第3話 グレート・アトラクター
「見えない戦艦事件」がサクラワン連邦上席広報官によって公表されると、間をおかずしてザウレア共和国は旧帝星過激派の一掃を約束するコメントを出し、また「4つの支配者15秒間凍結事件」にも触れ、旧帝星過激派の一連の犯行との見方を示した。実のところ、連邦は凍結事件と見えない戦艦との関連については見解を保留していたのだが、世論は、旧帝星過激派に怒りをつのらせた。それでも、一部のネット学者からは、4つの支配者は完全なオートマトン・ネットであり、侵入不可能だという反論も寄せられたが、技術は常に進歩するというお定まりの意見に一蹴された。
民間の犠牲者が出た惑星ベラス=ミラスで執り行われた鎮魂祭には、わざわざザウレア共和国筆頭書記官が出席し弔意を示した。また15秒凍結事件については連邦経済局により特別対策基金が設定され、被害者の賠償や経営危機に陥った企業への優先低率貸付に応じた。
凍結事件では、超光速駆動中に行方不明になった王宮クルーザーが数日後(内部時間では数ヶ月後)自力で連邦宙域に帰還、乗船していたプリンセスとボディガードが恋におちたという「ロマンス・イン・ロスト」がその後映画化され大ヒットするなどの余禄もあったものの、総被害額は1500兆クレジット以上と試算された。
大変な事件ではあったが、公表時にはすでに見えない戦艦が宇宙軍によって撃破されていたこともあり、数日後には人々の関心は薄れていった。
惑星ニュー・ノース・イースト。中緯度政令都市アシャンター・アラク。標準時間午後10時。
商業開発のための移民の町だ。数多くの人種・民族が、区画整理だけはきっちりとした都市にあふれている。貿易港があるので長期滞在の宇宙船員も多い。
シャロン・アランスはいつものチャットルーム「アンダーフィスト」にログインしていた。シャロンのアイコンは三頭身の赤髪ドラゴン娘だ。落ち着きなく他のアイコンの間をぐるぐるまわりながら手足をばたばたしてしゃべっている。
「だからさー、あんなのうそうそ。4つの支配者にアクセスできるんなら、凍結なんてするわけないじゃん。もう、それだけで宇宙征服もどーぜんじゃん?なんでスレイブ・ファイルを閉めちゃったわけ?」
「ハックはしたものの、逆ファックされたんでないかい?びびってとんずらってか。つまんねー」
これはサイケデリックなアメーバ。デビット・マキシマムのアイコンだ。実際の彼はお堅い帝国銀行総合研究所主査だが、チャット・アイコンには本人と逆のイメージを選ぶ傾向があるらしい。
「すべてのスレイブを15秒間も止めたのよ!これは画期的、刺激的、もー過去5000年間誰も出来なかったウルトラ・スーパー・デラックスなハッキングよ!キングオブハッキング!はっくしょん!」
「コーフンし過ぎ。よっきゅーふまん?」
ブリキ・マンのアイコン。コーリン・ソドだ。シャロンは彼女をよく知らないが、軍にコネがあるらしく、ときどきびっくりするようなネタを投稿している。
「あんたにいわれたかーないわっ!実際、スレイブ・ファイルを閉じさせたってことは4つの支配者をフルコントロールなわけっしょ!?なんでそんなことすんの!?ビッグバンの再現でもやりたかったの!?あそーかそれだわ!天地創造!じゃじゃーんん!」
「ほほう、いきなり核心。ビッグバン説はおもろいでんなあ。15秒あったら・・・なんや、統一力の分離、質量の獲得までシミュレートできまっせ」
訛りのきついふくろうは、アスター・コードウェイ。彼はシャロンと同業のネット・プログラマーだ。
「ビッグバンのシュミレーションってなんかおもしれーの?ゆらぎでインフレーションで超光速でぴゅーって、なんかそれつまんねー??」
アメーバが内と外をさかさまにさせながら文句をいう。
「まあ、わてのみるところ、ハッキングってこと自体がデマでんな。見えない戦艦と凍結事件は関係あらしまへん」
「なんで、なんでそーなるわけ。ハッキングじゃなきゃ何?通常ジョブのうちってこと?4つの支配者が人類に不利益になるようなことするわけ?すごーいっ!そっちのほうがびっくりーってかんじじゃん」
シャロンが半ばあきれ、半ば怒りながら言う。
「ネットワーク上に<意識>が生まれた、っちゅーのはどうや?」
