、あのときの!そうだったんですか、あの時も艇長が・・・」セラニーが目を丸くする。
「デネブからちょうど現在の座標に跳躍したんですが、航路上に球状星団がありましてね、ひやひやものでした。基幹ネットワークのサポートはないし、ほとんど目測でやらないといけませんでした。運任せというのが正直なところで、こんな無茶は本来絶対やってはいけないんですが、ライブ・キグナスとなるとこの宙域のものとしては特別ですのでね」
「なんだ、やっぱりやったんじゃん」これはコム。
いいアイデアだと思ったのだが、過去に実行されていたとはいささか鼻白むものがあった。
「そのときの航路データを残していましたのでね、役に立ちましたよ。今の跳躍は完全に成功しました。もちろんここからキグナスへのデータもありますし、このハロー領域は重力的には安定していますので再跳躍はより安全です。極超光速駆動系の冷却がすみ次第、キグナスに向けて発進します!」
「ありがとう、艇長!」
宇宙暦1万年のこの時代、宇宙艦船での水・空気・食料はバイオスフィア・システムによる自己調達がほとんどであった。テラフォーミングテクノロジを応用し、艦内を小さな地球環境と化し、リサイクルする。ジャンカードSSS2のような大型艦にも、スケルトンのような小型戦闘機にもカセット化されたバイオスフィアが搭載されている。空間歪曲により、みかけの容積よりも大きな環境を収容できるので、たとえばスケルトンに搭載されているのは外形はわずか60センチ角ほどのユニットだが、人間数人の生命維持が可能だ。SSS2のものに至っては、メガロポリス・クラスのライフラインを支える性能があった。
本来、バイオスフィアの定義は閉鎖系を対象とし、外部との環境の交換があるのは矛盾しているのだが、習慣的にこれらのリサイクル&リクリエイトユニットをバイオスフィア・システムと呼んでいた。
とはいえ、宇宙戦艦の中に巨大温泉リゾートを造ってしまったのは、SSS2がはじめてであろう。
「アー、極楽極楽」
アイ・ナクガ・ワイルダーはジャグジーに浸かりながら鼻歌を唄っていた。耐宇宙放射線ブロックの超純水タンクに遮断された中性子ほかを再利用した放射能泉だ。余談だが、宇宙線を温泉に活用するビジネスモデルのルーツは古く、旧世界末の西暦21世紀後半に雛型が出来上がっている。
見上げれば星が虹色にきらめいていた。センサーが捕らえた外の風景を天井のドームに3次元モデルに投影している。超光速で飛んでいるため、ドップラー偏移で7色に変化するのだ。派手な露天風呂であった。
「ねえ、アイ」
ジョイスがジャグジーに入ってきた。重たげな乳房がゆれる。
「5つ目の支配者が封印されて、つらくない?」
「え?どうして?」
「お母さんから受け継いだ力なんでしょ?どうなのかな、と思って」
「ふん・・・、あたしは、あたし。母じゃないわ。良かれと思ってしたことだけど、母のように実戦経験があるわけじゃない。判断が甘いといわれれば、そのとおりだと思う。制御しきれない力は災いを呼ぶ・・・ってはなしは理解できるわ。封印されるのは仕方ないと思う」
「理性的ね。でも、その形質もお母さんのものだったのかも」
「・・・」
「私はウィザード。心が読める。忠告するわ、アイ。あなたの心はモザイクのように貼りあわせてできているように見える。お母さんの記憶と経験。4つの支配者の同時性宇宙のネットワークの一部としての膨大な知識。コーティングされた仮想人格ではあったけれど、自由な個人として存在したリドリー・ワクガニア。そして、アイ・ナクガ・ワイルダー・・・。バラバラにならないのが不思議なくらいよ。心を統合しないと、いつかあなたはあなたでなくなってしまうような気がする」
「言ってる意味がよくわからないけど、あたしはあたしよ。それにモザイクパズルがいけないのなら、5つ目の支配者を封印したほうが、寄せ集めがひとつ減っていいじゃん」
「減算するんじゃなくて、統合するのよ。どれもあなたの一部であることには間違いじゃないの。捨ててはいけないわ」
「うーん、ご忠告は受け止めておく。いずれにせよ5つ目の支配者は当分つかえないわ。封印したのはあの幽霊男だし、あたしも人殺しになるのは御免だし」
「まあ、そりゃそうね。・・・アイ、魂の乗り物って概念しってる?」
「ヒトの体は魂の乗り物ってやつ?」
「体もそうなんだけど、心と魂を分離する概念で、例の魂のブラックホール化からでた量子心理学の学説・・・というか解釈ね。魂というのは高次空間からの誘導エネルギー、波動の一種でしょ。このエネルギーによってドライブされるのが心になるのよ」
「ははあ」
「たとえていえば、ヒトの脳がCPUで、心はOSで、魂は電気みたいなものよ。ヒトは死んだとき、物理的にCPU、脳が壊れ、論理的なOS、心も消えてしまう。けどエネルギーである魂は時間軸が0に収束すると同時に質量無限大・・・マイクロブラックホール化して蒸発するわけね。普遍的なエネルギーに還元される、という言い方をしてもいいわね(作者注:CPU、OS、電気というものはこの時代にはあまり使われない用語です。実際にはジョイスは宇宙暦1万年時代の例で話をしているのですが、21世紀のわれわれはその例を知らないため、たとえ話になりません。というわけであえて21世紀風の表現を採用しています。ご了承ください)」
