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第七話

 このノートはセンセにとって間違いなく大切なものだ。無いと気付いたら今日中に学校へ戻ってくる可能性は十分にある。杏奈は下校時間まで教室でセンセを待つことにした。まずセンセがマンガを描けない理由を確認しなければならない。なにしろ筋書きの方は138話まで書いているのだ。

 杏奈はセンセとの会話で方言を使うべきかを考えた。関西弁と言っても様々で、細かく言えば大阪だけでもいくつかバリエーションがある。しかも標準語やお笑い系の大阪弁がテレビを通じて拡散しているため、それぞれの土地の方言と混ざって複雑に変化している。杏奈は子どもの頃に孤立していたため言葉はテレビの影響が大きく、住んでいた町では他の子に言葉遣いを笑われることもあった。


(センセはホノカに京都弁ゆわせとるから、あたしの方言を聞いたらおかしい思うかもしれへん。誤解されたないし、やっぱり標準語の方がええんやろな)


 そして杏奈の予想通りにセンセは教室に戻ってきた。センセとの初めての対面は杏奈に強い緊張を強いた。いつもの微笑みは消えることはなかったもののプレッシャーで少し引きつっていた。センセは杏奈に対して明らかに警戒していて、彼女はそのことにショックを受けた。

 センセは最初、自分がメガビの作者であることを隠そうとしたが、杏奈が考えていた証拠を並べ上げると不本意そうにそれを認めた。杏奈は本当ならセンセには敬語を使いたかったが、そうする今でも固いセンセの態度がさらに他人行儀なものになりそうだったので、彼女はもう少しくだけた口調で話すことにした。


 センセから聞いた休載の理由は杏奈にとって予想外だったが、聞いてみれば納得できる話でもあった。アニメにのめり込んできた自分にリアルな男女の恋愛が描けないように、ひたすら作品に時間をつぎ込んできたセンセに恋愛が描けないのは仕方がないことだ。しかしセンセに恋愛を体験してもらえばいいのなら杏奈にもできることがある。


 杏奈を見るセンセの目が好感を持った女の子に対するものでないのは明らかで、彼女は自分をセンセの恋愛候補に含めることをあきらめた。センセの好みが杏奈とはかけ離れていることも彼女は前から知っていた。

 センセの好きなタイプは外見ならホノカだ。そう杏奈は考えていた。透けるように白い肌とつややかな黒い髪。ヒロインだけのことはあって、作中の登場人物からは絶賛されている。リメイク版を作るときもセンセから『理想の女性を描くつもりで可能な限り美人に』とコメントされている。

 杏奈に思いつくこの学校の生徒で最もホノカに近いのは辻占だ。辻占は杏奈が引き込んだメガビのファン仲間でもある。センセの正体を知れば好印象を持つのは間違いない。さらに性格の良さも折り紙つきだ。




 落ち込んでいるセンセを見ていると杏奈はなんとかして慰めたくなった。


「水瀬は知らないだろうけど、あのマンガはそんなに他人に受けないんだよ。しばらくはアニメの人気に引っ張られて色々な人に読んでもらったけど、今でも水瀬みたいに読み続けてくれているのは、たぶん100人もいないんだ」

「そんなことない!」

「本当なんだよ。僕のサイトには来てくれた人の数が分かるカウンターがあって、僕はその数字を確認しているから分かるんだ」


(センセはあたしらが転載やリメイク版やら続けてること知らんかったんか。それやったら、センセの作品を期待してる人があんだけおるって知ったら、センセももっとやる気が出てはよう描こうって気になるかもしれへん)


 そう考えてセンセに新しい転載先のことを伝えようとした杏奈だったが、その前にまずいことにも気が付いた。三次創作のBL作品だ。

 実は杏奈も作画の練習を兼ねて何度かキョウスケとシンジの話を描いた。あくまでもプラトニックな話で友情物として読めないこともない筋立てだが、杏奈にはキョウスケに自分を、シンジにセンセを重ねる気持ちがあったので、他の人の作品と混ざればBLと思われても仕方がない。


(あかん! あれはあかん! センセみたいな普通の人が自分のキャラがあんなことされてるの見たら怒るやろ。……でもセンセかてそういうのを知らんわけやないやろし……)


「センセ。BLって知ってる?」


 杏奈はそれとなく確認してみたが、センセの反応は思わしくなかった。


「ダメだからね、僕は! ホントこれっぽっちも!」


(やっぱりあかんのか……。センセには言わん方がええんやろな)


 こうなったら自分がセンセの相手になるしかない。センセはホノカが理想というわけじゃないと言っていた。作品に対する価値観を重視するなら杏奈は恋人候補の圏内に入ってくる。杏奈ほどのファンは他にはそういないはずだ。