アスターの説は衝撃だった。シャロンは絶句し、デビットは噴き出した。
人の精神や意識、自我、知性、また魂そのものの研究が盛んだった5、6000年ほど前、「機械の意識」について結論が得られた。電脳空間に、―非常に厳密な意味で―人と同じ意識、魂は発生しない。人の精神、心を形作るものは波動関数が高次空間から誘導するエネルギーで、それは4つの層からなるとされる。それぞれの層は次元数に対応しており、8次元、16次元、32次元、64次元誘導関数となる。この関数は人―亜種も含めて―の発生過程において、遺伝子の量子レベル構造に動的に格納されており、低次層から多段式に誘導が開始され意識を形成する。このプロセスは自発的な獲得過程とよばれ、このような動的プロセスを持たない電脳空間には原理的に誘導できないのだ。
非常によく似たコピーを作ることは出来る。実際、意識を電脳上に転写して、死後も意思決定をした大企業の重役なども(生命戦争までは)いた。しかしそれはよく出来たいわゆる「人工知能」であって、真意の「魂」ではなかった。
ネットワーク上に<意識>は生まれない。この結論があったこそ、4つの支配者―始まりは最初の支配者だったが―に人類汎図の統制をゆだねた、ともいえる。決して自我を持たない独裁者。独善ならざる、中立客観にして、そして人なる誰しも介入できない透明、独立した存在。
もし、4つの支配者に意識が生まれたら?
それは掛け値なく、人類史上最大にして最強の王の出現を意味する。地球連邦20万光年の森羅万象がひれ伏す超大帝だ。
「4つの支配者は量子演算と超光速遡行演算の組み合わせによりこの20万光年世界の全事象を再現できるんや。同時性宇宙ちゅうやっちゃな。そんな桁外れのエミュレータ―やから、とうぜん魂の誘導過程もエミュレートしとるやろ」
「たしかにエミュレートしているけどー、それはかそー空間のかそー人間のかそー精神のかそー誘導過程でしかないわよん。4つの支配者自身の精神形成とはちっとも関係なーい」と、コーリン・ソド。
「ふふん、そういうことになっとるわな、いちおう。だから人格が生まれることはないってのが定説や。でもな、仮想空間で誘導される高次の波動そのものはいったいなんや?高次空間そのものが4つの支配者の中に出現しとることになるやないか?」
「へへーっ、高次空間そのものが4つの支配者の意識ってえゆーわけ?すげー!!かっくいーぞ!!ああ、つまんねー!!!」
デビットは投げやりになっている。
「可能性の積分が宇宙の実体なら、高次波動が宇宙の意思になるやんけ。ちゃうか?」
「なんいってんのよ!そんなの人格でも魂でもないわよ!このリアル宇宙にも高次空間は存在してるわ。でもそれがこの宇宙の意思なのかどうかはわからない!それは私たちの魂とはまったく次元の違う存在よ!4つの支配者の内的宇宙の仮想高次空間に仮想宇宙意思があったとしても、それはまったく次元の違う話に過ぎないわ!もう!」
シャロンはわめきちらすと、ログアウトした。アスターのやつぅ、また変なほうに話をずらすんだからぁ。
いつものごとく、チャットは空中分解して、それぞれログアウトしたが、コーリンだけはしばらくログを読み直していた。
地球連邦首星レジェ。武装局本局。
「あんなはったりによく応じたものだな、イデ君」
「は、恐れ入ります。ですが、はったりといささか心外です。暗示による催眠治療ですよ、長官」
ウォルトハイム武装局長官は、端末に浮かぶイデ将軍のアイコン―ポリゴンにイデの顔を貼り付けただけのビジネスライクなもの―が顔をしかめるのを見た。
「暗示か。アイ・ナクガの記憶を引き継いでいるのなら、連邦の不利益は彼女自身も、意識的にせよ無意識的にせよ必ず回避しようとするはずだ、というのが君の読みだったな。実際、うまくいったというところか」
「実際問題、4つの支配者とのダイレクト・コネクトを阻止する方法はありません。すべての情報網の基礎層として組み込まれていますから、そもそもアクセスを制限することが出来ません。また、仮に制限が出来たとしても、たとえ彼女を物理的に削除したとしても、たちまち復元してしまうでしょう。4つの支配者というオペレーティング・システムに、世界が支配されている限り」
「そのとおりだ。だから、アイ・ナクガの記憶と能力は今も生きている・・・」
