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第四話

 水瀬杏奈は母親が米国にいるときに生まれた。そのすぐ後に父親が死んで、母親と共に帰国した。日本の記憶しかない杏奈は日本人以外の何者でもないつもりだが、帰国後に住んだ関西の田舎町では周囲から違った目で見られていた。


 幼い頃の杏奈は、天然パーマの髪と肌の色がどちらもよく似た褐色だった。目の周りの表情は眉やまつ毛の位置で分かるが、彼女の場合はそれが肌の色に溶け込んでいて見えにくかった。そのため日本人しか見慣れていない人には彼女の表情が読み取りにくく、眉がない彫りの深い顔は素の表情でも怒っているように見られた。

 杏奈はそう思われるのが嫌で、彼女の顔でも表情が分かりやすい口をいつも笑みの形に保つようになった。彼女は他の子たちから孤立していて寂しかったが、その笑みのために周りは彼女が傷ついていることに気付かなかった。


 小学校に上がってしばらく経つと少しずつ彼女の外見は変わっていった。髪は緩やかにウェーブした金髪に変わり、肌もより明るい色になった。10歳の杏奈は可愛いといえる容姿になっていたが、いつもからかっていた男子がそれを認めるようなことを言うはずがなく、彼女の心の傷は癒えなかった。

 杏奈はいつも熱心に勉強をしていた。彼女がいつも1人でいる理由は、他の子から仲間外れにされたためではなく、勉強が忙しくて誰とも遊べないためだ。そう他人にも自分にも思わせたかったからだ。運動に関しては特に努力しなくても優秀だったが、そのことで『日本人じゃないから』と陰口を言われることもあった。


 杏奈にとっての転機は、彼女の住む町を舞台としたアニメが放映されたときだ。それから聖地巡礼の観光客が彼女の町を訪れるようになった。男性客は地元の小学生女子に声を掛けるような無謀なことはしなかったが、それに比べて女子中高生は可愛いものに遠慮がなかった。

 見た目が外国人でネイティブの関西弁を話すとてもかわいい女の子。それは見事に彼女たちのツボにはまった。最初は戸惑っていた杏奈だったが、初対面の相手からの飾りの無い賛辞は彼女の外見にたいするコンプレックスを和らげた。さらにその数人から自分とイメージが重なるキャラのコスプレ写真を見せられた杏奈は、好んで自分と同じ容姿になる人がいることに勇気づけられた。

 杏奈は知り合いになった彼女たちとネットのファンサイトで交流を続けた。PCで絵を描くことを覚えて色々なサイトに投稿もした。1年ほど経った頃には、純朴で根暗な田舎の小学生は、それを表の姿とした立派なアニオタになっていた。


 中2の夏休みに母親が転勤することになり、すでに地元の同級生とは共通の話題がなかった杏奈は何の迷いもなく母親と共に引っ越して、偏差値の高い中高一貫校の転入試験にも合格した。

 夏休み中に生まれて初めて参加したアニメイベントで、杏奈はメガネ先輩の不当な扱いについて思う存分話し合うことができた。そのときに参加者の1人から紹介されたのが、九朗柿という人の描いたメガネ先輩の二次創作だった。

 薦められなければ読む気にならないほど絵は下手だったが、読み出すとそれが気にならなくなって、最後にはその内容に感動していた。その内容はこうだった。




 主人公のリョウタは幼い頃から天才といえる頭脳と身体能力の持ち主だった。しかしその実力を周りには見せず普通の優等生としてふるまっていて、彼の弟はそれが不満だった。リョウタはある日、怪しい男たちに追われていた老婆と関西弁の美少女を、その実力の一辺を見せて助けた。

 老婆の話によるとその少女、ホノカには一族に伝わる力があった。彼女が認めた唯ひとりの人間の全能力を大きく引き上げる力だ。それを知った誰かが彼女を手に入れようと動いたのだ。

 リョウタは彼女たちを弟と2人で暮らしている自分の家にかくまった。さらに隠していた実力を周りに見せることで、彼がホノカからその力を得たと思わせようとした。もしそうなら、彼女にはもう誰かに与える力がない。

 本来の力を見せるリョウタと非常識なホノカが幾つかのトラブルを起こす中、弟と友人のシンジがさらわれた。リョウタたちを呼び出した男は儀式によりその力をホノカに戻そうとするが、当然ながらその儀式は失敗した。

 逆にホノカは自分の力をリョウタに与えた。人の限界を超えた力でリョウタは男の策を全て打ち破った。最後にシンジがリョウタが実力を隠していた理由を話した。彼はそれが弟の強い劣等感をリョウタが知ってからだと気付いていた。




 あらすじにすればよくある話だが、絵にすることで登場人物の互いに思いやる気持ちを素直に感じることができた。自分の大切な人のために力を使うメガネ先輩は、アニメでは見られなかった楽しそうな顔をしていた。彼がアートラの主人公たちを助けた理由が、自身の復讐につながるからでなく、大切だった人の面影を見たからだと思いたくなる話だった。

