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寝台特急  作者: 安芸咲良
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再会

 大陸を横断するセント・アルファルド鉄道。長距離、短距離さまざまな列車が走り、トレミー国の交通手段の七割を占めている。

 首都コル=ヒドレはトレミー国の最も西に位置するが、首都とあって賑わいを見せている。この駅に乗り入れるのはオリオンだけではない。大小関わらず全ての列車がこの駅に停車する。

 三つ並んだ星を取り囲む四つ星のマークの列車が、ホームに入ってきた。

 これこそがオリオン。トレミー国で最も有名な寝台列車だった。

 西の首都コル=ヒドレから東のエリダヌス自治区までを走るこの列車は、毎度の運行にも高い乗車率を誇る。ほぼ満室の客室に嬉しい悲鳴を上げながら、たくさんの乗務員たちは奔走していた。

 その多くの乗務員たちを束ねるのは、まだ若干十五歳の少女だった。


   *


「長旅お疲れ様でした。またのご利用をお待ちしております」

 ドアを降りてすぐのところで、出てくる客ひとりひとりに声を掛ける人物がいた。

 栗色の髪を後ろでひとつに縛り、ぴしっとした制服に身を包んでいる。頭に車掌帽を被る彼女こそが、このオリオンの車掌メルだった。若干十五歳のこの少女を中心に、オリオンは走っている。

 いま、最東のエリダヌス自治区を出て、五日掛けてこのコル=ヒドレ駅に戻ってきたところだった。

「ありがとうございました。またのお越しを!」

 最後の客を見送った。ふう、とメルは一息つく。無事に旅を終えたことに安堵する。これから二日間に休日に入る。この間に列車の清掃や点検作業に入るのだ。乗務員たちはお休みで、コル=ヒドレ駅の清掃員や作業員が入る。オリオンで寝泊りしているメルだけは列車に残るのだが、それはまた別のお話だ。