「だから、われわれとしては、彼女が自発的にダイレクト・コネクトをやめようと思わせることしかなかったわけです。暗示を使ってでも」
「ばかものがっ」
ウォルトハイム長官が突然怒鳴ったので、イデのアイコンが飛び上がった。
「なにがしかなかっただ!結局何の保証もない!あんな小娘一人に世界の命運が握られたままだ!あの娘が生きている限り、地球連邦がこびへつらうのか!」
「長官、削除はできないと申し上げたはずです。プロトタイプのケイ・ナクガは失敗作だったから、あのとき削除に成功しましたが、アイ・ナクガは完全体です。ミレニアム・プロジェクトはすでに30年も前に稼動をはじめているのです」
「いけしゃあしゃあと、貴様もデンバーの片棒を担いでおったろうが!こんな計画を、なぜ中止させなかった!」
「27万年後にグレート・アトラクターが連邦を呑み込むのは避けられません。唯一の対抗手段がミレニアム・プロジェクトであれば、われわれはそれを遂行するだけです」
「27万年後の脅威より、今の小娘のほうがはるかに破壊的だ!まあいい、ひとまず時間が稼げた!やつの監視を怠るな!反抗する気配があれば、さっさと始末してしまえ!分子レベルに分解すれば、数年間は安泰だ!」
「おおせのとおりに」
イデのアイコンがフェードアウトした。
ウォルトハイム長官はため息をついて、執務室の壁にかかる歴代長官のレリーフを見た。
一番右が、デンバー前長官だ。
レリーフの中に隠されているチップを握りつぶしてやりたい衝動に駆られた。連邦の要職にあったものは、全員記憶と遺伝子情報を保存されている。チップから直接記憶を再生することも出来るし、「生きている」クローン体を再生することも出来る。もちろん、それは記憶と経験を引き継いだだけの、別の個体にすぎないし、もちろん生命戦争後、公式にはクローンが作られたことはない。が、アイ・ナクガ・ワイルダーをはじめ、なにごとにも例外がある。
ともあれ、15年前にデンバーは死に、ちっぽけなチップが残された。
ミレニアム・プロジェクトに対してデンバーはもはや何もできない。しかし、生きているものにも止めることができない。
ウォルトハイム武装局長官は、長官就任時に注入された記憶層を呼び出した。武装局など特務機関の引継ぎは機密扱いが多いため、文書ではなく記憶の転写によって行われる。機密レベルがトリプルAまでは磁気転写が行われるが、フォーA以上は漏洩を防ぐため、直接脳内に記憶物質を注入する。暗号キーを持った極小のバイオカプセルに封じてあるため、記憶を呼び出すにはパスワードが必要だ。グレートアトラクター項目は3重のパスワードで記憶層が保護されていた。ウィザードレベルのテレパスでも脳内記憶を読み取れない厳封設定だ。
記憶層から項目が意識に浮かび上がる。
<グレート・アトラクター>。
1万年ほど昔から、うみへび座―ケンタウルス座方向(旧世界座標)の超重力源として存在を予言されていたが、永らくその実体は不明だった。
20億光年の距離と時間が観測を阻んでいたのだ。超空間的なひずみというのが大方の意見だったが、宇宙創世時の相転移の名残とほぼ突き止められたのが、約150年前のことだ。
この宇宙のはじまりは超光速状態、時間も空間もとけて一体となった因果のない世界だった。ビックバンという膨張過程で冷えた宇宙は光速度を獲得し、空間と時間、終わりと始まり、原因と結果のある世界に「相転移」した。
だが宇宙は均一に始まったのではなかったため、相転移しそこねた領域が出来た。この領域の大半はその後の膨張過程でさらに相転移して別の宇宙となったり、あるいは蒸発したりしてなくなったが、一部は現在もなお存在している。グレート・アトラクターはその領域のひとつだった。
つまり宇宙の初期状態の生きた化石だ。
しかし、それだけのことなら、宇宙物理学者の興味の対象にしか過ぎず、宇宙軍や武装局の管轄にはならなかっただろう。
グレート・アトラクターの特性である時間と空間が一体となった領域の真の意味するところ。それは・・・。
ウォルトハイム長官は、再びため息をついた。
ミレニアム・プロジェクトがほんとうにあのグレート・アトラクターの脅威に対抗できるのか?対抗できたとしてもその結果連邦はどうなるのか?
