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第一話

 真冶は時間を持て余していた。ここ1年半というもの、彼は自由な時間もそうでない時間もほぼ全てをマンガを描くことに費やしていた。学校の授業中もどうすれば話が面白くなるかを考え続け、ネタ帳に書き込んだシナリオは公開済みの最新話から50話以上先まで書き上げている。全体のプロットは作品の方針を大変換したときに数日で完成させた。

 そのおかげで、この偏差値の高い中高一貫校で彼の成績は低迷していた。時間ができたのなら勉強をしろと大人なら言うのだろうが、高校受験がないためか3年の2学期なのに気合が入らない。


 彼の作品は元々二次創作系の1つだった。元ネタは彼がこの作品を描き始める少し前に終わった深夜アニメ『アート?トラップ』で、いわゆる学園異能力物だ。制作会社のオリジナル作品で、和気あいあいとした日常パートからやがてシリアスパートに入るという、これもありがちな展開だった。

 通称アートラと呼ばれたこの作品は、気合の入った作画と癖のあるキャラクター描写が好評で、放送中から相当な数の熱心なファンを生むことになった。


 しかし2クール目から作画崩壊が増え、全26話の終盤になってある不祥事をきっかけに制作会社が倒産した。作画に気合を入れ過ぎたという話もあるが、そもそもセルDVDを含めた関連商品からの利益がほとんど制作会社に入らない構造になっていたようだ。そのことに怒った制作会社の従業員が、倒産直後に作品の関連データを全て消してしまったために話はさらに面倒なことになった。

 多くのスタッフが別の会社に移転して制作を継続したが、ほぼ完成していた21話と22話は問題なく完成したものの、残り4話をスケジュール内で完成させることは不可能と言ってもいい状況だった。そのため23話と24話の制作はあきらめて、最終回とその前の回だけを制作することになった。この判断には作品のファンから強い不満の声が上がった。特に消えた2話でその過去が語られるはずだったメガネ先輩のファンからの反発は激しかった。


 メガネ先輩はファンがつけた通称で、作品内では先輩とだけ呼ばれている。当初の設定ではあまり重要なキャラクターではなかったが、人気が出たことで危機におちいった主人公たちを助ける役割が与えられた。それがさらに人気を呼んで、後半ではストーリーに大きく関わる最重要キャラの1人となった。

 後付けの設定だったため話数を削るには都合が良かったのだろう。急いで作った設定がデータ削除事件ですっかり失われたという話もある。そのため最終回では、唐突に現れたメガネ先輩が秘められた力でラスボスに大ダメージを与えると、ダイジェスト版の過去を語ってあっさり死んでしまうことになった。

 後で発売されたセルDVDでもメガネ先輩の話が補完されることはなく、そうなると盛り上がったのが二次創作だった。公式な彼の情報としては、本名がリョウタであること、親しかった人間は全て殺されたこと、彼の力は恋人から受け継いだ呪いであることぐらいしかなかった。


 真冶もアートラの展開に憤慨した1人だった。メガネ先輩が幸せだった頃の話を描きたくなって、それまで1本もストーリーのあるマンガを描いたことがなかった真冶がいきなり41ページの作品を描き上げた。絵のレベルは下手にも届かないほどだったが、真冶は描いただけでそれなりに満足感を得ることができた。

 ファンが集まる匿名サイトのスレで、話の流れの中で真冶がその作品のことをつい書くと、それを読みたいというファンも現れた。それならと投稿のために某巨大SNSを訪れた真冶は、トップページを飾る美麗な作品群を見て自分の作品を投稿する気を失った。

 発端の匿名サイトでそのことを告げると、そこで個人で管理できる画像閲覧用サイトの存在を教えてもらい、そこで真冶は苦労しながら自分の作品を公開した。ペンネームは落書きレベルの絵だという自嘲とそれでも努力はしているという意味を込めて九朗柿(苦労書き)にした。


