小さなつどい
遠くで人のざわめきが聞こえる。ガタンゴトンと響くのは、今しがたホームに入ってきた列車。辺りに漂うのは石炭の燃えるそれだ。
ホームの片隅で、少女と青年が、向き合っていた。
「いいかげん、諦めたらどう?」
少女は対面する青年に言い放った。少女のピシッとした濃紺の制服と、車掌帽が有無を言わせなぬ雰囲気をかもし出している。茶色の長い髪は後ろでひとつに詰められている。
対する青年は首都コル=ヒドレで今流行のジャケットを着こなしていて、その美青年振りを際立たせていた。金の髪とオリーブ色のジャケットのコントラストが目を引く。
「残念、僕と君の間に隔てるものなど何度でも越えてみせるよ。たとえそれが改札口であろうとも」
何人もの女の子を落としてきたであろう、笑みを浮かべる。
だがその笑顔も少女には効かない。その言葉を聞いて、少女はきっと眉を吊り上げた。青年に向かって足を大きく踏み出す。結われた茶色の髪が揺れた。
「無賃乗車は! 犯罪です!」
そう叫んで青年を軽々と投げ飛ばした。
*
大陸を横断するセント・アルファルド鉄道。長距離、短距離さまざまな列車が走り、トレミー国の交通手段の七割を占めている。
その中でも群を抜いて人々の羨望を集める列車。それが寝台列車オリオンだった。
この列車は、国の端から端までを五日間かけて走る。八両編成、一等客室から三等客室まであり、その乗客は国有数の金持ちから一般市民まで多岐に渡る。夢の豪華列車。子どもたちの将来なりたい職業ナンバーワンが、オリオンの乗務員とまで言われていた。
「まったく……。いつもいつもしつこいんだから」
オリオンの現在の車掌は、まだ若干十五歳の少女だ。名をメル。先代車掌の娘だった。
厨房の台に頬杖を付いて、メルは先程のやり取りを思い出していた。いつの頃からだろう。首都コル=ヒドレで繰り広げられる光景は、もうお馴染みのことになっていた。
ジュノンは首都に暮らす青年である。その甘い顔立ちから、首都の女の子たちから非常に人気があるという。というのは客室係長のウィズの言葉だ。確かに美形の部類だとメルも思う。が、首都に立ち寄る度にちょっかいを出してくるのは、正直迷惑だった。無賃乗車だって本気でしようとしているわけではないだろう。あれはメルをからかっているのだ。
「本当にどうにかしてほしいわ!」
給仕係長のブレンダは笑いながらそれを聞いていた。
「まぁまぁ、ジュノンもからかい半分なところがあるから」
ランチの準備をする手を止めないまま、ブレンダは返事をする。ブレンダは先代のときからオリオンで働いている、この道二十年の給仕だ。子どものときからメルを知っている。
メルはダンッと拳を台に振り落とした。
「こっちは迷惑極まりないのよ! ただでさえ首都での乗り換えは多くて大変なのに! 邪魔でしょうがないわ!」
ブレンダは苦笑いして軽く息をついた。
「さ、ランチの時間よ。仕事してちょうだいな、車掌さん」
メルは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、仕事に戻るしかなかった。
寝台特急オリオンは八両から成る。
動力部の一両目。乗務員の詰め所や厨房、様々な物品が置かれている二両目。食堂車の四両目。以下、客室となる。三両目は一等客室。ここは出発駅から到着駅まで乗っているような上客が主だ。五・六両目は二等客室。こちらは二・三泊するような中距離移動の乗客が多い。そして七・八両目は三等客室。ここは一泊で乗り降りする客がほとんどだ。
「ようこそオリオンへ! ごゆるりとお寛ぎください」
駅に着く度、メルは客を出迎える。大きな旅行鞄を抱えた乗客たちが次々と列車へ乗り込んでいく。客室係の乗務員たちがそれを案内していた。
「定刻。寝台列車オリオン、出発!」
そして列車は走り出した。
始発、最西の町・首都コル=ヒドレを出た列車は、初めは川と並走する。賑わう町並みとその間を流れる川の風景を楽しむことができる。やがて川と分かれた列車は、三日目に国の中央・アルゴへと到着する。田畑の広がる農耕地帯だ。そしてまた二日かけて、今度は最東のエリダヌス自治区で終点を迎える。
エリダナス自治区は十五年ほど前に、トレミー国の領土になった地域だ。異民族としてまだトレミー国とは多少の隔たりがあった。
「メル、二等室の客のディナーは全室ビーフで良かったかしら?」
「えぇ。でも二〇三号室はお子様が二人いらっしゃるから、量を間違わないでね」
「メル、速度はこのままでいいか?」
「この先雨が降ってるそうだから少し落として」
列車の全般の指示を出すのが車掌メルの仕事だった。
メルはマイクを手に取った。
「間もなくアルゴです。お降りのお客様はご準備お願い致します」
車内アナウンスもだ。
列車が速度を落とし始めた。メルは運転席の窓から顔を覗かせる。