 ともかくも、休日に入らんとするオリオン。メルもスイッチを切りかけている。そこに客室係長のウィズが駆け込んできた。

「メル! お客様の忘れ物! これって……」

「これ……!」

 ウィズの手にはブローチが握られていた。

 金の台座の中央に大きなエメラルド、その周りを小さなクリスタルが取り囲むシンプルなブローチだ。

 このブローチを手に、懐かしそうに話をした客の顔が頭に浮かんだ。

 メルはブローチを掴んで、列車を飛び出す。

「格納庫に入れたらいつもどおり清掃お願い! みんなにも伝えておいて! 私はお客様を探してみる!」

 分かった、という声を背中に聞いて、メルはホームを駆け出した。


   *


 その客はエリダヌスから三駅行ったところから乗り込んできた。

 上質のツイードスーツに身を包んだその男性は、落ち着かない様子で切符と部屋番号を見比べていた。白髪の混じるその男性に、メルはすっと近付く。

「いらっしゃいませ。よろしければご案内いたしましょうか?」

 振り返った男性は、気難しそうな顔をして、「頼む」とだけ返した。

 二〇二号室の前まで来て、メルは振り返った。

「こちらでございます」

 扉を開けて、男性を中へ促す。荷物を部屋の中へ入れた。

「食事はお部屋で取ることもできますが、食堂車もございます。四号車が食堂車となっておりますので、どうぞご利用ください」

 男性は「うむ」と頷くと、メルの顔をじっと見つめてきた。

「あの……なにか……?」

 メルが問うと、男性はふいっと顔を逸らして、

「なんでもない」

と荷物の片づけを始めてしまった。メルは気になったが、出て行くしかなかった。


 夕食時も終わり掛け、メルは食堂車へ向かった。食事を終えた客たちにメルは声を掛けていく。

 そのとき、見覚えのある後ろ姿が目に入った。

「お口に合いましたでしょうか?」

 立ち上がった二〇二号室の客に、メルは声を掛ける。突然声を掛けられて男は一瞬驚いた顔をしたが、メルだと分かって緊張を解いた。

「あぁ、なかなかにおいしかったよ」

 メルは満面の笑みを浮かべる。

 男はまた、じっとメルの顔を見てきた。

「あの……?」

 男ははっとしたように慌てる。

「あぁ、すまないね。お嬢さんが娘に似ていたものだから……」

 そう言って遠い目をする。その言葉にメルは首を傾げた。

「私と、歳が近いんですか?」

 男性は壮齢に差し掛かったように見える。十代の娘がいるとは思えなかった。

 男性は悲しそうに目を伏せた。

「今は二十五歳だよ。もう十年も会ってないから、お嬢さんくらいで記憶が止まってしまっているんだ」

 メルは咄嗟に言葉が出てこなかった。男はそんなメルを見て、くすりと笑う。

「そんな深刻な顔をしなくてもいいよ。すまなかったね。今日このオリオンに乗ったのは、娘の結婚式に行くためなんだ」

 そう言って男性はもう一度席に座り、反対側をメルに促した。


「十年前まで、私と妻と娘の三人で暮らしていてね」

 男性はサライと名乗った。眉間の皺はどうやら長年の暮らしで刻まれてしまったもののようで、別に怒っているというわけではなさそうだ。

 給仕係に頼んで紅茶を持ってきてもらった。カチャリとカップを置いて、サライは話し出す。

「元々家族仲はそんなにいい方ではありませんでした。……いや、妻と娘はそうでもなかったのかもしれない。私は典型的な仕事人間でね。仕事仕事と打ち込んでいるうちに、気付いたときにはもう、娘と深い溝ができてしまっていた」

 そう言ってサライは目を伏せた。在りし日の家族が思い出される。

 仕事、仕事、仕事。そうやって家庭を顧みずにきた。気付けば家の中は冷え切り、笑顔などどこにも見当たらなかった。

「娘は『こんな家、出てってやる!』って十年前に出て行ったきり、手紙のひとつも寄こさなかった。……バチが当たったんでしょうね。三年前に妻が事故で亡くなりました。娘は葬式にも来なかった。来れなかったんでしょうね。私のせいです……。時折、誰かが墓参りには来ている形跡はありますから、私の顔も見たくなかったんでしょう。ですが先日、一通の手紙が届きました」

「式の、招待状……」

 サライはこくりと頷いた。

「初めての手紙だったんです。私は娘に幸せな家庭を与えてやることができなかった……。もし許されるのならば、謝罪と……これを渡したくて」

 そう言ってサライは胸のポケットからなにかを取り出した。

 それはブローチだった。金の台座の中央に大きなエメラルド、その周りを小さなクリスタルが取り囲むシンプルなブローチだ。食堂車の柔らかな光に照らされて、その輝きは優しく見える。

 サライは優しい瞳でそのブローチに視線を落とした。

「その昔、私が妻にあげたものです。一度だけ、妻が言ったんです。『あの子がお嫁に行くときは、このブローチを持たせたいわ』って。私は仏頂面を返しました。私は妻にあげたのにって。それきり妻はその話題をしませんでした。……親心が分からない、駄目な父親です。でも私はその願いを叶えてあげたい。もう遅いかもしれないけど」

 そう言ってサライは淋しげに微笑んだ。その眉間から皺は消えない。だけど心から悲しんでいることが分かった。

「……きっと」

 ぽつりと呟いたメルに、サライは顔を上げる。

「きっと、奥様もそれを望んでいると思います。遅くなんかないです」

 メルは本当の両親の顔を知らない。オリオンの乗務員たちから家族のように愛されていると分かっていても、それは変えられない事実だ。

 もし、本当の両親がメルのためになにかを残してくれていたら、それは嬉しいことだと思う。物じゃなくても子どもを思って残してくれたのなら、それはかけがえのないものだと感じるから。

