前振り(前半)
荒廃した街のビルの間を、砂ぼこりを上げながら走る車がある。その車がブレーキをかけ、土砂の上をタイヤが滑る音とともに停止した。車内からはフロントガラスごしに進路を塞ぐ瓦礫の山が見えている。そしてその頂上には黒い人影が見えた。
その人影は伝統的な魔法使いのような黒いローブを身にまとって、顔をドクロの仮面で隠している。手には黒い杖のような物を持っているが、その上端が光を反射していてただの棒ではないようだ。
「……暑そうだな」
ハンドルを握っているメガネの男。リョウタが独り言のようにつぶやいた。助手席に座っているスズカがその後に言葉を続けた。
「死神のつもりじゃないかな。形にこだわるトコは相変わらずね」
後部座席にいるジンジとキョウスケも一緒になって、容赦のない声が次々とあがる。
「じゃあ、持っているのはデスサイズってわけか。刃先がこっちを向いてて分かりにくいな」
「いつもの彼女なら、刃を横から見せるように持つはずね」
「あれって、ホームセンターで売ってる鎌じゃない?」
「なるほど。刃がしょぼいから見られたくないんだな」
「急いで駆け付けたから、適当な物が見つからなかったんだろうね」
「日本じゃ牧草を刈るのに使うデカい鎌なんてまず置いてないからな」
セリフとは違って彼らの表情はふざけていない。あの姿が自分たちとの決別を覚悟してのことだと理解しているからだ。スズカがリョウタに行動を促した。
「そろそろ行ってあげたら? この炎天下にあのカッコだと脱水症状になっちゃうわよ」
リョウタは運転席のドアを開けて、死神から目を離さずに車を降りた。そのまま瓦礫の山に歩み寄っていく。最初は死神に向かって真っすぐ歩いていたリョウタは、やがて登りやすい場所を探して進路を外れた。
死神から見るとリョウタと車が同じ方向ではなくなった。どちらに向けたらいいのか迷っているように鎌の刃先がフラフラと動いていたが、結局近付いてくるリョウタの方に刃先を向けた。あと10歩程の距離まで近づいたとき、死神がリョウタに話しかけてきた。
「どこにいかはるの?」
「お前と話をするために来た」
「……そう。ウチは誘い出されたんか」
彼女の言葉遣いは京都出身のばあやのマネだ。気持ちが昂るほど標準語から離れていくが、正しい京言葉とは言い難い。
「ホノカ。戻ってこい」
リョウタがさらに近付こうとすると、死神の扮装をしたホノカはその動きを制するように手を上げた。
「確かにウチは、あんたらがハドトの奥院に向っていると知ってそれを止めにきました。できれば見殺しにしとうない。そない思うぐらいにはあんたらへの情が残ってます。でも」
ホノカはいらだたしげに、持っている鎌の柄で地面を突いた。
「ウチの邪魔を許すほどやない。ウチが手に入れたこの力で何もかも終わらせる。その邪魔は誰にもさせまへん」
そう言うとホノカは大きく深呼吸をした。
「分かってます? あんたらの命はウチの手の中にある。ウチの目から隠れて車の中にいるあの人らも大丈夫なわけやない」
ホノカの言葉にリョウタは何も反応を見せない。
「ウチには、あんたらには見えへん遠くに伸ばせる手がある。その手ならあの車の中を探ることもできる」
そう言ってホノカは、実際に自分の手を車の方へ伸ばした。ホノカの視点からは彼女の手の上に車が乗っているように見える。
「その手で触れた者にはウチの力が届く。この死神の力が」
ホノカはリョウタに視線を戻した。
「でもウチの前にいるリョウタはんはもっと危ない。ウチが願うただけで……、いいや、その必要もない。あんたがウチに触れたら、ウチがあんたを少しでも危険やと思うたらそれでおしまい。リョウタはんが首にかけとるペンダント、そのエリクサーの力があっても」
ホノカは視線の先を指で差した。