「あー、首都じゃなければあいつがいないから気が楽だわ」
「なんだかんだでメルも楽しそうだけどね」
「どこが! あいつのせいで仕事が滞って仕方ないわ!」
客室係長のウィズは呆れたような顔で溜め息をついた。彼女は二十五に差し掛かったばかりで、オリオンの従業員の中では一番メルと歳が近い。
「あら、ジュノンは町で結構人気があるのよ?」
「えー? なんであんなヤツが?」
メルは露骨に嫌そうな顔をする。
「あの顔とあの性格でしょ? おまけに憲兵で強い。あなたいつも投げ飛ばしてるけど、ジュノンは手加減してるんだからね? あんまりボヤボヤしてると他の子に取られちゃうわよ」
「だからそんなんじゃないって!」
列車は汽笛を上げて止まった。
「さ、仕事よ。行きましょ車掌さん」
メルはまだ言い足りなかったが、客を見送るために列車を降りていった。
*
駅を出て、メルは切符を確認して回っていた。改札鋏をカチャカチャ鳴らす。
さて三等客室に向かおうか、というときだった。
通路を子どもが一人で歩いている。見たところ、五、六歳くらいだろうか。金色の肩下までの綺麗な波打った髪をした、可愛らしい女の子だ。だがその愛らしさを台無しにするかのように、しゃっくりを上げて泣いていた。
メルは改札鋏を鞄に仕舞うと、少女の前まで行ってしゃがみ込んだ。
「お嬢さん、可愛い顔が台無しですよ?」
そう言って鋏の代わりにポケットからアメを差し出した。少女は一瞬驚いた顔をして、アメを受け取った。だがそれでも涙は止まらない。
「どうしたの? 迷子?」
少女は泣きながら首を横に振る。
「あのっ、あのね……! グーがいなくなっちゃったの……!」
それだけ言って、またしゃっくりを上げ出してしまった少女の背中を、メルは優しく撫でる。
「グーっていうのはお友達?」
少女はこくこくと頷く。
「じゃあお姉さんと一緒に探そっか!」
そう言うと少女はぱっと顔を上げた。そして目をぱちくりさせる。
「いい、の?」
もう涙は止まったようだ。メルは鞄からハンカチを出して、少女の濡れた頬を拭った。
「もちろん。さ、来た道を戻ってみよっか。客室に戻っているのかもしれない」
そう言って立ち上がると、少女の手を取って歩き出した。
「あのね、はぐれたんじゃないの」
ちょうど通りかかったウィズに切符の確認は頼んだ。少女は二等客室がら来たそうで、ウィズと反対の方向に歩き出したところで少女ジルは言った。
「どういうこと?」
「グーとわたしはね、ずっと手を繋いでたの。でもファインがむりやりグーの手を取って連れてっちゃったの」
そう言ってジルはまた俯いてしょんぼりとした顔をする。
「ファインっていうのは?」
「イトコ……。いつもイジワルしてくるの……。きらわれてるのかな……?」
俯くジルをメルはじっと見つめた。そしてふっと笑うとしゃがみ込んでジルに目線を合わせる。
「だーいじょーぶ! ファインはジルのこと嫌ってなんかいないよ! 好きだからイジワルしちゃうこともあるんだから」
「そう、なの……?」
不安げな瞳で見つめ返してくるジルに、メルは大きく頷いてみせた。
「お姉さんもそういうところあるのよ。素直になった方がいいのにね」
そう言ってウインクしてみせた。ジルはこくんと頷く。
「あとで聞いてみるといいわ。『私のこと嫌いなの?』って。ちょっと淋しそうに言うのがポイントよ」
そこでようやくジルは笑顔を見せた。
七両目を見て回ったが、グーらしき人物とは出会うことができなかった。
「トイレー」とぐずったジルを、メルは化粧室の前で待っていた。そこにひょこっとウィズが現れる。
「素直に、ねぇ」
メルは露骨に嫌な顔をした。
「ウィズ……。どこから見てたの……」
ウィズはニヤニヤしながらメルを見てくる。
「『好きだからイジワルしちゃう』のところから」
「一般論よ!」
「意地張らなくてもいいのにぃ」
「張ってません! ほら仕事は終わったの!?」
ニヤニヤ笑いを続けるウィズの背中をメルはぐいぐい押した。
化粧室から出てきたジルは、そんな二人を見て不思議そうな顔をしていた。
*
「いないねぇ」
ウィズと別れた二人は、五両目の近くまで来ていた。それでもグーは見つからない。
「そういえばグーはどんな子なの?」
今さらながら、メルは根本的なことを聞いた。ジルは可愛らしい瞳で見上げてくる。
「んっとね、グーはまんまるの赤い目がかわいくてね」
赤い目とは珍しいな、とメルは思った。トレミー人の瞳は碧が多い。事実、ジルの瞳の碧色だ。
メルの瞳は焦げ茶色だ。これはエリダヌスの人に多い。だからこそ、メルの親はエリダヌス人か、もしくは混血じゃないかと言われていた。
「それでね、まっしろな毛色なの」
「毛色?」