「サライ様の気持ち、きっと伝わります。長い歳月を経て、歩み寄りたいと思ったんでしょう。そうでなければ招待状なんて送ってくるはずがありません」

 そう言ったメルの顔を、サライは目を瞬かせて見ていた。

 そして浮かべた柔らかい表情に、きっとこの二人はやり直せるとメルは感じていた。


   *


 ホームにその姿はなく、メルは駅前の広場へと出た。

 昼時の広場は込み合っていて、サライの姿は見つかりそうもない。

「あれ、メル? こんなところでどうしたの? 仕事は?」

 聞き覚えのある声にメルは振り返った。そこには憲兵の制服を着たジュノンがいた。見慣れない格好にメルは一瞬どきりとするが、今はそれどころではない。

「ねぇジュノン、白髪混じりのおじさんをみなかった!? 背はジュノンよりちょっと低めで、少し厳つい顔をした……」

 ジュノンは頭をかく。

「うーん、そういう人はいっぱいいるからなぁ……。服は? どんな服装をしてるの?」

「濃紺のツイードのスーツなんだけど……。娘さんの結婚式に出るためにコル=ヒドレに来たんだって。久々に会うからって、このブローチを渡すって言ってたのに……」

 そう言ってメルは手のひらを広げる。エメラルドは日の光を受けて、キラキラとその翠を輝かせた。ジュノンはメルの肩を掴む。

「落ち着いて、メル。結婚式は今日なの?」

 メルはこくりと頷いた。

「なら式場を探した方が早い。恐らくもう向かってるはずたから」

 力強いジュノンの言葉に、メルはほっと息を吐き出す。そこで初めて、自分の呼吸が浅くなっていたことに気が付いた。焦りは余計な問題を生み出す。

「そうね……。でもコル=ヒドレに教会は多いんじゃないかしら……」

「僕の同僚に頼もう」

「でも……! オリオンの仕事なのに悪いわ……!」

 声を荒げるメルに、ジュノンはくすりと笑って頭に手を伸ばしてきた。メルの頭を優しく撫でる。

「非番のやつらに頼むから大丈夫だよ。みんなメルには感謝してるんだ。この町を賑やかにしてくれてるから」

 ジュノンは無線を手にした。

 そんなこと、とメルは思う。ひとつの列車を預かる身としては、当然のことだ。オリオンを選んでくれているのはお客様の方。選んでくれた列車の乗務員として、お客様がいかに気持ちよく過ごしてもらえるか、最善を尽くすのは当たり前のことだった。