 公開した作品は、それを読んだのが公開を勧めた人たちだったこともあって予想以上に好評だった。そして真冶はその続きを描くことを彼らに約束した。改めてタイトルも『メガネ・デイズ』とつけた。サイトに掲示板を置くとそこに色々な意見が書き込まれた。もちろん好意的な書き込みばかりではなく、絵が下手で読む気になれないという意見や、原作に比べると真面目すぎて色気も足りないという意見もあった。

 絵が下手なのはすぐにはどうにもできない。色気の方はお風呂やプールの話で少年誌レベルの裸を描いてみたがこれは不評で、それを求めた人たちからも女の子が可愛くないとダメ出しされた。努力は認めるという同情的なコメントも書き込まれたが、元々気が進まなかったこともあり真冶はそれ以降その手の描写をすることをやめた。


 サイトの訪問者が増えてくると、公開直後にサイトへのアクセスが重くなるようになった。掲示板の書き込みにそのことに対する苦情が増え、真冶がそのことに悩んでいると、常連の人からファンサイトへの転載許可を求めるメールが、公開しているフリーメールに送られてきた。

 真冶は喜んでそれを許可し、閲覧用画像より高解像度のデータを置くとそれをダウンロードできる隠しページを作ってURLとパスワードを教えた。ここのデータを更新し続ける限り転載も許可するということも伝えておいた。


 初回の話をファンたちでリメイクしたいという話があったときも、真冶は迷うことことなく許可を出した。完成後に報告のあったURLで公開された作品は、自分とは比べ物にならない慣れた緻密な絵で描かれていてたが、セリフや構図は原作のものをできるだけ変えないように配慮されていた。真冶はそれが嬉しかった。

 さらに2話以降もリメイク版が描かれることになった。最終的には清書してもらえるのなら、自分の作品は丁寧に描いたネーム程度で構わない。絵を描くことに時間をかけるよりさらに多くの話を描きたい。そう考えるようになった真冶はさらに発表のペースを上げて、毎週10~20ページを描き上げるようになった。


 物語を描き進めていった真冶はやがて大きな問題にぶち当たった。二次創作ではあるが、真冶の作品で原作の設定を引き継いでいるのは、主人公の容姿とリョウタという名前、若干の世界観ぐらいだった。他の登場人物は全て彼のオリジナルで、原作で『アート』と呼ばれる特殊能力も持っていない。

 しかし主人公がメガネ先輩である以上、アニメで彼が語った通り他の登場人物はいずれ全滅することになる。真冶は自分の生み出したキャラに愛着を感じていた。いくら見せ場を作ろうとも殺してしまうことには抵抗を感じるようになっていた。

 悩んだ末に、真冶はこの作品を原作とは異なるストーリーにすることにした。40話に達した時にサイト上でその方針を発表すると、サブタイトルから原作名を消した。たちまち掲示板はそのことを非難する書き込みで溢れかえった。


 IFの世界を描いた作品として真冶の方針に賛成してくれる者もいたが、アニメで不遇な扱いをされたメガネ先輩を見捨てるのかと非難する書き込みの方が圧倒的に多かった。長文の同じ書き込みを何度も繰り返す者も現れた。

 真冶としてはそのことは覚悟の上だったが、彼を支持してくれる人が掲示板で袋叩きのようになっていることは耐えられなかった。真冶はサイトから掲示板を消して、非難が山のように届くフリーメールのアドレスも削除した。

 それから時間を置かずに、転載やリメイク版の掲載がファンサイトから消えた。真冶としては残念だったが、自分の我儘を通すためには仕方がないことと受け入れた。ダウンロード版へのアクセスだけはその後もあったので閲覧版とセットでの更新は続けた。

 サイトへのアクセスは激減したが、真冶の創作意欲は途切れることがなかった。数話のストックがある状態を維持して、真冶は週一回、月曜の早朝に作品を発表し続けた。しかしそれも71話で途切れることになった。


