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寝台特急  作者: 安芸咲良
3/9

すなおな心

 大陸を横断するセント・アルファルド鉄道。長距離、短距離さまざまな列車が走り、トレミー国の交通手段の七割を占めている。

 寝台列車オリオンは、その列車の中でも特に有名な列車だ。国の端から端までを走る唯一の寝台列車である。一等客室から三等客室まであるが、その予約券は、発売からすぐに売り切れてしまうことも少なくなかった。

 このオリオンの車掌は、まだ若干十五歳の少女だった。


   *


 アルゴはトレミー国のちょうど真ん中に位置する町である。コル=ヒドレから流れる川はこの地で巨大な湖を作り、また東へと流れていく。この豊富な水を元に豊かな植物が育ち、花も野菜もアルゴの特産品になっていた。

 アルゴは今週末、水嘗祭が行われる。


「水嘗祭ってのはよその国にはないんだって」

 三等客室。緩く波打つブロンドの髪をした女性が、流れ行く景色を見ながらそう言った。はしゃぐその声は楽しくて堪らないといった様子だ。

「他の国では新嘗祭って言うんだって。アルゴは水の町だからそう言うようになったのかな?」

 返事がないことにむっと眉根を寄せて、女性は振り返った。

「もう! 聞いてるの!? サピオ!」

 女性が振り返った先には、椅子に腰掛けて真剣な顔で本を見ている青年がいた。年のころは女性よりも数歳上といったところだろうか。話し掛ける女性の声には気付かず、食い入るように本に目を向けている。丸メガネが青年の優しそうな雰囲気を際立たせていた。

「サピオ! ねぇってば!」

 業を煮やした女性がサピオの元に歩み寄り、その本を取り上げた。眉は吊りあがり、完全に怒りのスイッチが入ってしまっている。

「もう! 旅行に来てまで読書ってなんなの!?」

「ご、ごめんジェリー……」

 素直に謝られて、ジェリーと呼ばれた女性はふんっと鼻を鳴らした。

「いったいなにをそんなに真剣に読んでたの」

 ジェリーはくるりと本をひっくり返す。そこには『特集! アルゴの水嘗祭!』の文字があった。どう見ても旅行雑誌だ。ジェリーは本を持つ手を震わせた。

「サピオ……」

 サピオはぽりぽりと頬を掻いた。

「ごめん……。スマートにアルゴを案内したくて……」

「サピオ! 好き!」

 ジェリーは勢いよくサピオに抱きついた。サピオの顔は一瞬で真っ赤になる。サピオは彼女をべりっと引き剥がした。

「ジェ、ジェ、ジェ、ジェリー……! 誰か来たらどうするんだい……!」

「えー? 大丈夫よー?」

 そのとき、ノックの音が響いた。サピオは飛び上がる。

「はーい」

 ジェリーは上機嫌でドアを開けた。

「ご休憩中、申し訳ございません。食堂車の準備が整いましたのでお知らせに参りました」

「ありがとうございますー。さっ、サピオ行こ!」

 サピオはまだ心臓が早鐘を打っているようで、胸を押さえて深呼吸をしていた。


   *


 豪華寝台列車の運賃は、三等客室といえどもそこまで安くはない。町の文具店で働いているサピオは、多少無理をしてどうにか予約を取ることができた。

 どうしても今回の旅でなければならなかったのだ。

「これおいしーね!」

 食堂車。ジェリーとサピオは向かい合って座り、夕食を楽しんでいた。曲がりなりにも豪華寝台列車だ。三等室の客でも贅を尽くしたものが出る。ブレンダと給仕係の面々が腕に縒りを掛けて作った一品一品だ。

 その料理の数々を前に、ジェリーの顔は終始笑顔だ。この笑顔を見られるなら、無理した甲斐があったというものだ。

 ジェリーはじっとパンを食べるサピオを見つめた。

「……なに?」

 耐え切れずにサピオは少し照れくさそうに尋ねた。ジェリーはふふっと笑う。

「なんでもなーい」

 そう言って自分もパンを頬張る。ジェリーが楽しそうならいいか、とサピオははにかみながら食事を続けた。

 デザートのソルベも食べ終わり、ジェリーは満足顔だ。

 対するサピオはなんだか落ち着かない様子で、そわそわしていた。

「サピオ? どうしたの?」

「いや……あの……」

「体調でも悪いの? あっソルベでお腹でも冷えた!?」

「そっ、そんなことはないんだけど……。あの、明日……」

 そう言ってサピオは俯いてしまう。お腹を壊した訳ではないらしい。だがサピオの言うことは要領を得ない。だんだんジェリーの顔が険しくなってきた。

 ついに辛抱しきれなくなったジェリーは、きっと眉を吊り上げた。

 バンっとテーブルを叩いて立ち上がる。賑わっていた食堂車がしんと静まり返った。

「どうしてサピオはいつもいつもそうなの!? なにか聞いてもはっきり言わなくて……。あたし、それでいつも不安なんだよ!? 本当にあたしのこと好きなの!?」

「ジェリー……」

「サピオのバカ! もう知らない!」

「ジェリー!」

 サピオの呼ぶ声もむなしく、ジェリーは食堂車を出て行ってしまった。

 残されたサピオは、成す術もなく席に着いたまま呆然としている。周りの客は彼を気にしながらも、またそれぞれにおしゃべりに興じ始めていた。

 ただひとり動くことができない彼に、近付く人影があった。


   *


 食堂車を飛び出したジェリーは、デッキでひとりうずくまっていた。

「どうして……あんな、言い方しか、できないんだろ……」

 その声には完全に涙交じりになってしまっている。飛び出したはいいものの、部屋は反対方向だ。さっきの今で、食堂車を通って部屋に戻ることもできない。第一、どんな顔でサピオに会えばいいのか。