 むしろ町の安全を守っているジュノンたちの方が、感謝される存在だとメルは思う。日々の訓練は並大抵のものではないだろう。

「……ありがとう。今度お礼するね」

 目を伏せて、メルは言う。少し染まった頬をジュノンは見逃さなかった。

 メルは一番近くの教会へ向かって走り出した。それを追うジュノンの顔がにやけっぱなしだったことは、言うまでもない。


   *


「また空振り……」

 二人は三軒目の教会を訪れていた。ここでも結婚式は行われていなかった。祈りを捧げにきた信者たちがいるばかりである。

 コル=ヒドレの町は、首都というだけあって広い。トレミー国で二番目に大きい町である。トレミー国民の大部分を占めるヒュドラ教の教会も多く点在している。

 ジュノンの同僚たちに協力してもらってはいるが、いまだサライは見つかっていなかった。

「メル、ミラ地区の方に行ってみよう。あっちの方が教会も多い」

 無線を切ったジュノンが言う。別の通りを探してもらっていた人からの、いい報告はなかったようだ。

 うん、とメルが返事をしかけたそのときだった。

 通りの反対側を俯き加減で歩いている人がいる。

「……サライ様!」

 叫んでメルは道に飛び出した。

「危ない!」

 その瞬間、後ろに引っ張られる。勢いあまってそのまま後ろに倒れこんでしまった。

 ブロロロと一台の車が通り過ぎていく。メルは声も出せず、目を見開いてその光景を見送っていた。そして我に返る。

「ごめんなさい……! ジュノン……!」

 ジュノンを下敷きにしたままだったことにようやく気付いて、慌てて上からどいた。

 ジュノンは慌て顔のメルに少し苦笑したが、すぐにまじめな表情になった。

「メル、急いでるのは分かるけど、気を付けて。君が怪我して心配するのは僕だけじゃないんだよ?」

 いつになくきつい口調のジュノンに、メルを身を竦めた。こんな風に真剣に言われたことはなくて、メルはしゅんとうな垂れる。

「ごめんなさい……」

 ジュノンはふっと笑った。

「とにかく怪我がなくて良かった。さ、行こう」

 先に立ち上がったジュノンはメルに手を差し出す。力強いその手に引かれてメルは立ち上がった。暖かいその手に、メルの心臓が跳ね上がる音がした。


 サライはメルの呼び声には気付かなかったようで、いつの間にか通りから姿を消していた。

 安全を確認して車道を渡ったメルとジュノンのふたりは、サライが向かっていた方向へ足を向ける。

「サライ様!」

 角を曲がったところには、ベンチに腰掛けてうな垂れているサライがいた。

「車掌さん?」

「見つかって良かった……。これ、忘れ物です」

 メルはたたっと駆け寄って、ブローチを差し出す。目の前に現れた翠に輝く宝石に、サライはじっと視線をやったあと、ふっと目を伏せてしまった。

「良かったらお嬢さんにあげるよ。私には、もういらないものだから……」

「どうして……!? だって、娘さんに……」

「式場の前でブローチがないことに気が付いた。慌てて来た道を戻ろうと思ったんだがね、ちょうどそのとき入り口に娘がいるのが見えたんだ」

 友人や向こうの親戚らしき人たちに囲まれて笑う花嫁。その隣に寄り添うのは、優しい顔をした花婿。幸せそうな二人を目にして、サライの足は動かなくなってしまった。

「娘は、見たこともないような幸せそうな笑みを浮かべていました。……今さら喧嘩別れした父親が出て行っても意味がない」

 十年間、会っていなかった父親だ。きっと向こうもどんな顔をして会ったらいいのか分からないだろう。

 なにも言うことができないメルの隣で、動く気配がした。ジュノンがサライの前に膝を付く。

「サライさん、なら尚更会わないと駄目です」

 ジュノンはメルの手からブローチを受け取ると、サライの前に差し出す。

「人はいつ会えなくなるか分からないんです。生きてるうちに伝えなきゃ。後悔する日が来ても、遅いんです」

 サライははっとした。伝えられなかったのは彼自身。彼の妻になにも伝えることができないまま、喪ってしまった。

 同じことを繰り返すのか。

「サライさん、大丈夫です。僕たちが付いています。オリオンは想いを乗せて走るんですよ」

 そう言って笑うジュノンは、どこか悲しみを堪えているようにも見えた。

 彼も伝えられなかった想いがあるのだろうか。

 泣き出しそうなサライの背に手を添えるジュノンを、メルは見つめていた。


   *


 出てきた花嫁は、花婿と彼女の父親に寄り添われていた。サライの眉間の皺は消えないままだが、隣に並ぶ花嫁は満面の笑みを浮かべている。白いドレスの胸元を飾るエメラルドが火の光を受けてきらりと輝いた。

「うまくいって、良かったね」

 隣に立つジュノンにメルは声を掛けた。

「うん」

 ジュノンも優しい表情で花嫁たちを見ている。その横顔をじっと見つめて、やがてメルは口を開いた。

「ねぇジュノン」

「なあに?」

「ジュノンも、その……。伝えられなかった想いがあるの……?」

 言葉を選びながら結局そうとしか言えなかったメルに、ジュノンは目を見張った。しばし無言でメルの顔を見つめると、ふっと目を伏せて前を向いた。

「昔のことだよ」

 ジュノンはそれだけ言った。もうメルの方を向いておらず、その目は笑顔の新郎新婦に向けられている。

 メルはその横顔を見つめて、思いを馳せた。彼の中ではもう終わったことなのだろう。ジュノンの目はまっすぐ向いている。彼の支えになれないことが、どうしようもなく淋しかった。

「あっほら! ブーケ投げるよ!」

 ふいにジュノンが叫んだ。ジュノンに背中を押されてメルは一歩踏み出す。

 花嫁がブーケを投げた。綺麗な放物線を描いて青空に舞う。

「メル!」

 赤を基調とした花束は、メルの手の中に収まっていた。

「おめでとう! 次の花嫁だね!」

 笑顔でそう言ってくるジュノンは、本気でそう思っているようだ。思いもしなかったできごとに、メルは目を白黒させる。

「バ、バ、バ、バカー!!」

 動転したメルはジュノンを殴り飛ばすと、その場を走って逃げていった。

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