 杏奈は自分に行動する勇気を与えるため、脳内で様々な情報を比較検討した上で、自分を暫定1位の座に滑り込ませることに成功した。不正疑惑を訴える心の声には聞こえないふりをした。

 提案をセンセに拒否されるとさすがに杏奈も傷つくので、彼女は素早くデートの約束を押し付けると、返事を聞かずに立ち去ろうとした。しかし杏奈は言い忘れていたことに気が付いた。


 元々杏奈がセンセに強引に勧めた計画であるから、杏奈が弱い立場なのは認めるしかない。だからといって何をしてもいいと思われるのはさすがに杏奈も困る。センセにとってリョウタとホノカは子どもを作る関係なのだ。次話でいきなり過激な描写があったら読者だって驚くだろう。


「わたしたち中学生ですから、子どもができるようなことはダメですよ」


 ***


 真冶は悩みに悩んだ挙句、水瀬とのテートの場として近場の遊園地を選んだ。水瀬が気に入るかどうかは怪しかったが、他の候補で水瀬に見合いそうな場所となると彼の小遣いでは到底足りないと思ったのだ。映画も考えはしたのだが、彼女の好みが分からないこと、自分が見たいと思う映画がやっていないことから候補から外した。暗がりに誘うということで自分の意図を誤解されないかと心配になったという理由もある。


 水瀬を待たせるわけにはいかないので、彼女には10時に遊園地の前で待ち合わせるように伝えておいて、真冶は開園時間の9時から彼女を待つことにした。それにも関わらず水瀬がすでに来ていたため、真冶は自分が時間を間違って伝えたのではないかと心配になった。


「水瀬さん。ごめん、待たせた?」

「センセ。どうしてこんなに早くに?」


 どうやら時間を間違えてはいないようで真冶はほっとした。その水瀬は入場待ちの行列からの視線を一身に受けていた。白一色の装いは水瀬の健康的な肌の色を目立たせていて、真冶にはとても似合って見えた。その姿は1枚の絵の様で、周囲の人は何かの撮影だと思っていたかもしれない。

 どう見ても一般人の真冶が水瀬の待ち合わせの相手と知って、行列から彼女を見ていた人々が彼の耳にも聞こえるほどざわついた。遅れたと思って慌てていなければ、真冶は衆目の集まっている彼女に声をかけるのをためらっただろう。

 次に何と言えばいいのか分からずただ水瀬を見つめていた真冶に向かって、水瀬はからかうように言った。


「いくら似合ってるからといって見とれてないで。こういうときはまず褒めるものよ」


 そう言われてようやく何を言えばいいのか分かった。返事をうながすように水瀬が真冶に目で合図を送ってくる。


「……すごく似合ってる。僕のためにこんな可愛い格好で来てくれてありがとう」


 真冶はその言葉で水瀬が微笑んでくれると期待したのだが、水瀬は逆に顔から笑みを消すと向こうを向いてしまった。


(え? 何が悪かったんだろ。可愛いじゃなくて綺麗だっていうべきだったかな)


 水瀬が入場券売り場に行こうとしているのに気付いた真冶は、彼女に声をかけた。


「券は昨日買っておいたんだ」


 立ち止まり振り返った水瀬を確認してから、真冶は入場ゲートの方に向かった。水瀬と共に入場券を渡し、ゲートの近くにある案内板のところへ行った真冶は、右手の人差し指と親指でアゴを支え左手は腰に当てるという、いかにも考え中のポーズをとった。水瀬が何か希望を言ってくれればそこへ行き、そうでなければデートの定番である観覧車に乗ろうと思ったのだ。


 そのとき水瀬が真冶の腕に抱きつくように自分の腕をからめてきた。水瀬の胸が真冶のヒジに当たった。


(!!!)


 真冶の頭はいきなりパニックになった。全神経がヒジに集中した。この状態で真冶が動けば自分のヒジが水瀬の胸を押したり擦ったりしてしまう。固まったように動かない真冶の顔を水瀬がのぞき込んだ。彼女の上体が前かがみになることでさらに胸がヒジに押し付けられた。

 真冶は目だけを動かして周りのカップルの様子を確認しようとした。女性を連れた男がこんなときにどう行動しているかを知りたかったからだ。視界に入ったカップルで腕を組んでいる者は見当たらず、せいぜい手をつないでいる程度だった。


「……水瀬。この状態だと動きにくくないか?」


 真冶がそういうと水瀬は慌てたように腕を離した。真冶はようやく人心地がついた。


「手をつないでいいかな」


 水瀬から腕を組んできた後だったので真冶は素直にその言葉が言えた。差し出した手を水瀬はしっかり握ってくれた。

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