 思い悩むジェリーに、すっとなにかが差し出された。

 ジェリーは顔を上げる。

「どうぞ、お使いください」

 白いハンカチを手にしたメルだった。


「本当は、あたしだってあんな言い方したくないんです……。でもついそう言っちゃうの……」

 食堂車から間違えて三両目に行ってしまったジェリーは、そのデッキのベンチにメルと並んで座っていた。飛び出した手前、部屋にも戻りづらい。車掌の厚意に甘えてしばらくそこにいさせてもらうことにした。

 メルは隣でそれを黙って聞いている。

「分かります。相手に自分の気持ちが伝わっていないような気がして、思っていることとは別のことを言っちゃうんですよね……」

 ジェリーはぱちくりと目を瞬かせて、メルを見た。

「車掌さんも、そういうことあるんですか……?」

 困ったような笑い顔で、メルは答えた。

「恋愛事、というよりはお仕事でですけど」

 ジェリーはきょとんとする。

「私、車掌だけどオリオンでいちばん年下なんですよ。まだなって間もないし……。みんな、年齢関係なく認めていてくれています。だけどふとしたときに、子ども扱いされている気がしちゃって……」

 事実、周りから見たらメルは子どもだろう。まだたったの十五歳だ。前の車掌オーリーの仕事振りをずっと傍で見てきたが、同じようにやれというのも難しい。オーリーと同じレベルを求めている訳ではないことも分かる。だが認めてほしいと思うのは、不相応なのだろうか。

「私がもっとちゃんとした車掌になればいい話なんですけどね。そこまで辿りつけていないことがもどかしいんです」

 少し話がすれていることに気付いて、メルははっとした。

「いやっ、だからちゃんと話せば伝わるっていうか……! なにかしら変わるものはあると思うんです!」

 ジェリーは俯いてしばし逡巡していた。やがて顔を上げるときっぱりと言い放つ。

「あたし、サピオに謝ってくる」

 ジェリーはすくっと立ち上がった。メルは安堵の表情を浮かべた。ちゃんと伝わった。

「では食堂車へどうぞ」

 メルの言葉にジェリーは首を傾げた。


   *


 言われたとおりに食堂車へ向かうと、そこにはひとりサピオが待っていた。

「サピオ……」

 ジェリーはためらいながらもその席へと近付いていく。

「もう部屋に帰ったかと思ってた」

「そうしようかと思ったんだけどね、給仕係長に頼んだんだ」

 訳が分からずジェリーはまた首を傾げる。

「あたしね、サピオからしたらまだまだ子どもだし、思ったことをすぐ言っちゃうし、呆れちゃうこともいっぱいあると思う。……でもサピオが好きなのはほんとなの」

 ジェリーは潤んだ瞳でまっすぐにサピオを見つめる。サピオは大きな溜め息をついた。

「……嫌われたかと思った……」

「嫌うわけないじゃない!」

 ふたりは顔を赤らめると、やがて穏やかな表情で笑い合った。

 そこにブレンダが入ってきた。手にはなにやらお盆を乗せている。

 テーブルに置かれたそれは――

「一日早いけど、誕生日おめでとう。ジェリー」

 イチゴのケーキだった。『二十』の数字をかたどったローソクが刺さり、『ジェリーおめでとう』と書かれたプレートが上に乗っている。

「サピオ……これ……」

「本当は明日渡したかったんだけど、ごめん……。僕の配慮が足りなくて君を怒らせてしまった」

 止まったはずの涙がまた溢れそうになる。

「君が二十歳になったらずっと言おうと思ってた……。ジェリー、こんな情けない僕だけど、良かったら僕と結婚してください。幸せにするよう努力するから」

 ますますジェリーの涙は止まらない。けれども『絶対に幸せにする』ではないところがサピオらしい。

 そんなところに惚れたのだ。いつも努力している彼は信頼できる。

 ジェリーはメルに借りたままだったハンカチで、涙を拭った。

「……喜んで」


 食堂車の入り口から、そんなふたりを見つめる人物がいた。

「うまくいって良かったねぇ」

「ブレンダの料理効果ね」

 メルはにやりとした笑みを浮かべる。

 オリオンのジンクスだ。

 オリオンの料理を食べると想いが叶う。そんな真しやかな噂があるのだ。

 ブレンダは苦笑いしている。

「そんなそんな。たまたまですよ」

「もー、謙遜しちゃって。おいしい料理は人の願いを叶えるのよ?」

 ジェリーとサピオは幸せそうな顔でケーキを食べている。

「メルも叶えたい願いがあったらいつでも言うのよ?」

 ブレンダは満足そうだ。掛けられた言葉に、メルは淋しそうな表情を浮かべた。

「私の願いは、きっと叶わないから……」

 小さく呟いた言葉は、ブレンダには届かなかった。

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