 自分の意図したものを読者に伝えるという意味では、とても完成度の高いマンガだった。絵の下手さは作者がまだ初心者であることを示していたが、そのことに杏奈には作者の才能を感じていた。


 しばらく経って、その作者、九朗柿は自分のサイトに続編を掲載するようになった。どの話も杏奈を満足させるものだったが、驚くことにその質を保ったまま掲載間隔は短くなり、週一で10数ページの新作を公開し続けるまでになった。

 杏奈はその作品のファンになっていた。彼女がまだ書き込みの少ない掲示板におそるおそる長文の感想を書き込むと、九朗柿から同じくらい長い返信が書き込まれた。その後も何度かたわいのないやりとりがあって、杏奈はこの作品を他の人にも読んでもらいたいという気持ちになった。

 サイトの訪問者が増えるにつれて掲示板への書き込みも増え、九朗柿がそれに直接答えることは少なくなった。代わりに訪問者同士の会話が増え、杏奈も常連の1人として会話に加わるようになった。


 訪問者が増え好意的な書き込みが目立つようになると、必ず現れるのが特に内容のない否定的な書き込みだ。杏奈には何を考えてこんなことをするのか分からなかったが、なんとなく自分を虐めていた子どもたちを思い出した。

 自分は誰かの役に立つようなことをほとんどせず、誰かが失敗すると大げさにはやし立てる。自分に危害を加えそうにない相手と口げんかになると、いつまでも同じことを繰り返すか全く関係のない話にすり替えて、最後には自分の勝ちを強引にでも宣言する。

 本当にそういう子どもなのかもしれない。だとすると会話をしても意味がない。杏奈はそれを何度も実体験していたので、できるだけ関わらないようにした。


 転校してから杏奈は標準語を話すようにした。彼女は方言が虐めの原因になる場合があると知っていた。うっかり方言が出ないように頭の中で確認しながら話したため、素気のない会話になることが多かった。幼い頃からの習慣で口元には常に笑みを浮かべていたため、彼女のそんな考えはだれも気が付かなかった。

 杏奈と話したいと思う男子は少なくなかったが、それを試みた他の男子が次々と敗退していくのを見ると、自分がその二の舞になるのを避けるようになった。テストの結果で彼女が総合トップになり、運動でも際立ったものを見せられるとなおさらだった。

 しかしあきらめない男子もいた。強豪と言われるサッカー部のレギュラーで、女子からの人気も高い3年の先輩だ。2人だけになれるところに呼び出そうとして何度も失敗した彼は、ついに杏奈の教室で他のクラスメートがいるにもかかわらず告白を始めた。


 しかしその言葉は杏奈の心に全く伝わらなかった。


(何でこんなにドラマみたいな気取ったしゃべり方してるんやろ?)


 実際には杏奈が思うほど気取った話し方ではなく、多少飾った部分はあるものの素直と言ってもいい言葉だった。しかし関西人の彼女には、標準語というだけで真面目な話が気取っているように思えたのだ。特に自分の容姿を褒める言葉を聞いていたとき、それが男子からだと思うと杏奈は鳥肌(さぶいぼ)が立ちそうになった。告白が終わると杏奈は言った。


「言いたいことはそれだけですか?」

「え?」

「ではわたしからも」


 杏奈は彼の目を真っ直ぐに見て言った。


「この問いに答えてください。女性の美しさにはどんな価値がありますか? 何故あなたはそれが必要なのですか?」


 彼は何も答えられずに戸惑っていた。実はこのセリフは彼女が傑作だと思っているアニメで主人公がある女性に語った言葉だ。即答できないのはアニメにあまり興味がないからだろう。少なくとも彼女の学校外での友人ならみんなこのセリフを知っている。


「答えられませんか? わたしが大切に思うものと、あなたがそう思うものは違うんですね。残念ですがお付き合いはできません」


 はっきりそう言うと、彼は気の毒なほどがっかりとした様子でその場を立ち去った。この話はあっという間に学校中に広まり、杏奈の意図とは関係なく彼女は男子の手の届かない存在になった。

 杏奈とつき合える可能性が少しでもあるとしたら同じアニオタだったが、この学校にも何人かいた彼らには想像もできないことだった。


 杏奈は一般的な意味で自分がモテるとは思っていなかった。確かに熱心に告白した者もいたが、それは杏奈のような容姿を好む特定層だと考えていた。

 実際、他の女子には好意を示す男子が、杏奈に対して明らかに態度が変わる様子を何度も見た。それは杏奈に魅力を感じないのではなく手が届かないものと諦めているからだった。杏奈もよく観察していれば分かっただろうが、彼女はそこまでするほど男子たちに興味がなかった。

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