 休載した後も真冶はネタ帳を持ち歩くことは止めなかった。何か設定やエピソードを思いつくと彼はそれをすぐにネタ帳に書き込んだ。どうしても上手く書けないシーンを後回しにしてシナリオはどんどん書き進められていった。そしてシナリオが138話にさしかかったときにそれは起こった。




 あと30分で校門が閉められるという時間に、真冶は自分の教室に駆け込んだ。家に帰ってからカバンの中にネタ帳がないことに気付いたのだ。

 ネタ帳をクラスの誰かに見られるわけにはいかなかった。マンガを描いていることを知られるのが恥ずかしいという気持ちもあったが、それ以上に自分がその作品を描いていることを知られたくない理由があった。


 真冶は登場人物の何人かを知人をモデルにして描いた。例えばオオチ先生とクラモト先生は、名前は入れ替えているものの、この学校の倉元先生と大内先生の性格や口癖をデフォルメしたものになっている。

 それ以上にまずいのは、主人公の幼なじみで準ヒロインのスズカだ。真冶がこのマンガを描いていると知られれば、すぐにスズカのモデルが速水涼花だと分かるだろう。ヒロインとの対比もあって胸は実物より大きく描き、裸やそれに近い姿を何度か描いている。

 真冶としては話の展開上からそうなっただけで、モデル本人に対して何か意図があったわけではなかったが、それを知った速水やクラスメートがそう考えてくれるとは思えなかった。友だち付き合いの少ない真冶だが、中学生の容赦のなさはよく理解していた。『いじめ』や『ひきこもり』などの単語が頭に浮かぶ。


 真冶が教室に入ると、そこには女子が1人だけいた。彼の席の近くに立って真冶の方を見ている。窓からの逆光で誰かは分からず心当たりもなかったが、真冶にはその子が自分を待っていたような気がした。

 真冶が自分の席に向かうと、よく見えなかった彼女の顔が確認できるようになり、彼は驚いて思わず立ち止まった。同級生ではあるがこのクラスの女子ではない。2組の水瀬安奈だった。


 真冶がフルネームを知っている女子はクラスメートでも多くなかったが、水瀬はその例外だった。真冶だけでなく、この学校では高等部も含めて彼女の名は知れ渡っていた。軽くウェーブのかかった金髪に近い髪。緑色の目や黄色みの少ないやや褐色の肌。顔の形も他の子とはどこか違う。どう見ても日本人には見えない容貌だ。

 2年の2学期に転入してきた彼女は、勉強と運動のいずれもが優秀で、容姿も間違いなく美人に分類される。しかし有名なのはそのためだけではない。いつも微笑んでいて人当たりは良さそうだが、交際を求めた3年の男子に対して毅然とした態度で断ったことはよく知られている。

 さらに高等部の男女から、下級生に対してとは思えない言葉で挨拶を受けるようになった。交際を断ったときには生意気だという反応もあったのだが、こうなると中等部の生徒たちはみんな水瀬に対して敬語を使うようになった。真冶にとって同級生という以外に全く縁のない人物だ。


 真冶は女子と話すのが苦手なわけではないが、水瀬に対しては緊張感を感じてしまう。彼女を横目に見ながら自分の机の中を確認しようとした真冶は、彼女の手の中に自分のネタ帳があることに気付いた。真冶の視線に気付いた水瀬が言った。


「これ、鹿波さんのノートですか?」


 一瞬、どう答えようかと迷った真冶だったが、素直にそれを認めることにした。


「ああ、落としてたのかな? ありがとうございます」


 差し出した真冶の手にネタ帳を渡した水瀬は、会釈してその場を立ち去ろうとした彼の背中に向かって言った。


「どういたしまして。九朗柿センセ」


 その言葉は真冶を凍り付かせた。振り向いた真冶には、自分を見つめる彼女の目とその笑みが獲物を見つけた肉食獣のように思えた。

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