第六話
杏奈は何度かファンサイトにセンセが気付いてくれそうな書き込みをしたが、センセからの反応はなかった。センセの意図を確認できなくなったことで、次の問題が発生した。
作品のストーリーにも1つの転機があった。ホノカによってリョウタが得た力は呪いであり、そのためにいずれリョウタが自我を失うことが分かったのだ。ホノカがリョウタに与えたのは真底神のカケラだった。それは最初は憑依相手の意思に従って力を与えるが、徐々に大きくなっていっていずれ憑依した者の魂を飲み込むのだ。
さらにホノカの一族がハドトと呼ばれる集団によって皆殺しにされたことも分かった。ホノカ受けた衝撃は計り知れないものだった。自分がリョウタに死の呪いをかけ、さらにハドトによる抹殺が周りの人間に及ぶかも知れないのだ。その情報を教えたのはホノカのばあやだった。ばあやもハドトの末端の1人であり、真実を告げた後に何者かに車で跳ねられて死んだ。
リョウタ、ホノカ、シンジ、キョウスケ、そしてスズカは学校を長期欠席して、リョウタを救う方法を探すための旅に出た。スズカには危険すぎる旅だったが、ショックで自我が崩壊しそうなホノカを支えるためには親友である自分が必要だ。そう言ってスズカは譲らず、リョウタたちもそれを認めるしかなかった。
この展開にファンたちの中に不安が生じた。もしかするとセンセはこの物語を終わらせようとしているのではないか。そう考える者が現れたのだ。それを肯定するようにリョウタたちには次々と苦難が降りかかっていった。
杏奈はセンセのキャラへの愛情を信じていて、話がどんなふうに展開してもその考えは変わらなかった。リメイク版の作画担当者の中には、原作と共に終わらせないためにストーリーを変更しようという者が現れて、杏奈たちと対立するようになった。
原作の主人公たちは1人の脱落者もなくその危機を乗り切った。特に成長が著しかったのはスズカだ。学園での騒ぎの中でも、大人しかった彼女はより積極的なキャラに変わっていったが、この旅ではホノカを守るためにより大胆な行動に出るようになった。そしてあるイベントを自ら乗り越えたことで戦える力も得た。
例によってそのイベントの成功にはシンジの意図しない貢献があったが、結果としてシンジは5人の中では最弱のキャラとなり、例によってそれを嘆くこととなった。
69話でキョウスケの裏切りによってリョウタが死んだ。70話でリョウタは生き返ったが、ホノカが呪いの力を解放したことで事態はさらに悪化した。リョウタ以外が全滅という展開に移行するのは簡単だった。作画担当者同士の対立が激しくなったためリメイク版の制作はほとんど進まなくなっていた。杏奈たちは期待とそれ以上の不安を抱えて71話の公開を待った。
ダウンロード版の最後のページを読み終わり、杏奈は心底安心していた。やはりセンセは思った通りの人だった。全ての問題は解決したように思えた。次からはまた彼らの学園生活が始まるのだ。もちろん平穏な日々にはならないだろうが、まだこれからもメガビを中心とした自分の生活は続くだろう。
そう思いながらアップするために転載先に移動すると、そこでは何か騒ぎが起こっていた。事情はよく分からなかったが、閲覧版の最後のページに何かが書いてあったようだ。急いでセンセのサイトで閲覧版を確認した杏奈は、予想しなかった事態に呆然とした。
わずかな期待を持ちながら、翌週の月曜4時も杏奈は次話がアップされるのを待った。しかし窓の外がすっかり明るくなってもそれはアップされなかった。しかし杏奈にあきらめるという選択肢はなかった。
『作者の実力ではまだこの先の展開を執筆することが困難です』
『たとえ数年後になっても必ず完結させるつもりです』
センセに話を終わらせるつもりはない。先の話を描くのは難しいとしても、杏奈たちからの強い要望があれば番外編のような話なら描いてもらえるかもしれない。とにかく一度はセンセの考えを確認しないと自分を納得させられない。
杏奈にはセンセの居場所についての心当たりがあった。倉元先生と大内先生だ。他にもはっきりとは言えないが、漫画に描かれた校内の描写にこの学校と共通したものが幾つかある。つまりセンセはこの学校の中等部にいたことのある在校生か卒業生だ。
在校生だとしたら、連載していた頃の行動を調べることで何か分かるかもしれない。前にセンセと掲示板で会話をしたとき、徹夜は苦手で毎日7時間は寝ていると言っていた。真面目に授業を受けていたら、あのペースで作品を描き続けるのは無理だろう。登校から下校までの間に何か作業をしていたはずだ。
さらに大内先生はこの学校に来て3年目だとわかった。大内先生は3年とも2年の数学を担当しているので授業を受けた生徒に限ると、中等部の2年と3年。高等部の1年が対象になる。メガビの第1話は去年公開されたから、さらに自分と同じ学年か高等部の1年に絞られる。あくまで杏奈の仮定が正しかったらの話だが。