「ふむふむ」
「輪廻転生が証明できないのは、魂はたぶん、エネルギーとしていつかまた誰かの心をドライブすることになるはずだけれど、記憶や経験をつかさどる心のほうは物理的な死とともに消滅してしまうからね。電気エネルギーがそのまえ熱エネルギーであったか位置エネルギーであったかが意味のないことのように、魂のエネルギーが前に何であったかは意味がない・・・」
「わかった、心そのものが魂の乗り物なのね」
「そう、そして自分を自分たらしめるのは魂じゃない、心なの。心が心として機能するためには、もちろん魂がなきゃだめなんだけど、自我は心にあるのよ」
「なるほど」
「だから心を統合しないと、あなたはあなたでなくなってしまうかもしれない。あなたの魂の乗り物は、つぎはぎよ。あなたは何者なのか、自分を見つけて。アイ・ナクガ・ワイルダーは何者かという確たるものを」
「・・・・・・」
「自分、という概念をよりどころに心の糸を編むのよ。心の中に大きな何かを持つの・・・それが大切」
「・・・ありがとう、ジョイス。ご忠告には感謝するわ」
「・・・アイ・・・」
「・・・あたしが、何者なのか、かあ・・・何者なんだろうねえ・・・」
空中にブリッジからの緊急コールを示すアイコンが浮かんだ。サウンドオンリーの表示がある。リューだ。
「アイ、ジョイス、こちらブリッジ。緊急救難信号をキャッチした。本艦は恒星航行法第306条に則り救助に向かう。至急ブリッジに戻ってきてくれ」
「わかった。リュー、3分待って」
アイとジョイスはロッカールームに急いだ。
「状況は?」ジョイスが尋ねる。メインブリッジには白鳥座X-1近傍の時空等圧図が表示されていた。ブラックホール連星付近の時空圧が高いのはともかく、その他に大きく歪んだ領域があった。
「この付近を見てくれ。これは空間の波動が干渉しているように見える。モアレ状になっているだろ?これを分解すると・・・」
歪んだ等圧図は二つの同心円の干渉として表示された。
「これは、同じ波動じゃない?ゴースト?」アイが身を乗り出す。
「空間的に反射しているわけではないようだ。むしろ、時間的に反射しているように見える。30秒おきの波の位置がこれだ」
「ほんとだ。波長がずれてる。ということは・・・」
「これはエコーだ。つまり、過去と未来が重なっている」
「緊急救難信号は?どっちの波からきたの?過去?それとも未来?」
「過去だ。未来は確率的にしか存在していない。だからまだ干渉で済んでいる」
「! 未来が確定したら、過去と重なっている部分が対消滅する!」ジョイスが事態を呑み込んだ。
「それだけじゃないわ。重なっている部分の因果が論理的にも破壊される。これは極超光速駆動の事故ね。誰かが基幹ネットワークのサポートを受けずに跳躍したんだわ」
「そのとおりだ、アイ。でも極超光速駆動だけでは、ここまでのずれがおきるとは考えにくいんだが」
「ふん・・・これは、2回跳んだのよ。最初の跳躍のときに少しずれた波が生まれ、ずれたまま再跳躍したんだわ。無茶なことする人がいるのね」
「感心してる場合じゃないぞ、とするとこの波動のずれを直すには・・・」
「発信源が二ヶ所あるはずだから、同時に・・・これは因果的に同時に、という意味ね・・・同時に修正をかけないといけない」
「SSS2一隻じゃ無理ということか?」
「ううん、大丈夫。時空位置さえ測定できれば、消滅砲をリバースで打ち込むわ。波そのものを吹き飛ばしてしまえばいい。それよりも、救難信号を送ってきた船のほうが問題ね。積分された状態で過去の波に乗っているはずだから、引きずり出して因果を確定してやらないと、多世界に拡散しちゃうわ」
「どうする?」
「事故った船は特定できたの?」
「コードは照会できた。デネブ船籍の「真紅のトビトカゲ号」だ。Eクラスクルーザーだよ。乗客乗員名簿はまだ返信がないが・・・」
「それだけわかればいいわ。航路上に戒厳コードを出すよう武装局に指示して。航路上の艦船が退避しだい、極超光速駆動系を駆動」
「極超光速駆動系はまだメンテナンスしてないぞ」
「大丈夫、本艦の虚空域誘導機関は堅牢無比よ。そしてX-1宙域に到着しだい、スケルトンで出る。オーバードライブで制動をかければ、波から引っ張り出せるでしょ」
「そんな無茶な」
「SSS2だと馬力がありすぎてクルーザーなんかじゃバラバラになっちゃうわ。スケルトン2機で引っ張ればうまくいく。というわけで、リュー、手伝って」
「え、俺も行くのか?」
「あなた空間パイロットでしょ。ジョイスは消滅砲発射準備に入って。あたしたちが「真紅のトビトカゲ」ちゃんを確定できたら、すぐ発射できるよう時空位置を小数点以下65535桁までトレースしててね。じゃ行くわよ、リュー」
「俺、艦長なんだけどなあ・・・」
「暫定でしょ、文句言わない!」
アイとリューは主格納庫へステッピングゲートをくぐっていった。
ジョイスは微笑すると、全周センサをトレースモードに移した。
「波長が短くなっている・・・確定まで1.5標準時というところか・・・。間に合うのか?アイ」