アイ・ナクガは連邦に忠実な犬だった。しかし、あの小娘には保証がない。アイ・ナクガ・ワイルダー。まさに野生のアイ・ナクガだ。なにをしでかすか、わからない。これがミレニアム・プロジェクトの結果か。宇宙暦1万年、人類の大統一がついに成し遂げられたこの時代が、この世の終わりとは、何たる皮肉。
唯一の救いは、すべて結果は27万年後ということか・・・。
ウォルトハイム長官は、しかしこのとき大きな誤解をしていたことに、さほどの時をおかずして気が付くことになる。
キャプテン・ファントム。
アイ・ナクガ・ワイルダーはまたこのプレッシャー男にしぼられていた。今日のメニューはダミーとのサバイバル訓練だ。ダミーはアルゴリズムを持った動きをしながら、マーカーを6方向に照射する。動きを見切ってこちらのマーカーをヒットさせればいい。最初の数ステージはダミーの数が1、2体だったのでアイもクリアできたが、4ステージ目からダミーの数が3体となり、連携プレーで攻めて来るようになってがぜん難しくなってきた。
アイ・ナクガ・ワイルダーは杖術の達人であった母親の記憶を持つものの、これまで戦闘訓練を受けていない。トレーニングを積んでいない体には無理があった。ダミーに翻弄され、足がもつれ、息が上がる。
「この頭でっかちが!基礎をやり直せ。重力ランニング30分!」
床でへばるアイにファントムが怒鳴る。よろよろと立ち上がりウォーカーにつかまって黙々と走り出す。もう口答えする気力もないようだ。
夕方になってようやく6ステージ目をクリアでき、アイはホテルに戻ってシャワーを浴びた。ハーブ入りのミストが肌にしみいる。
「がんばってるじゃない。一日で音を上げるかと思ったけど」
部屋でジョイスが待っていた。
「あんなおやじに負けたくないだけ。ホログラフのくせにいばりちらしてさ。私疲れてるの。もう寝る」
アイはベッドに突っ伏した。
「へえ、筋肉もついてきたのね。さすが若いわね」
上腕から肩甲骨への盛り上がりを見て言う。
「むきむきになったらどうしよう~~」
ふたりはあはははと笑った。
キャプテン・ファントムことイデ中将は、コーリン・ソドからの定期レポートを読んでいた。連邦各地のネット、とくにアンダーグラウンドを徘徊し、動向を報告する隠密の一人だ。イデは情報艦隊の司令。情報艦隊は特殊艦隊と同じく一般に公表されていない宇宙軍の組織。4つの支配者をはじめとする連邦の基幹ネットワークを防衛する最終部隊だ。
イデは、アンダーフィストのログを詳細モードにした。コーリンが(!)マークをつけていたからだ。
「15秒凍結事件の真相を探ってるハッカーは多いが、ここの連中は面白いな。4つの支配者の意思とはね。」
イデはログをごみ箱アイコンにドラッグした。
(・・・意思か。たしかにヒトの意思が危機にあるともいえるな。グレート・アトラクターの穴が真に発動すれば、ヒトはすべてを喪うことになる。その前に、5番目の支配者をなんとしてもつかえるようにしなければ・・・)
さまざまな思いをよそに、そのころアイ・ナクガ・ワイルダーは高いびきをかいていた。