杏奈は下駄箱の横を通り過ぎるとき、もしかしてこの中にと思いながらそこに書かれた名前を見ていた。すると5組の靴箱に気になる名前を見つけた。鹿波真治と速水涼花だ。スズカとシンジの名前が揃っているのを無視することはできなかった。
調べてみると2人は2年のときには別のクラスだったが1年のときはやはり同じクラスだった。速水涼花がスズカのモデルかといえば、外見は似てるといえば似てるかなといった程度で胸はスズカの方が明らかに大きい。鹿波真治とシンジにはあまり共通点を感じないが、それが逆に気になった。ただしセンセが名前だけを作品に使った可能性もある。
鹿波のノートのことを杏奈に教えたのは5組の宇野だった。その前に杏奈から鹿波の様子を尋ねてられていたからだ。宇野が自分のミスで部活の予算が削られそうになったときに杏奈に助けられたことがあり、宇野はそれを杏奈に対する借りだと思っていた。
鹿波が授業中にいつも同じルーズリーフのノートを使っていて、黒板の文字を写すとき以外も何か書いていることが分かった。杏奈はそのノートをどうしても確認したくなった。授業中だけでなく、昼休みに何かを書いていることもあるらしい。
杏奈は鹿波が何か書いているときに後ろからこっそりのぞけないかと考え、昼休みに5組の教室に行ってみたが、彼女が教室に入った途端に多くの生徒が彼女の姿に注目した。鹿波に気付かれずにその後ろに立つことはとてもできそうになかった。
ただその時に、鹿波の姿と机の上のノートの存在を確認することはできた。鹿波に対してこれまでその存在を意識したことは全くなかった。確認したときの第一印象もどこかで見たことがあるといった程度で、整っているといえなくもないがあまり特徴のない顔だった。
自分の教室に戻って鹿波のことを考えた。いかにも日本人という顔立ちは杏奈にとって少し羨ましいものではあった。成績はあまり良くないと聞いたが、彼があの作品を描いていたのならまともに授業は受けていないだろう。
ノートのことで宇野に3度目の質問をしたとき、彼女から杏奈へも質問があった。
「どうしてそんなにあのノートのことを気にされているんですか?」
「前に同じようなノートを使っていたの。気に入っていたんだけど無くしちゃって。メーカーが分かれば買い直せるかと思ったのよ」
杏奈はとりあえずそう説明したが、その翌日の放課後になって宇野が杏奈にそのノートを手渡した。
「どうしたの、これ?」
「鹿波にどこのメーカーのノートか聞いたんです。そしたら一品ものだからどこにも売ってないって言うんです。どこにも売ってないなら、これ、無くした水瀬さんのノートだってことですよね」
「ごめんなさい。似てはいるけど私のノートじゃないの」
「え?」
宇野の顔色が変わった。宇野が鹿波のノートを勝手に持ってきたことは明らかだった。杏奈はうかつな説明をした自分を責めたがもう取り返しはつかない。
「わたしから鹿波さんに返しておきます。ごめんなさい、嫌な思いをさせて」
宇野は自分が責任を取ると主張したが、杏奈は原因は自分だと説き伏せた。杏奈はそのノートの中身を確認するつもりだった。それなら盗みの責任は間違いなく杏奈にあると言える。
そのルーズリーフのノートは、後ろ表紙の幅が他の紙より広くて折り目がついていた。その折り目で曲げた先の部分をしおりのようにノートに挟めば、未使用のページを折り曲げた後ろ表紙で隠すことができる。記入した最後のページを一発で開くことができる。
作品について何か書いているとしたら、それは後ろ表紙に挟んている部分だろう。白紙しか挟んでいないはずだから、他の人はそこを開いて見ようとは思わない。書いたものを隠すのには向いている。
裏表紙の折り曲げた部分を開くと白紙が見えた。その白紙を何枚かめくった杏奈は、そこに見慣れた絵と細かく書き込まれた文字を見つけた。それはメガビのキャラ設定だった。思わず杏奈の息が止まり、背筋がゾクゾクとした。食い入るように見たが間違いない。リョウタの絵は初期のタッチのものから最近のものまである。やはり鹿波は九朗柿センセだった。
さらにページをめくると1話目のシナリオが見つかった。2ページに渡ってびっしりと書いてある。修正した跡が何ヶ所も残っていた。その後にも2話以降のシナリオが書いてあった。それを見て杏奈は、センセが71話以降に何か書いていないかと確認したくなった。
センセに話が作れていないことは分かっているが、何度も書き直した跡があるとか、センセの続編に対する意欲がうかがえるのではないかと思ったのだ。最後のページから逆にパラパラとめくっていった杏奈は、書かれた文字が見えた途端に、パタンと大きな音がする勢いでノートを閉じた。
(ひゃくさんじゅうはち?)
一瞬見えたページには、確かに138話と書いてあった。つまり公開済みの最新話から67話も書き進んでいることになる。これまでに描かれた話数とほぼ同じ数だ。
(なんで? どないなってんの? センセ話が作れへんてゆうとったのに)