白も珍しい。メルは茶色の髪の毛だが、トレミー人の大部分が金髪だ。白髪に赤目など、聞いたことがない。よその国にはあるのかもしれないが。
しかしジルの言い方が気になった。
「ねぇジル。グーって……」
「ジル!」
その言葉を女の声が遮った。振り返ると、金の色の髪の女性が、慌てた顔でこちらに駆け寄ってくる。
「ママ!」
呼ばれてジルはその女性の元へと駆けていった。ジルはその女性の胸へと飛び込んでいく。
「あなたどこに行っていたの? 探したのよ」
「グーがね、いなくなっちゃったの。あのおねえさんがいっしょに探してくれてたんだよ」
ジルは振り返ってメルを指差した。
「車掌さん?」
女性と目が合って、メルは静かに頭を下げた。ジルの母親は、メルの元へと近付いてくる。
「娘と一緒にいてくださってありがとうございました」
「いえ。それよりもグーがまだ見つかっていなくて……。お戻りにはなっていませんか?」
メルが尋ねると、彼女は驚いた顔をした。そしてくすくす笑う。
「違うんですよ、車掌さん。グーは……」
「ジル!」
それを遮ったのは、少年の声だった。メルが振り返ると、そこには癖毛の金髪の少年がいた。年の頃はジルと同じくらいだろうか。
少年はずんずんと近付いてくる。そしてジルの前に立つときっと眉を吊り上げた。
「お前ひとりでどこ行ってたんだよ! おばさん心配してたじゃねーか!」
「だ、だってファインが……」
少年に怒鳴られてジルはビクッと身を竦ませた。彼が先程言っていたジルのいとこだろう。
ジルはみるみる涙目になっていく。だがそのうちはっとしたように顔を上げた。
「ファインは、わたしのこときらいなの?」
先程メルに言われたことを思い出したのだろう。涙目で問われて、ファインはぐっと言葉に詰まる。この様子では、やはりジルに対する態度は好きな子いじめだろう。
ファインはそんなジルを見ていられず、プイッと顔を逸らした。
「別に……きらいじゃねーよ」
そっぽ向いて答えるファインに、ジルはぽかんと口を開けた。そしてやがて満面の笑みを浮かべた。
ファインの頬は、ますます赤く染まっていく。
「わたしもだよ」
そう言ってジルはにこにこと笑っていた。
「グーというのは、あの人形なんです」
ファインはジルにウサギの人形を手渡していた。白いもこもこの毛をした、赤い目のウサギだ。
「なんだ……。私はてっきりご兄弟かなにかだと」
「あの二人はいつも喧嘩ばかりで心配していたんです。車掌さんのおかげで仲直りできたようです。ありがとうございました」
笑顔の少女と照れた顔をした少年。
微笑ましい光景を、メルはいつまでも見つめていた。
*
「へぇ。そんなことがあったんだ」
昼下がりのカフェ。コル=ヒドレ駅内にあるこのカフェは、平日ということもあってそんなに混んでいない。
そこに、笑顔のジュノンとウィズ、そして仏頂面のメルがいた。今日はメルとウィズ二人の休日だ。ジュノンは昼休みに駅まで来たようだ。
「というかなんでこのメンバーなの……? 私はウィズとお茶するつもりだったのに!」
それを聞いてウィズはくすりと笑う。
「なにも二人っきりとは言ってないじゃない? 私がジュノンに会いたかったんだから付き合いなさいよ」
有無を言わせぬウィズに、メルは口を噤む。そんな二人のやり取りを、ジュノンは楽しそうに眺めていた。
「僕はこの町を離れられないから、君たちの話を聞くのは楽しいよ」
それを聞いてメルは首を傾げる。
「そういえば、ジュノンって仕事してるの?」
ジュノンがずるっとずっこけた。
「もちろんだよ! 憲兵をしてる。そうか、知らなかったんだ……」
「だっていつも無賃乗車しようとしてるじゃない」
「構ってくれるメルが可愛くて」
はいはい、とメルはジュノンの言うことを軽くいなす。そんなメルを横目に、ジュノンは頬杖を付いてにこにこと笑っていた。
「ジュノン、私だって鬼じゃないんだから、普通に話し掛けてくれたら相手するわよ? 乗り換えで忙しくしてたら難しいけど……。犯罪まがいのこと、しないで?」
上目づかいでそう言ってくるメルを、ジュノンは驚いたように見つめた。
「うん、分かった。もうしない」
きっぱりと言い放つジュノンに、メルは安堵の表情を浮かべた。これは冗談を言っているときの顔ではない。そう思えた。
ジュノンはふっと表情を緩めた。
「話を戻すけどメル、良かったらオリオンのことを色々教えてくれないかい? 君の言葉で聞いてみたい」
女の子たちを落としてきた甘い笑みを向けられて、メルは目を細める。
「……タダじゃあ聞かせられないわ」
「そうなの? じゃあここのケーキを付けよう」
「あら、私もいいかしら」
ウィズが横から乗っかってくる。
「もちろん」
うまく丸め込まれた気もしたが、メルもここのケーキは好物だ。ケーキに免じて許してやるか、とメルはオリオンから見える風景のことを話し始めた。