「エリクサーは死んでしもうた体かて元に戻せますけど、あんたの魂はウチの力で真底神はんの一部になる。あんたの体が復活しても魂を無くした抜け殻が残るだけ。半年近く旅を続けてやっとこさ見つけたそのエリクサーも、今は何の役にも」「真面目な話をしているところで悪いんだが」
リョウタがホノカの話を遮った。
「オレはそこにいない」
「え……」
誰もいない場所を指差していたホノカは、慌てて声のする方に指を向けた。
「汗が目に入って見えてないんじゃないか? そんな面を被ってたら拭けないだろ」
「……」
「ほらっ」
リョウタが投げたタオルは、広がって回転しながら普通なら届かない距離を飛んでホノカの頭に被さった。顔を見られないようにドクロの仮面を外してタオルで顔を拭くホノカ。タオルの下から現れた少し赤らんでいる顔は、幼く見えるものの息を呑むほど美しい……という設定だが、そう見えないのは作者の画力の問題だ。
「被り直すな」
顔を拭き終わってもう一度仮面を被ろうとしたホノカをリョウタが止めた。ホノカは渋々とだがその指示を受け入れた。小さく咳をした後、真剣な顔に戻ってリョウタをにらんだ。
「そのエリクサーもウチの力の前では意味あらへん。どないするつもり?」
「どうするつもりか聞きたいのはオレの方だ」
リョウタは表情を崩さずにそう言った。
「お前はその力で何をするつもりだ?」
「決まってます、復讐しかありまへん。ウチの血縁者や、何よりばあやが、みんなあいつらに殺されたことを忘れたわけやないやろ」
「殺すのか」
「そないなるやろね」
「できると思うのか」
「できます。この力を防ぐことは誰にもできまへん。評議会はんの武装チームをみんな殺めた羅幻虎の群れかて、うちの力の前に何の抵抗もできへんかった。リョウタはんもその目で見ましたやろ」
ホノカがそれまで印象とは違う酷薄な笑みを浮かべた。
「その後はどうする」
「……どないしまひょ。あんたさんに答える義務はウチにはないやろ?」
リョウタは胸元から短剣を取り出した。ホノカに見せつけるようにゆっくりと刃を鞘から抜く。鞘はそのまま足元に落とした。ホノカはそんなリョウタに笑みを消さずに言った。
「それでどないするつもり? あんたにウチは刺せまへん。あんたのお父はんを殺したのがウチの一族の呪いやと知っても、あんたには何もできへんかった」
「俺がお前を楽にしてやる」
リョウタはホノカに向かって足を踏み出した。一歩一歩近付いていく。
「もしウチがあんたを少しでも危険やと思うたら、それだけでウチの力はあんたから魂を奪う。あんたがまだ生きとるのはウチがよう知っとるからや。あんたにウチは殺せへんことを」
リョウタはそのまま足を止めずにホノカの目前まで来た。手を伸ばせばホノカに届く距離だ。短剣を持つ手がゆっくりと上がり、リョウタとホノカが見つめ合う視線をその短剣の刃が遮った。ホノカの笑みはまだ消えない。
「絶対にできまへん。あんたのその甘さは嫌になるほど知ってます。試してみまひょか。ウチが今からあの車にいるジンジ、キョウスケ、そしてスズカ、みんなを1人ずつ殺していったら。あんたは何人目でウチを止められますやろか」
ホノカは挑発するようにそう言った。リョウタの短剣を持たない方の手が伸びて、ホノカの肩をつかんだ。短剣がゆっくりとホノカの胸に近付く。ホノカはその切っ先を見つめた。
「お前の気持ちはよく分かった。それ以上何も言うな」
「気を付けなはれ。今のウチの肌にあんたが直接触れたら、この忌まわしい力がほんの数秒であんたを殺す。あんたのお父はんが……」
いきなりホノカの体を引き寄せたリョウタは、話し続けるホノカの口を自分の唇で塞いだ。
ホノカの目が驚愕で見開かれた。急いでリョウタの胸を押して突き飛ばそうとするが、体重の差で自分の方が後によろける。驚きと恐怖の混じった表情でホノカが見つめるなか、リョウタは手の短剣を自分の胸に突き刺した。凍り付いたような一瞬が過ぎて、リョウタはゆっくりと仰向けに倒れた。